龍泉洞の探査をやった久保君と龍泉洞の話をした。昭和56年に放送した僕の撮影した番組のDVDを貸してくれた。
これが僕の信じているX洞への入り口だが、後は、この穴に突撃するだけ、ここから先は根性だという話をした。
22時、日本水中科学協会の理事会終了。
難しいこと山積み。 難しいことに立ち向かうことが爽快だと思うと、躁鬱証の躁状態になり、たちはだかる壁の高さを思うと鬱になる。
自分で自分の行動に責任をとれない人はダイビングを始めるべきではないという、至極当たり前のことを、タイトルにすると、恐ろしがって敬遠される。だろうか?
浦安海豚倶楽部の平均年齢は60歳にちかい。みんなでスキンダイビングの練習をしていて、もしも誰かが亡くなってしまったら、それは、僕の責任なのだろうか。
講習会で事故が起こった。それは誰の責任なのだろうか?インストラクターの責任だという人がほとんどなのだろう。きちんとしたプログラムを誠実にやることだけが、インストラクターの責任であり、その結果については、本人の責任だと思うのだけれど。
こんなことをtwitterに書いた。
龍泉洞に潜るのは、own risk でなければ潜れない。
ダイビングのどの段階からown riskになるのだろうか。
C-カードをとってからか?C-カードを取ってさらにトレーニングを積み、経験をつんでからなのだろうか。
C-カード講習を修了してから、10回目までのダイビングが一番危ないなどと言われる。僕は、危ないからこそ、講習の第一日目からown risk だと思っている。
どこまでが他力本願であり、どこからが自分の命なのかの線引きは僕には考えつかない。人それぞれ、人生いろいろだ。フィジカルな能力もちがう。自我が確立したときから、own risk の人も居れば、死ぬまでown risk ではない人も居る。own riskで生きられ無い人は、ダイビングをやって欲しくない。
しかし、本人はown risk のつもりであっても、訴訟を起こすのは、その家族縁者なのだ。家族が、講習を一ヶ月受けましたから、もう、死んでも何も言いません、などとなるわけがない。
線引きなど出来ない。しかし、その議論はしなければならないけど線引きなどできない。。でも出来ないだろう。PADIの1982年のテキスト、The Low and the Diving Professional によれば、世の中の黒白、責任の分量は、すべて訴訟によって量られる。だから、全ての事故で訴訟が起こされると言う。この考え方が、ダイビング指導団体のよって立っている根源だ。指導団体の保険があるから、指導団体が成立している。
もしも、講習の第一日目から own riskであれば、ダイビングのインストラクターなど不要になってしまう。それでは、インストラクターとは、いざというときに訴えられるためにそこにいるのか。
これは、世の中のことほとんどすべてと同様に二律背反則なのだ。
エンドレスな議論になる。インストラクターも own risk いざというときには御家断絶 ダイビング指導の世界から足を洗うしかない。インストラクターから足を洗って、成功した人が沢山いる。インストラクターは、hiight risk low returun もしくはno returun である。もっと良い商売が、スクーバダイビング活動の中にたくさんある。
こんなことを、日本水中科学協会の理事会で喧々がくがくやっていた。
さすがに疲れて、ブログを書く気力もうすれた。
それに明日は調査の潜水がある。朝が早い。
でもなんとかがんばった。