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2010年 03月 04日
3月4日(木曜日)
最近の若いダイバーたちに、海底居住、シートピア計画、アクアノート、オセアノート、とは?と聞いても正確には答えられないだろう。海中居住、海に居住してどうするの。陸棲の動物である人間が、海に住み,海に暮らせるわけがない。しかし、海の中に住むことは、古来からの人間の夢の一つだった。竜宮城は海に住む乙姫さまと夢のような月日を送る男のロマンだ。ジュールベルヌの海底二万マイルは、ノーチラス号に乗って,七つの海を我がものにする話だった 1970年代、世界の注目するところは宇宙と同じくらいの重さで海洋だった。今、大気圏外のハビタット(居住装置)でくらす宇宙飛行士が,人間の最後の究極の冒険を実現しているヒーローである。海底居住が宇宙よりも大事だと言ったケネディ大統領の言葉に触発され、世界中は海底居住計画の夢に走った。宇宙へ衛星船を飛ばすことは、どこの国でも出来ることではない。月に人間を送り込んだのはアメリカだけだ。地球をぐるぐる回るだけの衛生ハビタットでも、アメリカとロシアしか出来ない。日本はアメリカの宇宙船に乗せてもらうだけだ。その、乗せてもらっただけの人たちは日本でもヒーローだ。 身近な海だが、宇宙と同様に未知の世界だ。とは言っても、身近にある。一応の工業能力のある国ならば、どの国でも海底居住計画が出来るし、若いダイバーならば、だれでも海底に居住する、アクアノート、オセアノートになれる可能性がある。だから、世界中のほとんどの名のある国は海中住計画を国家的なプロジェクトとして実施した。海中居住を行った国のリストを見てみると、今や日の出の勢いである中国も韓国もやっていない。アジアでは日本だけが、シートピア計画を実施した。1970年代、世界はまだアメリカ、ヨーロッパの白人だけの世界だったのだ。 海底居住については、「海中居住学:ジェームス・ミラー;イアン・コブリック著、関邦博、真野喜洋 らの訳、丸善」に詳しい。海中居住は、人類の見果てぬ夢に終わってしまったけれど、この本を読むと、人と海、ダイバーと海との関わり合い、生身の人間の海へのチャレンジが理解出来たような気になる。9785円と高価な本だけれど、読む価値がある。(残念ながらアマゾンには無かった。) 海中居住学の中、日本の海中居住についての部分を引用する。外国人が書いたものからの訳文だから、必ずしも実態を正確にとらえているとは言えないかも知れないが、今,僕の手近にある資料としては、これだけだ。 「1965年、日本の科学技術庁は、海底居住実験に着手する意図で、補助金を与えた。この補助金を使って、東京医科歯科大学の科学者グループは、1967年における100mまでの飽和模擬潜水実験を行った。 ※実際には、70m 圧相当までの実験であり、真野喜洋先生もこれに潜る人として参加している。 1968年、科学技術庁は、海中開発技術協会と海中居住装置を建造する契約をした。 ※このために日本潜水科学協会は消えて、海中開発技術協会になった。日本潜水科学協会は、財政的には低空飛行であったし、補助金は国の金を使える。 ハビタート(居住室)は、1969年(昭和44年)に完成し、4人を収容できるように設計されていて、65トン、径2.3m長さ10.5mであった。 1970年(昭和45年)この計画は、行政改革のために休止状態になった。結局1971年(昭和46年)新設の海洋科学技術センターが実験を引き継ぎ計画を実施した。シートピアと命名されたのはこの時であった。 ※ 海中開発技術協は海底居住を抜き取られて、形骸だけのものになった。 実験は、30mのもの、60mのものが計画され、4人のアクアノートたちが100mの深度で一ヶ月間居住するという最終目標を目指していた。 1972年シミュレーション実験が行われ、4人のダイバーが40,2mの深度で46時間滞在した。呼吸用混合ガスは、酸素7.5%、窒素28.2%,ヘリウム64%であり、試験は成功し、ダイバーたちは29時間の減圧の後、退室した。」 以後、シートピア計画は継続されて、実海域では、1973年母船の基地である横須賀に近い、田子港で水深30mに設置されて、4人のアクアノートが68時間の潜水、66時間の減圧で無事帰還した。 僕もアクアノートになりたかったけれど、実際に実験でシートピアに乗れるのは、僕よりも、一回り以上年下で、僕がダイビングを教えたクラスのダイバーだった。東京水産大学の潜水部では僕が2代目だけれど、僕がコーチをしていた14代がほとんど全員、このプロのダイバーになり、そのうちの2名、奥川君と、大掛君がアクアノートになった。 日本の大企業のほとんどが、この計画に参画して社員を派遣し、後に海中開発の子会社を設立した。 住友は、住友海洋開発、三井は三井海洋開発、大成建設は芙蓉海洋開発、僕がお世話になったのはそのくらいだが、どの企業も海の中での活動に加わろうとした。住友海洋開発は、後に海底石油掘削の潜水を引き受けるようになり、友人も多く、お得意様であった。 水産大学で一期上の竹下さんが、海上自衛隊の司令から三井海洋開発に入り、海洋科学技術センターに出向してシートピアの指揮をしていた。 竹下先輩は、この計画への参画から、海洋開発という事業は,財閥系の子会社が利益を上げられる仕事ではないとして、三井系の海洋開発からの撤退を指導した。慧眼だったと思う。海洋開発とは、お金を海中に投げ込むだけの開発だった。宇宙も宇宙の彼方に金を飛ばしているだけのようだけれど、どちらも人類の夢なのだ。利益をあげなくてはならない企業がかかわるとすれば、国家的なプロジェクトの一部受注以外には無いように思われる。 とにかく、1970年代、ダイビングは海中開発だった。今は海洋レジャーの時代だ。後にレジャースポーツダイビング産業協会になる。海中開発は今は昔の話だ。
by j-suga1
| 2010-03-04 12:55
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