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2010年 08月 22日
ヤップに行く前に、ひっかかってとまっているブログを載せなくては、微妙なテーマなので、いい加減にはできないけれど、まあいいか。僕は馬鹿だと自覚して割り切ろう。
もうひとつだけ、海洋公園と益田一について書いておかなくてはいけないことがある。それはまた、少しつらいことでもある。 まず、最初に、僕は深く潜ることを否定していない。ダイバーと呼ばれ、自分でもダイバーだと思っているならば、だれでも深く潜ることをめざす。自分のやりかた、自分のスタイルで、自分の限界まで、そして、それは仕事であっても遊びであっても命がけだ。 本当に命がかかってしまうようなこと、やらせて良いのかどうかというと、それは、誰にもわからない。真剣に本人が考えなくてはいけないことであることは、まちがいない。 再び、中山千夏さんの本から引用させてもらう。この本がきっかけだから、そして、ぼくのことも書いてあるからいいでしょう。 「私があった最初のダイバー」というタイトルで、畑正憲さんのことを書いている。 中山さんが会った畑さんは 潜りませんか、と畑さんは誘った。教えてあげますよ、と 「なあに、誰でも出来ますよ。怖さなんかすぐ克服できる。新人は一回、100メートルぐらいのところに連れて行けばいいんです。怖がってジタバタしますがね。押さえつけて我慢させるそれを経験すれば怖くなくなります。」 100mという深さはダテではない。僕は、27歳の時に館石さんと100mにチャレンジして、失神して九死に一生、60歳の時にシステム潜水でようやく103mに潜った。 だから、100mは、大嘘としても、これを30mと置き換えても大変なことだ。この一言に、科学者のダイビング事故の一つのパターンが詰め込まれている。 畑さんは、ムツゴロウなどと名乗って、やさしいおじさんのようなキャラクターで有名だが、とんでもなくごつい人だ。畑さんは、真鶴の後藤さんのグループとも一緒にダイビングをしている。畑さんは、麻雀が強い。強すぎて、だれも遊んでくれなくなった。お金を出すから、遊んでくれとお願いして、それでも勝ってしまう。精神的にものすごくタフだ。精神的にタフな学者が、(畑さんは動物学者だ)「潜水なんて誰でも出来ますよ。怖さなんかすぐ克服できる。新人は一回、30メートルぐらいのところに連れて行けばいいんです。」この経験で、怖さを克服して上達する人も居る。しかし、死んでしまう人もいる。こんな大博打を本当にやってしまう人が学者、研究者にはいる。学識経験者などと呼んで、ご意見をきいたりするけれど、彼等には常識なんてない。ダイバーと同じだ。常識はずれを聞きたいから、ご意見を聞くのかもしれないが、ダイバーがご意見を聞かれることはまずない。 「日本の海洋動物―海深90メートルで:1969」益田さんの最初の本だ。畑さんが文章を書いている。いい文章だと思う。しかし、なんだろう。違うと思った。畑さんはダイビングは上手なのだろうけれど、決してダイビングのプロではない。プロではないのに、プロよりも深く潜る。1969年、この本で、みんないともたやすく、90mに潜っている。僕が、死ぬ思いをして90m潜ったのは1963年だ。実は、その1963年よりまえ、定置網の調査ダイバーは、80mを超えて潜っていた。かれらはプロだ。そうか、畑さんたちは、プロなのだ。となっとくした。 1969年の益田さんの本は、いただいて持っているはずだとここしばらく探しているけれどない。思い出した。水産大学の後輩、佐藤英明君に貸したままだ。貸したのは40年前だ。 仕方ないので、そのころの自分たちの90m潜水の写真を使う。 「とても厳しい話」というタイトルで、中山さんは書いている。 「ある日、無脊椎動物の権威の先生の依頼を受けて、益田一は張り切って深場へ撮影にでかけた。宏治さんら何人かの弟子、それに、その日ちょうど訓練に来ていたAさんが同行することになった。当時、学研は映像局に配属されたひとたちをIOPに送って訓練させていた。Aさんはその一人だった。ベーシックな訓練はもう終えていたし、水深50mの浅いところまで連れて行くか、ということになった。今の間隔ではかなりの深場だ。しかし、 「そのころぼくらにとって水深50mは浅いところだった。それで、ブリマチの水深50mのところにAを待たせて、ぼくは65から70くらいのところで、ウミトサカやヤギを撮り、マッさんは95mくらいへ行っていた。深いから素早く終えて、戻りながら見たら、Aが浅瀬に向かって泳いでいた。」パニックに陥ったのだ。 中略 「水深7mぐらいのところまでいくと、Aが水面に浮いている。今あそこへ行くと溺れるなあ、と思っていたら、マッさんがさっとAのところへ上がっていった。水深95mから、だよ。僕たちが本来サポートダイバーなんだけど、危ないから上がれないでいたのにマッさんは上がってしまった。やっぱり責任を感じたのだと思う。岸までかなり距離があった。ふたりが水面を泳いでゆくのを、ぼくらは3mぐらいから見ながら、行った。浅瀬にきたら、Aは足がしびれてしまって立てなくなっていた。」 もしかしたら、益田さんも減圧症になったかもしれない。いや、ならなかったことが不思議だ。 そして、Aさんは、 「ふかしを30mでやったが、パニックでうまくできず、下田の病院で再圧治療をしたが、治療が不適切で、Aは、車いすの生活になってしまった。」 その事故を巡っての責任問題で、畑さんと益田さんは離れてしまう。プロの条件は、なにがあっても、その責任を他に転嫁しないことだ。プロではないAさんをAさんにとっての極限まで連れて行った。ばたばたするのを押さえつけずに一人にした。プロなのかプロでないのかの線引きをまずしなければいけない。未だにその線引きはなくて、今僕たちが水中科学協会で線引きをやろうとしている。 マッさんをはじめとして、その弟子たちは、自分たちは不死身だとおもっていたにちがいない。畑さんは不死身の集団を見て、人間、誰も不死身になれると錯覚したのではないか。自分たちは、減圧症にもならない。これは、ダイバーだれでもが陥る錯覚だ。しかし、錯覚だとは思いたくない。昨日まで大丈夫だったのだから、今日も明日も大丈夫だと思う。これを「正常化の偏見」という。僕自身も、今現在、それに陥っている。ダイバーであれば、死ぬまで直らない。死んでも直らないかもしれない。馬鹿と同じだ。しかし、他の人、不死身ではない人を巻き込まないようにいつもいつも、自分を戒め続けてはいる。しかし、それは今の僕の話だ。昔の僕、日本潜水会発足のころの僕は、ダイバーのだれもが不死身にならなければいけないと思っていた。 今でも、ベテランのインストラクター、ガイドダイバーは、自分は不死身だと思っている。思っていなかったら、水中でお客の世話などできない。彼らはそういう種族だと、お客様は認識して、自分の行動を律しなければいけない。平たく言えば、不死身だとおもっているような奴インストラクターに無防備でついて行くなということだ。 僕の会社、スガ・マリン・メカニックも、自分たちは不死身だと思っていた時期がある。「スガ・マリン・サーカス」だと、自他ともに許していた。そして、若い社員が、減圧停止中に死んだ。一人で減圧停止をしていた。原因は不明である。死んだ本人は知っている。しかし、その遠因は「スガ・マリン・サーカス」にあったと、僕は思い悩んだ。そして、サーカスや、不死身の集団に、若い人を巻き込んではいけないと、いくつかの事故の例で、僕はすでに知っていた。知っていたのに、死んではいけない若者を仲閒にした。死んで良いか悪いかのスクリーニングは、自分でしかできない。だから、僕には責任がないと思いたかったが、減圧停止の時に一人にさせた。ぼくは現場には居なかったのだが、不死身の空気を作り出したことは、僕の責任だ。これは、自分が事故の責任に直面して、はじめてわかることだ。だから、何度も同じテーマで書いている。 このごろ、ダイバーよりも研究者の方が馬鹿なのではないかとおもいはじめた。畑さんは頭脳的には天才かもしれない。命知らずという意味の馬鹿だったのだろう。研究者に常識などない。基準とマニュアルでしばらないと危ない。水中科学協会を作る目的のひとつである。ダイバーにも常識はない。常識のない者が集まって基準をつくらなければならない。常識のある役人とか、一般人の作ったルールには、常識のない者たちは反発する。
by j-suga1
| 2010-08-22 09:07
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