大横川の桜はもうほんの少しだけ、葉桜ももう終わり。
入れ替わるように牡丹園の牡丹が咲き始めて、コナラの花、どんぐりの花も咲いたという感じになった。
季節はもう初夏に入る。
カレンダーをめくるのが、まるで日めくりの暦のような感じがする。この前、2月から3月にめくったと思ったら、もう4月も半ばで、あわてるようにしてめくる。今めくらないと6月になってしまう。歳を重ねると、月めくりが日めくりになる。自分の頭の回転がのろくなっている分だけ、周りの景色が走ってゆく。考えてみれば、3月には3月11日があった。福島の原発は、まだ、一応の制御ができるのが、8か月後とか9か月後という。
しかし、僕の感覚では、昨日あたりが分水嶺、峠だったような気がしている。ここから先は、とにかく復興、復興以外のことは許されない。
例年のお台場クリーンアップの実行委員会があった。今年でたしか14回だったか15回を迎えている。配られた資料に平成23年度とだけ書いてあり、第何回というタイトルが抜け落ちている。一番大事なことなのに。
僕のこの会議での主張は、雨天、暴風雨決行だ。配られて資料には、「波浪注意報があり、警報発令があり、確実に雨が降る場合には中止」などとたわけたことが書いてある。とにかく決行、みんな集まって海を見て、みんながだめだと思えば、おにぎりとジュースをもらって、中止にする。お台場は津波でも来ない限り、波は立たない。
その津波の時、避難場所を決めておくなどと、相棒の中村が提案している。津波の場合にはまず地震があって、警報がある。高層の建物はうようよある。フジテレビに避難してもいい。3月11日以来、日本の国はフロンティアになった。
DANの日高さんも見えられていて、娘の潮美に津波の時にどうすれば良いかインタビューを受けたとあいさつされた。僕のところにインタビューに、来るわけがないか。僕がインタビューを受けたら、「陸で津波が来たら、走って逃げて、高いところに登ろう。海に出ているときだったら、自分は生き残ると確信しているしかない。
勝手なことを言っているが、実は6月18日の第三土曜日、僕は別のスケジュールがある。早稲田の学生と海洋研究開発機構のプールに行く。例年、この行事は第一土曜か第二土曜日だ。来年からは、第二にフィックスするようにお願いした。
来年まで、なんとか生き延びよう。そのくらい、今年は厳しい。