このごろ、津波の被害のこととか、放射能のことを言ったりするのが、なにかタブーのように思われているのではないかと感じる。何事によらず、人が一生懸命にやっていることを批判するのはいやなものだ。そして、生まれてからこの方、これほどまでに、行政とか政府を意識したことがない。しかし、現実をまっすぐ見なければいけない。こんな書き出しで、ブログにまじめなことを3時間かけてかいたのだけれど、まじめになればなるほど、世間一般と衝突してしまいそうでキープにした。
鶏飯で有名な「みなとや」 るるぶ から
で、鶏飯の話にする。
月刊ダイバー3月号のグラフィティは、奄美大島の探検、1956年の話だ。まず、笠利のリーフ探検に向かった。そのころは、笠利には空港は無く、リーフが広がっていた。台風にぶつかって、交通が遮断され歩いて行った。およそ8時間あるいて、目的地に近い、宿(小学校の校長先生宅)にたどり着いた。出してもらった「うどん」がおいしくて、以後、ご飯にうどんを乗せて食べるのが好きになったと書いたら、編集の潮美から、それだけではなんだかわからない。脱線するならば、きちんと脱線しなさいと言われて、その話は没にした。脱線すれば、1000字を超えるだろうから、水中に関わる話を削らなければならなくなる。うどんの話はカットした。
と、そのことをフェイスブックに書いたら、話を読んだら鶏飯が食べたくなった。とか、鶏飯のスープにうどんをいれたらおいしいだろうとか、書き込みをもらった。そこではっと気が付いた、あれは、鶏飯のスープにうどんを入れたもの、鶏うどんだったのだ。
その後、奄美大島には、何度も潜りに行った。笠利の冲にトンバラという孤立した岩礁があり、何人ものダイバーが死んでいる。トンバラとは、徳之島にもあり、他にもあるかもしれない。鳥が飛んできてぶつかってバラバラになるという、多分嘘の名称だ。
難所だから、10回通って3回行ければ良いと言う話だった。山本進さんと一緒だったのか、鶴耀一郎と一緒だったのか忘れたが、一度だけ行けたことがある。トンバラの岩に貼りついて下を見ると、川のように流れていて、吐き出した気泡は下に向かって吸い込まれていった。魚は居たけれど、魚などどうでも良い気持ちになった。潮がとまっている時ならば、撮影も出来そうだが、そのころは、船外機の小さいボートだから、潜れただけで満足して帰ってきた。
その時に用安の「みなとや」と言う店にいった。「みなとや」こそが鶏飯の元祖である。と「みなとや」では、言っている。鶏飯そのものは、笠利地方では普通の味付けなのだろう。だから1956年のうどんがおいしかった。
たしか、皇太子殿下(今の天皇陛下)が奄美に来て、笠利をまわった。みなとや、はあたりで一番大きい店だったから、昼食をとられた。何を出そう、考えていたら、家族の女子高生、が鶏飯が良いと言いだした。あんなものは、と言う意見もあったが、とにかく出した。
皇太子殿下は、美味しいと言ってお替りをした。普通、後続は外で食事をしておいしいとか言ってはいけないし、お替りも許されない。のだろう。それがお替りだから、一気に有名になり、「みなとや」が元祖になった。
僕は「みなとや」で、昼食に鶏飯を食べ、ついでに宿泊して夕食にも鶏飯を食べた。大きな、単なるアルマイトの鍋に、煮立ったスープが入って出され、ご飯に具を乗せてスープをかけて食べる。だれでもご存知の鶏飯だが、満足した。
みなとやをネットで調べたら、ちょっと有名になりすぎた感じで、もう一度行くだろうか??となっている。
でも行くだろうな。笠利でレンタカーを借りて走るならばまず行かれるところだ。あのあたりにダイビングショップもあるだろうけれど、トンバラには行くだろうか。