2月2日
少なくとも隔日にはブログを書くと決めているのだが、なかなか時間が無くて、FBの焼き直しになる。もともとフェイスブックはブログの下書きのつもりだが、やはり、もう少しまとまったことを書かねばと頭の中にはあるのだが、書きだせない。
火曜日、浦安海豚倶楽部のお姉さんたちと(僕がお兄さんだから)プールのドライルームで雑談。「須賀さんは、どういう風に死ぬのですか」そんなことわからないけど、驚異の質問。僕の答え、僕が海で死ぬのを事故死ととらえないでほしい。僕にとって自然死であり老衰死だ。ダイバーが海で死ぬのは当然だから。ベッドの上では死にたくない。
葬式は出さないようにたのんであるけど、海豚倶楽部でのパーティはぜひやってほしい。屋形船でカラオケもいいな。いつ死ぬかについては4年以内に70%の確率、どこかで聞いたな。江戸っ子だから事前の避難なんかしない。80歳を越したら数字を修正する。
JAUSの吉田さんから書き込みがあり、JAUSとしては、浜町亭で懇親会で良いですか。という。僕は日本橋浜町の生まれで、その浜町亭と言う居酒屋の場所で、「音羽屋」という待合をやっていた。戦災で焼け、土地も手放して、以来、この居酒屋ができるまで、どんな変転があったのだろう。
地震についても放射能の拡大予測についても、研究者は確実なことがわかっているわけではないが、研究の結果は、公表されるべきだと考える。また、成果の発表が科学者の仕事である。科学とは、仮説から始まる。責任のある予測でもないし、結論でもない。今後の調査、研究が必要であるという発表だととらえるべきだと思う。僕たちはその調査、研究をサポートしている。NHKスペシャルで東京の川の上流に汚染区域があり、下って、河口域の海が危ない。いまから2年2か月後に東京内湾は汚染地域になるとアナウンスされた。僕たちとしても、とにかく知らなければ、と三番瀬の小埜尾さん、横浜の坂本さんに協働の声をかけた。今月末から動き始める。 小埜尾さんから返事が来て、東京湾の漁業組合が、除染をもとめて陳情した新聞記事を送ってくれた。除染するにしても、基本は調査から始まる。東京湾は修羅場の空気が感じられはじめた。
ダイブビズショウに行った。写真をたくさん撮ろうとしていたのだが、撮影禁止だって。今はダイバーはみなカメラマン、気に入ったものがあったり、珍しかったりすれば、携帯でだって撮りたいと思うのが普通。主催者はどういう考え方をしているのだろう。ビジネスだからお客さまのことは考えないという方針なのだろうか。昔、スポーツ業界のショウではお客様は入れない、問屋だけの展示だったけれど、それに倣ったのかな。
フオースフィンと言うのを「ダイビング・水中活動の基本用語」に入れたくて撮らせてもらった。フットポケットが無くて、足先に負担がかからず、太ももの筋肉だけを使うから、疲れないとのこと。僕の泳ぐスタイルとは違う。良さそうだけれど、ここにきて泳ぎ方の根底を何度も変えることは難しい。
会場では訃報の話をした。フィッシュアイの大村さんからは、僕と一緒にカメラハウジングを作っていた島野さんが亡くなったと聞く。共同経営者だったが訃報は僕のところに直接は来なかった。そして、高圧ガスの宮下さんとは、元東亜潜水機の安森の死の話、こちらの方は、欠礼の葉書がきていたから知っていたけれど、大学をでて、東亜潜水機で働いていた僕のところに、高校生でアルバイトに来たのが、安森との出会いだった。ダイバー誌のグラフィティでも彼のことをたくさん書く予定だ。グラフィティだから、当然ともいえるけれど、世を去る人が多くて、憂鬱になってしまう。
くらい話題ばかりで辛い。