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2012年 07月 11日
7月5日
名瀬港に入港。今は奄美市。市になる時に名瀬は奄美になり、古仁屋は瀬戸内町になったのだろう。とにかく、僕にとっては名瀬。早稲田大学グループは、レンタカーでアヤマル岬のリーフで磯採集をする。リーフの上を歩くのは好きではない。当初は、パスするつもりだったが、パスしてどうする。奄美と言えばケイハンだ。ケイハンならば、皇太子殿下時代の天皇陛下に昼食に出して、お替りをされ、一躍全国区になったという、みなと屋だ。昔、なんでも昔なのだが、時が流れてしまったのだから仕方が無い。僕は笠利に潜りに来て、みなと屋に泊まったこともある。30年以上前だけど、新宿のDoスポーツのマネジャーと一緒に来て、みなと屋に泊まった。みなと屋は、あやまる岬への道筋から少し寄り道すればいい。だから、の帰りに寄ればいい。 行こう。磯採集に同行することにした。でも、僕はリーフには降りずに、レンタカーの中に居よう。あやまる岬の手前で「宇宿(うすく)小学校」という建て看板を見た。僕は忽然として思い出した。1956年に初めて奄美に来た時、台風で交通が途絶し、名瀬から歩いて笠利に向かった。その時に目指していたのが宇宿(うすく)小学校で、校長先生の家に泊めてもらった。そして、台風一過の次の朝、小学校の生徒たちと浜に採集に出た。それがアヤマル岬だったのだ。アヤマル岬の浜は、今は公園になっていて、リーフを掘って作ったプールもできている。 なつかしさで、浜に降りたかというと降りないで車の中に居た。みんなが戻ってきて、ここにしかない?という海綿の群生を見たと話され、リーフに下りれば良かったと後悔した。やはり、疲労をためないように、身体を休ませている。やるべきことだけやればよいという、年寄りの発想になっている。よくない。 ひさ蔵のケイハン 帰途、みなと屋は、2時半なのに、今日の営業を終了しましたと閉まっている。みなと屋は昼食だけなのか。近くの人、奄美の人は、そのことを知っているだろうが、はるばる来る人はそんなことはしらない。老舗だとか元祖だとか言って宣伝したら遠方からの客がくる。それを失望させる。これは許せない。そのうちに潰れるだろう。名瀬に戻る道で「ひさ倉」というケイハン専門のドライブインに入った。ケイハンはどうやって作ってもおいしいから、おいしかったが、みなと屋と比べて?比べようがない。30年前の味は覚えていない。でも、なんだかちょっとちがうと感じた。こういうシンプルな食べ物は、ちょっとしたことでまったく違ってしまうのかもしれない。もどってから、ケイハンは「ばしゃ山」がおいしいと聞いた。ばしゃ山ならば、勝君がやっていて、ダイビングサービスもやっている。ぼくも2回来ている。この前、これも30年以上前だが、来たときには鶴耀一郎と一緒だった。不世出の素潜り潜水漁師、今はもう亡くなって久しい。この前、鶴耀一郎に会ったのは、トカラ列島クルーズのテレビ番組撮影の時だった。彼のことを書くと際限もなく、長くなってしまうし、もう何度も書いている。しかし、名瀬に来て、もしも鶴耀一郎が生きていればと痛切に思う。 7月6日 名瀬(奄美市)から古仁屋(瀬戸内)まで、大揺れに揺れて、大島海峡に入り、古仁屋港着1200、久根津のダイビングサービス・コホロの太田さんにボートで迎えに来てもらって乗り移りする。久根津は、57年枚、1956年に僕が初めてスクーバで潜ったところだ。そのことを月刊ダイバーのニッポン潜水グラフィティに書いた。太田さんとは、僕が彼のいる久根津のことをブログで書いた時、ツイッターで意見を寄せられて、ツイッターのやり取りをするようになった。今度の航海で奄美大島に行くことになったので、どうしても久根津に行きたい。太田さんにも会いたい。潜りたいということで実現させてもらった。 豊潮丸の航海は、原則として、ゴムボートでの潜水だが、うち、一日ぐらいは、ダイビングサービスに案内してもらって、いわゆるダイビングポイントに潜る。 12時に乗り移っての出発で、2ダイブしたい。その上で、夕方に僕は久根津の村にも行きたい。 結構せわしない。 太田健二郎君は、思っていたような人だった。気持ちの良いガイドだ。 久しぶりにダイビングポイントらしいポイントをガイドしてもらって潜る。安楽だ。 最初のポイントは、安脚場、アンキャバと読む。大島海峡の西側の出口に近い。 巨大なハマサンゴがあり、良いロックがある。ロックの中はくりぬけていて、トンネルの中にはアカマツカサが群れている。 水中は、ほとんどすべて、マスクマウントのGoProで撮ったもの。 もう一か所、きれいなところいうことで、カテツに潜る。ここは白い砂地にロックが転々としているところで、ガイドラインがあるが、さらに巻尺を引いてもらう。一番大きいロックは、昔は造礁珊瑚があったのだろうが、無くなっているようなロック。 大きなロックはスカシテンジクダイ、キンメモドキ、ハタンポ、ヨスジフエダイとか、思いつくような魚はほとんど全種類いるのだろう。造礁珊瑚が無くても魚は集まるというのが僕の持論。 上はGoPro、下はキャノンのG11 魚が目的ではないし、撮影も僕の目的ではない。カメラは持っているが、中尾先生のカメラで、採集する海綿標本の現場での姿を撮る。しかし、カメラマンの血は残っている。一眼レフでしっかり狙って撮りたいという気持ちにさせられる。マスクマウントでどんなふうに撮れるかを考えながら泳ぎ、視線をのばす。スカシテンジクダイは、やはりライティングが欲しい。ユカタハタとはにらめっこ状態で、目の前5cmで目と目を見合わせる。これが本当のフィシュウオッチングだ。カクレクマノミともウオッチングした。ありふれているけれど、かわいくて、顔を寄せて目が離せない。魚を見てばかりいられない。 砂地に転々とするロックや、錨には、何種類かの海綿も付いていて、採集した。錨から3種類を採集した。 2回の潜水を終え、中尾先生たちは、別行動になるので、豊潮丸で降ろし、須賀と石川だけ久根津の部落に向かった。 油井小島 油井小島の縁、内湾性のエダサンゴ 油井小島、57年前には、ここにマベ真珠の研究、養殖場があり、僕の兄貴分の探検家で博物学者、4期先輩の白井祥平さんと来た。油井小島の縁に潜水する。内湾性のエダサンゴが生えているが、透明度は昔よりも悪い。マグロの養殖がおこなわれていて、近くに網囲いの生簀がある。そのためだろうか。 57年前、およそ一か月滞在した久根津部落に太田さんのお店があり、僕たちの昔の滞在を知っているという人たちに会った。白井さんは元気ですかと聞かれる。去年までメールの返事があったのだが、月刊ダイバーでニッポン潜水グラフィティを始めるとメールしたのに、2回メールしたのに返事が来ない。心配だが、訪ねて行く時間が無い。東京にもどったら電話してみよう。 僕たちが一か月のホームステイをした家、かわいがっていた良雄君、やがて良雄叔父になり一昨年だか亡くなってしまった。埼玉でラーメン屋を開き成功していたということだが、良雄君の名字は岡本だったと教えられ、そう、たしか岡本だったかと思う。区長さんに岡本家跡に案内してもらう。海べりで、なんとなくたたずまいがここかなと思わせる。この家の人、この部落に戻ってこないだけで、どこかで成功しているのだろうか。こんなことは、東京の近くでもあることだし、僕自身も、先祖がいた所からは、離れていて、もどることもない。さみしいということはないが、時の流れだ。 良雄君の家の跡 久根津部落の人たちは、みな親切で、僕も顔さえ覚えていないのに、懐かしがってくれる。僕のグラフィティも太田さんが部落の人に見せて、喜んでもらえたそうだ。 太田さんの店は、消滅した岡本家に近く、なんとなく昔の雰囲気がする。奥さんの運転で、古仁屋に停泊している豊潮丸に送ってもらった。昔はこの道路がなく、古仁屋への往復は、一日一本の連絡船だった。連絡船と言っても、今の太田さんのダイビングボートよりも少し大きいくらいだった。車の中で、いろいろ話を聞く、 来ていたゲストとも一緒に記念撮影 コホロ キュートな奥さんは、大学時代にダイビングを習ってその時のインストラクターだったという、ダイビングで良く聞く話で、いいなと思う。コホロは、できて、16年目だという。詳しいことを聞く時間が無かった。5人ほどでツアーを組んでもう一度来たい。
by j-suga1
| 2012-07-11 16:45
| 旅行
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