須賀次郎のURL
辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2012年 08月 12日
昨日8月11日、僕は西川名に行き、肉離れ、全治一週間を起こし、今日12日はだいぶ良くなりました。その話は次に回して、
月刊ダイバー「ニッポン潜水グラフィティ」予告編。 1960年代は、本当に怒涛の月日だった。年表を見ると、59年10月に東亜潜水機入社、60年にレギュレーターを作る。(今回の月刊ダイバーのグラフィティのテーマ)61年、日本アクアラングが設立される。61年、真鶴で漁業者との紛争が表面化する。62年、潜水士の試験が始まる。63年、ニコノス発表、63年、空気で100m潜水をめざす。結果は93mで気絶。64年、伊豆海洋公園オープン、64年、よみうりランド水中バレーシアターが始まる。そして東京オリンピック、65年、水中射撃連盟を作って、神津島で魚突きの日本一を決めるコンテスト、その年、法政アクアクラブができている。そして、潜水科学協会が社団法人になり、海洋開発をめざし、スポーツダイバーはみすてられる。水中射撃連盟は水中スポーツ連盟と名を変えて、66年は八丈島、67年は伊豆大島で魚殺し大会をやる。そしてその67年秋、日本潜水会を設立して日本で初めてのダイビング指導員、今でいうインストラクターをつくり、魚突きをやめる決議をする。1968年関東学生潜水連盟が結成される。1969年東亜潜水機を退社して、その秋、伊豆海洋公園でロレックスをスポンサーにして、水中スポーツの全国大会を開催する。これを機会に関西潜水連盟、中部日本潜水連盟が提携する。社団法人水中技術振興協会が結成される。この協会が八丈島でブルーオリンピック(魚突き大会)をやる。魚突きに反対する日本潜水会は加わらない。関東学生潜水連盟も日本潜水会に歩調をあわせる。1969年、マリンダイビング発刊。1970年、日本のNAUIが発足し、ジャックマイヨールは伊豆海洋公園で、76mの記録を樹立する。1971年社団法人水中技術振興協会消滅。消滅の理由は、ブルーオリンピックで、若者が一人、命を落としたこと、そして、会長になっていた代議士が、ダイビング業界は一匹狼のあつまり)であり、お金にならないことを知ったこと。代議士の票田などには決してならない。1972年、沖縄返還、全日本潜水連盟発足、それから40年たった。1975年、ダイビングワールド発刊、沖縄海洋博。そのあたりまでを、あと6回の連載で走り抜けよう。むりかな。でも、年表ではなくて並べて書くとスピード感があるな。みなさんの多くが潜水をはじめるのは、この後からだとおもうけど。 年表といえば、今も昔も「昨日のことは忘れた。明日のことはわからない。」と言う僕は、個人年表など作らなかった。このごろ昔のことを書くことになり、困って、全部の資料をひっくり返し、自分の年表を作っているが、難儀している。 真鶴の後藤道夫は、きちんとしている人で、そのころの個人年表をつくっている。ずいぶん、そのおかげになっている。コピーを見ると、1959 10月のコマ、須賀次郎東亜潜水入社、その前の9月のコマから、ウエットスーツ時代来ると書いている。その下の段、「1960年6月チリ津浪、」伊勢野真珠筏が流れて、その引き揚げアルバイトを盛んにやった。その8月には「潜水事故、文春社員、」その親族から、こんなところにダイビングサービスを作るから息子が死んだと怒鳴り込まれた、と後藤道夫はぼやいていた。ダイビングで死んだことをダイビングのせいにすることの始まりだ。その下の段、1962年7月、NHKの潜水講習が始まる。そして9月「カリプソ試写」カリプソとは、ジャック・イブ・クストーのグループが作ったスチルカメラで、このライセンスを買って、日本光学がニコノスをつくる。レンズがニッコールになっただけ(これがすごいことなのだが)他の部分はほとんどカリプソのままだ。カリプソの優れていることは、オーリングシールをすべてピストンシールにしていることで、ニコノスⅡ型まではこの原型を踏襲していて、外側がすり減るまで水漏れはおこらなかった。僕のカメラ水没の歴史がはじまるのは、押し当てるシールになってからだ。いかにジャック・イブ・クストーグループの着想、設計が良かったかがわかる。 その二コマ右、11月、後藤欽一潜水事故とある。後藤さんは金持ちの御曹司で気持ちの良い男だった。1962年当時、お金を湯水のように使って、有楽町の日活ビルの一階でダイビング業を始めた。信じらんないことをやる人、潜水病にかかる。再圧タンクは潜函工事の白石基礎にしかなかった。潜水病の苦しみを目の当たりに見た。命は取り留めたが、片足を引きずるようになった。しばらく後、「危険な仕事引き受けます」と言うコピーのパンフレットを作った。そのしばらく後、社員の植松君(大島の水産高校出身のすごいダイバー、高校生の頃、深さ30m以上の波浮の港の真ん中に、石を抱えて底まで素潜りした伝説がある)が、ブロック据え付け工事で下敷きになって死んだ。「須賀さん、世話になったけどもうやめるよ」植松を右腕にしていた欽一君は、肩を落して挨拶に来た。 人生にはイフがたくさんたくさんある。中でも、もし誰それが生きていたらと言うイフは悲しい。 式根島出身の植松君は、故郷の式根島、海を見下ろす丘の上にあるという。今度式根島に行ったら、何処にあるのか、そして、植松のことを知っている人がいるか聞いてみよう。 月刊ダイバー グラフィティ、読んでください。これは、予告編です。
by j-suga1
| 2012-08-12 09:14
| 歴史
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