アマモは、環境保全運動の旗印となっている。昔、第二次大戦以前、東京湾は広大な干潟が広がっていて、ほんの目と鼻の先の大森海岸も、葛西海岸も潮干狩りの場、海水浴場になっていた。そこには、アマモがびっしりと生えていて、膝ぐらいの深さを歩くと、足にからみついて本当に嫌だった。この気持ちの悪い、からみつく海草さえなければ、海水浴も潮干狩りも快適なのにと思った。
望みが叶ったのか、干潟が埋め立ててなくなり、東京の工業廃水、生活廃水が増大するとともに、アマモは姿を消した。工業廃水は、ある程度改善されたが、アマモの姿は東京湾の奥深く、三番瀬や羽田沖にはない。
なんとか、アマモの姿をもとにもどそうと、いくつものNPOが、アマモの苗を育てたり、アマモの移植をしたりしている。
東京湾の一番奥、お台場にも東京都水産センターがアマモを植えている。3月ごろに植えて、これは6月の姿だ。何とか夏は越すだろうが、冬は越せないだろう。なんとか生きているアマモの姿だ。
今の私の潜水のホームグラウンドは、お台場と、そして館山湾だ。館山湾は、沖の島から東京外湾の出口、洲崎までの海岸線である。館山湾は黒潮の反流が流れ込んでくる、造礁サンゴも育つような環境である。東京湾と言っても、館山湾と東京港ではまるでちがう。
館山湾でも、アマモは少なくなったが、それでも、底質がアマモの生育に適する浮泥混じりの砂地であれば、びっしりと生えてしまう。小さな漁港の中もアマモの生育適地で、干潮時には船がアマモのせいで動かなくなってしまう。アマモは邪魔者だ。
邪魔者のアマモの中にカメラを入れてみた。アマモは小さな魚のゆりかごといわれている。かわいいチャガラ(ハゼの仲間)が群れていた。
「館山湾のアマモも昔の姿ではないですよ」と言われたのだが、漁港の沖の砂泥質の海底には、アマモの大草原が広がっていた。2月の姿と、同じ場所で精一杯伸びている7月の姿である。