スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」:日本水中科学協会
2024-02-16T17:03:42+09:00
j-suga1
89歳になります。スクーバダイビングによる水中活動の支援を展開しています。、
Excite Blog
0215 3月17日の第13回JAUSダイビング研究活動シンポジウム 2
http://jsuga.exblog.jp/33684751/
2024-02-15T19:12:00+09:00
2024-02-16T17:03:42+09:00
2024-02-15T19:12:00+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
第13回JAUSダイビング研究活動シンポジウムのご案内 2
■日時:2024年3月17日(日)13:00~
■会場:オンライン(Zoomウェビナーを予定)
■参加費:無料
■申し込み方法:以下、URLよりお申し込みください。
https://jaus.jp/?page_id=3710
先ごろ第一部の紹介をしました。
第1部 13:00~14:00
今回は、
第2部 14:15~15:15
「2023年JAUS活動報告」
もう、今回のシンポジウムが、最後だろう、と毎度思っていて、どうしてもやりたい事、語りたい事が多く、いくつも話をしてしまいます。
皆様に、聞いていただきたく、ご紹介をしていきます。
1「岩手県立種市高等学校の潜水教育」
同校には全国で唯一、潜水と土木の基礎的知識と技術を学ぶことのできる海洋開発科があります。生徒たちは伝統の「南部もぐり」(ヘルメット潜水)に加え、マスク式潜水機「デマンドバルブ付フルフェイスマスク」や、もちろん「スクーバ」も学び、卒業後は全国の海洋土木の会社で潜水士として活躍しています。JAUSでは昨年、須賀次郎と久保彰良が同校を訪れ、プライマリーコースの紹介などを行いました。その活動報告と、下川顕太郎教諭に種市高等学校の潜水教育についてお話いただきます。
登壇者
「種市高校訪問記」須賀次郎(日本水中科学協会代表理事)
「プライマリーコースの実演について」久保彰良(日本水中科学協会副代表理事)
「海洋開発学科の潜水教育」 c(種市高等学校)
僕が担当するのは、訪問記で10分ほど、その時撮影した映像を流しながら説明する。
その内容は、シンポジウムをお楽しみに、ということにして、この種市高校、1959年に東京水産大学を卒業した時に、ここに行かないか?という話がでた。その時まで、ここで、潜水についての教鞭をとられていた井関泰亮先輩は戦時中海軍兵学校に在学していて、終戦後、水産講習所に入学された。そして、種市に行かれたのだが、古巣の江田島に教官として移ることになり、その後釜にという話がでた。残念ながら、僕は大学で教職課程を取っていなかったので、先生にはなれない。
以来、自分の人生が終わるまでに、一度は行きたい場所になっていた。
今回、生徒相手にささやかな、講義、15分ぐらいかな。行うことができ、60余年の宿願をはたすことができたのでした。
この頃の航行の授業、こんなふうなのだろうか、
岩手県の果て?にある高校でこれだから、東京は?
久保さんの発表は、プライマリーコースのプレゼンテーションを行った報告だが、それに参加した生徒に、マスクマウントを着けさせたが、さすが、潜水の学校の生徒という撮影できばえだった。これも映像で流します。
高校の下川先生の発表は、ヘルメット潜水の実技講習だけでなく、デマンドバルブ付きフルフェイスマスクの講習風景をリクエストしたのですが、それは、時期が悪く,終了しているとのことでしたが、ストックでなんとか見せていただくよう、お願いしています。
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0208 シンポジウム報告
http://jsuga.exblog.jp/33677022/
2024-02-08T12:48:00+09:00
2024-02-08T12:48:12+09:00
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j-suga1
日本水中科学協会
第13回JAUSダイビング研究活動シンポジウム
■日時:2024年3月17日(日)13:00~
■会場:オンライン(Zoomウェビナーを予定)
■参加費:無料
■申し込み方法:以下、
https://jaus.jp/?page_id=3710
中身を少しずつ紹介したい。
第1部 13:00~14:00
「石西礁湖の海中サウンドスケープ調査」
「魚の自然誌 ヘレン・スケールズ」愛読書です。
海の中はオーケストラ、魚の鳴き声、しゃべる声で満ちている。スズメダイはさえずっている。岩陰に群れるイットウダイは、「おい、そこどけ」とつついている。でも、人間の耳、ダイバーの耳には聞こえない。カメラにマイクを着け、撮影した映像の音を増幅して、レシーバーで聞けば、聞こえる。しかし、魚は口を動かしてしゃべるのではない。誰がしゃべっているのかわからない。どの種類がどんな声をだしているのか、まだ日本では研究がはじまったばかり。
発表は以下です。
JAUSでは2019年から石西礁湖で行われている「海中サウンドスケープ調査」に協力しております。海中のあらゆる「音を録る」というほぼ前例のない基礎研究プロジェクトで、昨年、「やいまの魚(いゆ)めいおん図鑑」として、その成果を発表しています。このプロジェクトの成果から、人々が「魚が鳴く、音を出す」ことに気づき、特に子どもたちが将来の研究者や水産人を目指し、水中環境への興味を持ってもらえることを期待しています。
登壇者
楯 慎一郎氏
一般社団法人全国水産技術協会 研究開発部 主査
いであ(株)国土環境研究所 生態解析部 主査研究員
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1001 東京湾大感謝祭 ポスター
http://jsuga.exblog.jp/32343163/
2022-10-01T11:06:00+09:00
2022-10-01T11:17:39+09:00
2022-10-01T11:06:46+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
10月15日、16日、東京湾大感謝祭というイベントが、横浜の煉瓦倉庫で行われる、と思ったら、煉瓦倉庫は、お休みで、その近くの大桟橋ホールで行われる。毎年、元東京都環境課の風間真理さんがお世話してくださり、お台場の映像などを出展している。
大感謝祭に先立ち、シンポジウムがあり、それにポスターの出展があるということ、作ることにした。
メインの写真は、9月末のお台場、全景と、調査中の状況がわかる。
ポスター原稿
お台場水中調査
東京港水中生物研究会(特定非営利活動法人:日本水中科学協会)
1. 沿革
①1991年、東京湾潜水探検隊 隊長風呂田利夫 副隊長 須賀潮美
東京湾の各所を潜水探検し、当時、ドブ泥の汚い海と思われていたお台場も潜り、その生物の多様さ、豊富さに驚いた。
②1996年6月 お台場の海をきれいにするクリーンアップ大作戦開始 (海上保安部がバックアップ、港区キッスポート財団主管)そのころ、現在の調査区域は、大型ゴミの捨て場になっていた。
③2011年4月第71回より月例調査になり、2022年7月で200回目になっている。
2,目的
①生物調査②生態環境の水中ライン撮影調査
※港湾局に報告(2019年~)港湾局は、生物の棲息環境を良好化するために、覆砂を行ったが、その効果を視覚的に検証している。覆砂は、目下のところ成功の様相を示している。③研究者ダイバーのトレーニング 浅く、波浪、潮汐流が無く、限定された水域であるから、安全性が高い。
3,目標 100年継続
①ラインおよび定点の撮影調査は、フォーマットを決め継続することで価値が大きくなる。②特定非営利活動法人という運営形態、東京の中心にあるという立地条件は、そして限定された環境は100年継続の可能性を秘めている。
4.メンバー 役割 担当テーマ
①多留聖典 生物調査 研究指導 ②尾島智仁 運営、海洋環境観測 ベントス研究 ③尾島雅子 運営補佐、生物撮影、ベントス研究、④山本徹 安全管理 ライン撮影調査 ⑤小林正昭 安全管理 ライン撮影調査 ⑥三ツ橋千沙 海草など植物研究 ⑦清水義明 撮影調査、⑧山田康和ベントスなど生物研究 ⑨臼島多美子ベントスなど生物研究
⑩依田孝太郎 細菌研究 ⑪須賀次郎 日本水中科学協会代表理事、運営企画、報告などを統括
⑫その他、年に数回くるメンバーが10人ほど、持ち込める機材に限りがあり、安全管理の面からも、メンバーを増やせる状況ではない。潜ってみたい人は、まずは、例年6月のクリーンアップ大作戦に参加してもらいたい。
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これまで、お台場の水中はどんなことになっているか、その生態環境、生物の年間の推移、についての説明に終始していたが、今回は、①沿革、いつ頃から、誰が中心になって始めたのか。最近はおいでにならなくなっている風呂田先生に対する謝意を含めて、調査が、1996年からだから、26年の歴史があること。②目的は生物調査、生態環境調査だが、それは、誰が、何を担当してやっているのか、④メンバーの紹介。そして③目標として、100年の継続を目指すこと。87歳、心筋梗塞で倒れ、心不全、僕の余命はあと長くて3年、明日をも知れないのだが、その短い時間のうちで、100年継続できる調査フォーマットと、態勢を作りたいという願い(目標)である。
収益を目指さないということで、継続の可能性が膨らむ。
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0405 シンポジウムを終えて ①
http://jsuga.exblog.jp/31142824/
2022-04-05T20:32:00+09:00
2022-04-05T20:32:46+09:00
2022-04-05T20:32:46+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
シンポジウム 現場の写真は中川隆 撮影を使った。
シンポジウムが終了して、いくつかの感慨、いくつかの反省点、そして、たくさんの思いがある。全部、すべては書き残せないにしても、ブログ、記録の形で残しておこう。
まずは、いっしょにやってくれた、中尾先生、はじめ、日本水中科学協会の実行委員会、応援してくれたみなさまに、本当に、儀礼的な意味ではなくて、お礼を言いたい。というと、自分が、自分がやり遂げて、みんなが応援してくれたように聞こえてしまうので、いやなのだが、いっしょに一つの目標に向かって、無報酬で努力を傾けた。「いっしょに」という言葉がぴたりする。年老いて、ごろごろ、するだけの自分である。はがゆかったが、それはそれで、良しといえるほど、みんなの、それぞれのシンポジウムであった。それぞれに収穫、得るものがあった。その中で、娘の潮美が、リーダーシップをとって、まとめあげてくれた。性格は、全く違う。心の底はわからないが、表面的な意見は全く違う。自分とちがい、冷静で、的確、に見える判断をいつも下す。老いた自分は、従っている。と、謙遜する。向こうには向こうの意見があるだろう。
さて、シンポジウムの内容だが現時点で発信したいことは、80%発信でき、届けたいと願ったところの60%には届けられた。綜合的には90点、大成功の部類に入れられる。オンラインの効用である。しかし、オンラインという手段を受け入れない方もいるし、時間的に参加出来ない方もおいでだったろう。
この手段の良いところは、記録を後から配信できることだ。前回、のシンポジウムも良かったのだが、出演、登壇者のプライバシーの問題もあり、自分が思うような記録配信ができなかった。今回は、しつこく、これができるようにと言い続けたので、多分出来るだろう。お知らせするので、ぜひ見てください。
もちろん、活字の報告も4月いっぱいが原稿締切なので、がんばる。
そして、内容なのだが、三部構成になっていて、第一部は水産・海洋高校の発表、第二部が日本水中科学協会のフィールドワーク、会員メンバーの活動、研究成果の発表、第三部では、大学の部活動の発表。この構成は今後も維持継続していって良いのではないかと思う。自分の信条は継続こそが力であり成長であり、たとえ拙くても継続は人を納得、うまく行けば感動させることができる。このシンポジウムで、前回、第10回で、おぼろげながら見え、第11回で継続するスタイルをつかむことができた。
その第一部をアレンジしてくれたのは、東京水産大学、現、東京海洋大学の潜水部第43期の主将だった小坂君だ。この主将という言葉、表現、なんかちがうのでは、その辺に第三部の大学部活動の改革点があるのでは、と思ったりする。ちなみに、第二部で発表してくれて、今後も、この位置で、毎年の成果を発表してもらいたいと思う東大海洋調査探検部では、ちょっとちがう。それについては、別にのべるが、とにかく、第43期、1999~2000 年の中心だった小坂君である。
この第一部、リハーサルをやった時には、あんまり面白くないのではないか、と思った。各高校の紹介PP、先生の紋切り型の説明?
しかし、講演は最高だった。まったく退屈しない。それぞれの学校の特色も個性的だし、まったく別のキャラクターの先生、なぜ面白いのかというと、それぞれ、その地域と密接にかかわり合い、地域振興の力になろうとし、それに役立つ人材を養成して地域に送り出そうとしている。ダイビング教育のプログラムもそれぞれだ。そして、それぞれ、冒険し、奮闘している物語だ。
水産高校、海洋高校は、練習船、ダイビング訓練プールなど施設とその維持にお金がかかる。その割には生徒数が少ない。大学進学を目指す高校に生徒がながれ、どちらかと言えば問題のある子が、入学してくる,いわゆる教育困難校であった。そこで、これだけの実績をおさめることができたのだ。たいへんなことだと思う。そして、地域についても、相応な実績を残して来た。もちろん、成功ばかりではなく、それぞれ、存続の危機もあった。進学校との合併、商業も農業もの綜合高等学校になったところもある。その中でのダイビング教育、今後、日本水中科学協会のシンポジウム第一部として、応援して行きたい。
発表してくれた、茨城県立海洋高等学校は、1990年に潜水訓練プールができ、そのプールで1991年から高校の先生たちにダイビングを教えはじめ、以後、夏の何日から那珂湊に行って、このプールに通っていたという思い出深い場所、高校である。
潜水訓練プールは、那珂湊水産高校の教員だった(後に校長)岡部礼二先生が、鹿島港の建設にからめて、水中工事のために潜水士養成を目標とする教育の企画として提案したら、通ってしまって驚いたと語っておられた。そのため、プールは港湾工事の石均しの訓練用の大きな均し石が水深5mに置かれている。水深は、この石がある5mと3m、一番深い10m、そして、通常の水泳プールの水深1,5mと四つの水深を持つ26mプールで、ダイビング関係者には夢のプールである。屋内プールであり温水にできる。
港湾工事のためのヘルメット式の訓練がその目標であったが、このプールを使って、水産高校でのスクーバの訓練を推進したのは、当時文科省におられた、中谷三男先生だった。そして、1988年より、生涯スポーツの指導を司っていた社会スポーツセンターに話が持ち込まれ、生涯スポーツの指導者養成を担当していた僕がそれに飛びつき、JUDF,JP,ADS、JAPAN・CMASなどと語らって講習会を実施した。以来、社会スポーツセンターが、このお世話をしていて、テキストの執筆なども担当してきたが、この3月31日に、社会スポーツセンターは、多摩スポーツセンターというスポーツ施設の運営で、経営が行われていて、コロナによる施設利用者の減少と施設の老朽かのため、幕を閉じることになり、以後、高校のお世話は、DAN・Japanが行うことになった。そのタイミングを意識したことでは全くなかったのだが、このシンポジウム第一部が水産・海洋高校の特集となった。
茨城県立海洋高校についてお話をしてくれた矢沢昴也先生は、僕が茨城海洋高校で夏を過ごしていたころの記憶になかったのだが、覚えていてくださった。多分、ご一緒に泳いだことがあるのだ。これを機会に、もう一度、でも、二度でも、那珂湊のプールを使う企画をしたい。どこまで、生きられるか微妙だが、企画は残して行きたい。
なお、水産・海洋高校のダイビング教育を推進された中谷三男氏は、つい昨年、亡くなられてしまった。このシンポジウムにも何度も足を運んでいただいていたのに、これに間に合わなかった。もっと早くやればよかった。この特集の企画は、僕ではなくて潮美だったのだが、録画した報告を中谷先生の墓前に捧げたい。
次の報告、といっても順序は発表の順とは変えてしまっているが、新潟県立海洋高校の金子善昴先生、こここプールは茨城海洋とほぼ同じで、発表した映像には、フルフェースマスクを使っての、フーカー潜水での石均し練習がでてきた。港湾工事では、今でもダイバー、人間の手で、人間の手の力で石を動かす石均しが重要であり、これはヘルメット式潜水器を使うダイバーの職人仕事である。それをフーカーに変えて行かなくてはならない。ヘルメット式の場合、潜水服にに空気を入れて、その浮力で石を持ち上げることができるが、フーカーでは、それが出来ない。すいめんに浮かべた潜水船のウインチで巻き上げて動かす。これもなかなかの技で、この練習は、種市高校、これは、半ば潜水の専門学校であるが、これに近い教育をおこなっている。冬の日本海の荒波を防ぐ防波堤の研究なども発表された。
続いて発表の沖縄水産高校と宮古の水産高校、発表する寺崎雄太先生が、両方の高校に勤務したキャリアがあるので、両方について、発表された。沖縄の高校には、深い水深の潜水訓練プールはない。プールは普通の競泳プールだけである。代わりというわけではないが、美しい珊瑚礁の海がある。潜水教育の目標も当然、レクリェーションとか、リサーチになる。海洋サイエンス科マリンスポーツ類型というタイトルになっている。レクリェーションについては、インストラクターになるための専門学校がある。尾道にある、マリンテクノ(日本海洋技術専門学校)がそれで、以前には横須賀にYMCA海洋技術専門学校、東京の荻窪にエムテス(東京航空工業専門学校)などがあった。レクリェーションのインストラクターは、ご存じのように、ダイビングショップで、PADIやNAUIなどのコースディレクターの指導でなることができる。専門学校は当然成り立ちにくい。残っているのは、尾道のエムテスだけだと思う。このことに正否、どうあるべきかについては、さまざまな議論がある。いくつかの道程を経て、こうなった。こうなった姿を肯定し、それをよりよくしていかなくてはならないのが世間、ダイビング業界なのであるが、水産・海洋高校もインストラクターを育てるルートの一つになっている。卒業生がダイビングショップに就職し、ガイドダイバー、インストラクターになる例は多い。
現在の日本では、職業教育をめざしている高校よりも、進学を目指す生徒が圧倒的に多い。職業教育を目指す高校は、統合され、よほどの理由がないと存続が難しい。それが、水産・海洋高校のジレンマであり、同時に、水産業、港湾工事業の後継者難に繋がる。日本が海に囲まれた海洋国家であるとすれば、真剣に考えて行かなくてはならない。水産高校、海洋高校から、大学へ進学の道ももちろんある。身近には、伊豆大島にある海洋高校で潜水を習い、中央大学のダイビングクラブで活躍し、アジア海洋作業に就職した八木沢君がいる。八木沢君は、タバタの川端潮音と結婚して、潮音は、八木沢潮音になり、福岡に行ってしまったが、可愛がっていた二人の結婚だから、めでたい。
水産高校の統廃合の渦に巻き込まれたのが、若狭高校の小坂先生で、発表は、先頭であったが、最後に取り上げることになった。小坂先生は、海洋大学潜水部、当時は水産大学潜水部第43期の部長で、これは、第三部の大学のダイビング部活動に繋がる。
海洋大学潜水部は67年前に僕たちが創立した。以来、着かづ、離れずであったが、その40期から、50期ぐらいまでは、自分の仕事に余裕ができて、密接に指導した、指導したというよりも、親密に遊んでもたったという方が適切で、今度も遊んでもらっているのだが。
43期代表の小坂先生とは特別に親しく、問題のある水産高校へ行って苦労しろ、などと奨めてしまったのだが、その奮闘で成功している。
小浜は、一度だけ調査で潜水したことがある。悪い海ではないと思うが、日本海の普通の海だ。沖縄のようには行かないし、潜水訓練用の特別なプールもない。しかし、ダイビングの授業もクラブ活動も行って、そして、ヘドロの海底、地先の海底にアマモ植え海底を草原にするアマモ・マーメイド作戦をクラブ活動で開始する。アマモの草原がどのくらい広がったのかよく知らないけれど、小浜で、アマモ・サミットという全国的なプロジェクトをやった。
小坂先生は潜水部ではあったが、海洋資源科とか、海の生物の専門家としてのコースではなく、水産大学食品加工科、つまり缶詰などを作る専門家のコースである。水産高校にも食品加工の科があり、各地の水産高校では、その作る缶詰類は、コストを度外視した良品として人気があり、文化祭などでは、あっという間に売り切れるらしい。
小浜水産高校の作るさばの缶づめも地元では、人気がある。生徒の一人が、さば缶を宇宙食にして飛ばせないだろうかと発言した。、
それが、アマゾンでのノンフィクション・ベストセラーにばった「さばの缶づめ宇宙に行く 小坂康之 林公代著」の発端だった。この本は水産・海洋高校がどんな教育をしているのかがよくわかり、そして面白い。「さばの缶づめ宇宙に行く」の途中から小坂先生の小浜水産高校は2015年に閉校となり、進学校の福井県立若狭高校海洋科学科になった。海洋科学科として残れたのは、小坂先生等の奮闘のおかげだろう。
発表は小坂先生とともに、ダイビングクラブの指導を担当している小畑有海(ゆうみ)先生が行った。
なお、小坂先生は、潜水、ダイビングが高校の教育に効果をもたらすことについての研究を福井大学の大学院で研究を進めており、実は今回の発表はそのことと予期して、企画を進めた。結果として、こうなり、日本水中科学協会のシンポジウムの向こう20年?のコンセプトを定めることになるプログラムになった。
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0325 シンポジウム ③
http://jsuga.exblog.jp/31115679/
2022-03-25T22:26:00+09:00
2022-03-25T22:33:51+09:00
2022-03-25T22:26:45+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
2010年12月 第一回のシンポジウムです。船の科学館 オーロラホールで200名がおいでになりました。 下の写真は、今回のリハーサルを、PCで見たもの、司会は須賀潮美です。スモール放送局の様相です。 第11回ですから、10年の歳月が流れました。今後もオンライン、下の方式が続いて行きます。全国どこからでも発表ができ、今回も、沖縄、北海道からの発表があります。見るのも全国でPCで見られます。
シンポジウムで時間がとられ、ブログが停滞しています。是非 シンポジウム見に来てください。
■日時:2022年3月27日(日)13:00~
■会場:オンライン(Zoomウェビナー&YouTube Liveを予定)
■参加費:無料
■申し込み方法:以下、URLよりお申し込みください。
https://jaus.jp/?page_id=3482
プログラム概要ですが。 第一部(13時~)は、海洋・水産高校での潜水にかかわる教育についてです。世界に誇るともいえる高校でのダイビング教育について発表され、パネルディスカッションを行います。海洋・水産高校について、一般ダイバーは、その内容についてほとんど知りません。海洋・水産高校の教育について知ってもらうことは重要です。 登壇される先生は 小坂康之さん、小畑有海さん(福井県立若狭高校 海洋科学科) 寺瀬雄太さん(沖縄県立沖縄水産高等学校海洋サイエンス科 マリンスポーツ類型) 矢沢昂也さん(茨城県立海洋高等学校) 金子義昴さん(新潟県立海洋高等学校) 第二部(15時30分~予定)は、水中ドローンのすべてがわかります。 日本水中科学協会水中調査研究会が東大海洋調査探検部と一緒に千葉県館山で行っているドローン・オペレーションを紹介しています。 大学の各教室の研究活動では、スクーバが危険であることで、この10年、下火になりつづけていました。大学研究室、研究所など研究のための安全管理手段の追求は、日本水中科学協会の目指す役割であり、その一環としてのドローンです。もう一つの大西君(アクアティック・プロ、伊伊豆半島ジオマリンクラブ、日本水中科学協会)の講演は、ドローンの前身ともいうべきROV、1985年から働き続けていたROVが大西君の手で改造され働き続けていること、また、無人吊り下げ式カメラを360度カメラに改造して成功した例などを話します。 第三部(17時30分~予定)は、会員の活動、および、大学のダイビングクラブ・部活動の紹介のコーナーですが、コロナの下、多くの大学が部活動をていしさせられていました。その中での苦闘と2022年、今年に期待をかける発表になります。 終了は18時30分予定 です。
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0311 日本水中科学協会 シンポジウム ②
http://jsuga.exblog.jp/31072473/
2022-03-11T12:08:00+09:00
2022-03-11T12:10:19+09:00
2022-03-11T12:08:39+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
東京海洋大学 潜水部 1年生、2年生、潜水部練習
3月27日 日本水中科学協会シンポジウムずいぶん先のように感じていたのだが、押し迫ってきた。大きなプレッシャーになっている。
やるべきことを整理して、アクセルを踏まないといけない。
■日時:2022年3月27日(日)13:00~
■会場:オンライン(Zoomウェビナー&YouTube Liveを予定)
■参加費:無料
■申し込み方法:以下、URLよりお申し込みください。
https://jaus.jp/?page_id=3482
Ⅰ 講演内容について 第一部は、昨日書いた。
第二部は、大学のダイビングクラブと水中ドローンをテーマにした。ドローンは、日本水中科学協会の水中撮影調査研究会の発表でもある。
大学のダイビングクラブとの関わり、もちろんそれが良くあってほしい、事故を起こさないで継続してほしいという願いを込めての関わりが、日本水中科学協会発足以来の目的、目標である。2010年、日本水中科学協会の発足を記念する第一回シンポジウムには、関東学生潜水連盟のメンバー80人が参列してくれた、そして、その時の学生のダイビング活動を総括する発表は、学習院大学ダイビングクラブの宮崎監督にお願いした。
そして、11年の歳月が流れ、コロナで全く活動ができない状況にあっての、各クラブが苦闘する状況下にあっての活動報告である。
発表するのは、関東学生潜水連盟、法政アクアクラブ、司会の潮美の母校である。中央大学、芝浦工業大学、学習院大学、それぞれ、関東学生潜水連盟の構成メンバーであり、日本水中科学協会のこれまでのシンポジウムで活動の発表をしている。
そして、東京海洋大学潜水部、自分の母校であり、1957年、自分が一級上の竹下先輩、橋本先輩、同級生、バディの原田と語り合ってというか、どうしても、学校の授業、講習以外でもダイビングがしたくて、つくった。以来66年が経ち、竹下、橋本先輩、生涯変わらぬバディであった原田も世にいない。自分も後、つかの間の命である。
ここで、海洋大学潜水部の歴史について述べようとしたが、それは長い話になる。学生のダイビング活動の本質にも触れることなのだが、ダイビングの歴史に書くことにしているので、
海洋大学潜水部もご多分にもれずコロナで練習ができない。自分のやっている辰巳国際の練習会に来てもらっている。孫より年下の子供たちと一緒に泳げるのだから、語りつくせぬことがあるけれど、今はコロナだ。何も話し合わない、ただ見ている。一年生の泳ぐのを見て、眼を覆うばかりだ。春から夏、1年経ったのだから、そしてCカードもとったのだというから、大丈夫か?と心配になるが、その一方でリーダーとなって教えている二年生は、よくやっている。彼女(リーダーはこのところ女の子が多い)も、去年、一年はコロナで練習も満足にできなかったはずなのだが、リーダーの役割を立派にやっている。
その成長が、ダイビング活動を大学でやる意味なのだろうと思う。その一方で、2年生ということは、1年間のキャリアしかないのだ。海で、大丈夫だろうかと心配になる。減圧症だとかの知識は本を読めば良い。いやしくも大学生だ。海でのオペレーションの経験が皆無に近い。試行錯誤、すなわち危険だ。下手くそは死なないから、1年生は大丈夫だ。二年生のリーダーが心配なのだ。今の海洋大学潜水部には、監督・コーチが居ない。昔、僕がやっていたことがあるが、監督、コーチという制度が海洋大学にはない。他の大学、中央にも学習院にも芝浦にもある。幸いにして館山にステーションがあるから、そこを使っている分には、コーチしてくれる先輩がいる。心配するのが、自分の仕事だから、心配し、とにかく辰巳で泳ぐのを見て居よう。
https://www.facebook.com/jirou.suga/videos/484351859856047
経験については、今書いているダイビングの歴史を読んでもらおう。自分の目標である。でも、まだまだ時間がかかる。これまで、ブログで、ダイビングクラブについて書いたものがたくさんあるので、それを、見てもらえるようにしようか。
シンポジウムのプログラムでは、こちらが先行だが、水中ドローンと、東大海洋調査探検部の発表。
水中ドローンは、今、話題で、その指導の協会まで発足している。が、僕らの視点は少し違う。水中ドローンを、ダイバーが使う道具としてとらえている。
https://www.facebook.com/jirou.suga/videos/335725481834134
ドローンがダイバーとともに、まるで、そのバディのように一緒に泳ぐ。つまり、船上のオペレーターと水中のダイバーがバディになって泳ぐ、そして、もちろんその状況をかなり良いカメラで撮影している。1990年、理不尽な事故で、社員を失って、ほぼ自制を失った、(今のプーチン状態)僕は、とにかく、ダイバーと船上とは、物理的なコンタクト、命綱を着けなければならないと考えた。そしてケーブルダイビングシステムという、有線通話機を命綱にする器材を製作して売り出した。しかし、命綱を着けたら、その時点でスクーバではなくなる。見事に失敗して、信用と資産をうしないました。その延長線上にドローンがあります。これは、身体に結び付けた命綱ではなく、ダイバーと船上は命綱的、物理的なコンタクトがとれている。その状況が動画からみられます。
一緒に活動しているのが東大海洋調査探検部です。探検部は50余年前、創立時から自分がコーチのようなことをしています。自分が現場にいない、見ていない時、危ないこともありました。学生をロスすることは、大変なこと、大変な損失です。自分が今死んでも、せいぜい3年か4年のロスですが、学生のロスは、しかも東大の学生のロスは日本にとっても大きな損害です。水中ドローンが役立ちます。探検部と協力して水中ドローン安全システムを作り上げる実施、実験をしています。
東大は本郷に、水深3mの25m屋内(地下にある)温水プールを持っている。海洋大学と比較しては、海洋大学がかわいそうです。しかし、海洋大学は、館山に海洋ステーション(実習場)を持っています。東大の温水プールに代わりに、辰巳を使えるようにしたので、対等になった?のですが、探検部には、もう一つ、システム的な優位があります。
さきほど、海洋大学の一年生と二年生の差をのべましたが、今、年(1月)を越した2年生は、事実上三年生、大学生は三年になると一皮むける、別人のように大人になります。昔、関東学生潜水連盟ができたあころ1960年代の大学生は、一年生でもすでに大人でした。今は、受験勉強に明け暮れた、過保護の子たちが、入学してきて、三年生でようやく、大人になる。その三年生で、海洋大学は、部を離れて学内OBという変なものになります。そういう制度なので、この制度を関東学生潜水連盟がつくりました。一方の東大は、卒業するまで現役です。当たり前だと思うのですが、この差が、バランス感覚とか、判断力が重要なダイビングでは大きな差になります。
日本水中科学協会も側面からできるだけ手助けしよう、その一つの表現としてシンポジウムで、大学でのダイビング部活動をとりあげています。
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0310 日本水中科学協会シンポジウム ①
http://jsuga.exblog.jp/31070986/
2022-03-10T17:19:00+09:00
2022-03-10T17:19:49+09:00
2022-03-10T17:19:49+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
茨城県立海洋高校のプール、水深10mにスキンダイビングで潜る。左手は水深5mで、石が積まれている。このプールは、ヘルメット式の潜水も教えることが目標になっていて、ヘルメット式で港湾工事の海底石積みの訓練をするための石である。
3月27日 日本水中科学協会シンポジウムずいぶん先のように感じていたのだが、押し迫ってきた。大きなプレッシャーになっている。
やるべきことを整理して、アクセルを踏まないといけない。
■日時:2022年3月27日(日)13:00~
■会場:オンライン(Zoomウェビナー&YouTube Liveを予定)
■参加費:無料
■申し込み方法:以下、URLよりお申し込みください。
https://jaus.jp/?page_id=3482
講演内容について
①第一部は、水産・海洋高校の特集になった。司会は潮美にまかせている。内容については、宇宙のサバ缶を送った小坂先生、先生というより、潜水部後輩で、息子のような子だったが、姿・形は、最近の写真を見ると、別人になっている。内容については、何も知らない。
中世浮力の訓練、今ならば、水平になったトリム姿勢で、前進後退の練習をするでしょうが、1991年のことです。
②思えば、水産・海洋高校へのダイビング教育をはじめた、その指導者(インストラクター)を作る第一回の講習会を開いたのは、1991年だった。1990年に茨城県 那珂湊の海洋高校、(当時は水産高校)に潜水訓練プールができた。水深は、10m、5m、3m、1.5m の4段階に分かれている屋内、温水プールだ。もしも東京にあったら、と思う夢のプールだ。そのプールで高校の先生を対象にした、括弧してインストラクターと書いたが、インストラクターとは全く違うもの、潜水技術についても、心構えも、オペレーションシステムも全くちがうが、潜水指導者の講習を開いた。同じような講習会を何回かおこなうのだが、とにかく、これが最初で高校の潜水教育の基礎を作った。
中心になって実施した自分としては、反省点、山積みだが、それはこの世の常、とにかくバトンは作った。小坂先生たち、登壇者の一人、沖縄水産の寺瀬雄太先生 も面識はあり、これからの中心になっていただける先生だし、矢沢昂也先生は(茨城県立海洋高等学校)の、多分、プールでの指導の中心になっている先生だろう。これら先生たちがバトンを持ってどのように走り、どのように路を切り開いてくれたのか、見たいけれど、全く違う方向の話をされるかもしれない、楽しみである。
ところが、このように海洋高校にプールを作り、潜水教育を文科省にあって推し進めてくれた中谷三男先生が、この秋、亡くなった。生きておられれば、と思うが、自分の命も後、須臾の間だ。できるだけのことをしなければ、
水中脱着訓練、これも今ならば、水平に浮いてタンクを脱いで、そのまま着る練習になるのでしょうが、
③高校で潜水、スクーバダイビングを教えるということ、どういうことなのだろう。何のために何を目指すのか、一般の人、一般のダイバーは考えたこともないと思う。
知ってもらい、考えてもらうこと、大事なことだ。
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0128 シンポジウム ③ 懇親会 反省会
http://jsuga.exblog.jp/30408618/
2021-01-28T12:02:00+09:00
2021-01-28T12:10:21+09:00
2021-01-28T12:02:20+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
オンラインの技術部分、担当してくれてる、山本さん、国方さんのおかげで、できている。
技術的なこと、注文を着けてはいけないとおもっている。自分がもう少し進化しないといけない。
懇親会の入り口が見つからなくて、1時間ほどロスしてしまった。
こういうところ、街で居酒屋の場所がわからないで探し回るのと、ほぼ同じかと思ったりする。
僕が入った時には、12人ほどが残っていて、倉田君が仕切っていた。懇談会担当だ。だから、よかった。
居酒屋の懇親会は座る場所で固定されてしまうので、話も固定されてしまうのだが、on-lineの懇親会も、誰かが話をしていると割り込むことが難しい、できない。このあたりの技術が難しい。特に耳が聞こえない自分にとっては。
井上志保里が残っていてくれた。彼女は海洋調査探検部のOBで、海洋調査探検部40周年記念の時に、トカラの硫黄鳥島に遠征して、造礁珊瑚とソフトコーラルのすばらしいライン調査をやった。この調査は、東大の学長賞をもらった。このシンポジウムでも、現在進行中の研究調査に限らずクラシックな調査の発表も有りではないか?有りだったら発表してもらいたいような調査である。
そして彼女は、日本水中科学協会のプライマリーコースの優等生である。海洋調査探検部は、プライマリーコースが続いていたとき、全員が受講してくれていた。このコースは、現在中断してしまっているが、なんとか復活させたい。先立つ物はお金で、彼女が受講してくれた時期は、具申会というところから助成金を40万ほどいただいていた。毎年そのくらいの金額で良いのだ。それで、研究者のダイビングを振興させることができる。第一部発表の町田君もプライマリーの優等生、杉原君は、本人も言うとおり、泳ぎは得意ではないがプライマリーの卒業生、彼女の場合は辰巳でスキンダイビングを、プライマリーでスクーバを練習した。
話を井上志保里にもどして、懇親会ではだれも彼女のことを知らない。だから、話にも加わってない。でも残っていてくれた。ようやく、懇親会も終わり近く、自分が話せるポジションにきて、声をかけることができた。なお、彼女は石垣島在住で、on-lineでなければ参加できなかった。
鉄多加志君も残っていてくれて、話をすることができて、良い話ができた。
高齢になり、血の巡りが悪くなり、耳も聞こえなくなり、人との会話、コミニュケーションが難しくなっているが、なんとか、懇親会も参加できた。
26日の反省会。
このシンポジウム、よかったので、記録に残したい。30分バージョンと1時間バージョンを編集して、後援してくれたかた、会員に配布しようと提案したが、それはダメだという。シンポジウムでの公開と、その後の編集による公開は別のものだから、これまで僕の作ってきた報告書も危ないという意見。
僕としては、第一部発表の研究者は身内のようなもので、身内の実績はなるべく広範囲に公開したい。現代では、人に知られないものは、無なのだ。無を有にして、拡大して行きたい。
しかし、勝手に、公開できないというのも正論である。事後になってしまったが、イベント外、その結果の公開、報告のための規約をつくってもらうよう提案した。この規約にそって、今回は事後だけど承諾をもらう。次回からは、規約を見ていただいて、発表に参加するようにお願いする。
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0126 シンポジウム ②
http://jsuga.exblog.jp/30406487/
2021-01-26T11:57:00+09:00
2021-01-26T11:57:51+09:00
2021-01-26T11:57:51+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
前回から続き
第一部
これは、自分にもほとんどの内容が理解できた。オンラインで、画面を見てレシーバーで聞いているから理解ができた。これまでのような会場での講演では、耳が聞こえない自分には理解できなかったと思う。
魚=佐藤君 海藻=三ツ橋さん、貝類=杉原さん バイオ生物化学=町田君 良いバランスだったと思う。司会の中尾先生も楽しんでおられたようだ。
海藻の三ツ橋は、僕の撮影したテープを使ってくれた。本当は、もう一台カメラを置いて、僕と三ツ橋の姿を横から撮ると良いのだが、今の自分のフィジカルでは無理。でも、横に小林君が僕のサポートでいたのだから、彼に撮影を頼めばよかった。
全員、発表は上手だし、良かったが、杉原さんの現在の研究、「貝殻の成長速度と、成長の形で、その貝の生息している場所の酸素濃度とかが推定できる。」それは、僕が大学時代、卒論でサザエの棘と、成長速度でその場の環境条件を推測しようとした研究とコンセプトが同じだ。
町田君は、親しく一緒に潜っているのに、彼がどんな研究をしているのか、してきたのか正規にはしらなかった。一緒に潜っている研究者の研究報告をわかりやすいように発表をしてくれる、発表の場を作るということは、とても大事だと思う。
僕も生態学者の端くれだったけど、僕らの時代の研究はアナログ、文学系で、今の研究は、バリバリの数値的科学で、文科的に説明してもらわないとわからない。
期待していた、深海潜水艇パイロットの途を選択した岩田君は、23日に祖父が亡くなられたとかで、発表できなかった。すでにリハーサルでの録画とかがあるので、それを元に構成という話もあったが、やはり、無理にお願いはできないし、落ち着いて来期にというところから、来期のシンポジウムの計画がはじまる。
岩田君の発表、ワークショップにという考えもあるが、僕としては来年は、海洋大学潜水部OBコーナーとしたい。海洋高校教育の先進 小坂君の教育論、そして岩田君の深海潜水艇パイロットとしてさらにキャリアアップした姿、東大の大気海洋研究所の大学院博士コースに進んだ依田君の硫黄細菌の話とか。
また、来年度は、慶良間の井上慎也君(日本水中科学協会理事)の水中写真家としてのコーナーを作りたい。最近、写真集が出ていないので、心配している。
第二部は、テレビのキャスター級の潮美の司会なのだが、北海道、亜寒帯ラボの工藤君の発表、ウチダザリガニの映像、リハーサルで見てとてもよかったのに、本番でカクカクしてしまった。
僕の発表もリハーサルではよかったのに、カクカクしてしまった。僕の発表だが、リサーチ・ダイビングと生涯スポーツを連結させて目標とする、生きるために潜るとか、理屈っぽかった。が、良かったという感想もあるので、まあいいだろう。
山本さんのお台場もわかりやすかったし、僕が撮影した水中すらスターのCM的映像は、カクカクせずスムースだった。増井さんの小笠原と西表の映像と、コロナに対する離島の対策も、わかりやすく、映像も良かった。海洋大学潜水部OB会副会長の衣川さんの海洋プラスチックゴミ調査、斎藤真由美の、これは恒例の御蔵島の海豚、奄美大島ではコバンザメ、これも映像はスムースだった。 小俣さんのイングリッシュスピーカーのクラブ、鶴町は、波佐間海中公園支援のクラウドファウンディング、市川雅紀さんのシニアダイビングクラブ、今更だが、日本水中科学協会のメンバーがダイビングのあらゆる分野をしめている。
第三部 学生の部活 学習院大学、芝浦工業大学の潜水部、は大学潜水部部活の王道を維持している。残念なのは、中央大学に出てもらえなかったこと、これはコロナで活動が不満足だったので遠慮されたのだが、もう一押し、無理にでも出てもらった方が良かったかもしれない。僕は中央のOB会の名誉顧問になっている。来年は必ず。
東大探検部は、昨年、一緒に潜水した波佐間の調査で、撮影して映像を見せてくれるよう、頼んだが、新しい執行部が話すということで、人工魚礁は、なし。それはそれとして、きっちりした報告をしてくれた。大学部活は、次の走者にバトンをタッチして、繋いでいく、その短い時間では、ダイビングを習得するというだけでとどまるが、時折、その先を目指せる代、がある。今度の代がそれであることを願うが、そうでなかったとしても、仕方がないことなのだ。その先を目指して、学業をドロップアウトしてしまった例もある。
海洋大学は、練習する場がなくて苦難の年だった。1月になってから、辰巳のプールに来てもらって、練習したが、その辰巳プールも3月で終了、来年、4月以降の新入部員は練習する場がない。
さて、法政アクアのOB樋口君が、学連復活を目指して努力している。法政アクアそのものは、樋口君らの努力で、維持向上できるだろう。しかし、学連となると、あり方を根本的に変えないと、現状維持が精いっぱいだろう。何とかして後押ししたい。
しかし、各大学とも、新入生を勧誘、受け入れて、なんとか自分たちだけで、バディシステム厳守で安全にダイビングできるまで教えるので精一杯だろう。その上で、学連の執行、運営をする委員をだして、学連の活動をサポートするのはむずかしい。先に述べたように、ある代は、学連に熱心だったとして、次の代は、どうなるかわからない。その代の方針で、離脱してしまえば、元にもどらない。
自分らが、力をいれ育て上げた、フリッパー競泳は、生涯スポーツとして、成功しているが、学生の活動としては、高校生が盛んになるのに反比例して大学生に関しては求心力を失っている。
それに代わるものとして、リサーチ・ダイビングを提案したが、初心者を育てるそれ以外のことをさせるのは無理だろう。しかし、学生が、カメラを手にするようなことがあるならば、ライン調査が学生部活の目標となり得るだろう。目指す努力目標として提案する。
法政アクア出身の潮美がこのシンポジウムのまとめをしてくれるならば、日本水中科学協会の当初からの目標の一つ、学生のダイビング部活の支援を、僕よりはうまくやってくれるだろう。
最後の締めを、白井常雄さんの言葉で締めくくったが、さすがのスピーチだった。
続く
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0125 シンポジウム ①
http://jsuga.exblog.jp/30405354/
2021-01-25T11:09:00+09:00
2021-01-25T11:41:30+09:00
2021-01-25T11:09:08+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
鉄は熱いうちにうて、昨日24日のシンポジウムについて、反省とお礼、そして、自分の想いは今日25日に、ブログのログとして出さなければいけない。
※ トップの写真(図)は、アアク・ファイブ・テレエビのロゴマーク
このシンポジウムの目標
とにかく10周年のシンポジウムだから、10年の成果を発表したい。
しかし、コロナである。人間の活動のあらゆる分野でコロナパンデミックは、猛威をふるっている。そしてそれは、マイナスだけでなく、ねじ伏せられ、強いられたものであったにせよ、人に新しい技術、新しい生き方、新しい問題解決の手法を与える、強いている。その一つであり、最大のものが、on-lineである。もちろん、自分が罹患した場合の恐怖、特に高齢の場合は、命取りになるから大きく、それが、人の活動を変形させているのであるが。
on-lineの技術、手法を駆使できる能力の有無が人の活動の大きな部分の成否を分ける。そして、その能力は高齢になりメンタル能力の衰えの大きい高齢者、つまり自分には、過酷なものである。
フィジカルの衰えを痛感させられるのと同じウエイトで自分にメンタルの衰えがのし掛かる。
10周年のシンポジウムの成否の大きな部分が、on-lineの成否にかかっている。幸いなことに日本水中科学協会には、山本さん、国方さんというエキスパートがいて、その問題を解決してくれている。この二人のエキスパートに頼っている。自分は、この二人の成否を心配しているだけの状態になっていた。
シンポジウムの成功、不成功は、その内容の成否とともに、告知、そして、見に来てくれた方の満足、不満足にかかる。
自分としては、このところ、PCのトラブルが増えていて、その解決が大きなプレッシャーになっている。on-lineシンポジウムでは、シンポジウムにうまく入れるだろうか、来てくださる方がうまく入れるだろうかが心配である。
集客、告知は、例年、自分の仕事である。それが、自分の仕事になっていることは良いのだが、自分だけの仕事になっては、自分がクローズアップされてしまって、良いことではない。自分の、須賀のシンポジウムになってしまっては、いけないのだ。しかし、自分は自分のベストを尽くさなければいけない。
メールとメッセージで、告知したが、この部分にも反省点があった。その順序だ。まず①メーリングリストを、次に、②心当たり、来てくれそうな方、来ていただきたい方へのメールだし、最後③が、メッセージ、それを逆にしてしまった。
が、とにかく、一応の成功はして、おいでいただけるかどうかは、先様の都合として、目標の150名は突破した。来年は300を目指さなければいけないだろう。
自分が勧誘、お願いした方が、うまく入ってくれるだろうかが気がかりだった。が、それが、うまく入れなかった場合、その対応が、自分のメッセージにリターンされてくるということを考えに入れて居なかった。
シンポジウムが始まる。そこから先は、シンポジウムの内容に集中してしまう。向き合うPCに集中してしまう。そのときに傍らに携帯端末を置き、入れなかった方へのフォローをしなければいけないのに、していなかった。大事な友人二人が入れずにメッセージが来ていた。一人は何とか入れた。もう一方は入れずに、イベントが終了して、区切りに端末を見る習慣で、見たときにメッセージを見た。楽しみにしていたのに入れなかったと。謝って済む話ではないが、謝る。そして、今後は端末を座右に置いてのチェックをしなければ、
反省の次はメイキングとそれに重ねて感想を。
今回のシンポジウムの始まりは、前回、第9回のシンポジウムであった。同様に、今回は次回の始まりになる。
前回、お台場で一緒に潜り、調査をしている三ツ橋さん、杉原さんの予告編的な講演をしてもらった。もう一度、じっくりと話を聞きたかった。
海洋大潜水部後輩の岩田君は、その第9回シンポジウムに来てくれていた。その会場で、今度、このシンポジウムで話さない?と気軽く声をかけた。即、ためらいもなく、やります、と乗ってくれた。
現在進行形で一緒に潜水してくれている佐藤允昭君は、館山、波左間の人工魚礁についての話をしてもらいたく、声をかけた。そして、人工魚礁ではなく、石西礁湖の造礁珊瑚の話ならば、出来ると返事をくれた。プラス人工魚礁とすると、時間に限りはあるが、現役の研究員で発表もプロだから、二つのテーマでも、とお願いした。
豊潮丸の話も一つこのあたりで入れたい。これは、大学3年の時に、ダイビングを教え、プライマリーコースでも優等生で、中尾研究室の生え抜き研究者の町田君にお願いした。彼とは、11月に、高知県沖の島に恒例、毎年通っている採集行に同行したので、その折りに話をした。
これで、シンポジウムの形はできたが、あと?だれか先生を?例年であれば、自分の講演が一つ入るが、自分は第9回で、卒業、もう講演はしない、出来ないと感じていた。
事務局長鈴木君がなぜか退任して、後任を頼んでいた須賀潮美が、日本水中科学協会の主要メンバーの今年度の活動報告をと提案してくれた。このシンポジウムが、日本水中科学協会の活動報告であれば、まず最初にこれが来なくてはいけないはずなのに、考えなかった。
その中に、これは日本水中科学協会のメンバーではない、法政アクアのOBであり、僕も親しくしている樋口君が入っている。学連復活の烽火をあげていて、その話をするという。潮美は法政アクアのOBであり、OB会の中心でもある。日本水中科学協会は学生の部活動の応援、紹介をシンポジウムのコンセプト、柱の一つにしていた。他の大学も呼ぼう。
これで、若手研究者の発表の第一部、日本水中科学協会会員の活動報告の第二部、学生部活動の第三部、三つのパートになり、長丁場になるが、on-lineならば、出入り自由のテレビ感覚でできる。第二部、第三部の司会は潮美がやってくれる。
これで、形ができた。
自分は挨拶だけで、しゃべらないつもりでいたが、85歳の高齢、現役ダイバーということで、話せ、とこれは、潮美のリクエストで、少ししゃべることにした。
午後13時から、19時まで、6時間のテレビ放送的チャレンジになった。
ここからは、シンポジウム内容の話になる。
続く
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1206 JAUSシンポジウム 6 締めの挨拶
http://jsuga.exblog.jp/29801760/
2019-12-06T21:00:00+09:00
2019-12-06T21:00:30+09:00
2019-12-06T21:00:30+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
シンポジウム、反省点というか、考えさせられることは、山のようにあり、また、それで学習しているのではあるが、ワンコインの懇親会で、15秒で締めの挨拶をまとめろと言われ、ブログに書くから、読んでくださいと、挨拶した。早急にブログを書かなくてはならない。
前回、第8回は今年2019年の2月3日なので、今年は、シンポジウムを2回やることになったのだが、前回の2月3日を終えて、これで自分の発表は終わり、ここからは、若い人たちの発表を中心にしようと思った。
そこで、今度の第9回の自分の発表は、リサーチ・ダイビングのテキストを書く企画、自分の60年のリサーチ・ダイビングをまとめる、というその企画書を報告書に載せることで、その説明を5分程度させてもらうことでとどめて、あとは若いひとをと考えた。
若い人、学生の発表は、東大海洋調査探検部と、東京海洋大学潜水部(自分の母校)の発表である。
海洋大学は、2年生で部長になったばかりの佐藤新君に、突然のようにお願いしたのだが、気持ちよく受けてくれた。多分、何も考えなかったのだろう。お願いする時期が夏もすぎたころで、その後、今年は大型台風の襲来があり、ホームである海洋大学館山ステーションが被害を受けたりして、準備ができなかった。が、とにかく、「今やっていることと、これからやりたいことを発表してください」とにかく、PPTを作って、その説明を報告書原稿に、ということにした。しかし、講演の時間ぎれで、今後やろうとすること、のところまで十分に説明ができなかった。とにかく勉強にはなったと思う。今年は予告編で、来年は、海洋大学館山ステーションの海底と、生物相の発表を期待している。「海洋大学潜水部の活動と、館山坂田内湾の海について」 東京海洋大学 潜水部 佐藤新
東大の方は、予想通りの発表をしてくれて、学生のこのような研究、そして発表のサンプルになると思う。タイトルは、「学生による安全なリサーチ・ダイビング手法の追究」
東京大学 海洋調査探検部 田村陸、内田大賀、實藤美来
ここに、彼らのダイビングの様子を 福田克之君が撮った映像を発表した。8月7日、50mはあろうかという稀にみる透視度の映像で、美しい、僕はこれを午前中の売り物にしたかった。しかし、打ち合わせ不十分で、前半部分、ライトを落とさなかったので、美しさが半減してしまった。
人工魚礁研究会で一緒に潜っている佐藤允昭君の「環境DNA分析で魚礁に棲む魚類を把握できるか?」これは、若い研究者が、自分一人では潜れない、レクリェーションダイバーのエキスパートと潜ることで、安全が確保できるというねらいの皓歯だった。
内容が難解なのではないかと心配したが、驚いたことに、耳の不自由な、自分も明確にわかった。プレゼンテーションすることになれている。環境学博士で水産研究教育機構 水産工学研究所研究員、つまり、バリバリの若手研究者で、良いダイバーだ。
プレゼンテーションになれているということでは、午後の部での「ショートプレゼンテーション」で、「お台場のホンビノスガイと私の10年」:杉原奈保子(東京大学大気海洋研究所)
お台場で潜って見えてきた世界:海藻」日本科学未来館 三ツ橋知沙の発表も良かった。お台場がオリンピックのために、来年は潜れない。その後も、公園の改装工事が続くので、いつ再開するかわからない。「必ず再開する」と心に誓ってはいるが、僕の命が保つだろうか、ということで、急遽発表してもらったのだが、短い、予告編的な発表ではもったいなかった。とともに、来年は、10分から15分のショートな発表を多数積み重ねるというパターンもあるのではないか、と考えさせられた。良い発表だった。
「泳げる海、お台場」の実現に向けて」海辺つくり研究会理事 森田健二さんの発表、「「石西礁湖におけるサンゴ群集の衰退と再生技術」 いであ株式会社技術顧問 藤原秀一さんの発表、どちらも、その分野での権威者であり、これも、耳の悪い僕でも理解できる発表だった。 来賓挨拶に代えて、社会スポーツセンター事務局長 瀬田芳博氏、DAN安全事業部長 宮里 一敏氏,海上保安協会 常務理事 宮野直昭に発表していただいた。実は、このコーナー、その他の発表とは色彩が若干違うので、水と油かと心配したが、お客の評判は悪くなく、安全のための発表として、良かったという評価をもらった。
最後の発表、AUS亜寒帯ラボ:「特定外来種であるウチダザリガニの駆除:希少種のマリモの保護調査」 JAUS理事 工藤和由、おなじような支部的な組織ができていくことが、日本水中科学協会の目標の一つであり、この発表が、僕らの希望の実現の一つであった。
一つ一つ取り上げると、それだけでは、不十分であろうが、全体的にみると、多種、多方面にわたっていて、ダイビング活動のすべてがある、良いバランスだったと自賛している。
毎年、集客に苦闘しているが、予想を上回る86人に来ていただくことができた。来年こそは、苦労しないで、90人(満員)を集めることができるようにしたい。きっとできると思う。
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1107 JAUS シンポジウム 4
http://jsuga.exblog.jp/29759870/
2019-11-07T20:45:00+09:00
2019-11-07T20:45:11+09:00
2019-11-07T20:45:11+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
日本水中科学協会 シンポジウム の沿革 ここで、シンポジウムの第一回から、今度の第九回までを振り返って見よう。
2010年水中科学協会は、発足した。アメリカにはAAUS という、大学および研究機関のダイビングをつかさどる、団体がある。
日本のダイビング活動のはじまりは、1957年、日本潜水科学協会であった。この協会は、東京水産大学の先生たち+当時のダイビング業界が集まって作ったものであり、自分はその学生会員の第一号になった。これがそのまま今日まで継続していれば、AAUSのような、もしかしたら、より優れた団体になったと思うのだが、残念なことに、サイエンスという流れは消え、この団体の、後身のさらに後身の後身がレジャースポーツの団体になって残っている。大学とか研究機関をお世話する組織は、現在の日本にはない。
水中科学協会、JAUSは、AAUSを目指して発足した。
その第一回のシンポジウムは、大学、研究機関など研究者の水中活動の基準つくり、安全基準、実技基準、の策定を目指した。
第1回 2010年 12月12日 「水中活動 基準とマニュアル 研究策定」
①水中活動基準 須賀次郎
水中での行動の型として、バディ(2人) ユニット(3-5人)グループ(10人以上) ソロ(1人)としている。
この原則は、とても重要である。今回のシンポジュウムで発表する、東大は、3人のユニットである。
②危機管理について雑感 駒沢大学法学部教授 松村 格
③プライマリー・コース基準 : 久保彰良
研究者も含めて、水中で何か?をすることができる必要十分なの実技内容の実習コースを発表した。
④大学のダイビングクラブ活動マニュアル 学習院大学 宮崎雅博
⑤龍泉洞潜水調査活動における安全基準 久保彰良
⑥日本におけるセルフダイビングの現状と課題 吉田俊雄
⑦減圧症発祥誘因の検討 オルトメディコ
⑧パネルディスカッション
リサーチ・サイエンスダイビングについて
発表者全員
ゲストスピーカー 駒沢女子大学教授 芝山正治
東京医科歯科大学 外川誠一郎
⑨結びの言葉 順天堂大学スポーツ健康医学部教授 河合祥雄 ※ 震災のため 2011年は出来なかった。 2011年、シンポジウムは行わなかったが、1年かけて、「最新ダイビング用語辞典」を編纂した。用語辞典の形をとってはいるが、実はサイエンスダイビングの教科書を目指したものであった。
日本水中科学協会のコンセプトであるが、大学も研究機関も、サイエンスダイビングとしては、相手にしてくれない。相手にしてくれないというよりも、日本の大学、研究機関で、スクーバによるダイビングを研究の手段としてつかうところは、どこなのか、見えない。たての連絡も横の連絡もない。
不特定、見えない相手にたいしては、本の出版より他に、アプローチの方法がみつけられなかった。出版が日本水中科学協会の大きな目標になった。本は、なんと言っても、後に、後世に残る。また後世に残るような本を作らなくてはいけない。
2012
第2回シンポジウム 2012年 12月9日
「新しい水中活動に向けて」 東京海洋大学 品川 白鷹館」
①対談 「最新ダイビング用語辞典」 小川典子 応蘭芳
出版をしてくださった、出版社、成山堂書店の小川社長と、日本水中科学協会の理事である、女優・・応蘭芳の対談
②ウエアラブルカメラによるラインサーチ 須賀次郎
自然科学は、実験室での実験と、フィールドでの調査記録活動を二本の柱として展開される。自然科学は、プロの研究者が行うだけではない。一般のダイバーも科学的な活動を行うべきである。海の地球環境を考えた場合、一般のダイバーが果たすべき役割は大きい。そして、専門の研究者とのコラボレーションが、専門の研究者の安全を確保し、研究を促進する大きな力になる。
ダイビングは、一人ではできない。バディ、ユニットが必須である。
そのフィールドワークとは、採集、調査であり、いずれの場合にも記録が必須である。撮影記録によって、自然科学は実証されていく。その撮影記録にとって、手のひらに載る、ウエアラブルカメラが、2010年ごろより普及してきた。そして、フィールドワークの基本であり必須なのは、位置の確定であり、同じ場所に繰り返して行けなければ、科学にならない。水中ではラインサーチが記録の基本である。ウエアラブルカメラによるラインサーチ記録。
③龍泉洞地底湖テクニカルダイビングリサーチ 久保彰良
洞窟探検調査も、ライン調査である。
④芝浦工業大学体育会ダイビングの活動 足立吉隆 北川裕一
日本水中科学協会の創立者の一人である、須賀は、学生の、とりわけ自分の出身母体の大学である東京水産大学(現在の東京海洋大学)が、創立母体のひとつになって結成した関東学生潜水連盟の支援を、ライフワークのひとつにしていた。その学生連盟の安全活動、SAI(スチューデントアシスタントインストラクターの略)これは、上級生がアシスタントインストラクターの役割をするという発想だった。これは2003年から始まって、2013年まで続くのだが、やはり、大学の4年生がクラブのコーチ的働きをするのは、就職活動などがあり無理がある。監督にシンポジウムでクラブの活動の紹介、安全についての留意事項などをかたってもらおうと、その第一弾は、第一回の学習院の宮崎監督、第二弾が芝浦工業大学であった。
⑤裁判事例による事故研究 高野修
⑥レクリェーショナルリブリーザの可能性 東浦暢有希
2013 9月8日
「第一回ダイビング活動研究フォーラム」というタイトルの、実はシンポジウムであり、素直に、これを第三回としておけば、今年、第10回になったのに、と反省している。結局、フォーラムは、これ一回で終了になった。夏と秋、2回の大きな行事をこなすのは、物理的に無理だった。
しかしこのフォーラムは、重要なコーナーだった。
第一部 テーマ 安全
1、水圏環境リテラシー実習について
カヤック&スキンダイビングで行うライン調査実習
東京海洋大学准教授(現在は教授)千足耕一
大学での実習は、スキンダイビングになり、スクーバダイビングは、部活動、あるいは趣味のサークル活動に移行していくのではないか。そのスキンだでリサーチダイビングの基本であるライン調査の実習をする。ライン調査の要領をこれで、覚えて、後はスクーバで同じことをやれば良い。
2.ブレスホールドの生理と危険について、日本女子大学助教 藤本浩一(現、東京海洋大学準教授)
この1.と2.の講演が基調となって2015年に「スキンダイビング・セーフティ」という本を出版する。フリーダイビングのチャンピオン、岡本美鈴も共著に加わり、版を重ねて、2訂版もつくられた。
3.スキンダイビングとフリーダイビングの耳のトラブルについて、
三保耳鼻咽喉科医院院長 三保 仁
三保先生は日本のダイビングにおける耳鼻咽喉医療の第一人者であったが、ケーブダイバーとしても国際的なダイバーであり、メキシコに移住されてしまった。 小山先生
4.水と人体との関係を学び、みんなが泳げるようになるために、
須坂市常盤中学校教諭 小川吉昭
泳げるようになるために、プールに大きなバケツのようなものを沈めて、潜っていってそこから呼吸するというユニークな水泳練習法である。賛否両論あるであろうが、とにかく、これによって、溺れない、溺れることの原理を体得することができる。今流行の「浮いて待て」の前に、「沈んでみろ」、浮くことがわかるだろう。 第二部 ウエアラブルカメラ研究サークル 発表
司会 斉藤真由美
①倉田秀一「いつもの伊豆海洋公園:ポールマウントカメラ ②山本徹「小笠原 マグロ、シロワニなど」③早崎光弘「本栖湖・静かな世界」④小俣雅宏「驚異の世界、ドリフトダイビング」⑤足立義隆「作業モニタリング 龍泉洞第三地底湖」⑥鹿島浩「南伊豆の秘境ヒリゾ」⑦寺内羊子「Play with Isoginntyaku 」⑧三宅裕子 「海遊び」⑨ 斉藤真由美 「ドルフィンスイミング」
この構成のフォーラムは、なかなか良かった。
2014
第3回 シンポジウム 2014年 2月2日 東京海洋大学 品川 楽水会館
①南部もぐりの伝統と各潜水機実習 岩手県立種市高等学校 下川顕太郎
プロのダイバー養成の高等学校、見学ツアーを計画したが、岩手県は遠く、実現できなかった。
②中央大学海洋研究部の活動紹介 監督 藤島靖久 主将 斉藤慶介
関東学生潜水連盟は中央大学
③ダイビング事故防止について事故当事者の視点から
田中恒明 久保彰良
④ウエアラブルカメラ研究会映像作品発表 コメンテータ 斉藤真由美
※なお、この年 夏にはフォーラムも行った。
第4回 「ダイビング活動研究シンポジウム」2014年 12月7日 東京海洋大学品川 楽水会館
このときから、活動研究というタイトルになった。ダイビングの安全確保には、その運用と安全管理、危機管理が必須になるという思想である。
テーマ1 ダイビング運用の安全管理と危機管理
関東学生連盟 50周年を迎え、これからの50年を考える
ここまで、各大学に発表してもらっていて、この年は法政大学の番だったが、連盟が50周年を迎えるということで、各大学の監督・部長、学連委員長にに集まってもらった。
学習院大学 中央大学 芝浦工業大学 法政大学 各監督、部長 + 学連委員長(東京海洋大学 筑紫君) によるフォーラム形式のディスカッション
※このシンポジウムの報告書として、関東学生潜水連盟の現況 データと 各大学の練習 講習 マニュアルの特集をおこなった。関東学生潜水連盟についての唯一の印刷物 資料である。
テーマ2 ダイビング技能と理論
プライマリーコースについての詳細
テーマ3 水中撮影
JAUS水中映像研究会
2015
第5回 2015年 12月13日 「ダイビング活動研究シンポジウム」 東京海洋大学品川 楽水会館
①フルフェースマスクを使用した身体障害のある方のためのダイビングシステム研究 太田樹男
②ハイブリッドダイビングシステムについて 須賀次郎
ハイブリッドダイビングシステムとは、フルフェース、3連のスクーバタンク、10mのホース を組み合わせ、送気式とスクーバのハイブリッドであり、これで水深80mまで高齢者でも安全に潜れることを目指した。プールでの実験は行い、成功したが、実海域には出て行かなかった。
フルフェースマスクによる水中レポート
③フルフェースマスクについて ダイブウエイズ 武田寿吉 社長
④スノーケリングとスキンダイビングの生理学的安全について
東京海洋大学準教授 藤本浩一
⑤水中調査撮影研究グループ 波左間調査 中間発表 山本徹
⑥映像作品 斉藤真由美 増井武 中川隆
⑦グラフィティ映像 後藤道夫追悼「まちゃあき海を行く」
2016
第6回 2016年 12月16日 「ダイビング活動研究シンポジウム」 東京海洋大学品川 楽水会館
発表
①2016年 ワークショップの総括 山本徹
この年度からほぼ月例で少人数の発表会 ワークショップを始めた
その第1回から第11回までの総括発表
フォーラムをやめた代わりにワークショップをはじめた。
②特別展示について 説明 須賀次郎
この年、最新ダイビング用語辞典Ⅱ として「ダイビングの歴史」を刊行することを発表し、その第一歩をして、日本が世界に誇っていたマスク式潜水の展示を行い、その節明をおこなった。また報告書でマスク式潜水について説明しているが、日本におけるマスク式、フルフェースマスクの説明として、唯一のものである。
また、このときの講演者である山田稔氏と協力して、報告書別冊としてダイビング年表を作り配布した。後に一部間違いが見つけられたが、ダイビング歴史年表としては、日本唯一のものである。
③沖縄のもずく漁でのマスク式 潜水について 杉浦武
沖縄のもずく養殖、伊豆七島での追い込み網漁 テングサ漁などに、デマンドバルブを使用しない軽便マスク(ライトウエイトマスク)月代われているが、製造する会社がなくなり、供給が途絶えてこまっていた。沖縄の杉浦氏がこれを復刻して製造を開始した。その発表である。年間50台ていどしか売れないが、無いと、一つの漁業が消滅してしまうほど困るものである。 講演
④「シートピア計画など、30m60mの海底居住」山田海人
⑤「新法規に基づく減圧ソフトウエア使用の実際」 久保彰良
⑥ 最新ダイビング用語辞典 Ⅱ 企画発表 須賀次郎
ダイビング用語事典Ⅰに不足しているのは、年表であった、年表からスタートして「ダイビングの歴史」という本の企画になったが、まだ、出版の見通しは立っていない。 映像発表
⑦人工魚礁 増井武
⑧牡蠣殻人工魚礁 海洋建設 田原実
⑨珊瑚礁と人魚 斉藤真由美
⑩伊勢志摩の多様な海辺の生き物たち 佐藤達也
⑪お台場の生き物たち 須賀次郎 2017
第7回 2017年 12月10日 「ダイビング活動研究シンポジウム」 東京海洋大学品川 楽水会館
発表
①2017年 ワークショップ総括 第12回から第18回まで 山本徹
特に福島第一原子力発電所については、別に発表した
講演
②ボランティア リサーチ・ダイビング 学生クラブに置ける事故についての考察 弁護士 松村房弘 コメンテータ 久保彰良 35mmフィルムカメラ
映像発表
この回、フィルム時代、そしてビデオカメラになってからの1980年代からの水中カメラハウジングを展示し、その説明を報告書に置いて「カメラハウジングから見た、映画テレビ水中撮影小史」として掲載した。
「ダイビングの歴史」の原稿を着々と書きためている。
③1960年代フィルムカメラによるテレビ番組映像「マチャアキ海を行く」
④1970年代 トラック島 水深60m 駆逐艦 追風
⑤現在のテレビ番組撮影について 中川隆
⑥360度全天周カメラの可能性 山本徹
2019
2018年の予定が、会場が借りられず年を越した2019年になった。
第8回 2019年 2月3日 「ダイビング活動研究シンポジウム」 東京海洋大学品川 楽水会館
①ジャーナルの発行について 久保彰良
②ワークショップ 総括 山本徹
③人工魚礁 定量撮影調査 須賀次郎
④お台場の潜水調査について 須賀次郎
自分の寿命、そろそろ、すべて発表しておかないと、いけないのではとこれまでの調査結果をまとめて発表させてもらった。
⑤サイドスキャンソナーによる海底面状況調査 国方多真紀
⑥スキンダイビングによるラインサーチ 東京海洋大学教授 千足耕一
⑦ダイブコンピューター今昔物語 久保彰良
会場の後部スペースで、ダイブコンピューターの展示を行った。
⑧高圧則とは? 須賀次郎 第一回から第八回までのシンポジウムもプログラムと簡単な説明をした。
内容も、そして構成のスタイルも、報告書も統一性がなく、試行錯誤を続けてきたように見える。それはそれで、見えてくるものがあり、それを踏まえて、第9回 を考えて行く。
結局、第9回は、第1回のサイエンスリサーチダイビングへの回帰であった。
第一回からフォーラムをはさんで、第8回まで、できる限り、詳しい報告書を出してきたが、もしもこれを、全部まとめて本にできたらば、「すごい?」と自賛している。ただ、映像発表、ビジュアルな趣を重視していたので、本にはなりにくいが。
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1029 JAUS シンポジウム(12月1日 海洋大学品川キャンパス) 3
http://jsuga.exblog.jp/29745916/
2019-10-29T11:26:00+09:00
2019-10-29T11:26:11+09:00
2019-10-29T11:26:11+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
学生の部活としてのダイビング 学生のダイビングは、自分が学生だった時から今日に至るまで、自分のライフワークの一つである。 まず、自分が大学3年の1957年に海洋大学、時の東京水産大学に潜水部を創ったこと。2017年に創立60周年を迎えた。 1968年、関東学生潜水連盟が誕生したが、それは、1967年に発足した自分たちの日本潜水会からのスピンアウト(だと自分は思っていた)だったので、初期の講習、技術指導を行った。この技術指導がハードだったために、関東学生潜水連盟の指導もハードになり、後に発生する事故の遠因にあったのではと反省する。 自分とダイビングの関わりは、すべて、事故がその基調になている。つねに最悪の事態を予想している。そのおかげで、自分も生き残り、自分の目前では、死亡事故は起こしていない。しかし、事故とは不条理なもので、自分の関わりの範囲、(自分の会社、関東学生潜水連盟、など)では、死亡事故が起こり、それが、トラウマになっている。自分が現場にいたら? 「最悪の事態を予測していても、一瞬の隙で事故は起きる。」それが、自分の視点である。 一瞬の隙間とは、事故を防止するシステムがない、もしくはそれがその瞬間機能していない。人間関係の隙間、思い上がり、油断などである。それを察知できるのは、空気(雰囲気)であり、かなり抽象的である。それが、具体的な形で見られた時には、即、手を打たないと危ない。多くの場合、手を打たなくても、無事に過ぎるが(事故の確率はそれほど高くないので)事故が起こったときには「やっぱり」と思うし、手を打ったから、無事だったと感じたこともある。 日本水中科学協会のシンポジウムは、安全性の追求が一つの柱になっているが、その具体例として、学生のダイビングを取り上げている。 太字はプログラムから引用 11:20-11:40「学生による 安全なリサーチダイビング手法の追究」東京大学 海洋調査探検部 田村陸 今年、50周年を迎える海洋調査探検部では、現役生(2年生、3年生)が50周年記念講演会で発表すべく、JAUSが波佐間(千葉県館山市)で行っているリサーチ・ダイビング研究会に同道し、独自の安全な海洋調査探検方法を探ってきました。その内容を今回のシンポジウムでも紹介します。 東大海洋調査探検部は、およそ、50年前、その発足時から、アドバイザーをつとめていて、幸いにも無事故で過ごすことができた。しかし、それは幸いにもであり、隙間がなかったわけではない。隙間をなくす具体的な方策として、目標の設定、目標に向かっての計画立案と実施がかんがえられ、その具体例の研究と発表である。 一般の大学、部活のダイビングシステムは、3年生の中頃には部活から退いてしまい、学内OBというかたちになるが、海洋調査探検部は、探検(リサーチ)が目標になっているので、ドクターコースまでが、かかわっていて、大学生が成熟するのは、4年生あたりからであるから、システムとして安全性が高い。 発表は3年生の田村君である。 11:40-12:00「海洋大学潜水部の活動と、館山坂田内湾の海について」東京海洋大学 潜水部 佐藤新 昨年、60周年を迎えた東京海洋大学潜水部は、学生が安全にダイビングを行うこと、フィールドである館山坂田内湾を継続してリサーチ・ダイビングする可能性についてなどを紹介します。 発表者の佐藤新君は3年生です。 なぜ、リサーチ・ダイビングが、学生のダイビング活動にふさわしいかというと、リサーチ・ダイビングでは、目標設定が必須、そして、記録することが、必須。その上に、うまくすれば、研究活動につなげることができる。プロの研究者にならなくても、アマチュアのダイバーでプロ級の人がたくさんいる。そういう人たちの集まりとしての側面を日本水中科学協会は目指してもいるのだが、道は遠い。 ましてや、海洋大学は海の研究をするのが、目標、海洋大学潜水部は、1957年創部、2017年に60周年を迎え、祝典を開いたが、その60年で研究した成果の発表は何もなかった。強いていえば、自分がコーチをしていた、1967~8年だったか、それは、関東学生潜水連盟のできた年でもあったのだが、「水中ソリの研究」を指導したくらいで、その時撮影したモノクロ16mmフィルムの映像が、50年間、アニバーサリーとして、繰り返し映写されている。(もう一度やってもいいかなと思っているが)以来、何の研究もない。年々、「今年も無事で良かったね」という成果だけだ。この数年、それも危うくなってきた。先に述べた、隙間、亀裂がみられた。心配して講演会など行ったが、何の効果も無さそう。 ところで、東大のところで述べた。人工魚礁が、なぜ。学生のリサーチ・ダイビング講習、実習に好適かというと、まず、場所の特定、位置の特定が容易であること、観察の第一歩は場所の特定、定位置の繰り返し観察記録なのだが、それが、容易にできる。そして、ダイバーが、どこにいて、どのコースで動くか、決めることができる。つまり、はぐれることがない。波左間の場合には、ボートが直上にあること。 それらのことが、なぜ、安全に直結するのか、そんなことは、ダイバーのイロハのイで、僕がこの年齢まで生き残り、未だにダイビングを続けていられる理由は、人工魚礁の調査とテレビ撮影が仕事であったからに他ならない。 海洋大学の館山ステーションの沖にも人工魚礁がある。それも、自分が誘導して整列設置した魚礁で、実習場(当時の名称)センター長だった小池先生の研究論文があるはず。 潜水部は、館山ステーションをホームにしているのだが、この人工魚礁の近況を聞いても、答えはない。ボートでなければ行きにくいのだろうが、シーカヤックだって良い。だいたい、シーカヤックをダイビングに使おうという文化がないのだろう。 それもこれも、潜水部にリサーチ・ダイビングw教える。リサーチ・ダイビングをするという意識がないからだ。 これを機会にその方向を向いてくれたら良いと願いながら、このテーマをリクエストした。
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1024 日本財団助成金申請提出終了
http://jsuga.exblog.jp/29718745/
2019-10-24T12:20:00+09:00
2019-10-24T12:22:59+09:00
2019-10-24T12:20:31+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
お台場の「チチブ(ハゼ科)
今年から申請がグーグルになったので、少し戸惑ってコールセンターに電話して聞いた。 なれれば、この方式も悪くないって、来年もあるつもり? 申請しても100%受からない。そもそも、僕のやりたい、申請するような事案は、助成の対象ではないのだ。スクーバダイビングとは、ビジネスの範疇に入るものなのだ。 昨年の「潜水の歴史研究会をつくる」というのはちょっと見込みがありそうに思えたが、だめだった。今年のリサーチ・ダイビングは、ダイビングそのものの要素が強いからダメだ。ダメとわかっていてもやるのは、僕らの日本水中科学協会がこの助成金をいただいてスタートしたので、とにかく、毎年、申請をしようと思っていることと、この申請をすることで、なぜ、どうしてこのことをやるのか、それが社会のために何になるので、受益者がどのくらい居るのか、という視点で自分の活動をみることができて、頭の中の整理ができること、そして、その年に何を中心にかんがて活動していたかの記録になるからだ。学生時代の期末試験のようなものか。 と、半ば頭の体操のつもりもあって、助成金申請をする。終わってみれば、達成感はあるが、手をつける前は、例によってプレッシャーになっているのだが。これも期末試験的状況。 これまでの助成金申請のタイトルを書き出してみる。
2020 「リサーチ・ダイビングをスクーバダイビングのジャンルとして確立させる。」 これが今年で、ねらいは、来年出版予定の「リサーチ・ダイビング」をもしもこの企画がとおるようなことがあったら、その縮刷版の小冊子100pぐらいのものをつくって、全国の大学、研究機関におくりつけようということだ。 昨年 2019 「日本に潜水歴史研究会を設立する。」 これは、もしかしたらと思ったが、やはりだめ。 2018 「スクーバダイビングによるお台場海浜公園水中生態系定量、定性観察調査記録」 これは、助成がなくとも続けてやっていること、やってきたことだ。 2017 「潜水による放射性物質精査」 2016 お台場海浜公園におけるマハゼの産卵について 2015 「研究者のための新ダイビングシステムの試用実習」 プライマリーを手を変え品を変えてだしたけどダメ。 2014 「ハイブリッド潜水システムの研究」 80歳 80mダイビングを出したけど、当然だめ。 2012 「 研究者のためのダイビング実技講習」 プライマリーコース 2011 「東日本大震災にともなう瓦礫除去潜水作業」 2010年にプライマリーコース関連のシンポジウムに対して助成をうけていたのだから、その連続で、2012年の研究者を11年にやっていれば、通ったのだが、災害についてのボランティア活動として、自分でしかできないことで、なにか、社会の為になることをやろうと、大震災をテーマにしてしまった。 しかし、パラドックスになるが、この社会のためのテーマも団体で押し寄せるから、実績がないとダメ、ここでは、タイミングが悪かった。書くと長くなるから書かないが、このテーマはキヤノン財団にもだして、今一歩だった。無理な企画で、やれば失敗したと思う。 そして、これが通らなかったので、2017年の放射能調査の原型を理化学研究所と一緒に、2011年にやっていて、その延長線上で、テレビ番組もやったし、そのかかわりの潜水調査に、25日 明後日に出発する。人生も仕事も吉凶糾える縄の如しだ。このところ、大局的には吉、局部的には、凶が続いて、もがいている。]]>
1019 JAUS シンポジウム 2
http://jsuga.exblog.jp/29712941/
2019-10-20T16:07:00+09:00
2019-10-20T16:20:52+09:00
2019-10-20T16:08:01+09:00
j-suga1
日本水中科学協会
タカベの群れ
12月1日 JAUS シンポジウム 日本水中科学協会の仕事の進め方は、今回のようなシンポジウム、できれば毎月(できないけれど)のワークショップによる、海洋にかかわる講演、ダイビングの運用についての研究成果の発表。実際に海にでての、主としてリサーチ・ダイビングかかわるフィールドワーク、そして、もう一つは、本を出すことである。。 このような、仕事の進め方、最初から予定していたものでは、なかった。出口を探してもがいている形で探した出口、手段とであった。 本をつくるというのも、フィールドワーク同様の一つの研究と考える。 太字はプログラムから引用11:10-11:15出版計画発表「リサーチ・ダイビング」(仮)JAUS代表理事 須賀次郎ダイビングを手段として水中の事象を調べ探求する「リサーチ・ダイビング」は一部の研究者だけのものではない。「リサーチ・ダイビング」をスクーバダイビングの1つのジャンルとして確立し、学生でもレクリエーションダイバーでも、安全かつ有益なリサーチ・ダイビングをするにはどうしたらいいのか。そのテキストとなる書籍の出版計画について発表します。 現代で、自分たちの主張を公にする手段は、SNS と 出版、である。マスコミに取り上げてもらう、というのもあるが、それは、マスコミの意見、考え方が強く反映される。 日本水中科学協会は2010年に発足して2019年まで、足かけ10年、来年2020年で満10年になる。その10年の間に日本水中科学協会は、「最新ダイビング用語辞典」:2012年、「潜水士試験完全攻略」2014、「スキンダイビング・セーフティ」 2016 と3冊の本をだしている。2016年から、少し間が開いている。 そこで、来年夏までに、「リサーチ・ダイビング」をだしたい。 リサーチとは何かというと、 人はなぜ潜るのだろう。食料になる魚介類をとることが、始まりだろう。そして、次には、水中を見たい、調べたい、探索、探検したいとなる。 そして、1943年クストーのアクアラング開発の目標はリサーチだった。日本に1953年にそのアクアラングが持ち込まれたのもリサーチの道具として、だった。 今、スクーバダイバーの90%は、カメラを持って水に入るが、撮影も、視点を変えればリサーチ・ダイビングなのだ。 あまりにも現代のスクーバの全分野を覆ってしまっているために、ことさらにリサーチ・ダイビングと言わなくなってしまったともいえる。 ここで、リサーチ・ダイビングというジャンルを明確にして、その沿革、安全な運用を提起して、リサーチ・ダイビングのテキストとしたい。 たとえば、科学研究者のダイビングは、リサーチ・ダイビングである。これまで、科学研究者と一緒に潜ったことは、数え切れない。そのうちの何回かは恐怖であった。自分の命も失うかも知れない恐怖であった。 現在、大学:研究機関:研究者・学生が研究の為のダイビングをするためには、潜水士の資格と、初級のCカードを持っていれば良い。運用の計画性、運用の技術、応用例を知る手段は、含まれていない。研究者は、もちろん系統だって考えることができ、その多くはフィジカルでも優れている。これまでに感じた恐怖は、ダイビングの運用に知識がなく、フィジカルがすぐれていたことによるものだった。 ダイビングの運用についての知識は、応用は千差万別であるが、考える道筋だけわかっていれば、知力の優れたひとたちだから、自分で考えることができる。
そして、もう一つ、リサーチダイビングは、研究者のものだけではない、レジャーダイビングとして、スポーツとして、行うことができ、日本の海洋研究に役立たせるだけでなく、研究者とのコラボレーションによって、両サイドの発展が期待できる。
例えば、今話題のマイクロプラスティックにしても、その調査はリサーチダイビングの分野なのだ。
「リサーチダイビング」
基本とその実例、応用例を挙げ、今後の展開についての知識を加ええたい。 事故例、自分の体験例、を多く使いたい。
11:15-11:20 JAUSジャーナルJAUS副代表理事 久保彰良JAUS 会員の活動。主張、などを発表する機関紙です。来場された方に配布して説明をいたします。
2019年6月号の内容は ☆ 指導法 ちょっと大人の減圧症予防ー樽生ビールと減圧予防 工藤和由 ☆ 潜水技術 プライマリーコース 倉田秀一 ☆ コラム フロッグマンのスキップ 一所懸命 久保彰良 ]]>
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