須賀次郎のURL
辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
http://homepage2.nifty.com/j-suga/index.htm ブログ、スガジロウのダイビング http://plaza.rakuten.co. jp/sugajirou jack2009さんに、wikipediaに掲載することを許可しています。 外部リンク
カテゴリ
全体 雑感 最新ダイビング用語事典 旅行 撮影 スタイル 日記 ログ 80.80 日本水中科学協会 ダイビング運用 グラフィティ リブリーザー 沿岸漁業・人工魚礁 リサーチ・ダイビング 福島 レクリェーションダイビング 学生連盟 book・映画・テレビ 辰巳 潜水士 歴史 お台場 浦安海豚倶楽部 ダイビングとは? スキンダイビング ダイビングの歴史 最新水中撮影技法 未分類 以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 09月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2015年 03月 04日
生涯スポーツについて
日本は高齢化社会である。 高齢者のスポーツについて、 僕の場合には高齢者のダイビングについて、となる。 生涯スポーツとは、生涯を通じて、つまり死ぬ時までスポーツを続けることだ。 死ぬまで健康で、とはもちろん最大の願いだが、そんなにうまくゆけば、大病院がラッシュにはならない。僕も二ヶ月に一度主治医の河合先生の診察を受けに御茶ノ水の順天堂病院に行く。親しい先生だから、時間予約とスピードに便宜を計らってもらっているが、検査とかが入ったり、少しでもどこか具合が悪くて別の科の診察などとなると、3時間は待たなくてはならない。よくもこれだけ病人がいるなと感心する。これは病院に来られる健康の人だから、寝込んでいる人を入れれば、大変だ。 だから、高齢の殆どの人にとって、健康は願いであり、現実ではない。 健康でスポーツを楽しめる60歳以上というのは、大変なラッキーだ。 自分も幸運だろうか。 幸運を当てにして生きてはいけない。昨日まで大丈夫だから今日も大丈夫、明日も大丈夫という考えは、正常化の偏見ということで、ダイビングでは頼りにしてはいけないと誰かが書いていた。そのだれかは、ダイビングとは致死性の高い商品スポーツだというのだが、。 健康でなければスポーツができないとなると、高齢者はスポーツなどしてはいけない。全員隠居して長生きする途を選ばなければならない。スポーツができれば健康、だから、病院通いをしてもスポーツをするのだと決める。 そして、生涯スポーツにチャレンジすると、次々に安全のための条件を、若い人に提示され、最近は高齢者の死亡が多くなったと、当然だと思われることを言われる。 だから、高齢者のスポーツは、自分の内なる身体に向かってのチャレンジになる。 何事によらず、人間は我田引水、自己中心だから、僕も右へ倣って、世界は自分を中心にまわっていると考えて生きている。 高齢者のスポーツ停年を唱えるのは大体若い人だ。僕も若い時は、ダイビングインストラクター、40歳停年説を唱えた。年寄りは、みんな引退しろ。溺者を救助して、ファイヤマンキャリーで、岸に立ち上がり歩いて来られなくては、いけないとか、指導員講習の受講者にずいぶん迷惑をかけた。ちなみに、僕の加わっていた日本潜水会は、女性インストラクターも同じフィジカル条件を要求した。 自分が40歳を過ぎても生き残り、60歳になると、今度は400mを7分で泳げなければ、ダメというルールを自分の中に作った。僕は6分30秒で泳げた。やがて、7分が切れなくなると、もうフィジカルな条件を考えだすことはなくなり。理論知ではなくて暗黙知が必要などというようになった。 どこまでも、現役にしがみついていたいというのが、つまり生涯スポーツの指導者だ。 今は、トレーニングを欠かさないことが、条件だ、と考えている。トレーニングをやめる時がダイビングをやめる時だ。 トレーニングを続けて、最後まで泳ぎ抜く。最後までということは、最後があるわけだから、生あるもの、生きているということは、安全ではない。 60歳を過ぎてから、ダイビングを始めようとするのは、あまり薦められないが、今、スイミング、水泳をやっているという人ならば、ダイビングを始めることも可能だとおもう。 岡本美鈴と一緒の海豚倶楽部記念写真、僕を除いて、みんな若い。 今、60歳を超えるメンバーが何人もいる、浦安海豚倶楽部というスキンダイビング倶楽部をやっている。もうこれで15年無事故だが、安全だとかなんだとか言って、自分のことはどうなんだ。と言われても、高齢者が死ぬのは当然です。ぐらいのハードボイルドでなければ、高齢者の視点からの生涯スポーツはできない。もちろん、できるだけの安全策をとるのは、当然すぎるほど当然だが。 ただ、みんなでトレーニングしていると、老化の速度はずいぶんと遅くなる。60歳を超える人も、みんな若々しい。泳いでいる姿を見れば、それほどの高齢者には見えない。 浦安のプールがお休みなので、辰巳の国際水泳場に今日、3月3日の午前中、浦安海豚倶楽部の練習に行った。スイミングプールで、午前中の時間帯に泳いでいる人に、60歳以上の人が多い。この前、2月23日の練習会の時だった。練習が終わってから、ロビーで高齢の男性に声をかけられた、「失礼ですが、お幾つですか?」同じくらいかなとおもったので「80歳です。」と胸を張った。「私は94歳です。同じくらいかと思いました。」冗談じゃない。94歳まで生きてはいたくない。94歳で定期的に泳いでいるような人ならば、80歳でダイビングを始めても良いだろう。 海豚倶楽部の練習は、静止した息こらえ練習を禁じている。そして、なるべく、並んで泳ぐとか、列を作って泳ぐ練習を多用している。後は、なるべく、みんなで互いに注意している。バディシステムがスキンダイビングでも基本だ。海豚倶楽部のホームである浦安運動公園では、毎年、2回、親と子のスキンダイビング教室をやっている。その教室では、海豚倶楽部のメンバーがボランティアで僕を手伝ってくれている。この講習会の特色はバディシステムの刷り込みだ。僕が「バディ!」と号令をかけたら、手をつないで頭上に上げなくてはいけない。子供は一瞬眼を離したら危ないと教えている、そして子供は海では、スノーケリングジャケットを着るようにとも指導している。しかし、中学までは浮袋を着けて泳ぐだろうが、高校、大学と進んだら、ジャケットをつけたスノーケリングに限定することは難しい。 スポーツの安全について、幼児、小学生、中学生、は自己責任ではない。すべて親と学校の管理責任である。だから、親と子で行動するときには、ライフジャケットを着てもらう。プールでの練習は、スキンダイビングであるが、海ではジャケット付きのスノーケリングを勧める。高校生、大学生となると、親の責任、学校の責任は間接的になり、自己責任で絶対の安全をもとめるが、ダイビングでの安全責任は安全管理者と分担する。自立する社会人になれば、自己責任で安全を求めなければいけない。ダイビングでは、とんでもないショップ、とんでもないガイドダイバーにあたる不運もある。もしもの場合、管理責任を訴えることができるが、訴えるのは遺族さまだ。但し、仕事での安全は、仕事を命じた者の管理責任が大きい。だから、管理者の視点では、死亡事故は死ぬのではなくて、殺す、に近くなる。 60歳、停年を過ぎたら、死ぬのも生きるのも勝手にさせてもらいたい。つまり、出来る限りの努力をしていれば、死を咎めない。自己責任でもなく、管理責任も無く、誰にも責任はない。これが生涯スポーツのルールだと思う。 僕が80歳で80m潜ると言ったら、昨年、旧友の日本潜水会メンバーであった脇坂さんが70歳になって70mに潜ったと、年賀状に書いてあった。去年の日本潜水会は後藤道夫のお別れ会だったから、脇坂氏の70mを祝う事ができなかったが、こういうのが流行るみたいだ。90歳で90mは、僕は無理だが、今ホームグラウンドにしている、波佐間海中公園の荒川オーナーは76歳で、僕の10倍の身体能力がある。彼ならば、90歳90mができるだろう。彼は、今なお、別に年齢記録ではなくて、定置網の作業で80mぐらいは潜っている。 去年の11月には、全日本水中スポーツ室内選手権大会で、僕は50mフリッパーレースにでて、全日本潜水連盟の名誉会長の玉置先生は、84歳で100mの特別レースを泳いだ。事故を起こして迷惑をかけることはできないので、緊張した。この競技会では、生涯スポーツを大きなターゲットにしている。 #
by j-suga1
| 2015-03-04 08:54
| 浦安海豚倶楽部
|
Comments(0)
2015年 03月 03日
読書について書くのが、続いたが、潜水以外のことで、一番当たり障りなく自分の意見が言える。そんな世の中になっている。それに読書論の本を読むのも好きだ。
ところで、僕の専門外、潜水以外の読書だけれどかなりの量のものだと思っている。 本を買うのは原則として、ブックオフで、108円が、主だ。新刊は本屋で考えぬくか、あるいは瞬間的に欲しくて買うか。なんだ、要するに考えて気に入れば買うということではないか。しかし、ブックオフの方は、考えないで、ちょっと気持ちが引っかかったら買う。だから、読まないで売り返してしまう本も多い。主に新書版をこの頃では買う。文庫本の方は、気に入った小説家のものはすでにほとんど読んでしまった。一冊読んで、気にいるとその小説家の本は、100円で出ていれば買う。 100円で買って、読まないで売りに出すと、30円から50円で買ってくれる。だから、新書でも小説でも、だいたい2年前、新しくて1年前だから、本のことを書いても、新刊紹介にならない。しかし、みなさまも、ブックオフに行ってウオッチしていれば、108円で買えるかもしれない。 今日、読み終わった本は、「ビブリア古書堂の事件手帖、1-4 三上延著 メディヤワークス文庫、2013年刊」 まだ割りときれいだから、売れば50円になるだろう。残しておいても良いかな? この著者は、電撃文庫とかいうライトノベルスに沢山出している。ビブリア古書堂のシリーズも まだ5-6と続いている。また100円で出ていれば買うだろうか?。職人芸で面白い。 すべて架空の話、メルヘンだが、古い本、古書を巡る話の連作だ。本当かどうかわからないけれど、古書の商売もかいま見られる。古本屋って、ブックオフが出来たために滅びるのではないかと心配してしまうのが皮肉だ。高い本では10万から100万の例えば江戸川乱歩の初刊本などを扱う。ヒロインは栞子さんと言ってとても巨乳のエキセントリックで魅力的名25歳ぐらいだ。ヒローは大作君という職のない大卒で、古書堂でアルバイトをして、そのまま居着いてしまう。この子の設定はやや不自然だ。本を読むことができない神経症になっている。大卒だから教科書は読めるのだろう。まあ、そんなことはどうでもいいので、テンポ、リズムがいいので、頭休めに読んで楽しかった。 ああ、そういう本って、若い子に人気があるのだろうなあ、と思う。本というものの一つのあり方だ。 新書版では、文春新書「日米中アジア開戦 陳破空著 2014」 2014だから新しい。内容を見ると 第七章 日中開戦シミュレーション 激戦尖閣諸島 第八章 米中サイバー大戦 この辺りが面白いのかなと思って読んだが、大したことはなく、ありえない話、投降する一人っ子兵士とか、中国が弱いことの記述だ。 ちょっと面白かったのは、 第三章、 文革世代 習近平の弱点。。 そういう人たちなのかなあ 最終的には 第十章 米中開戦のシミュレーション で中国はこてんぱんにやられてしまう。著者の意見は、少しでも早く米国が立ち上がり、戦争して中国を叩き伏せないと、だんだん敵は強くなるということだ。 著者は、中国で二回投獄されてアメリカに逃げた人だから、こんなところだろう。 「中国人はそんなに日本人が嫌いなのか、加藤嘉一 ディスカバー携書、2011」 これは、中国で活躍している若い日本人が書いたもので、テレビ出演、中国でのブログ開設500万アクセスを誇っている子だ。中国のネット事情などがわかって面白い。中国に本拠があるのだから、あまり中国をけなしては中国で仕事ができないし、といって、中国礼賛でもない。微妙なところを書いている。 例えば僕が中国に今行けば、こんな感じで受け取るのだろうなあ。と思う。人と人は少なくとも喧嘩をしないで生きて行かれる。戦争となれば、この加藤くんの友人の中国人の若者は、一人っ子兵士として殺し合いに参加して、投降するのだろうか。 「アメリカ海兵隊 野中郁次郎 非営利組織の自己革新 中公新書 1999」 アメリカ海兵隊は、世界最強の軍隊のように思える。 書き抜いた一節は、 中核技能の学習と共用「海兵隊は、ライフルマンとしての職人芸、あるいはプロの技にこだわる。もちろん、マニュアルのような組織的に共有可能な形式知も重視するが、質の高い暗黙知がなければ、形式知に変換しても底の浅い知にしかならない。イノベーションの源泉は、機械的な形式知にあるのではなく、人間的な暗黙知にあるのである。両者の相互作用から知が組織的に生み出されて行くのである。道を究めることが組織の躾になることによって、個人独自の暗黙知【技能】が磨かれて行くのである。そして暗黙知が決定的な競争優位性を生み出すのである。」他にも幾つか書き抜きたいところがあって、保存する本になった。 #
by j-suga1
| 2015-03-03 07:21
| book・映画・テレビ
|
Comments(0)
2015年 03月 01日
「幕が上がる。:平田オリザ 集英社文庫「文庫としては14年12月刊」新本で買った。4日ほどかけて読了。急いで読まなかったのだ。高齢になると涙もろくなるけれど、加えて自分の過ぎし日を思い浮かべる。保存の本になった。
筋立てとしては簡単だから、くわしくは書かない。高校演劇部で演出家を目指す女の子と、同級生の俳優たち、そして、演劇部の顧問の先生、下級生の話だ。まだ、本屋に並んでいる本だから、良かったら買って読んでもらいたい。僕がなぜ、保存の本にしたか? 僕は高校時代演劇部にも所属していた。僕の高校時代はバスケット命だったけれど、掛け持ちでいいからと強引にスカウトされた。見た目だけの主役だったがどうにもならない大根だった。基本的な練習ができていないから、「あははは、」と笑うこともできないのだ。しかし、夏休みの暑い日々、グランドでのバスケットの練習と教室での演劇の稽古を同時進行の様に掛け持ちした。僕の高校、東京都立戸山高校は、まだ、その当時体育館がない。グランドのアウトコートで練習していた。照りつけられて、汗だくになって、ユニホームのまま、教室にはいり稽古を始めようとすると、相手役の女の子が、「汗ぐらい拭いて、何かを着てくれない?そういうシーンじゃないのだから。」その人は一年上級で、やがて、北海道で大学の先生になり、4人の子供を育てた。いま、どうしているだろうか。 とにかく、そんな日々の中で、 その演劇部の同級生に平田靖(オサムと読んだ)という奴がいた。彼は演出家志望で、メフィストフェレスを気取っていた。彼が平田オリザの叔父さんになる。もちろん、まだ平田オリザは生まれていない。 その平田靖が、猫いらずを飲んで自殺した。胃を洗浄されて、生死の境をさまよって、この世に戻ってきた。僕は当時お金持ちの息子で、別荘に平田を招待したりしたので、親友であり、演劇部顧問の米田先生に呼ばれて病室に行った。そしたら、演劇部の女優、伊藤牧子が来ていた。彼女は、僕のお母さん役だ。まあ、美人と言えば言えないこともないけれど、演技で売る人だ。米田顧問は、何を血迷ったのか牧子が平田の恋人だと勘違いして、病室に呼んだのだった。全くそういうことは無いと僕は知っていたが、何しろ女優だから、役を演じている。 伊藤牧子は、早稲田に入った。そこで、天下の二枚目である加藤剛と知り合い、結婚してしまう。加藤剛はいい人、偉い人で、終生、牧子の尻に敷かれて幸せだった。男はみんな見習わなければならない。その伊藤牧子と加藤剛の親友に、椎名勝己がいた。彼は後に、初代のPADI潜水指導協会【PADIジャパンとはちがう】の事務局長になり、東京ダイバーズというダイビングショップを経営し、今、赤沢で、バリヤフリーダイビングで有名になっているが、僕と知り合った頃は、まだ映画俳優で、色悪が役どころで活躍していた。やがて、スキーで骨折して、バリヤフリーになる。 あのころの館石さん。クエを持っているのは田中次郎、今は伊戸にいる。 さて、因果は回る。大学を卒業して東亜潜水機に入った僕は、舘石昭とバディで潜っていた。知らない人は居ないと思うけれど、館石さんは水中造形センターの創業者で、高名な写真家になる。しかし、まだ、僕も館石さんも青年として荒野をめざしていた。館石さんは突然ポルノを撮影することになった。まだ、仕事のない時分で、インチキプロダクションに水中ポルノを持ちかけられたのだ。当時の僕たちはダボハゼだから、どんな餌にも飛びつく。 その年は、巳年だったので、水中で裸の女優さんと大蛇がからみ合って妊娠する話だ。陸上では本物の大蛇と絡む。からみ合って大蛇は食欲が亡くなり、危なかったというが生き延びた。 さて、水中だが、僕はウエットスーツの生地を貼りあわせ、ペンキを塗って大蛇を作った。これをテグスで女優さんに結びつけて、水中でのたうちまわらせるというわけだ。その撮影を、伊豆大島のトウシキでやった。残念だったけど、僕は東亜が忙しく、撮影には参加できなかった。そして、そのフイルムの編集は、やはり戸山高校の同級生で、日本テレビに入社していた伊藤Bがやった。その縁で、つい最近まで彼が池袋のマリンダイビングフェスティバルの舞台演出をしていた。その録音のために、スタジオに行くと、録音技師として、平田靖がいた。館石ポルノは僕の同窓会となった。ポルノは、編集の結果、映倫からはねられ、ズタズタになって公開された。 二本立て公開で、僕も見に行った。二本立てのもう一本は、終戦で満州から引き上げてくる邦人女性が、強姦されまくるというすさまじい社会派ポルノだった。こんな二本立てが当たるはずもないと僕は思った。案の定、ギャラが全部はもらえず、僕の作って大蛇は無料奉仕となった。 それ以来、平田とは会っていない。生きているだろうか?ネットで調べても名前はでてこないが、平田オリザの劇団の世話になっているかもしれない。 「幕が上がる」は、あの暑い日の稽古と、そして、大根役者の僕が生涯ただ一度の舞台と僕の中で重なる。もちろん時代も違うし、なにもかも違うが、空気だけは共通だ。平田オリザは、劇作家だが、これはあえて小説だ。、映画化されるというが、僕は小説のイメージが壊れるといやだから、見に行かない。 #
by j-suga1
| 2015-03-01 16:15
| グラフィティ
|
Comments(0)
2015年 02月 28日
いま、ブログと、フェイスブックとツイッターを使っています。ここで、それぞれを使うスタンスを整理します。
まず、ブログですが、日記みたいなもの、潜水技術・機材・運用についての全般、ダイビングに行った時の記録、読書とか、見た映画などについて、だいたいこんなところが目標ですが、大事なことは、文章のトレーニングです。その意味で毎日欠かさないようにしようと思っています。これはとてもつらいことなのですが、ダイビングと同じで、トレーニングしないと、すぐに錆びついてしまいます。とにかく、高齢になるとボキャブラリー、語彙が激減します。この激減も、フィジカルトレーニングの衰えと同じように、結果でしか衰えがわからないので、トレーニングを欠かすことができません。 それと、文章、文体を磨きたい。水中に潜っている時の感覚、臨場感を表したいのですが、ここでも語彙の減少は、著しいものがあります。語彙の減少とは、表現がまどろっこしく、助長になってしまう。そして、肝心なことが説明できていないという結果になります。 トレーニングあるのみです。 ダイバーの目線 次にフェイスブックですが、友達どうしの情報交換、メッセージも役に立ちます。それだけに留めたいとおもうのですが、やはり、書いてしまいます。できるだけ写真、動画、で、言葉は少なくと、このごろ意識しています。言葉の多いものはブログにして、シェアで出すようにしようとしているのですが、ブログとフェイスブックを連動させていると、フェイスブックに写真がフェイスブックのタイトルにつながるので、写真を選ばなくてはならないので、今日のようなテーマの時はしんどいです。カット的な写真を載せるようにしています。 前はフェイスブックが下書きで、それをまとめてブログとおもっていたことがあって、これも悪くないので、まあ、どちらとも決めないで、その時によって、ということにします。 タイムラインですが、通してみていて、自分の写真展のようにとこころがけています。だから、自分の顔などがタグで出てくると、たいてい表示しないようにしてしまいます。フェイスブックとは、かなり自己顕示の強いものですから、自分の姿は見たくありません。だから、友達の顔も、できるだけ気に入ってもらえるようにと、心がけるのですが、これも難しく、もしかしたら、気に入らないのではないかと心配します。 ツイッターですが、ブログと連携させているので、ツイッターを見ると、ブログのリストになっている。ブログを見る方もここから見てくれるのかもしれない。前には、これも、ツイッターで下書きをして、フェイスブック、ブログと上げてゆく。こうすると、短い文節でまとめてゆくので、とても良かったのですが、たくさん書くと、ブログリストにならなくなってしまうので、書きません。それと、情報収集にはとても便利です。 前には、フェイスブックとつないでいましたが、これは、コンセプトがまったくちがうものだと思って、つないでいません。 もちろん、人それぞれですから、それぞれの使い方がありますし、僕の場合も、前にはこうしていたと書いたように変化してゆくと思います。 #
by j-suga1
| 2015-02-28 08:56
| 日記
|
Comments(0)
2015年 02月 27日
ユジニ クラークさんが、亡くなった。92歳、肺がんだそうだ。中村宏治君のフェイスブックで知った。
日系のアメリカ人で、美人だったので、日本でも人気があり、日本潜水協会の機関紙、「どるふぃん」の最終号1965年 の表紙を飾っていた。 Eugenie Clark ,僕はこの人の、著書、「銛を持つ淑女:1954」で、ダイビングする生物学者になろうとしたものだった。パラオで手銛で魚を突いて、研究する天国のような話だ。僕は東京水産大学に通い、葉山の磯で手銛で魚を突いていた。 いまでもこの本は、書架の出しやすいところに置かれている。 たびたび来日したが、僕が研究者にはならないで、もっぱらダイビングだけになってしまったので、日本での研究活動については、知らない。魚類学者だから、図鑑を作っていた益田さんと親交があった。僕が魚突きと研究のクラークさんの話を益田さんにしたことがあるので、来日していた時、伊豆海洋公園に行くクラークさんを車に乗せて、送って行くことにしてくれた。僕は日本潜水会の指導員研修で、伊豆に向かうので、僕の車で、益田さんと、クラークさんを乗せて行く。1970年のことだと思う。 ちょうど桜の季節だったので、伊豆スカイラインを通った。富士山の見えるポイントで、車を停めて、これぞ日本という景色を三人で見た。きっと、クラークさんもあの景色を終生忘れないだろう。 夕食を日本潜水会の仲間として、記念写真を誰かが持っていたポラロイドで撮った。日本酒の沢山好きなおばさんだった。古い本を持って行き(その当時すでに古かった)サインをお願いしたら、喜んでくれた。日本潜水会のスーツステッカー(ウエットスーツにはるステッカー)を腕に当てている。 友竹、中原先生(水中重量挙げの歯科医)クラークさん、僕、後藤道夫、後ろから顔をだしているのが小又君、青木くん 日本潜水会のスーツステッカー それだけの縁だが、石垣島空港の建設で、アオサンゴが壊されることで、日本に来て、コメントをしたり、多分、潜ったのだろう。サメの研究をしていたので、同じくサメの研究者でもあった、美ら海水族館の内田館長とも親交があり、内田館長に「クラークさん元気かな?」「まだ海で潜っているよ」と話を交わしたことがある。多分彼女が80歳ぐらいのときだったろう。 年老いた彼女の写真は、用意したが、載せない。 #
by j-suga1
| 2015-02-27 09:23
| グラフィティ
|
Comments(1)
|
ファン申請 |
||