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2009年 01月 04日
新しい年も三ケ日が過ぎてしまいました。
休日というものが無い日々を送っているので、正月休みと言っても日常は変わらないのですが、年賀状の返事で、それなりに忙しい思いをしていました。 それでも、お正月気分ではあったのですが。 今年、出そうとしている本の原稿が一段落しました。 まだ出版してくれるところは決まっていません。これから、探します。 どなたか、心当たりがあったら出版社を紹介してください。企画書を載せます。 「スクーバ」 企画趣意 水中探検のノンフィクションを書きたいと思った。スクーバは、水中探検のため、人間が水中で呼吸する器具である。 1954年、スクーバと出会ってから、毎日が探検のような生活で50余年を送ることができた。その間、技術書、ハウツウものは何冊も書いた。指導組織のためのテキストも書いた。それが身についてしまっている。だから原稿は、ノンフィクションと技術書のハイブリッドのようなものになってしまった。しかし、技術とノンフィクションのハイブリッドでこそスクーバの本質がわかるはずであり、スクーバダイビングの安全につながる。スクーバダイビングについて、理解したい人、スクーバで潜っているダイバーのすべてに読んでもらいたい。 日本人で、スクーバで潜った経験のある人は、およそ500万人とも800万人とも言われている。常時活動しているダイバーは、およそ40万人である。 梗概 第1章 アクアラングの時代 1952年、アメリカ海軍水中研究所の海洋地質学者、ロバートディーツ博士によって、日本にアクアラングの実物がはじめて紹介された。一枚の写真がある。千葉県小湊の東京水産大学実習場で、ディーツ博士がアクアラングを背負って水に入ろうとして階段に立っている。 日本の若い海洋・水産研究者がそれを眺めている。この階段を降りて、ディーツ博士が水に入った時、スクーバによる日本の水中探検の歴史が始まった。 その翌53年、同じ小湊の自習場で、日本初の学生のためのスクーバダイビング実習で、日本で初のスクーバ事故(二名死亡)が起こってしまった。原因は、スクーバが見かけは容易、習得が簡単に出来そうに思えるための油断であったと思う。以後、ほとんどの事故がスクーバダイビングが容易そうに思えるために発生している。 第2章 リサーチダイビングのさきがけ 事故の翌年、東京水産大学に入学した著者は、潜水実習でスクーバダイビングを習得した。4年次に、水深30メートルへの人工魚礁調査を行い、これもスクーバダイビングの宿命とも言えるエア切れ(タンクの空気を使い果たしてしまう)で、九死に一生の事故を起こす。このエア切れ事故とその分析の内に、スクーバによるリサーチダイビングの危険に対する答えのほとんど全てがあった。 第3章 100mをめざす 卒業し、ヘルメット潜水器のメーカーに就職し、新しいタイプのマスク式潜水器を開発し、性能テストのために、100mに潜ろうとする。毎日新聞後援、TBSテレビ放映で館山湾で潜水し、窒素酔いと炭酸ガス蓄積で失神し、さらに自分の作った機材の不備で、危うく命を落としそうになったが、生還する。 最初の100m潜水 第4章 転がる石 日本で始めてのスクーバダイビング指導組織、日本潜水会を結成する。 日本潜水会に入れ込んでしまい、お世話になった東亜潜水機を道半ばで退職する。 水中撮影機器の製作と販売の会社を興すが、撮影機器の販売では食べて行かれない。二つ玉低気圧で小名浜港岸壁で粉砕された1万トンの貨物船空光丸の遺体捜索を凍るような北の海で行なったり、スクーバダイビングの仕事なら何でもやる。日本初のダイビング講習プールの講習を請負い、息こらえによる失神死亡事故に立会い、講習プールは倒産した。野垂れ死にを覚悟で、思うままにスクーバダイビングをやろうと決意する。 ミクロネシアのポナペ島のナンマターの遺跡にテレビ番組の撮影のために潜る。ここに潜った者は、ナンマタールの呪いを受ける。 第5章 スクーバダイビングサーカス 経営するスガ・マリンメカニックは、釜石湾口防波堤の混合ガスの深海潜水を引き受けたり、岩手県竜泉洞の地底湖の撮影を引き受けて、水深73mまで墜落したりして絶好調を迎える。自分たちは不死身であると錯覚したころ、娘の潮美が入学した大学の潜水クラブで、立ち泳ぎ訓練で、心臓麻痺事故がおきる。 ニュースステーションの潮美 第6章 事故 事故のために休部となったダイビングクラブ所属の娘をレポーターに起用し、流氷の中に潜らせて、当たり、潮美はテレビ朝日ニュースステーションの水中レポーターになる。水中レポーターというタイトルは日本初、世界初である。順風に思えたが、水中テレビカメラを水中に設置して行う調査をしていたスガ・マリンメカニックの若い社員を原因不明の事故で失う。 事故の処理に全身全霊を傾け、遺族との人間関係を築き上げ、親しい付き合いができるようになる。 しかし、命はなによりも重いと、サーカスから一転して絶対安全を目指すようになり、絶対安全な簡易システム潜水であるケーブルダイビングシステムを考え出す。 第7章 安全のための道具 ケーブルダイビングシステム普及のための会社を興し、個人資産、仲間の友情のすべてを投入するが、スクーバは、ケーブルにつながれてはスクーバでなくなってシステム潜水になってしまう。多くのスクーバダイバーは、安全よりも命を賭けたチャレンジ、水中探検を指向する。安全のための道具は売れない。やがて、個人資産と友情のほとんどを失うことになる。 第8章 100m潜水 ケーブルダイビングシステムの普及に尽力しつつ、60歳を記念して、若いころかなえられなかった100mへの潜水を計画する。若いころの100mは、無謀に近い突撃だったが、60歳の潜水は、誰でも安全に100mまで潜れるシステム潜水によるものであった。 だれでも安全と言っても60歳である、潜水が外との闘いであるだけでなく、内なる自分の身体、病気との闘いであることを思い知らされる。 この100m潜水の途上で、冒険的なテクニカルダイビングと出会い、自分の計画した安全なシステム潜水と、テクニカルダイビングの相克に悩む。 システム潜水よりもテクニカルダイビングを指向する気持ちは、ケーブルダイビングシステムをあきらめることにもつながった。 60歳の100m潜水をしたころのスガマリンメカニックのメンバー 第9章 豊かな海 大学4年次から付き合ってきた人工魚礁について写真集をだした。人工魚礁について、この章でまとめた。人工魚礁は、巨大になり、沈められている水深も60mを越えるものが多くなっている。67-69歳の命を張った。 第10章 新しい波 テクニカルダイビングのための閉鎖循環式潜水器・リブリーザーは、21世紀の潜水器である。リブリーザーを極めなければ、著者のダイビングライフは終結しない。 また、息こらえ潜水も、アプネア、フリーダイビングなどと呼ばれる、100mを超える深みを目指すようになってきている。 ダイビングのニューウェーブについて述べる。 第11章 スクーバダイビングの危険 やはり、スクーバダイビングの安全管理、危機管理についてまとめなければ、この本は終わらない。全体をまとめて、スクーバダイビングの本質、安全と危険について述べる。 400字原稿用紙換算で880枚 写真多数 著書 1966年:アクアラング潜水 ダビッド社刊 共著 1972年:水中写真の撮影 厚生閣 刊 共著 1976年:スポーツ・ダイビング入門 マリン企画 刊 共著 1978年:潜水と水中撮影入門 共立出版 刊 共著 他、雑誌などへの寄稿、潜水指導団体のためのマニュアルなど多数。
by j-suga1
| 2009-01-04 19:27
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