水産大学潜水部50周年記念のパーティ。
現役とOBの実行委員の力で、とても良いパーティが出来た。記念誌も良く出来た。
一方で、本の原稿を書いている。880枚書いたけれど、そんな大部のものを出版してくれるところは無さそうだ。もう一度編集しなおして、安全を縦糸にすることにして作業を進めている。
エディターを開いて、大学時代の部分を見直した。
ダイビングはバディシステム、二人一組でやる。僕のバディは原田進。バディは潜水する時だけではなく、普段でもバディであった方が良い。水産大学は学生数が少ない。全員が親友になる。その点ではこの大学はとても良かった。全員が親友だからその中で特に親しいとなると親友以上だ。僕には兄弟が居なかったから、原田は兄弟以上のようなものだった。兄弟は喧嘩もするけれど、原田とは喧嘩をした記憶が無い。学校の寮住まいの原田は山口県の岩国から来た男で、僕の家が彼の東京の家だった。父親を戦争で亡くして、母子家庭だったから奨学金で暮らしていた。しかも、その奨学金は殆ど飲んでしまう。だからアルバイトに忙しい。
70歳になってみると、学生時代の大酒飲みは、皆居なくなっている。原田もすい臓癌で亡くなった。涙がとまらなかった。今でも原田のことを思うと涙がにじむ。バディとはそういうものだと思う。
原田のアルバムから
今日のパーティには、原田は来ない。記念誌にも何も書いてもらえない。ただ、記念誌には原田が写っている写真が二枚枚ある。僕が編集したわけではないのだけれど、原田の写真がある。
今日集まってくれた潜水部の皆は、集まれなかった人もそれぞれ、形は様々だろうが潜水部に、そして潜水に、水中で一つの時を共有した仲間に、そんな思いがあるのだと思う。
海洋大学潜水部には、正式なOB会が無い。会則がないから集まりであり、会ではない。海に対する思い、友に対する思いを持ち続けられるOB会が欲しい。