ある日、私達の所に離れた部落の漁師が訪ねて来た。戦争で沈んだ駆逐艦があると言う。沈んだ時に見ていたし、水面から覗き込むとマストの尖端が見えるという。沈没船はロマンだ。それに、船名が判れば私たちが第一発見者になる。鉄が高い時で、戦争で沈んだ船のサルベージと解体が盛んに行われていた時代だった。お金にもなる。漁師もそのつもりで訪ねて来たものだった。とにかく行って見よう。
こうゆう話の常で、あると言った場所の上に船を持って行っても見つからない。小さな入り江の出口のところだったが、見当たらない。本式に捜索すれば見つかったと思うが、ボンベも1本だけ、それもコンプレッサーがついに壊れてしまって、80㎏/c㎡までしか詰まっていない。
あきらめて入り江の岸に舟を着けた。どこに行ってもすぐに水に入って素もぐりをする。驚いた。海底は一面に奇妙なキャベツのようなサンゴで覆い尽くされている。名前がわからないので、とりあえずキャベツサンゴと呼ぶことにした。東京にもどってから調べて、ミドリイシが静かな入り江で形づくる葉状群体であるとわかった。後に造礁珊瑚の図鑑も作った白井先輩だが、その時はまだ造礁珊瑚の知識はそれほどでもなかったようだ。
沈没船のあたりでは、橋本先輩が潜水したのだが、先輩は、30キロの空気を残してくれた。コンプレッサーはもう動かない。これが最後の空気だからと、僕に使わせてくれる。まだタンクを使って潜ったことがない。これが最初だ。「須賀は、素潜りが上手だから、かえって危ないのだ。素潜りのように、息を止めて浮き上がると肺が破裂して大変なことになるから」と注意されて、タンクを背負った。教えてくれたのはそれだけだ。マウスピースをくわえて呼吸すると空気が口から流れ込んでくる。水に足を踏み入れて、水面を泳ぎ出す。スキンダイビングで、いつも見慣れた水中であるが、スクーバから呼吸すると、まったく別の世界のように見える。自分の心臓の鼓動が聞こえる。足は意識しないでもいつものように動いてくれる。目の下には、造礁珊瑚がひろがる。頭を下にして、潜り込む。キャベツサンゴすれすれに進む。水深は5mぐらいだ。目の前を大きな魚、1mはあるように見えた。ゆったりと通りすぎて行く。あとから、その魚はハマフエフキダイだとわかったけれど、その時はまだ知らない。はじめて潜水器を着けて、地球上の海に潜った体験は、その人にとって、月面をはじめて歩いた人類の驚異に匹敵するかもしれない。月を歩いた経験はないので、あくまでも想像だけれど。この時の光景は、何時でも思い起こすことが出来る。
とんとんと肩を叩かれる。橋本さんが息こらえで潜ってきて私の肩を叩いている。もう上がれと合図をしている。まだ3分も潜っていないのに。
始めてアクアラングで潜ったのは、昭和三十一年(1956)の夏の終りだった。