ダイビング指導の回顧をするつもりが、奄美大島に脱線してしまった。ブログだから良いだろう。
とにかく帰る日が来た。僕だけが一人で帰る。なぜ戻らなければならなかったのか覚えていない。
お土産にバナナを一房買った。その頃、バナナは貴重だった。子供の頃、1本のバナナを食べさせてもらうのは大変だった。
今、100円ショップで、4本100円で買える。
もう、昭和30年代には、食糧事情は、ほとんど今並みになっていたから、バナナは東京で珍しいものではなかったが、こんなに大きい、見事な房で見た事がなかった。フィリッピンなどからの輸入の無い当時、バナナは、奄美の特産だったのだ。
油井から、舟で古仁屋に行き、一泊して、またあの山道のバスで、名瀬へ、そして、船で鹿児島へ、当たり前だけれど、来たときと同じコースをたどる。その道程をバナナを担いで東京に帰るのだ。幸せな時代だったと思う。
長い月日がたち、グーグルアースで、瀬戸内の油井に接近してみた。古仁屋から油井には立派な道がついていて、油井のあたりには、養殖の筏が並んでいる油井小島の真珠養殖はどうなったのだろうか、油井小島にあった、昔の建物が見えない。