川俣は車椅子の生活になり、小便も垂れ流しになった。減圧症のリハビリは辛い。足の筋肉が歩くことを忘れていないうちに、まだ足の感覚がないうちに歩行訓練をしなければならない。人それぞれ生理的な条件が違う。年齢もある。歩けるようにならなかった。
仲間内ではなぐさめない。あいつは根性が無かったから歩けるようにならなかった。と悪口を言う。そんな世界だ。
しかし、川俣は根性が無い男ではない。車椅子に乗っても潜水はあきらめない。辛くても、悔しくてもギブアップしない。
その後、1988年、社会スポーツセンターで社会体育指導者の講習が行われた。スクーバダイビング指導の公的資格というのがキャッチフレーズで、僕は、仲間と言う仲間、人脈と言える人脈を底引き網を曳くように呼びかけた。川俣には声をかけなかった。半身不随では、ダイビングの指導はできない。
川俣は来るという。実は迷惑である。彼が来る空港へ迎えに出て、会場まで連れてきて、世話もしなければならない。あくの強い男だから、嫌っている人も居る。泳げない指導者など資格を与える必要は無いという意見もある。
社会体育指導者の講習には実技科目がある。
しかし、指導は、水に入ってする指導だけではない。講義もある。川俣は九州地区の潜水士資格の講習の講師も長くやっている。来てもらうことにした。それでもなお、意地の悪い人がいる。実技をやらせろと言う。茨城県海洋高校の潜水訓練プールまで来てもらった。
もちろん泳げるわけは無い。一応、ウエットスーツは着た。形だけは出来て社会体育指導者になった。こんな資格など何の役にも立たないと相手にしない指導者も多い。アメリカルーツの指導団体は、この資格に反対してもいる。それでも、川俣は、本当に這ってまで来てくれた。
それに報いることは何もできない。この資格は、事実役に立たない。排他的な資格ではない。大学卒業と同じである。インストラクターもダイバーも大学を出ていなければできない仕事ではない。社会体育指導者の資格はなくてもダイビングの指導はできる。
それでも、川俣は、僕たちのやっていることだから、どうしてもいっしょにやりたかったのだ。
茨城県立海洋高校の潜水訓練プール、川俣はここでは泳がなかった。泳げなかった。