川俣も僕と同じように人工魚礁の調査もやる。僕は調査するだけだったが、彼は、人工魚礁を作ることまでやった。実際に潜って観察していると、ここはこんなふうにしたら魚が集まるのに、とか思うことが多い。そこで自分で工夫して作り出し、売ろうとする。
川俣は、ウツボとイセエビの関係を考えてイセエビの集まる魚礁、イセエビ礁を考えた。
ウツボとイセエビの関係というのは、まず、イセエビの天敵はタコである。タコに出会うと食われてしまう。タコの天敵はウツボである。ウツボに攻撃されると、タコは足の一本は食われてしまう。食いつかれた足を捨てて逃げるしかない。
次にイセエビとウツボの関係であるが、これは微妙である。イセエビがウツボに勝てば、これは三すくみ、ジャンケンの関係になる。
イセエビがウツボに勝つとは思えないが、とりあえず仲良しであるということにして、ウツボが集まる空間があり、イセエビも集まる隙間があるイセエビ礁を川俣は考えた。
そして、なんとか鹿児島県の補助金をもらって、試験礁をつくり、沈設した。
こうゆう話は、テレビ局的にわかりやすい。三すくみの形は面白い。もともと、川俣はテレビに売り込むのが上手である。テレビ局が取材してくれることになった。しかし、予算のあるような番組ではない。「次郎ちゃん手伝って。」ということになった。ギャラは、交通費プラスすずめの涙である。行くしかない。
かつて、鹿児島に川俣に呼ばれてゆく時には、鹿児島空港に花束を持って若い女性が出迎え、そして、夜は指宿温泉で豪遊という条件だった。この条件がかなえられたためしは無かったが、とにかくそういう話だった。さすがに車椅子になってからは勢いがなくなり、花束贈呈の儀式は省略だった。
一緒に潜って案内するという話だったから、どうやって潜るのか心配だった。幸いにして、現場に到着するころには、彼が潜る話は無くなり、アシスタントというのも、彼の義理の息子であり、潜ることは無く、テレビ局のカメラマンは陸上で、車椅子の彼を撮影し、僕は一人で潜って撮影した。
3mぐらいの高さのイセエビ礁が二つ並んでいた。幸運にもイセエビが何尾か入っていた。
そして、ウツボは?話によれば、ウツボが入るように丸い横穴が何箇所か開いているということだった。確かに穴は開いていた。しかし、やはり川俣は馬鹿だと笑ってしまった。穴が細いのだ。径が5センチぐらい。これではウツボは入れない。アナゴの入る穴だ。アナゴだって東京湾でのアナゴ漁に使う管はもっと太い。何を考えているのだ。
しかし、とにかくウツボを探さなくてはならない。ウツボは、礁の底の部分、砂地との隙間に居た。とにかくそのウツボを撮影した。
砂とブロックの隙間は、やがて砂で埋まってしまう。ウツボの住むところは無くなる。そんな心配はしなくても大丈夫、ウツボはどこにでも入り込む。イセエビの部屋にも入るだろう。川俣の設計した細い穴に入らないだけだ。
とにかく、テレビ番組的には成功した。イセエビが居て、ウツボが居たのだから、あとは川俣の口先三寸でなんとかなる。