1980年のことを書いている。考えてみたら、30年前だ。ぼくは44歳、もっと若い頃、ぼくは44歳で死ぬと思っていたから、死ぬ年だ。
そのころの写真がないので、困って探していたら、マリンダイビングの1980年10月号を見つけた。手に取ってみたら、めちゃくちゃに面白いのだ。もちろん僕のノスタルジアもあるけれど、とにかく面白い。
数日前に図書館に行き、最新号のマリンダイビングを見た。あまり借りる人のない雑誌なので、いつでも借りられる。マリンダイビングが悪いのではなくて、ダイビングがマイナーなのだ。ダイビングワールドは、廃刊になってしまった。
最新号のマリンダイビングが、悪いけれど全然面白くないのだ。借りても読まない。ぼくがいけないのだろうか。僕が読まないような者こそ売れるから、つまり僕がずれている?からこれで良いのかもしれないが。
1980のマリンダイビングがあまりに面白いので紹介することにした。
まず、対馬沖に日本海海戦で沈んだロシアの軍艦、ナーヒモフ号の財宝を探る テンオーの記事がある。笹川良一さんがお金を出したプロジェクトで、僕もかかわったので、このことを書くと、本が一冊書ける。書きはしないけれど。
そのうちにブログで書こうかな。
とにかくテンオーの話は夢と冒険ストーリーだ。
このプロジェクトにかかわった人の写真が載っていた。全部思い出の人だ。
全日本水中スポーツ選手権大会の記事がある。ずいぶん大きく扱ってくれたものだ。僕が全日本潜水連盟でやっていた大会だから、扱ってくれなかったのだと思っていたのだが、誤解だった。
今は亡くなってしまった益田さんの顔が見える。
益田式フリッパートレーニング法という記事もあって、泳ぐフォームの図があり、今読んでも参考になる。
ロンディンL、ロングフィンの元祖の記事もある。
そして、「全国ダイビングスポット利用者会議」、これはそのころ真鶴がダイバー立ち入り禁止になり、ダイビングの指導団体が立ち上がって闘った話だ。議長に、今はバリアフリーの潜水を主にしている椎名勝巳君がなっている。写真を見るとみんな若い。
みんなそれぞれ大きなページをとっている。
広告では、ハーネスでもつけられるホースネック、胸かけ式のBC.がある。価格は40000円代だ。これで充分だったような気もする。
そしてようやく人気の出始めたスタビライジングジャケットの広告。こちらも40000円代だが、現在のBC.に近い。
全ページを紹介したくなってしまうけれど、1980年はこんな時代だった。