一応の撮影が終了して、顔を水面に出し、みんなにお礼を言ってから、舟に上がろうとした。助手で来ていた河合君が、「須賀さんやられました」と手首を見せる。赤い血の点が二つついている。海蛇の噛み跡に見える。
このウミヘビは、エラブウミヘビ類 Laticauda SP. でおそらくはアオマダラウミヘビであろう。「今泉忠明著 猛毒動物の百科によれば、「エラブウミヘビは卵生であって、年に一度は大群をなして上陸し、海岸の洞窟や岩の陰などに産卵する。ハブの20倍とも言われるほと猛毒だが、幸いにして性質はおとなしい。
今泉さんは、水産大学の後輩で、同じく潜水部で、今は博士課程を卒業した、インストラクターの今泉智人君のお父さんである。
おなじ水産大学の先輩で、兄貴分である白井祥平博士の「有毒害生物大辞典」によれば、性質はおとなしいが、1980年に子供がリーフで噛まれたことがある。幸いにして、毒は注入されなかったが、噛まないというのはウソである。とあった。
白井祥平博士の「有毒害生物大辞典」より、
僕は青くなった。ハブの20倍である。すぐに死ぬはずだ。頭の中をさまざまな思いが駆け巡る。
しかし、これは性質の悪い冗談であり、赤い血の点は、サンゴに傷つけられたあとで、傷が付いたのを幸いにして僕をからかったものだった。
悪い冗談だ。
ところで、なぜ、腕に抱き抱えたりしたり、ドンゴロスの袋に手を入れたりしたのに噛まれなかったのだろうか。
一つには、ウミヘビが弱っていたこと。
これは、後にナショナルジェオグラフィックで見たのだが、海蛇の毒は猛毒だが、体の中で生成されるのに時間がかかる。一度、なにかに噛みついてしまうと、1っか月ぐらいは無毒の状態になるのだそうだ。
川口浩隊長は、それ以後体調があまり良くないじょうたいになった。僕の次の撮影は、オーストラリアのグレートホワイトシャークの予定であった。川口探検隊では、このグレートホワイトも何本もオンエアーしている。
しかし、その大部分、その中心となるシーンは、オーストラリアで買ったものだった。今度は買わないで、本物を僕が撮ると張り切った。チケットもとり、ビザもとったのに、寸前で中止になった。
隊長は癌だった。そのご手術して、回復し、何本か探検隊を撮ったが、僕と一緒にはならなかった。
僕は、女探検隊を撮りに、バヌアツに行き、横井庄一さんと美女のサバイバルをフィリピンで撮り、アントニオ猪木と7人の子供たちをパラオで撮ったが、川口さんは亡くなってしまった。
今、僕の手元に、川口さんと撮った蛇島のテープがない。
誰かに貸して、返してくれなかったのだ。
水曜スペシャル、川口探検隊ファンサイトで調べても、僕の「蛇島は存在した」はビデオになっていない。