おかげさまで、夏、全開みたいになった。しかし、これが夏の頂上、これからは秋に向かって下る坂道。すぐにそんな悲観的にかんがえてしまう。
まだまだ夏は続く。エンドレス・サマーだったら良いのに。
暑かったからもあり、辰巳の練習会は満員だった。初めて、何人かの人をおことわりした。
ダイブコンピューターが壊れて、修理に出したら、モスキートはもう製造中止だとかで、D-4に換えてくれた。D-4は、フリーダイビング、スキンダイビングの記録がとりやすい。
さっそく使ってみて、ショックを受けた。僕は20秒しか潜っていない。潜れない。水深5mで25m潜れれば良いとしていたのだが、これで20秒なのだ。せめて40秒ぐらいまでのばしたい、と思うと危ない。時間を目標にして、ブラックアウトした人を何人も知っている。時間は封印しよう。
5mの底であおむけになり、連続して輪を出している人がいる。プロダイバーの湯浅さんだ。昔の僕は、あんなふうだっただろうか、と思う。
ちょっと話をした。「三浦の佐藤さんをしっていますか?」と聞かれた。遠い昔、逗子で、マリンフェニックスというショップをやっていた。僕の主催した、神津島での水中狩猟大会でチャンピオンになった。1965年の夏のことだったと思う。どうしているか心にかけていた。5年ぐらい前、風のたよりで、まだ作業ダイバーをやっていると聞いた。湯浅さんによれば、まだ現場に出てきているという。もう潜らないけれど、まだ体はよく動くそうだ。
僕は、潜るけれど、身体はもう、現場仕事はできない。動けない。
それでも湯浅さんは、「よく動きますね。」と言ってくれる。
なんとかあと6年、80まで現場で仕事がしたい。
これから、新しいチャレンジ、新しいダイビング活動の団体を結成するのだが、80までになんとか見られる形にしたい。
自分が現場に出なくなったら、畳の上の水練である。なにもわからない奴がマニュアルを作ってもだめだ。いま、ソロダイビングのことを書いているが、ことさらにソロなどという必要もないくらい、仕事は一人でなければできないのだ。そこで、バディシステムとの折り合いをどうつけるか。自分が潜って仕事をしていなければ、バディシステム絶対と、軽く言っておわりにしてしまう。そこから先が問題なのだが。
湯浅君は、奥さんと一緒に、これは幸せなバディだプールに遊びに来てくれる。仕事はきっといつも一人だろう。
事務所の前を神輿が通り過ぎる。深川八幡の二番目の神輿が通る。見物人もすごい。
神輿が来る前、若い人たちの太鼓、これが各地で流行しているらしい。盆踊りの時にも櫓の上で叩くし、何かといえば、景気づけに太鼓は良い。若者たちの太鼓だ。
おばさんたちは、ハワイアンを踊っている。これも、流行りだ。
太鼓とハワイアンの後に神輿が来た。先導は、深川の芸者さんたちが「木遣り」を歌って来る。
これで、夏が行ってしまう。また情けないことをいう。ダイバーの季節は秋だけれど、僕はやはり夏が好きだ。
ついでに、書いておこう一昨日買った、「死神を葬れ」とんでもなくつまらない本で、腹が立ち、最初の四分の一を読んで、結末を見てしまい。放り捨てた。こんな本で全米で、30万部売れたなんて、信じられない。本はやはり宣伝なのだろう。