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2009年 09月 23日
駆逐艦「追風」ー1
水深60m 駆逐艦追風の船首砲 トラックに行き、トラックについて考えれば、どうしても太平洋戦争に思いが回る。もはや太平洋戦争は、遠い昔のことである。昔のこととは、その出来事を体験した人が生きていない、生きている人がわずかになったということである。 そして、トラック島で一番印象に残っている船、そして、一番熱心に撮影し、小さなテレビ番組までつくってしまった船が、駆逐艦「追風」である。 探していた資料も部分的に見つかった。もっとも、一番大事な「追風」に潜った時のダイビングプロファイルが欠落しているのだが、それは仕方が無い。残っていた資料でも何とかなる。 書くことに少し時間をとられても、この機会に、僕と、駆逐艦「追風」の話をまとめておくことにした。 ブログにまず書いて、まとまったら、HPに移そう。 まず、第二次世界大戦のこと、太平洋戦争から書き始めなければならない。戦争論を展開していると、トラック島に行き着かなくなるから、簡略にしよう。 太平洋戦争は、僕が小学校の3年生の時に終戦、戦争が終わった。小学生、そのころは国民学校の低学年だから、戦争体験者とは言えないけれど、いっぱしの軍国少年だった。小学校低学年の軍国少年だから、右翼でもなければ、左翼でもない、イデオロギーなどもちろんわかるわけもない。大きくなったら、国のため命を捨てて戦おう。できれば、特攻隊になりたい。そういう子供だった。今、特攻は愚劣な戦術だと思っているけれど、軍国少年がいたから成立した戦術だった。 そして今、トラック島には、沈船と言う形で太平洋戦争のモニュメントが、具体的な形で残っている。 サイパンに行くと、バンザイクリフ、日本人の非戦闘員が玉砕の時に飛び込み自決をした崖がある。しかし、その崖を見ても、現在何があるものでもなく、写真とか碑で、その事実が知らされ、想像力で当時の様子を思い浮かべるだけである。 トラック島の沈船は、今も尚、沈められた時の姿で海底に残っている。美しいソフトコーラルに飾られ、少しずつ風化して行くのであろうが、風化する度合いは、陸上よりも水中の方がゆるやかである。そして、アメリカ人ダイバーにとっての沈船ダイビングのメッカになっている。 僕が最初にトラックに来て、吉村と一緒に潜水したのは、1987年、昭和62年m7月30日から9月8日であった。 吉村の、「トラック大空襲」が出版されたのが、昭和62年の1月と奥付にあるから、出版されたすぐ後のことだった。 ※テレビ番組取材のいきさつは、前回のブログに書いたが、まとめるために、くりかえそう。 この本の帯を見ると、12年の歳月を投じた感動の異色戦記、とある。吉村は、12年間、このラグーンに眠る遺骨の収集を取材していたのだ。 第二次世界大戦、太平洋戦争で海に消えた日本人の遺骨をすべて収集するなどということは、出来ることではない。遺骨の収集を担当する厚生省は、そのまま静かに眠っていてほしい。御霊は、靖国神社に戻ってきていて、祭られている。トラック島に沈む船は、そのまま墓所であり、日本人遺族は、参拝にトラックにでかければ良い。トラック島政府ももとより、日本人がたくさん墓参に来てくれれば、うれしい。だから一つのモニュメントとして、遺骨はもちろん、船に積んであるものすべて、一品たりとも水面に持ってきてはいけない。これは、今でもそのように決められている。 しかし、問題はこの島を訪れる外国人、主にアメリカ人ダイバーである。今もそうであるように、スクーバダイビングが盛んになるとともに、トラック島は沈船ダイバーのメッカになった。遺骨収集が行われない前の沈船には、至る所に遺骨があった。兵員を輸送していて沈んだ愛国丸などは、船室に入ると遺骨の山であった。アメリカ人ダイバーは、遺骨を手にする。中にはその一部を折り取って記念として持ち帰る者もあった。これでは、静かに眠る墓所ではない。トラック島のように、人の目に触れる場所については、収集して荼毘に付し、祭りなおさなければならない、と言うことになった。吉村はこの遺骨収集を取材するとともに、トラック島の沈船すべてに潜り、遺骨の状況などを撮影したいと考えた。 また吉村は、当時まだ見つけられていなかった駆逐艦「追風」と「文月」を見つけようとも思い、努力の末「追風」を、昭和60年1985年に、水深70mの海底でついに見つけた。この本は、あと一息で「文月」も見つけられるというところで終わっている。 そして、文月」も1986年には見つけ出した。外国人の沈船ダイバーの間では、もしも、新しい船を見つけたなどということになれば、英雄である。しかも、水深70mの駆逐艦である。吉村は大変な英雄なのだが、トラック大空襲は、日本語で書かれている。国際的なヒーローにはならなかった。 そして、1987年僕が同行したテレビ番組は、日本人兵士の頭蓋骨から金歯を抜き取ってアクセサリーにしている外国人ダイバーがいるという情報についての検証をする取材であった。 吉村は、全日本潜水連盟の中部支部のインストラクターでもあり、伊豆の海洋公園で、すでに話し込んだこともあったので、直ぐに親しくなった。その後、僕がアアク・ファイブだからということで、彼は岐阜で、アアク・エイトという水中撮影の会社を興すこともその時に相談して、決めた。 1987年には、まだ遺骨があったが、今、僕たちが潜っても遺骨は見られない。しかし、アメリカ人ダイバーは、船室の中を覗いたりすると、遺骨を見るはずだ。トラック人ダイバーのガイドが、アメリカ人ダイバーの動くコースに遺骨を置くのだ。僕たちには見せないように、どこかに隠してある。僕たち、日本人には見せないようにするというのも、ひとつのデリカシーだろう。 商売道具として隠しておいて見せるということについては、ビジネスである。幸いなことに、この島で軍人が現地人に暴虐行為をしたという記録は無い。あったら、とても彼らと仲良くする気持ちにはなれない。現地人は、できるだけ仲良くしよう、教え導こうとした記録は残っている。しかし、異民族として君臨することによって、彼らのプライドを傷つけたことはまちがいない。日本人に悪意は持たないけれど、ビジネスの対象である。そして、間違いなく島国だから、日本人の言う、島国根性は非常にドライな感覚で表現される。 例えば、吉村は、沈船を探りそれは協力者のブルーラグーンダイバーズショップの財産になるのであるが、吉村は、ダイビングの費用をきちんと請求されている。 当時のオーナーのキミオさんは、気の毒だとだいぶディスカウントしてくれたが、それもサービスとしてである。このあたりは、日本の漁業組合と共通している部分がある。僕たちが水産の調査をする。それは、漁業者のために他ならないのだが、しっかりと船代を支払わせられる。払わなくても良いと言ってくれるところは、ほんの数箇所である。これは、海で生きる零細業者として、僕もそうだけれど、お金は払ってもらわなければ生きられない。海の中にある全ては、仕事の道具として、仕事の対象として考える。だから、彼らが遺骨を道具として扱ったところで、それはそれでかまわない。ただ、日本人として、感じるものがある。だから、見せないように、しまっておく。それで良いのではないかと思った。 今回の旅で、末永さんのところに、僕たちと並行的に来ていた女性二人組みのダイバーが居た。あいさつぐらいしようかと思ったのだが、刺青などした格好の良い人だったから引いてしまった。聞けば、彼女たちは日本の戦争の跡としての沈船に惹かれているとのことだった。話せば良かったかなとも思う。 kuく
by j-suga1
| 2009-09-23 16:15
| 旅行
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