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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2009年 09月 26日
9月26日(土曜日)
24日のつらい外房調査潜水の効果は抜群だった。よれよれで出かけて行ったのだが、なんとか元気になり、25日の辰巳、サブプールの練習会でも泳いだ。 そして、今日、朝9時30分から夕方16時15分まで、必殺の7時間、潜水士国家試験の講義もやりとげた。 駆逐艦 「追風」-2 疾駆する駆逐艦「海軍水雷戦隊:大野景範+原進:第二次世界大戦ブック28 サンケイ出版:昭和55年」 の裏表紙 追風 ではない。 太平洋戦争だが、戦略的に考えて、なぜこんな戦争を終末点を設定しないではじめたのだろう。 海に囲まれた日本は、海洋国家ではなく、農業国家であった。海を護りの盾として鎖国した。そして、士農工商の時代には、日本人は国民としての意識も持てなかった。外国のことを知らせられていなかったのだ。 それが明治維新で、国民意識が勃興して、運良く三つの戦争、日清、日露、第一次大戦に勝利してしまった。今、「坂の上の雲」が人気がある読み物だが、これは日本が勝利する物語であり、読んでいて心地よいからである。その延長線上に太平洋戦争があった。 戦いに勝ち続けてきた国民の感情が戦争に傾くことは理解できるけれど、戦争の目的を明確に設定せず、勝利のみが目標であるとして戦った指導者は愚かである。 戦術的に見ても愚かであった。海に囲まれた国日本は、シーレーンが命綱である。このことは、今も昔も変わらない。日本に運ばれてくる石油がとまれば、日本の息の根はとまる。シーレーンの確保だけが、太平洋戦争の始まりでもあり、目標でもあったはずである。補給のことを考えずに遠くニューギニア、ガタルカナルに攻め入った。そして、補給が出来ずに大部分の兵士を飢え死にさせながら、なおも、輸送船団を大事にしなかった。トラックに沈む船のほとんどが、日本の誇る高速商船隊だった。 トラック環礁は、太平洋の中の巨大な湖である。そして、四方の水路から、大きな軍艦が、例えば戦艦大和も入ってくることができる。第一次世界大戦の勝利で、日本が統治権を戦敗国のドイツから、取り上げることになって以来、太平洋での最大の拠点となった。 太平洋戦争では、戦艦大和も武蔵もここに停泊しており、連合艦隊司令官の山本五十六も、大和とともにここにあり、事実上の日本海軍の前線拠点として、最強、最大を誇った。 しかし、終末点を想定しない愚かな戦争は、勝か負けるか、海の戦いで、物量、資産で劣る、劣りすぎる日本に利があるわけもなく、次第に追い詰められてゆく。 日本の誇る連合艦隊は、トラックに泊まっていたが、昭和19年2月17日、18日の空襲を察知して、10日ほど前に、マリアナに避退してしまっていた。なぜ、輸送船団を先に避退させ、戦う連合艦隊が残らなかったのか、せめて一緒に避退しなかったのか。輸送船は、戦力としては考えない、補給軽視を象徴するような出来事であった。 昭和60年:1985年の取材は、金歯のアクセサリー化を問題にしたテーマであったが、駆逐艦「追風」にも潜水した。 これが、僕の「追風」の出会いであった。 トラック島の沈船で、僕が興味を持ったのは、仮想巡洋艦「愛国丸」と駆逐艦、「追風」「文月」であった。ここでは、愛国については触れないが、沢山の人が死に、遺骨の収集が難儀であった。 駆逐艦「追風」は、その悲劇的な最後に強い印象を受け、また、水深70mというのも、深い潜水を仕事にしていた当時の僕にとって、絶対に潜りたい船であった。 駆逐艦は高速である。34-38ノットで走る。小さなダイバーボートでも30ノット出る船があるが、全速で走ると、船の両側が水の壁になる。駆逐艦は。大きさは1000-1500トン程度、軍艦としては最小である。大型艦の砲弾が命中すれば、たちまち撃沈されるが、高速で突撃し、魚雷で、大型艦を仕留めることが出来る。駆逐艦よりももっと小さく、もっと素早いのが、水雷艇である。水雷艇は、あまりにも小さく、大型艦の大砲では仕留めにくい。水雷艇を追い散らす、駆逐するために作られたのが駆逐艦である。水雷艇は、あまりにも小さすぎて、大洋を航行して遠距離に出かけることができない。駆逐艦は、大型艦と帯同し、あるいは輸送船団と帯同して、護衛の任務につくこともできる。太平洋戦争で一番働いた、一番戦ったのが駆逐艦であった。 その駆逐艦が4隻トラックには沈んでいるが、それぞれ走りながら戦闘しながら沈められているので、輸送船団の近くには沈んでいない。主島である、モエン(旧春島)から遠く離れている。船が小さいので、見つけるのも困難であった。 吉村は、それまで見つけられていなかった「追風」と「文月」を発見した。 「追風」は、1920年 大正11年に一番艦が完成した神風クラスで、全部で9隻作られた。1925年の竣工である。長さ99.6m、幅9.16m 速力は37.25ノット、1270トン 太平洋戦争では、1等駆逐艦としては旧型であるが、よく戦った駆逐艦である。 なお、駆逐艦、水雷艇については、 「駆逐艦入門:木俣滋郎:光文社NF文庫:1998」 「海軍水雷戦隊:大野景範+原進:第二次世界大戦ブック28 サンケイ出版:昭和55年」 を参考にしした。
by j-suga1
| 2009-09-26 18:24
| 旅行
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