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2009年 09月 29日
9月29日、昨日は外房の調査に出た。
相変わらずの波だったが、なんとか、水は見えるようになった。10mは見える。それでも写真にすれば濁っているが、なんとか調査はできる。 これから、このボートによじ登る。 何とか見えるけれど、きれいな写真は無理だ。 「追風」の話にもどろう。 これは、在りし日の「追風」 「追風」の沈没の状況は悲劇というか不条理である。 この項については、吉村の「トラック大空襲」によった。 まず、2月15日、トラック環礁で修理を受けていた、軽巡洋艦「阿賀野」が修理不十分であるが、自力航行が可能になったので、すでに、トラックから引き上げていた連合艦隊の居るマリアナに戻ることになった。「追風」はこれに随伴、護衛して、マリアナ(グアム島、サイパン方面)に向かった。 ところが、トラックの北250キロまで戻ったところで、米国の潜水艦に襲撃され、航行が不自由な阿賀野は沈められてしまう。阿賀野の乗組員は「追風」に救助され、489名が、「追風」に、「追風」に随伴していた駆潜艇28号にも128名が救助された。その時すでに、トラックは空襲を受けており、混乱とパニック状態にあった。トラック基地からは、救助を終了した「追風」はサイパンに向けて回航せよとの指令を受けて、そのままサイパンに向かった。 しかし、その後、17日の午後四時、トラック島の海上護衛隊司令部より、ただちにトラックに引き返して艦船護衛の任務に付けという指令が入った。「追風」は、トラック基地を後に内地に帰投するということで、ほとんどの武装を降ろしてしまっている。そして、満員の救助者を乗せている。しかし、命令である。 「追風」はトラックに引き返す。そして、18日の朝、トラック環礁北水道から、環礁②突入する。たちまち、爆撃と雷撃を受け、魚野泰弘艦長は、機銃掃射で即死、救助されていた阿賀野の砲術長が指揮をとったがこれも戦死、そして、7時30分ごろ、雷撃の魚雷で、「追風」は二つに折れて、沈んだ。沈んだ後、水面に浮いていた、生き残りの兵士たちは、米国機の機銃掃射で次々に殺され、生還者は、「追風」から4名、救助されていた阿賀野から22名、戦死者は、「追風」の乗員172名、阿賀野からの救出兵467名であった。 実は、「追風」の受けた、トラックにもどれと言う電文は、まちがいであり、空襲が激しくなったので、サイパンにもどれという電文と交錯してしまったものだと言う。空襲のパニックの中、眼前で次々と船が沈んでゆく。間違いはあり得ることであろう。 「追風」は、水深70mの海底に沈んでいる。 最初に「追風」に潜ったのは、 昭和60年1985年の7月であった。ガイドは、現在ブルーラグーングループのオーナーになっているグラッドビン(Gradvin Aisek)僕たちはアピンと呼んでいる. そして、今はブルーラグーンダイビングショップのチーフマネージャーであるチエニー、二人ともまだ20代の青年だった。「追風」はラグーンの真ん中に沈んでいて周りに目標になる島はない。もちろん、まだGPS など無い時代である。山たてで見るしかない。トラック人のそれもダイバーの視力は異常に高い。僕たちの見えないものでも見る。遠くかすんだ島影を重ね合わせて、山をたてる。それでもなかなか位置がつかめない。吉村が捜索した時は魚探を持っていっていたが、アピンたちは、もって居ない。1時間以上だろうか、もう良いよと言いかけるくらいの時間が経過した。「あった」と指差す海面に、小さな油の波紋が浮いてきている。沈んでから40年以上経過しているのに、船の油が細く浮いてきているのだ。見ていると、ぽつんぽつんと浮いてくる。ロープの先に鉄骨を一本しばりつけたものを海に投げ込み、こつんと沈んだ船に引っ掛ける。何度か引っ張ってみて確認する。これで、GO!だ。 その頃のビデオカメラ装備がすごい。まずカメラが50キロ、水中では中性浮力だが、質量は50キロだ。油圧の三脚に載せたように安定しているが、油圧の重い三脚を押して泳がなければならない。今、ビデオカメラは、カメラ部分と録画部分は一つのもので、手の平に乗る。 カメラと、記録するVTRは別物で、陸上では、カメラマンはカメラを担ぎ、ビデオエンジニアは、VTRを担いで、その間はケーブルでつないで、一緒に走り回る。僕の水中撮影システムは、カメラとVTRの間は、100mのケーブルで結び、大きなVTRは船の上、そのケーブルの総重量がおよそ70キロある。1キロの水中ライトを照らすので、これも電源は舟の上、ケーブルは、電源とライトケーブル、ビデオ信号ケーブルの3本を束ねている。ケーブルは沈んでしまうので、浮きをつけて中性浮力にしている。重くなるわけだ。舟の上では1.2キロワットの発電機を回す。総重量は300キロを越える。総額は1500万を越える。 愚痴を言っているのではない。良かった時代だ。なぜならば、こんなシステムを誰でも持っているわけではない。水中撮影はお金がかかるという考えが、放送局に浸透していた。お金がもらえる。そして、水中撮影は、それだけでお茶の間に人気があったから、 「毎日がお引越し」状態で、働く。あの地獄のグアムトランジットを越えて行く。何か一つを積み残したら、撮影にならない。心配だから飛行機に乗ってから、窓のところにへばりついて、荷物の積み込みを見ていた。そのころはまだ、コンテナー方式ではなくて、一つずつを積んでいる。一旦積み込んだ僕のケーブルを下ろしているではないか。あわてて飛行機から逆戻りして、パーサーにクレームを付ける。 トラックの人が、グアムの病院で死んだので、棺桶を積むために僕のケーブルを下ろしたという。なんとかもっと詰めて乗せてくれなければ困ると、着席しないで粘った。なんとかやればできるもので、積み込んでくれた。グアムは、そんなことばかりだ。 大荷物と、機材が高価なことを、愚痴っているわけではない。NHKとか、局は別として、個人でカメラシステムを持っているのは、数えるほどだ。だから仕事がとれる。僕にとってこの大荷物は、魔法の絨毯に乗って、呪文のような企画書を書けば、地球上どこにでも行かれる。 ビデオ撮影は、カメラマンの腕で撮るのではない。カメラが撮るのだ。いくら上手でも、カメラがなければ何にも撮れない。 カメラが進化して小さくなったために、仕事の競争相手が爆発的に増えた。もはや、手に乗るようなカメラでは、魔法の絨毯ではない。 ケーブル、カメラ、VTR、発電機をボートに積んで、沖に出る。 チェニーは、「ケブル、ケブル」と言って喜んでいる。彼は、何でも言葉を重ねる。「カメラ、カメラ」、今会って、元気かと聞くと、「元気、元気」と答える。
by j-suga1
| 2009-09-29 14:22
| 旅行
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