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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2009年 09月 30日
駆逐艦「追風」
いよいよ、「追風」に潜ろうとしたその時、僕たちのボートとは別のボートが近寄ってきていた。どのような話になっていたのかわからないが、「追風」の場所にボートを繋げるガイドは、何人も居ない。今はGPSがあるから、アメリカのダイビング船であるアグレッサーもオデッセイも楽に位置を出せるのだろうが、その今でも、ブルーラグーンのチェニーなどのガイドは、自分の感と山立ててボートを留める。 1985年だから、「追風」に潜れるチャンスは少ない。僕たちに便乗してやってきたアメリカ人ダイバーである。もちろん、アピンはしっかりお金は取っているに違いない。「追風」発見者である吉村に対しても、僕たちのダイビングに「追風」ダイビングの追加料金をとっているのだから。 僕たちは、12リットルシングルのタンクを背負い、それでは足りなくなる分を、ガイドが別のタンクを持って付いてきてくれるのだが、アメリカ人は、12リットルシングルを日本連結するベルトを持ってきていて、12リットルダブルで潜る。潜るのは米国人二人で、一人は女性で、どうも夫婦のようだ。二人で、潜水器財をボートの上に並べて、確認の指差呼称のようなことをやっている。レギュレーターOK、タンクOKというような感じで準備している。 撮影用ケーブル 追風の船首部分 こっちはどんどん潜水する。僕と吉村のバディ、それにガイドはアピンにチェニー、あと二人、タンク持ちのボーイが付いてくる。全員で6名のチームである。チェニーはケブルを捌いてくれる。 水面を離れて、10mも潜ると、下に、「追風」の全景が見える。トラックラグーンは礁湖の内海だから、透明度は良くても、どことなくどんよりとしているが、「追風」の場所は、礁湖の只中で島から離れているので、透明度が高い。外海の80%ぐらいの感じだ。それでも40mから50mの透明度はある。 「追風」は二つに千切れている。 この画は、2000年に出版された、アメリカの本、「WordWar ⅡWrecks of the Truk Lagoon : Dan E.Bailey :2000」 からとった。547 p のすごい本だ。トラックの沈船のこと全てが克明に書かれている。この本については、後で述べる。 二つに千切れている、後ろの部分に降りた。甲板の上で、およそ60mである。もちろん窒素酔いはする。しかし、問題なく正常である。 ふと見ると、甲板の上に頭蓋骨が置いてある。降りた時には無かったように思うのだが、これは、アピンがどこからか出してきて、僕が撮影しやすいように並べたものだ。 遺骨でも、このように頭蓋骨が普通に転がっているものではなく、ガイドが、一つの観光財産的に、置いてあるものだ。 遺骨を撮影しながら、想う。故国に帰りたいと思っているのだろう。 「海行かば、水漬く屍」だが、もしも、「追風」がトラックに呼び戻されなければ、そのまま日本に帰れるはずの兵士だったのだろう。日本人としての感傷かもしれないが、吉村は帰してやりたいと強く思うらしい。撮影は、吉村を主人公にしたドキュメンタリーだから、遺骨に手を合わせる吉村の姿を撮影する。 彼は、トラックに来て、日本に帰るときは、肩の辺りに日本の兵士の霊が乗っているような感じがするという。そして、発熱と下痢をする。日本に着くと、けろりと治る。心理的なものだろうが、それが、彼を遺骨の収集のための活動をする動機、沈んだ船を見つけ遺骨を撮影するモチベーションになっているのだろう。 この遺骨も連れて帰りたい、厚生省が収集するように仕向けたいと思うのだろうが、アピンたちの道具になっているから、どうにもならない。戦いのことを知らせる、一つの役割は果たしているのだから、それで良いと思うしかない。 1985年、その時の潜水では、僕はダイブコンピューターは使っていない。RNPLという英国海軍の減圧表を使っている。62mで20分の潜水で、15mに5分、10mに10分、5mに50分の減圧を予定していた。 それを何故か、僕は、最終の5mを30分と記憶してしまっている。何かに書いて持ってゆけば良いのだが、単純な数字だから、記憶していれば大丈夫と思っていた。浮上しようとすると、アピンに押し留められた。60分の減圧だと教える。そうだ、50分の予定だった。危ないところだった。 長い減圧は、別のボンベを持ってきて、背中のハーネスに付け替えてくれる。60分は長いから、近くで減圧しているアメリカ人夫妻を見に行く。上がってから、話したのだが、彼らはニューヨークの学校の先生で、やはり、夫婦で潜りに来ている。沈船を潜るのが目的だという。これまで潜った船のリストというのを見せてくれた。手書きの、もちろん英語で、船の名前が連なっている。「追風」は彼らにとってビッグイベントだったと言う。やり遂げたと言う感じで興奮していた。しかし、彼らはカメラも持っていない。何にも無い。ただ、Oite とリストに書き加えるだけだ。 水中で泳ぎからを見ていたが、まるで自転車こぎで、下手くそだ。それでも60mに夫婦で潜る。日本人のスポーツダイバー、レジャーダイビングでは、無減圧が原則である。トラックでは無減圧は通用しない。 、60分の減圧停止で暇なので、アメリカ人の減圧を見に行った。彼らはそのころ売り出された、オルカ社のエッジというダイブコンピューターを使っている。僕はダイブコンピューターは信じられないから、表を使っていた。第一、減圧表の方が安い。深い潜水では、表の方が良いと思っていた。ところが50分を忘れて、30分で上がろうとしている。考え直さなければいけない。
by j-suga1
| 2009-09-30 15:14
| 旅行
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