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2009年 10月 03日
僕たちの撮ったテープは、吉村が知っている遺族会に買ってもらって、実費ぐらいは稼ぎ出そうなどと話し合ってはいたが、そのような面倒なことを実現する時間は、吉村には無かった。僕にはもちろん、そのような時間は無い。そのままお蔵に入った。 1990 年、衛星放送というテレビ放送が出来た。BS,CS 次々に地上波ではないテレビ放送が生まれたが、その一つである。人工衛星で中継して電波を送るこの放送方法に、朝日新聞が参加して、ニュース専門放送が始まった。その衛星放送で、ドキュメンタリー番組が企画される。プロデューサーは、親友の電通プロックスの神領さんだった。 衛星放送、というと、ほとんど誰も見ていないような放送方式だから、予算が少ない。そして生まれたのが放送記者というやりかただった。ちょうどその頃、幅の狭い8mm幅のビデオ、8mmビデオが出来て、これは、なんとか放送に耐える画質であり、小さくて、カメラとVTRが一体化している。放送記者は、このカメラを担いで取材する。そして、自分で編集して、それを見ながら自分でしゃべる。ひとりだとしゃべり難いので、アンカーと呼ぶ女性タレント、女優さん、アナウンサー、とにかくしゃべれる人、つまり自分の言葉が視聴者に伝わる女性と二人でテープを話題にして話をする。ゲストを呼んできて、三人、四人で話し合うこともある。 実は、このやり方こそが、ドキュメンタリー番組の原点とも言える。16mmシネフイルムでの撮影ニュースの主力であったころ、カメラマンはこの16mmを担いで、世界各地、場合によっては人跡未踏の地で撮影し、スタジオで話をしながら、この画像をみせる。牛山純一さんがプロデューサーで製作した日本テレビのドキュメンタリーとして長寿番組である「素晴らしき世界旅行」は、この方式だった。 僕は、この衛星チャンネルのフリーゾーンという番組で、24本も作った。全部きちんとテープをとっておけばよいのに、例によって無くなしてしまった方が多い。それでも、東京の川シリーズ、アラスカの熊、人食いざめの話など、面白かったと思う。当然、見ていて、記憶している人は居ないだろう。そのフリーゾーンで、「追風」の魚野艦長の奥さんをゲストに呼び、沈んでいる「追風」の画を見ながら、話を聞く番組を作った。「追風」の生き残りであった、竹本信一氏も四国に居ると言うことで、これは、吉村君に取材に行ってもらった。そのころ、吉村は、僕のアアク・ファイブ・テレビの姉妹会社、アアク・エイトを作っていた。 靖国神社 奥さんと、魚野さんの妹さんで、結婚で性が変わっている山川さんと一緒にゲストになってくださった。 1991年2月18日、靖国神社に初めて参拝した。神社の境内を桜のころに歩いたことはあったが、建物の中に入っての参拝はない。戦争でなくなった軍人の遺族が、お寺に参るように、靖国神社にその命日に参拝することも知らなかった。カメラは待合室までしか入れないので、神事の様子はわからない。魚野艦長の奥さんは、追風会という遺族の会の会長である。艦長が亡くなっている場合には、奥さんが会の会長になって、船が沈んだ日を命日として、靖国神社に参拝する。 フリーゾーンという番組は、原則として、台本を作らない。映像を見ながら、話すだけである。 生き残り、竹本さん その日靖国神社で撮った映像を速攻で編集してまず流し、続いて、トラックの沈んでいる追風の映像、そして、生き残りの竹本さんの話、そして、トラック環に眠る追風と、遺骨の映像、そして、終わりの部分、魚野さんと妹さんから話を聞く時間は、それほど多くを割いていなかった。 魚野艦長は恋愛結婚だった。そして、一緒にすごした時はほんの少し、「最後の出撃の時は、日本はもう負ける。今度はもう帰れないと言っていました。」そして、子供が生まれたが、娘さんはお父さんに会ったことはない。写真をお父さんとして育つ。そして、艦長の奥さんとして追風会の会長として、再婚はせずに、子供を育てた。アンカーの山本さんは主婦だ。「戦後の長い年月はどんな気持ちで過ごされたのですか。」「振り返って見れば、長いような、短いような年月でした。」そして、「もうこれで、靖国神社への参拝は、もうお役ごめんにしてもらおうと思っています。」とも、 魚野艦長 まだ20代半ばだった。 そして、海軍兵学校で卒業でもらった、恩賜の短剣を見せてくれた。この短剣は優等生がもらう。兵学校の優等生は、将官が保証されている。帝国海軍では、実戦にでない者は将にはさせない。「もう今度帰って来たら、魚野は船から降ろすと決まっていたと後で聞きました。」もしも、生き延びれば、戦後どれだけの活躍ができたことだろう。 最後には、追風の戦没者名簿を伸ばした。 フリーゾーンは、台本がない。リハーサルもない。生放送ではないが、生と同じ、収録をやり直すことはない。 僕はこの番組は失敗したと思った。魚野艦長の生き方、そして、戦後の奥さんの生きてきた軌跡にもっとスポットを当て、中心にするべきだった。終わりの方で話を聞いていて、涙をこらえた。その感動を中心にするべきだった。僕は、沈んでいる駆逐艦のことしか考えなかった。下調べをきちんとして、しっかり構成するべきだった。と反省した。 しかし、それからも長い時間がたち、奥さんは亡くなられ、艦長の娘さんが何度かトラックに見えられたと聞いた。僕の作った行きあたりばったりの番組も、一番本当のことがしゃべれた。一番良かったと艦長の奥さんが話していて、家族の宝になったと妹さんから賀状をもらった。 なにも準備しない、なにも知らなかったから、僕は本当に感動したので、すでに感動してしまって構成したら、わざとらしくなってしまったかもしれない。最後の数分で、奥さんの話を聞いて、エンドになって、だから良かった。僕の作ったドキュメンタリーの中の傑作だったのではないか、と今は思っている。
by j-suga1
| 2009-10-03 16:58
| 旅行
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Comments(2)
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