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2010年 01月 07日
1月7日
新刊の本屋に行くと、やはり読みたい本が見つかってしまう。 ①「軍艦武蔵 手塚正己」②「チャイルド44 トム・ロブ スミス(新潮文庫) 」 ③「決定版 国民の歴史 西尾 幹二 (文春文庫)」の順なのだが、買ってしまえばすぐに読み始めるだろう。今、お尻に火がついている仕事が出来なくなる。なやんだ末に、三番目の「決定版 国民の歴史 西尾 幹二 (文春文庫)」この本は批判する人が多く、しかし、たくさん売れた。おもしろそうだ。結局、①も②も買ってしまうのだろうと予想している。 さて今は、スピアフィッシングのこと、鶴耀一郎のことを書いている。この話題を書くと、何故かヒットの数があがり、書き込みをしてくれる人も出てくる。やはり、昔話となるとスピアフィッシング、ハンティングが一番の関心時なのだろうか。 鶴耀一郎は、一冊の本を書いている。「スポーツ潜水」昭和48年、1973年の発行だ。アマゾンを調べてみたが、一致する商品は見つからなかった。 鶴耀一郎については、個人的な長いつきあいの思い出と、そして、この本からの引用になる。 まず、この本の表紙だが、左側の男性は、世界的な製品を次々と生み出している現在、ダイブウエィズ社の社長、武田寿吉氏だ。武田さんは、新しい団体の理事にもなってもらっている親友だ。この表紙では、三面ガラスでパージバルブがついている、もちろん彼の設計のマスクだ。この表紙のころは、鬼怒川パシフィックの工場長であり、世界的なベストセラーマスクであるマンティスは彼のデザインだ。 そして、鶴耀一郎の写真だ。鶴耀一郎のことを書けば、たぶん本が一冊書ける。ここでは、そんな時間はない。 彼が出場したブルーオリンピックのことを中心にしたい。実はブルーオリンピックのことが書きたくて、鶴耀一郎を引っ張り出したら、V6に話がそれてしまった。 せっかくだから、彼の本「スポーツ潜水」から引用しよう。 「ブルーオリンピック、正式には、「世界水中競技選手権大会」私をふくめて三人の代表選手がはじめて参加したのは、1965年9月にタヒチで開催された第七回大会だった。ー中略ー 西堀君、松岡君、そして私、とにかく何もわからないままで初参加、水中銃にしても、オリンピック用に特製(手製)の銃をつくり、といっても、タヒチで外国選手のものをみると、我々のは、機関銃に対する竹槍といった感じだ。 参加13カ国のうち、個人5位、団体6位、初参加にしてはまあまあの成績だった。かなりの自信はついたが、改めて世界は広いといういことを感じさせられた。28メートルの水深でこれ以上は駄目だというのに、他の選手たちは、あたかもスキューバを突けているかのように、どんどん潜って行く。中には血を吐いてぶっ倒れる選手もいたが、安全管理についても、選手一人にドクター一人、しかもヘリコプターが常時、試合海域の上空で待機しているという万全さだ。 そして、それ以上に感銘したのは、外国選手の潜水スポーツに対する姿勢だ。 「人間は道具を使える唯一の動物だ。今や水中で呼吸が出来る器具だったある。その道具を使い、飛び道具を持って魚と対決すれば、人間が勝のは当然だ。だから魚は素潜りでたちむかうのがフェアだ。」というのだ。 このブルーオリンピックは、基本的にはこの精神にのっとり技を競う。」 次の第八回大会はキューバで行われ、鶴はブルガリアのチャンピオンと競り合って、水深28mで巨魚を突いて勝つた。死ぬ思いで水面まで引き上げた感激についてかいているが、何位に入賞したのかは書いていない。しかし、これで鶴は世界でも有名のスピアフィッシング選手に数えられるようになった。 しかし、第9会のイタリア大会(1969)では苦杯をなめる。 「イタリア大会の出発1週間前、私たち代表選手は、プールでの基礎体力の総仕上げのためのゲームをしていた。ゲームといっても、柔らかいボールのぶつけっこだ。これは大変に厳しい。ぶつけられるのが嫌で潜る。するとどんどんパスされて、顔を出すとたんにぶっつけられる。それがいやで潜り続ける。仕上げのトレーニングとしては最適である。 ※須賀注、こんなゲームが最適であるはずがない。 その最中に、思い切りぶつけてきた相手の手が、私の耳に当たってしまったのだ。そして、不幸なことに鼓膜が飛んでしまったのだ。すぐに医者へととんでいき、最高の手当をしてもらったが、大事をとって一週間は水に入らず、イタリアに着いても、5日かんほどは潜らずにいた。 当然のことながら、いざ競技という段になって大変な苦杯をなめた。ー中略ー15メートル.ほどのとこでも、頭が痛くてどうしようもない。そのうち、鼻血が出てきてマスクの中は血だらけになるし、水面に上がっても目が回っていて周りの景色などまともに見えない。成績は惨憺たるものだった。」 以後、彼は耳のトラブルに悩まされることになったのだろう。その後のブルーオリンピックには、出場していない。そして、鼓膜の移植手術を受けている。たぶん、手術は成功して、30mぐらいまでは潜れるようになったのだろう。僕の撮影では30mまでは潜ってきた。スキンダイビングの大敵は、常に耳抜きであり鼓膜の損傷である。 ジャック・マイヨールは、スキンダイビングで、はじめて70mを越えて、100mにも到達した。人間は、肺のスクィーズで30m以上は潜れないという常識を破ってそんなに深くまで潜れるかを医学的な実験をして、ブラッドシフトという現象を実証したが、彼は、耳のトラブルが無かったのだろう。人間がどこまで深く潜れるかは、耳の問題であり、耳抜のトラブルが起こらないDNAを持っていることが、重要なのだろう。 元旦に中川と車を走らせていた時の雑談で、日本のフリーダイビング、女性チャンピオンである松元恵さんのことを話した。僕は彼女が24歳、竜宮城をやめたあとからの知り合いで、その後、一緒に小笠原にも行ったことがある。僕は娘づれで、女優の応蘭フ芳さんとも一緒だったから、一緒だと言ってもそれだけのことだけれど、とてもセクシイな美女で、豹の毛皮のような模様の水着を着ていた。その時のテープがあるので、そのうちに見せる会をやろうかと思っている。その恵さんも鼓膜を破り、手術をするそうだ。成功することを祈ろう。 とにかく、鶴耀一郎のブルーオリンピックは、これで終わった。終わったもう一つの理由は、日本潜水会がスピアフィッシングをやめたからでもあり、彼はその後、スピアフィッシングを続けるために、魚突き漁師に転向した。
by j-suga1
| 2010-01-07 14:07
| 旅行
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