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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2010年 01月 25日
鶴町が亡くなり、田島も亡くなってしまった。鶴町との出会いの話は前に書いた。田島との出会いの頃を、僕のまだ出版されない本の原稿の中から引き出す。
1970年代後半 日常は、人工魚礁の調査、藻場の調査などをやりながら、大きな仕事が来るのを待っている。じっと海底に横たわっていて餌が頭上に来るのを待ち、来たら飛びつくヒラメのスタイルだ。 昭和55年(1980)岩手県釜石湾口防潮堤の基礎調査工事が来た。名古屋にある日本シビルダイビングという工事会社とジョイントでやる作業である。 湾口防潮堤は、津波が起こったときに被害をくいとめるための堤防である。釜石湾は、リアス式海岸で深い。深い湾の湾口、水深64mの海底から水面高くまで堤防を築き上げる大工事である。石を積み上げるために、船底が開く石積み船から石を落とす。その石が、どのように積み上がったか、確認して行く調査である。普通の空気では窒素酔いになってしまう。ヘリウムと酸素の混合気体を使うことにした。。 ヘリウム・酸素混合ガスによる潜水は、1980年の日本ではまだ実際の作業例は少なく、各方面の注目を集めた。しかし、実際の現場では、連日、高価なヘリウムは使えない。かなり慣れてきた途中からは普通の空気で潜った。減圧は、船上に副室のある小型再圧タンクを置いて、船上減圧で潜水した。船上減圧とは、完全な減圧停止はせず、第一段目の減圧だけをして浮上し、3分以内に再圧タンクに入る。減圧症にかかってはいるのだが、まだ発症しない状態のうちに治療を開始してしまう方式、と考えるとわかりやすい。 この潜水で使った潜水器は、カービーモーガンのバンドマスクであった。重いフルフェースマスクだが、水面からの送気と背中に背負っているタンクと二系統の空気供給を切り替えることが出来、米国のコマーシャルダイビングでは数多く使われている。 60m級の潜水ではエア切れの心配の無いホース送気で潜る。そして、もしも送気装置が壊れたり、ホースが石に挟まったりして送気が停止した場合には、背中に背負っているスクーバタンクからの送気に切り替えて浮上する。また、水中で失神したとき、マウスピースを口から放して溺水することが無いように、顔の全面を覆うフルフェースマスクを使う。これが、国際的なルールだ このシステムこそが、東亜潜水機でやらせてもらった水深100m実験潜水の完成形であったのだが、完成させたのは外国のメーカーだった。 カービー・バンドマスクを着ける田島、たぶん当時22歳 釜石湾口防潮堤のメンバーは、須賀、河合、鶴町、米田、井上、新入社員の田島、以上スガ・マリンメカニックの社員で、フリーの助っ人は、田渕(エンジニアリングをお願いしたチーフダイバー)上村、横田で、現場監督はシビルダイビングの田中君だった。 日本シビルダイビングは、名古屋の会社でお金に厳しい。監督の田中君が契約してきた宿舎に入って見て、「ワン!」と吠えた。八畳間が二つ、襖を取り払って一つにして、全員が寝る。布団は厚さ2cm、窓から光は射さない。夕食のカレーライスには、蝿が入っていた。風呂は無いので向かいの銭湯に行く。近所のお爺さんが入ってきて、毎日、千昌男の「北国の春」を歌う。僕たちも声を合わせて合唱する。今でもこの歌をカラオケで歌うと、涙がにじんでくる。 春から秋へ、長い期間の仕事だったから、休日を作り、体育館で運動したり近くの観光をしたりした。 新入社員の田島雅彦は、その春、茨城県立那珂湊水産高校の専攻科を卒業して入社した。大型漁船の航海士になるはずのところ、ダイバーに転進した。 体育館では、バスケットをやった。僕は中学から高校まで、バスケットのプレィヤーだった。大学一年でバスケットをやめてダイビングに転向して以来始めてボールに触った。フリースローがリングにとどかなかった。体育館で、田島は、腹這いになって後ろに手をまわして両足首を掴み、腹筋で跳ねた。ボクシングのチャンピオン、具志堅がこれをやったのを見た。 ある日、シビルダイビングの社長が視察に来た。良い旅館をとり、マットレスを敷いた上に厚い布団を敷いて寝ている。こっちは厚さ2cmの煎餅だ。同じ社長でなぜちがう。愚痴を言ったら、田島に言い返された。では、明日から良い布団で寝て隠居してください。もう、ダイビングはしなくていいです。「ごめん、僕はここで寝て潜る。」 45歳、まだまだダイビングでは、人に負けないつもりであったが、スクーバ専門ダイバーの常で、ホースさばきが下手くそだった。径が8mm、ホースとしては細いが、水深60mを越すから、120mぐらいのホースを曳いて潜らなければならない。それでも、次第に上達して、終了ごろには、みんなと対等に潜れるようになった。
by j-suga1
| 2010-01-25 11:51
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