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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2010年 02月 06日
2月6日
twitterは、何となく進んでいる。ホリエモンをフォロアーに登録したら、良く書くこと、この人は、一日中これだけをやっているのではないかと思ってしまう。ホリエモンのところに入ってきた村上龍も登録した。もう少し、ダイバーが増えたら、ダイバーだけにしよう。 そんなことをして、息抜きに遊んでいる。 古いことだから時系列を追って行かないとなんだかわからなくなってしまう。 1964年の秋に「どるふぃん」は8-2号で消滅した。 1965年に 僕は水中射撃連盟を作り、神津島でスピアフィッシング大会をやった。 1966年に、潜水科学協会は海中開発技術協会になり、スクーバの講習はとだえた。 1967年、僕たちは日本潜水会を設立して、スピアフィッシングをやめようと唱えた。 1968年、 日本潜水会は関西潜水連盟、中部日本潜水連盟と合同して、ロレックス時計をスポンサーにして、伊豆海洋公園で、水中スポーツの全国大会を開催した。本当の全国大会で、優勝者にはロレックスが賞品にでた。 1969年 八丈島でのブルーオリンピックを契機にして水中科学協会が発足した。、 1971年に水中技術振興協会は消えた。 僕の持っている本はもう表紙カバーが破れてしまっている。これは表紙を開いて、扉の写真。 その頃のダイビングスタイルだ。 この写真は口絵で、摩周湖に潜ったときのもので、スプリングモーターで手巻きの16mmシネカメラを構えている。この写真は初版には載っていなかった。 あわただしい1960年代の真ん中、1966年に僕は「アクアラング潜水」という本を大学の一学年下の浅見国治と共著で書いた。浅見国治は、日本アクアラングを開設するスタッフとして帝国酸素に就職し、アメリカに行き、まだ出来たてのNAUIのインストラクター講習を受けた。日本で初めてのアメリカ指導団体のインストラクターだった。まだ、その頃はPADIは生まれていない。PADI、は日本アクアラングと同系列のアメリカのUSダイバーズ社が、販売促進のために誕生させた団体である。後に独立した存在になるが、とにかく、浅見さんの入社した日本アクアラングとPADIは同系列だから、PADIが出来ていれば、浅見さんはPADIのインストラクター第一号になったはずだ。 アメリカ帰りの、インストラクター第一号の浅見さんのアメリカ直輸入の知識を買って、一緒に本を書いた。以来、僕と浅見さんは、一緒に仕事をするようになる。もともと、同じ水産大学の潜水部の一級下だから、とびきり親しいことはまちがいないのだが、ダイビング指導の仕事を一緒にするようになった。 浅見国治は、潜水科学協会の関東支部でダイビングの講習を引き受けてもいた。その潜水科学協会の講習は消滅した。 そのころは、もうアクアラングという言葉は、商品名であることが、一般に知れ渡っていて、スキューバという名称が採られていた。しかし、僕はアクアラングという言葉が好きだったので、浅見さんを通して、日本アクアラング社の許可を得て、本の題名にした。浅見さんの顔を立てる気持ちも少しはあった。 今、ぱらぱらと頁を繰ると、もちろん古いけれど、我ながら良くできていて、当時のダイビングの様相が良くわかる。講習会のプログラムとして、アメリカのNAUIのプログラムが紹介されている。もちろん浅見さんのお土産である。 二日間のプール講習で、水中着脱まで出来るようにしている。プール実技の終了者に対して、海での講習を行い、これが中級講習会になっている。海でも二日間の講習で、水深10mまでグループ潜水をしている。すなわち4日間の講習で、水深10mまで潜れるようにしている。今のCカード講習とあまり変わらないが、最初に泳力テストがある。水平に25m潜水ができ、5キロの鉛をもって25m泳ぐ、5キロの鉛を水深3mから引き揚げる。フィン・マスク・スノーケルを使う講習に先だって行われる泳力てすとだから、かなりハードである。これならば、4日の練習で潜れるようになる。 次に、ある協会、つまり潜水科学協会で行っていた講習のプログラムが紹介されている。これは、4級から、1級までわかれていて、4級はスキンダイビングだけ、3級でアクアラングを着け、2級で一人前になり、さらに20回の潜水を経験したから、1級が受けられる。1級は、水深10mから8キロの鉛を引き揚げてくるとか、水平潜水40mとか、バディの救助が出来るとか、岩礁地帯へのエキジットとかが項目になっている。 このアクアラング潜水は、日本で初めてのダイビング教本であり、10版まで版を重ねた。ほとんどのダイバーがこの本を読んだと言っても良い。もちろんダイバーの数は、今とは比べものにならないが。 今僕が手にしているのは、第5版で、1970年の版である。 1966年にこの本を書き、1967年に後藤道夫も加えた三人で日本潜水会を企画して立ち上げた。この本のプログラムそのものではないが、これを元にして、3級、2級、1級、そして、準指導員、指導員のランクを設けた。日本潜水会の最初のプログラムは、NAUIのプログラムを下敷きにしている。浅見国治が日本で第一号のNAUIのインストラクターであったからである。 今、アマゾンでアクアラング潜水を検索してみたら、3000円と4500円の2冊が出ていた。
by j-suga1
| 2010-02-06 13:19
| 旅行
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