3月16日
事務所の近くの大横川に、深川さくらまつりの旗が並んだ。遠目に見ても、桜のつぼみが少し膨らんでいるようだ。
浦安海豚倶楽部の練習会で泳いだ。年に一度のスキンダイビング海洋実習をどこにしよう。沖縄慶良間にしようか、それとも沖縄本島か話合った。
ツイットしていて、
「ダイビングは泳げなくても出来るスポーツだよ。 と、プロの漏れが言ってみる」
「プロなんだ…教えてくだされ、ダイビングとスノーケリングって何が違うの?あと、あれはどうやって息してるの?」
僕は書いた。
「スノーケリングは水面に浮いている。スクーバは水中に浮いている。スキンダイビングは水中を飛ぶ。」
それだけの話だ。
ツイットするダイバーは、みんな軽い。ダイビングって軽いものなのだ。それとも軽く装っているだけなのだろうか。僕も軽いのりで、遺書を書いてダイビングをやってきたけど。
飛んでいるお姉さん?とは言い難いけれど、飛んでいる中高年ではちょっと。
昔、僕がダイビングを始めたアクアラングの時代、アクアラングは水中を飛んでいた。クストーの沈黙の世界のオープニングシーンを見れば飛んでいることがわかる。スキンダイビングがアクアラングの基本だった。スキンダイビングでは、フィンは足につける翼で、スクーバではラダーだ。僕は今でもスクーバで水中を飛びたい。しかし、スキンダイビングの後でスクーバを着けるとスキンのようには飛べないことがわかる。そして、飛んだら危ない。時々、スクーバでも水中を全力疾走して飛び上がりたくなるけれど、そんなことをしたら、バディは、取り残されてしまう。バディシステムは飛びたいダイバーのシーアンカーみたいなものだ。
今日も、負荷心電図のことを書きたかったけれど、タイムアップだ。