どうしても、書いたブログが気に入らない。なんとか毎日ブログを更新している。昔の話、魚を突いていた時代のことを書こうとした。しかし、どのように書いても、今の空気に合わない。そんな時代になったのだ。
と言って、急にやめても、別のことを書く時間がない。
焦っている。
魚突きのヒーロー列伝を書こうと思った。今でも現役で潜っている人もいる。もう鬼籍に入った人もたくさんいる。残っている人は、友人では八丈島の赤間さん。館山、波佐間の荒川さん、板田の成田さんはスキンダイビングではヒーローだったけれど、あまり魚を突く名人だった記憶がない。
そんな海の侍のことを書こうと思ったのだが、違うなーという気持ちになってしまう。
水中銃の構造のことを書こうかとも思った。
魚の習性に合わせた突き方を書こうかとも思った。回遊魚を突くときには、正面から突く、とか。でもこれも違う。
魚突きは本当に過去のことになってしまった。
アーサークラークのSF、海底牧場の冒頭では、21世紀、魚突きは世界で全面的に禁止になったのだが、特権階級だけが、密かに魚突きを楽しむというシーンがあった。今の都知事がそんな感じかなとも思ったが、彼も年老いてしまった。
しかし、あの人もスピアフィッシングのヒーローの一人であることは間違いない。
結局書けなくなってしまった。じっくり準備をして、資料、写真を集めて書けば、おもしろい、僕にしか書けないし、日本のダイビングの歴史で重要な部分を占めている。でも僕には、時間が無い。
今日は一日、新しい水中科学協会の第一回、基準とマニュアル月例研究会の準備をして、ホームページに載せていた。
水中射撃のことを書く時間はなさそうだ。
でも、せっかく書いた。没にしようとした部分を少し載せよう。
今のダイバーは、ずいぶん危ないダイビングをやっているなと、twitterを見ながら思う。でも昔のダイバー、僕たちももっと危ないダイビングをやっていた。どちらにしても命がけの遊びだ。
命がけでなければ満足しない。おもしろくない。わくわくしないのだ。
危険なもの、すれすれに行こうとするのが人間の業なのだと思う。
その中で安全なダイビングを目指すのだからたいへんだ。「死ぬのも生きるのも本人の勝手なのだから、当然責任も本人にある。」
twitterを見ていたら、神子元でハンマーヘッドを見たとかジンベイがでたとか盛り上がっている。神子元も思い出が深い。と言っても,実は僕は神子元には一度か二度で、大きなハタを追い回した記憶しかない。思い出が深いのは、仲間が死んだり、流されたり、置き去りにされたり、鮫に追い回されたりの思い出だ。 思い出の一つ、北山さんが、鮫に追い回された話をしよう。
北山さんは、在日韓国人だ。僕には在日の潜り仲間が多くて、クラブを作って会長になってくれと言われたことがある。クラブの名前はと聞くと、在日韓国人ダイビングクラブだという。待ってください。とたのみ、北山さんが会長になった。クラブの名前はセブンシーダイビングクラブ、地球儀の上に足を組んだビキニの女性ダイバーが水中銃を担いでいるステッカーを作った。今、あのステッカーの一枚でも手元にあればと残念がるけれど無い。その後クラブに入ってきたメンバーは、日本人ばかりだったから、これで良かった。
ここまで書いて、先に進まなくなった。本当に遙か昔のことになってしまったのだ。
明日は、お台場のクリーンアップだ。これで14年間続けているが、今年は僕のモチベーションが切れてしまっている。全日本潜水連盟の行事であり、僕は全日本潜水連盟の理事長を辞してしまっている。なんとかして、気持ちを盛り上げなくては、来てくれる人たちに悪い。