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2010年 08月 06日
昔の話をするので、昔の写真を見ている。水中写真はほとんど色あせて輝きを失ってしまっている、これは1960年代の伊豆海洋公園で撮った、僕のお気に入りの写真だった「ウスアカイソギンチャク」。コダクロームで撮った。そのとき、これからはコダクロームで写真を撮ろうと思ったが、結局はそうしなかった。でもコダクロームはすごい。今でも色がかわらない。コンピューターにとりこんでも、色鮮やかだ。これこそ写真だと思う。最近の僕の撮影は写真を撮っていない。ビデオを廻した、その中から静止画を抜き出すというのは、どう考えても写真ではないようの思う。
もういちど写真を撮りたいなと時々思う。うん、こんどやろうかな。 この写真が、良い悪いではない、そのころのカラー写真で見られる色の写真はこれしかないのだ。 コダクロームはISO25と低い感度だ。フラッシュ(ストロボはまだない)の光をあてて、露出をあわせれば、背景はすべて黒くなる。でも、後ろが黒くなる写真を嫌いではなかった。昨日の益田さんのカイダコも後ろは黒だ。 益田さんの話にもどる。僕が益田さんを初めて見たのは、たしか、大学3年生のときだろうか、日劇、あの有楽町の角にあった、大日劇だ。ガールフレンドと映画を見に行った。映画もガールフレンドの顔も忘れてしまったが、映画は二本立てで、その二本の映画の間に益田一のバンドの演奏があった。なぜ、こんなバンドを出すんだ。こちらは映画を見に来ているのに、と不満だったが、益田さんはサックスを吹いていた。もちろん、その頃の僕も、益田さんも、ダイビングなどをやって親しい仲になるなど予想もしていない。ミュージシャンとしての益田さんの実力は知らないけれど、とにかく、日劇にでていたのだから、プロであることは間違いない。 やがて、益田さんは、後藤道夫とか菅原久一先輩などのてほどきを受けて、ダイバーになる。そして、1964年、伊豆高原に東拓伊豆開発がシャボテン公園と海洋公園をつくる。まだ伊豆高原などと言う地名はなかったのかもしれない。もちろん、伊豆急が開通するのはもっとあとだ。伊東からバスに乗って行く。海洋公園ができる城ヶ崎が、良いダイビングポイントだということは、僕たちも知っていた。しかし、行くのが大変。伊東からバスに乗って、富戸を通り過ぎて、お寺の入り口で降りる。入り口と言っても、そこからお寺までは細い道を日蓮宗の信者の方たちが太鼓をたたきながら歩いて行くあとを、重いタンクを背負い、腰にウエイトベルトを巻いて歩いて行かなくてはならない。そのころ車は、自家用車と呼び、いまでもそうかな。僕たちの持てるものではなかった。そして、今のエントリーポイントのあたりから海に入ると、そのころ僕たちが魚が沢山いるということの表現は、いくつもあったが、「銀座通りを、デパートの屋上から見下ろした人の数ほど、魚が居た」状態であった。 実は僕はそんな苦労をして、城ヶ崎に行った経験はない。潜り仲間から、そんな話を聞いて、行かなくちゃとおもっているうちに、東拓海洋公園が出来た。 これは、後に益田さんから聞いた話なのだが、東拓が別荘地を開発する。別荘に来る人の遊び場を作らなければならない。その一つが山の上にあるシャボテン公園であり、海には海洋公園をつくった。伊豆に別荘を作って、海水浴が出来なくては、当時の日本人は納得しない。海水浴場にするには、富士火山帯の溶岩地形は、白砂青松にはならない。仕方がないから、大きいプールを作る。 海水浴場の代わりだから、いまでも海辺のホテルに行くと見られる、ひょうたん型をしたり、円形のプールが設計された。益田さんのすごいところは、これらをすべて却下して、50mの長水路正式競泳用プールを作らせたことである。もしも、このプールがひょうたん型だったとすれば、日本のダイビングの歴史はずいぶんとかわったものになったと思う。 プールがあっても、実はそこで泳ごうなどと考える馬鹿な?ダイバーは居なかった。何が悲しくて、伊東の先、地の果てまで行って、プールで泳ぐ必要があるか。目指すのは銀座通りの魚だ。僕たちも魚を突いたし、海洋公園の益田さんは、地先の魚が絶えるまで突いてしまって、遠くから泳いで接近するブリの群れを、毎日、水中銃をもって、待ち構えた。今もあるかどうかわからないが、「ブリ待ちのね」という岩があった。 あるとき、皇太子殿下ご夫妻が、今の天皇陛下が、海洋公園に行幸した。なんでそんなことが出来たのかわからない。財閥の縁続きだった威光だろうか。とにかく皇太子殿下ご夫妻が来た。そして、海洋公園では、水中銃で魚を突くところの実演を見せて差し上げた。信じられない。 魚突きのデモストレーションに出演したのは、今は引退したが、日本最大の潜水作業会社の社長になった柳井さん、そして、ナヒモフ号の仕掛け人であり、宝探しに夢と冒険をかけた宇野澤君だった。二人とも僕の親友で、たくさんお世話もしたけれど、もっと沢山お世話になった。もちろん、彼ら二人だけではなく、その頃の魚突きダイバーはこぞって参加したのだろう。僕は参加していない。参加していれば皇太子殿下との写真があるはずなので残念だ。参加した、海洋公園のお客ダイバーが皇太子殿下と並んだ写真を撮り、その写真をネタにして、全国的な詐欺行脚をやり問題になった。田舎にいって皇太子殿下と並んだ写真を見せれば、信用しない人はいない。骨董品か何かを売り歩いたようだ。 海洋公園のプールは、夏には別荘地にくる人たちの海水浴で芋洗い状態になり、冬は閑古鳥が鳴いた。友さん、友竹さんの給料が払えなくて、みんなで資金カンパをしようという話も持ち上がった。そこで、1967年12月、だれも海洋公園に行かない時期、僕たち、日本潜水会が一週間の指導員講習合宿をした。 懐かしいのでどんどん書き進んでしまう。続きはまた明日。
by j-suga1
| 2010-08-06 11:48
| 旅行
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Comments(2)
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by
efunon
at 2010-08-07 09:23
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Kodachromeは陸上でも感度が低く苦労した事があったのに、海中で使用されていたとはビックリ、ただ当時使えるリバーサルいやカラーフィルムで信頼出来たのはkodachromeだけだったのでしょうか?
水中フラッシュの大光量が有ったからこそかも知れませんが。
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by
IOP潜水訓練センター修了生
at 2020-07-24 19:07
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旧日本フィッシュウォッチングクラブNo.2037のSYです。私の父は当拓アクアスポーツ時代に潜っていました。その後、同施設は東海大学海洋学部の訓練施設を経て、益田プロ管理下になり、その頃に私がアドバンスまで訓練を受けました。徳之島、小笠原、座間味、モルディブ、マウイ島など色々潜れました。ペットショップで売れ残ったアオウミガメを譲り受けて、IOPの園長に相談して池に放してもらったこともあります。(その後、カメは全て海に放された)
ダイビングは10年ほど前に久米島一人旅をしたのが最後で洞窟ダイビングの一行と一緒になりましたが、技術、機材共にレベルの高いことに驚きました。 もう還暦ですのでダイビングは無理かと思いますが、水泳だけは継続しています。 日本のダイビングの記録として当ブログは貴重ですね。
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