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2010年 09月 12日
9月9日
甑島は、WiFi の圏外であった。送ることができない。 旅に出ると、書くことがたくさん発生する。日記を書くつもりでブログを書いていると、日にちをタイトルにする、つまり日記では、一日に起こった出来事、感じた出来事を、一日分ではとても書ききれない。出来事の方をタイトルにして書いて行けば、一日の出来事でブログ、5日分ぐらいになる。 起こった出来事、書きたいと思ったことを、短いタイトルでならべてしまう。その中で書くことをえらんで、日時を付けて行こう。 甑島の人たち 9月9日 N先生が遠い甑島をホームグラウンドにすることになった動機、起こりになったのは、東大のH教授の故郷が甑島であり、誘われて、島の人たちとのつながりができたからであるが、その教授の叔父さんの家に、まずお土産をもって挨拶に行く。僕たちは、レンタカーを郵便局の角にとめて、先生だけが、細い道を入って行く。所在ないので、車から出て半径50mほどをぶらぶらする。郵便局は、多分、9時から開く。8時を少し回ったところなのに、郵便局に入る段におばあさんが腰をおろして待っている。「おはようございます。」おばあさんが声をかけてくる。僕は、ほほえみ返す。とっさのことで、挨拶の返事が声にならないのだ。普通の主婦のような人が、僕の後から声をかけてくる。「おはようございます」今度は僕も声がでた。「おはようございます。」そして、通り過ぎて行く。 そんな島である。 浜田さん 9月9日 一昨年もおせわになったから、二度目の縁になる。もっと身体が大きく、堂々としたイメージだったのだが、今回見ると、小柄であり親しみやすい。初対面のフィルターが外れたからだろうか。 年齢は、50代前半だろう。海で働く男が、一番働いていて一番颯爽としている年代だ。僕もあのころは、颯爽として働き、年収は今の20倍はあった。これは愚痴になってしまう。肉体労働者だから仕方がない。N先生は、浜田さんのことをポルトガル人のようだという。ポルトガルに行った話は聞いていないから、イメージだろう。もしかしたら、キリシタンバテレンの血をひいているのかもしれない。殉教者の島、天草はとなりの島だバテレンのポルトガル人が来てもおかしくはない。行ったことはないけれど、ポルトガルは、漁業の国で、とても行って見たい国だ。 浜田さんは、僕の旧友である川俣にダイビングを習ったという。習ったと言っても潜水士の講習を鹿児島に受けにいって話しを聞いただけなのだが、川俣の強烈な個性が気にいったようだ。川俣のことは、何回かブログに書いた。また書けば脱線が長くなる。鹿児島では雪が降るとみんな裸になって冷や奴を食べる、と言うようなことをわざわざ電話でかけてくるような奴だった。減圧症で車いすの生活になったが、今はもう亡い。 浜田さんは、今朝、沖から戻ったところで、24時間操業で眠っていないという。 甑島の沖には、東シナ海から日本海へと流れ込んで行く黒潮が通っている。黒潮に乗っているカジキを狙う漁である。海流の中のカジキと言えば「老人と海」であり、与那国の漁師たちである。彼等の漁は、曳き釣りだが、浜田さんの漁は刺し網である。甑島海峡を通るバショウカジキをねらう。8月から10月が漁期であり、甑島ではアキタロウと呼ばれている、と観光パンフに書いてあった。残念なことに、宿では、このバショウカジキは出なかった。昨夜は「9本だけ揚げた。」という。カジキというと、巨魚との死闘を思い浮かべてしまうし、昔、撮影した「突きん棒漁」は1本もとれなかった。「9本も!」と驚くと、「前には、66本掛けて、上がり切らんで切って捨てた。」という。バショウカジキは、細身だから、大きなマカジキまでの強さはないのかもしれないが、一人だけでやるのだから、強烈な漁だと想像する。川俣の弟子だから、それなりの割引は必要だろうが、この人の実力は、前回の経験でよくわかっている。船縁の高いこの船に、ウエイトを腰に巻いたままよじ登ってくる。今度も、それを見た訓練生のK君が仰天していた。海では、身体能力の優劣が尊敬を獲得する。そして、浜田さんは巨漢ではなくて、小柄である。 ウエイトベルト 9月9日 旅に出るときにウエイトベルトをもって行く習慣がない。ウエイトは現地で借りるものである。N先生は、ウエイトベルトをいつも持参する。すべての手配は、多忙なN先生だった。ウエイトベルトの確認をお願いしていたのだが、鹿児島に着いてからの電話依頼になってしまった。それでも何とかそろえてくれた。5本のうち2本は、40年ほど前に使っていたバックルである。くねって折り返した金具を梃子の要領でひっくり返すようにして、留める。シンプルであり、ワンタッチで外すこともできる。欠点は、ウエイトの数の増減が出来にくいことだ。しかし、一度長さを決めてしまえば、ずれることがない。今のバックルは、潜ると身体が凹むので締め直さなければならない。旧バックルの方も、長さの調整を水中でやらなくては緩くなるが、一度調整すれば、そのままで良い。僕は、古いバックルを使った。 この島では、ダイビングについては時間が停止している。あるいは、古い道具を大事にしているのだろう。このワンタッチバックルはなかなか快調で、使ってみると復刻したくなる。数年前だったか、ダイブウエイズに復刻版を作らせたが、どうもうまくできない。こんど使ったものは純製?だからよかった。 ところが、古いバックルのうちの一つが、金具をベルトにとめている鳩目がさびていて、はずれてしまった。潜っている時ではなくて、浮上して、船に上がるために、ウエイトベルトを外して、投げ込んだときに衝撃でこわれたらしい。水中で外れたらやっかいだった。これも、このバックルの欠点だったのかもしれない。 しかし、しばらくぶり、多分20年以上の間を空けて、この屈曲型バックルを使ってみて、僕は、この古い型の方が良い。 透視度 台風の後を追うようにして島にはいったから、天気は上々で、気持ちのよい凪だった。透明度は、13-15mぐらい、沖縄や、奄美と比べるとだいぶ悪いが、いつもこんなものなのかもしれまい。だいたい、伊豆大島とおなじぐらいと思えば良いだろう。 マークラインの張り方 今年は、6月の豊潮丸航海以来、50mの巻尺をマークにする手法の研究を兼ねてサイエンス・ダイビングをしている。遠い昔から、僕はコンパスの使い方が得意ではない。東西南北がわかるだけである。それも、時として、北を向いて右手が東、左手が西などと反芻したりしている。およそ、35年前、UWN アンダーウォーターナビゲーション競技などというものをみんなで作り出して、鐘と太鼓で普及に努めたことがある。スピアフィッシングに代わるものに育てたいと苦労した。一時期、ずいぶん盛んになった。競技フィールドは、このごろまた、行く人が多くなってきた本栖湖をよく使った。湖底が砂地で、何の目印もないからポストを設定しやすい。ポストとは、そのころ山野を駆け巡るオリエンテーリングという競技も新しいスポーツとしてテコ入れがされていて、これもかなり普及した。このオリエンテーリングも、アンダーウォーターナビゲーションも、今は昔のことになってしまった。 僕も、ナビゲーション競技に出場したが、まるでだめだった。下手なのだ。まっすぐに泳げない。ナビゲーションに勝つためには、まっすぐ泳ぐ能力、目を閉じていてもまっすぐに泳げる能力が要求される。コンパスを睨んでいれば、一応、目標のほうに進むが、コンパスを睨んでいても、斜めに泳いでいたのでは、目標に到着しない。練習すれば上手になったかもしれないが、練習するフィールドが近くになくてあきらめた。せっかく海に行ったならば、コンパスを睨んで泳ぐ練習よりも、撮影の練習の方が楽しい。僕はカメラマンだった。方向のほうは、助手、もしくは助手として雇ったガイドダイバーまかせにすることにした。 一方、深く潜り減圧停止が必須になると、潜降索の位置にもどってくることに、命がかかることになる。ガイドたよりには、できない。ガイドとはぐれてしまうことだってある。卒業論文の時から使っているライン調査の手法が確実である。いつでもライン調査をする。外国では、ガイドラインを使うリールが多種、商品化されている。いくつか買って使ってみたが、普通の巻尺に及ばない。最近の巻尺は、海水の中で使ってもなかなか錆びないし、強度もある。巻尺にある目盛りも役に立つ。基点となる、潜降索から目標までの距離もわかる。 しかし、50mのラインでは、ガイドラインとしては長さ不足である。戻ってくるときのマークならば、50mで充分である。たとえば、東西にマークラインを張っておいて、南北方向に展開すれば、ほとんど確実に基点に戻れる。東西に30mのラインを伸ばし、南に行って、北に戻ってくれば、もしも、南西にむかったならば、北東に戻ってくれば、30mのラインの上、もしくは見える範囲に戻れる。ナビのへたくそな僕でも大丈夫だ。チーム全員の安心感も増す。バディを見失ったら、ラインにもどるように約束しておけば良い。 もちろん、海は千変万化する。目標とする活動も同じではない。マニュアル化したい。6月以来続けていて、かなりのノウハウがたまっている。この秋のシンポジュウムで、発表する。 9月9日、第一回の潜水で、アシスタントAに船上で方向を指示して、まずマークラインを50m張ってもらった。アシスタントAは、このチームには初参加で、要領はつかめていない。マークラインを張ってから、僕たちが潜降したが、採集調査を行いたいような、大きな岩の斜面がフィールドに入るようにラインが引かれていない。マークラインを引くのは、そのダイビングを仕切ることになる。仕切るリーダーが引かなければいけない、至極当然のことに気づいた。これもマニュアルに書いておく事項である。
by j-suga1
| 2010-09-12 19:33
| 日記
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