プロの漁師になれば良かったと、今でも思っている。人生の終わりに近づいて、もしもを考えてもどうすることも出来ないし、今の形が必然だったともおもっているけれど、
浜田さんのようなプロの漁師と仕事をすると、自分がもし水産大学を卒業して、目指していた研究機関に職が無かったのだから、漁師になっていたら、と夢想してしまう。同級生で、水産試験場に就職した奴は、ほとんどみんな場長になって定年退職した。漁師になっていたら、多分、どこかの組合で、組合長にはなったと思う。
スクーバダイビングは、絶対にやるだろうから、本当に海を開く漁業ができたかもしれない。
しかし、浜田さんもなかなか大変だ。船がおよそ4000万だという。まだ、ローンが半分残っていると、休み無く、魚を追って沖に出る。
僕もダイバー会社を経営して、休み無く資金、借金に追われて潜っていた。そして、後に譲って、小さい自分だけの会社にした。
漁師も、歳を重ねたら、大きな船がしんどくなって、小さい船にしたかもしれない。それとも大きな船でがんばっているかもしれない。この前、テレビで、大間のマグロ釣り漁師を見た。テレビは見ないのだけれど、たまたまみた。何人かのマグロ一本釣り漁師を次々に紹介するのだけれど、そのうちの一人に70歳を越していて、心筋梗塞で倒れたばかりの身体を鞭打って、沖に出る。漁の途中で心臓の薬をのんでいた。老人と海よりもすごい。なんで、この番組は、この人をもっと追わないのかなと思った。多分、企画のとおりに撮り進んで、ずいぶん撮ってから、この人にぶつかった。企画を変更して、撮りなおすことは出来なかったのだろう。僕もそういう経験をしたことがある。
また脱線してしまったが、僕が漁師になっていたら、やはり高血圧、不整脈とたたかって、沖にでていただろうか。
甑島、すべてのダイビングを終わって、機材を洗っているときに、組合のならびにある、小さなスーパーとも言えない、よくあるほんの小さなお店から、ビニール袋をさげた老人が出てきた。歩くのが不自由だ。脳梗塞の後遺症だろうか。小さな舟を岸壁に引き寄せて、這うようにして乗る。ビニール袋は、沖で食べる夜食だろう。舳先に足を引きずって行き、舫い綱を離す。身体を真っ直ぐにして舵をにぎり、走りでて行く。
もしかして、この人が、この組合の一本釣りの名人で、活けていた赤い大きなハタを釣った人かもしれない。
夏が終わる。いつでも夏の終わりに思う。何歳の夏が終わると。18歳の夏は18歳の時に終わり、40歳の夏も、40歳の時におわり、今、75歳の夏が終わる。
歳を重ねると言うこと、センチメンタルになるということでもある。夏が終わると、秋が来て、ドライスーツを着て、冬になり、春になり、桜が咲いて、水温が15度になったらウエットスーツで震えて、そしてようやく次の夏が巡ってくる。
次の夏も、今去ってゆく夏と同じであってほしい。