海に行かないと生きてゆく自信がなくなる。海に潜りに行かない人は、どうして生きていられるのだろうと思ったりする。
世界の歴史( 25) アジアと欧米世界 中公文庫、新しい本で買ったのだが、なかなか読み進めない。でも期待に背かず、海のこと海上の交通を中心にして14世紀から20世紀の初めまでの歴史を書いている。大洋の時代の章で、R・カースンの「沈黙の春」を引用している。僕も引用の引用をする。「人は海辺に立つと、自らの家系については無意識のうちに、驚きと好奇心を持って、海をみわたす。アザラシやクジラのように肉体そのものをふたたび海に戻らせることはできなかった。しかし、何世紀にも亘り、技術と才智、理性にすべてを動員して、人は海を探検し調査しようと努めた。その結果、人類はいわば精神的に、想像力を動員することにより、ふたたび海に帰ったのである。」
カースンの本は、沈黙の春も読んだし、手の届くところの本棚に、「われらをめぐる海」がおいてある。でも読んだのは確か30年以上前になる。だから、沈黙の春に、こんな一節があったことを忘れていた。
生物は海に生まれた、そして、陸に這い上がりったのだが、やはり海に還ることにした。どうして、アザラシやクジラ、イルカが海に還ることにしたのかわからない。帰ってから進化をとげて、今のクジラやイルカになった。海に還ることができなかった人類は、その能力のすべてを動員して海を探検し調査し、想像力を動員して海に帰った。スクーバダイバーは、人間のままで、別に想像力を動員しなくても、海を探検し、調査をすることができるようになった。だから、スクーバダイバーは、海に帰っていないと、自信を喪失して鬱になる。
なぜ、イルカに会うと、心がやすまるのだろう。海に帰って進化の頂点にたった動物だからだろうか。コミニュケーションが成立したら、海の話が沢山できるのだろうか。もちろん、思考のパターンが全く違うのだからむりだろう。でも、もしかしたら話し合えるのかもしれない。
日本水中科学協会のロゴもシンボルマークもイルカのデザインである。
ここに紹介したのは、ロゴであるが、 中尾先生のまだ高校生だったかの御嬢さんが考えてくれた。ロゴの字の中にイルカが棲んでいるのは、デザインとしては邪道らしいが、僕はどうしてもイルカを入れてくれと言い張って作ってもらった。みんなも気に入ったし、とても良いと思っている。