なにか、散漫になっている。やはり疲れているのだろう。海に行ければ良いのだけれど、そのスケジュールがない。何とかしなければ死んでしまう。プールで泳いでも生気はとりもどせない。お台場潜水を隔月ではなくて、毎月にすればよかった。
モンド・ソンメルソ たしかイタリー語で、われらの海、地中海という意味だ。そういう名前の雑誌があった。イタリー語など読めないのに、きれいな雑誌だったので、1960年代に丸善から注文して定期購読していた。今、その一冊でもあれば、良いのにとおもうけれど、消えてしまった。
これは、僕のモンド・ソンメルソ、我らが海、お台場だ。都心に住む者としては、この海だけが、自分たちの海だ。海の良否ではない。この海が僕達の海なのだ。そう思うことが、環境保全運動だ。自分たちの海をきれいにしたい。事実上不可能だと知っているけれど、それでもなおなんとかしたい。潜り続けよう。
以前、冒険という言葉を使うことを避けていた。冒険とはあえて危険を冒すといういみがある。冒険ではなくて、僕達の目指すのは探検なのだ。探検については、僕の座右の銘がある。「探検とは、知的情熱の肉体的表現である。」南極で、科学的探検にこだわったために冒険的なアムンゼンに先を越され、後から南極に到達し、その気落ちもあったのだろう、帰途全滅したスコット探検隊のことを書いたチェリー・ガラードの「世界最悪の旅」の中の一行である。[Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion]
それが、最近冒険、アドベンチャーという言葉がすきになり、レクリエーションダイビングは、ファンタジー・アドベンチャーだ。サイエンス・ダイビングは、サイエンス・アドベンチャーだと言い出した。
しかし、やはり冒険という言葉は、浅薄に聞こえる。そして、辞書を引いてでてくる危険を冒すという解釈が良くない。やはり、科学といえば探検である。研究者には探検がふさわしい。PPのスライドから、アドベンチャーについて書いた一枚を削除した。
朝令暮改のようだけれど、Endless Revolution と言おう。
今日は、浦安運動公園のプールで海豚倶楽部の練習会、僕はクロールの練習で、ようやく、300mを普通に泳げるようになった。フォームも戻ってきたような気がする。そのあと、海豚倶楽部の忘年会、浦安オリエンタルホテルのバイキングを食べた。海豚倶楽部もメンバーが減少傾向にある。最盛期、30名近くだったのが、今は20名である。スキンダイビングも年々減少しつつあるみたいだ。一年交代の会長さんは、厳しいスタートになる。
世の中の不景気もあるけれど、2000年以来、日本人の海への関心が、海で活動することが、どんどん下り坂を下っている。