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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2011年 03月 25日
夕方から夜にかけて、またミスドでブログを書いている。予定表に書いたスケジュールはこなしたから、まあいいだろう。
英語はまるで得意ではなく、もしも英語が得意だったら人生ずいぶん変わってただろうと思うのだが、アメリカの詩人、Henry Wadsworth Longfellow のA Psalm of Life をいつも座右に置いて、なにかがあると読んで勇気づけられる。 Be not like dumb,driven cattle! Be a hero in the strife ! 黙って追い立てられる家畜になるな。 戦う勇士であれ。 戦う勇士でありたい。 こんな時に平静に日常とおりに仕事を進めることは、勇気がいることだ。僕は、表面的には勇士でいられるけれど、内面としては、国のために何かをしているという実感が無いと平静でいられない。思い悩んでしまう。 自分にできることは何か、考え込まなくてはいられない。 いろいろ考える。 そのことは、今日は置いて、原発に賛成したコマーシャルに出演したり、ものを書いたタレントや文化人がどんな責任をとるのか、謝罪はないのかという論調がツイッターに、出ていた。僕は、この顔ぶれのタレントや物書きは好きではないけれど、この人達は原発のコンセプトに賛同したのであって、原発の強度については専門家の説明を信じただけだ。その責任を問うのならば、それは、タレントや文化人に対してではない。 僕も釜石湾口防潮提の工事に参加しているとき、専門家の言うことに疑いを挟まなかったし、釜石市民も同じだっただろう。船を通すために、二つの堤防の間が大きく開いている。あそこから津波が入ってくるのではないかと思ったが、専門家があれでいい。津波の力が減衰されて、岸の堤防を乗り越えられるより低くなると説明されて、そういうものかと思っただけだ。だれも、あんな金のかかることをして、無駄なのだとは言わなかった。もっとも、釜石は他の町よりも、幾分死者の数が少なかったかもしれない。 僕は釜石の町が大好きだった。釜石の製鉄所が駅の真ん前にどんとある。その製鉄がもうだめになりかけの頃、僕は釜石で仕事をした。釜石の町の中を流れる川には、鮭が上ってくる。川にかかる橋は、橋の上が市場になっていて、釜石川でとれた鮭を売っている。そろそろ、橋の上市場もおわりだと言われていたから、とっくの昔になくなっているだろう。喫茶店で、ゲームがはやっていて、インベーダーゲームがパックマンに変わったころだった。僕はパチンコはやらないので、パックマンにはまって、潜水がおわると、街角の喫茶店に入り浸っていた。店のオーナーと奥さん、娘さんたちと仲良くなり、食事のご招待をうけた。オーナーは威勢のいい人だったが、血圧が高く、やがて亡くなったと、聞いて久しい。去年の正月、竜泉洞に行ったとき、大雪で東北道が通れなくなり、海側を走った。気仙沼、陸前高田、そして釜石と津波被害の大きかった街を全部通り抜けて走った。釜石を抜けたのは、午前0時をすぎていたから、街を見ることはできなかったが、全く違う街にみえた。僕が仕事をしたのは、1980年だから、30年昔だ。長く生きた。 津波のことでも放射能でも、難しい数字を並べられたら、素人はわからない。丈夫という前提に数字を並べられると、納得してしまう。 ただ、早く放射能を止めないと、日本の海の魚が食べられなくなってしまう。僕は後期高齢者だから食べるけれど、売り出されなくなれば食べられない。下降線をたどっている日本の沿岸漁業の息の根がとまる。 これでもう、サンマは死ぬまで食べられないかもしれない。 どうしたら良いのだろう。 あとで一個だけ、サンマの缶詰を買っておこうかな。 そう言えば、サンマの刺身を生まれてはじめて食べたのも釜石だった。青い魚は足が早いから、そのころの冷凍技術では、産地でなければ刺身は食べられなかったのだ。
by j-suga1
| 2011-03-25 19:31
| 日記
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