牡丹の花が満開になった。僕の事務所は江東区牡丹町にある。
牡丹が満開になれば、風薫る5月、そして、入梅、夏が来る。毎年ならば心が浮き立つけれど、浮き立てない。
日本沈没第二部 小松左京+谷甲州が書棚にあった。前に買った本で、読み終わったか途中で放り出してしまったか覚えていない。今、日本は沈没しかけている。手に取って読み始めた。ほんの10pほどでつまらなくなり、終わりの10pを読んだ。「二百家族の日本人移民を乗せた恒星間航宙船「蒼龍」は、間もなく地球周回軌道を発進しようとしている。」そういえば、谷甲州という作家はスペースオペラの作家だった。日本人はついに地球に住めなくなり、宇宙へ追い出されるのか。途中経過は読んでいないのでわからないが、地球上で日本人がいじめられるシナリオがあるのだろう。
今は、日本存亡のノンフィクションの最中にある。小説、日本沈没は、第一部も第二部も、日本国民のオデッセイ、はるかなる旅だった。現実のノンフィクションも、3月11日以来、被災地の東北と首都圏の人々、一人一人が旅にでる、オデッセイが始まった。
僕は、いつも、箱根からこっちと向こうという表現をする。もちろん、日本は一つだけれど、江戸っ子は江戸時代以来、そうゆうふうに考えてしまう。そんなことにならないことを心から願うけれど、箱根からこっちは、人が住めなくなるかもしれない。そして、次は東海、東南海、南海、そして首都直下だ。これはSFではない。日本は一つであり、箱根から向こうも安全ではない。少し前、日本は、山紫水明を取り戻し、優しい心を持った人々が住む、平和な安全な国をめざすべきという意見があった。つまり、安全な隠居の国だ。もはや、そんなことは夢となった。優しい心を失わずに、フロンティアに生きなければならない。ガンを持たない、暴力のないウエスタンが目標だ。東北を見ていると、そうなるだろう、と思う。アバウトで、ねばり強く、意志を貫く人たちの国だ。山の上にユートピアを作り全員隠居するなんてSFにすぎない。歴史は繰り返す。海に生きる人たちは、海辺に残る。海辺にもどってくる。どうやって海辺に住むかを考える。防潮堤だって、港だって、船だって、考え直す良い機会だ。沿岸漁業だって改革の機会だと思う。ダイバーたちが東北にボランティアで行く、人間関係ができるだろう。都会との連帯の中で、後継者の問題、新しい漁業の萌芽が生まれるかもしれない。若い人が漁師になりたい、組合員になりたいと申し出でたら、500万の加入費を出せとか、1000万だとかもう言えない。みんなで力を合わせてゼロから海を作って行かなければだめだろう。僕は我田引水的に、ダイバーによる集約的な漁業を前から唱えている。
なんとか50年、地震、津波がこないで欲しい。箱根からこっちが復興し、今度は、箱根から向こうの番だ。50年の間で、箱根から向こうは、向こうがもしもの時のことを考えればいい。たぶん、東京が何も考えないように、東海も何もかんがえないだろう。
いずれにせよ、50年、何事もないという想定はできない。想定外という言い訳はもう通らない。