僕たちが奄美大島に行った目的は、白井さんのマベ真珠養殖の研究と、もう一つは水中撮影だった。そのころの水中撮影は、まだ、「だれそれの撮った写真が写っていた」写っていたことがほめられた時代である。モノクロフィルムを現像タンクに巻き取って、自分で現像する。白井さんの考えた方法は、ネオパンSS、(ISO.100)の高感度(当時の高感度)フィルムをパンドールで増刊現像する。
僕たちの用意したカメラは3台、一台はニコンマリン、まだニコノスは、現われていない。まだ、ニコンFもない、コンタックス型のニコンが入っている。高級機だから、水没させたら大変だ。まだ、オーリングは、使われていない。ゴムのパッキンをてこの原理で押し付けるようにして蓋を閉める。何時水没してもおかしくない。
これから、載せる写真は、どこかで見たことがある方がいるかもしれない。写っている写真が少ないから、写っている写真は、方々で使われた。カメラを持っているのは白井祥平先輩。
これは、8mmカメラのハウジングだ。8mmと言っても8mmビデオカセットではない。8mmフィルムである。たしか、エルモのカメラだった。
カメラをかついでいるのは、一年上の橋本先輩で、彼は、大学の3年生、僕は2年生だった。この橋本先輩ともう一人竹下先輩と、僕の三人で水産大学潜水倶楽部を創立した。僕が3年になり、橋本、竹下先輩が4年生の時に作った。
それから半世紀、水産大学OB会を作った。その時、名簿を作ったが、橋本先輩は連絡がとれなかった。
これは、僕で、キャノンのハウジングを持っている。8mmと、このキャノンは、白井先輩の手作りで、何回か撮影した後、僕が見事に水没させた。その後、100台を超すカメラを水没させたが、(つい最近も一台水没させたことをブログに書いた。)水没第一号、1956年のことだった。