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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2011年 05月 25日
順天堂大学病院に河合先生の定期診察に行った。血圧を測って雑談と、監修、執筆をお願いしている用語集のことを打ち合わせるだけなのだが、遅い時間の診察だったので、病院は人であふれている。待合で座る椅子が足りない。折り畳みの椅子をだしてもまだ足りない。そして、薬のまち時間が65分と出ている。
まさか「JIN」のおかげで混んでいるということではないだろう。 1956年の奄美大島は、冒険とは言わないけれど、ぼくとしては、本格的な探検だった。 このあたりで、僕たちの探検隊長、白井祥平博士のことを話さなければ、ストーリーが進まない。 白井博士のことは、これまで何回かブログに書いた。しかし、これまでに書いたブログの中から、白井さんのことを書いたものを探し出すのは不可能だ。書くだけで精一杯、書いたものを整理する時間はない。僕の生活のすべてがそれだ。ただひたすら前だけを向いている、というと格好が良いけれど、単にやりっぱなしているだけだ。秘書が居た時には良かった。事務員さんがいるときには、なんとかなった。今は一人だから仕方が無いと言い訳している。 白井さん、油井小島の研究室で、オーナーの光塚さんとはなしこんでいる。 白井博士、1956年には,専攻科(水産大学には当時、大学院は無かった。今でいう修士課程2年生だ。)在学中、それでいて、マベ真珠養殖の研究コンサルタントをしている。そして、奄美大島に一か月滞在する費用をどこからともなく調達し、水中カメラを三台持ってきている。 その後、ここに書名を書きあげることなど不可能なほどの本を書き出版し、探検を繰り返している。日本人として、20世紀最大の博物学者であり、探検家であった。なぜ、博物学者だというと、僕が同行していて、道端の名もない草、海で拾った貝殻、何でも良いから、これは何ですかと聞くと、即座に学名が返事で返ってくる。僕に学名はわからないから、正誤は判断できないが、とにかくそういう人だ。 そして、どこからお金が湧いてくるのかわからないが、とにかく必要なお金は用意できる。探検家とはプロデューサーでもある。お金の算段がつけられないプロデューサー、探検家は探検ができない。 後年、もう10年ほど前だけれど、白井博士の家を訪ねた時、なぜ必要なお金が必ずあるのですか?と聞いてみた。「須賀君、それは、僕は龍の生まれ変わりだからだよ。今、僕の周りに宗教家が何人も来るけれど、黄金の龍が背後に見えると言う。」こんなことを真顔でいう科学者というのはすごい。本当かどうか、そんなことは問題ではない。辺境に暮らす人たちのトーテムのようなものだろう。さて、僕のトーテムは、何にしようか、と考え込んでしまう。 無数にある白井博士の著作のうちで、三つだけ紹介しよう。一つは、「貝:法政大学出版局」 三分冊だが、とにかく面白い。貝のすべてがわかる。博物学とは、こういうものだとわかる。僕の書架の一番良い位置を占めている。 もう一冊は、「白井祥平全集 第一巻 呪いのナンマタール遺跡」 白井博士のところにお邪魔した時に8000円で買ってきた。とうてい本屋に出るような本ではない。分厚い本である。 ポナペのナンマタールのことなんでも書いてある。これからポナペ(今ではポンペイ)に行く人には必読の書だと思うけれど本屋にはない。 僕もポナペのナンマタールの海底の撮影に行った。遺跡の水中は聖地だから、なかなか潜水の許可が酋長から出ない。ために苦労したが、この本を見たら、なんと白井さんは酋長の親友で、酋長を日本に招いたりしている。 ちょうど僕がポナペに行った頃、白井さんは石垣島に住んでいて、年賀のあいさつていどになってしまっていた。また、僕は、白井さんがポナペにそんなに縁が深いとも知らなかった。 ポナペに深入りすると、どこまで脱線するかわからないので、ここで止めて、とにかくその白井博士(当時は学生)が、ぼくたちの隊長だった。 僕たちが、久根津、にいた時、となりの部落から漁師が訪ねてきた。その部落の近くに、軽巡洋艦だか駆逐艦が沈んでいるというのだ。戦時中に沈んだところを見たという。そして、その上から水中を見ると、水の透明度が良い時は、マストの先端らしいものが見えると言う。まだ、だれも潜って確認した人は居ない。 僕たちが発見すれば、スクラップとしての分け前があると漁師のおじさんは言う。 お金にはならなくても,沈船、しかも軍艦だ。血沸き肉躍った。 その時、油井小島の真珠養殖場には、1本のボンベ、レギュレーター、一台のコンプレッサーがあった。それを使わせてもらっていたのだが、コンプレッサーの調子が悪く、80キロぐらいまでしか充填できない。もっとも当時のタンクは、充填圧が120キロだったのだが、沈船に潜るのだから、100ぐらいまで充填したい。そこで、充填を試みてもらうと、パタッと止まった。ピストンが焼きついたのだ。万事休した。とにかく、船が沈んでいると目されたところに行った。橋本さんはスクーバで潜り、僕はスキンダイビングで泳ぎまわった。何も見つけられなかった。が、とてもきれいな海だった。 50年前のあの話は、与太話だったのだろうか、それとも、その後、誰かが引き上げたのだろうか。それとも、もしやそのまま沈船として、ダイビングポイントになっているとか。場所はわからない。久根津から、古仁屋にむかうのではなくて、反対方向にそのころの船で1時間ぐらいだったと記憶している。
by j-suga1
| 2011-05-25 21:10
| 旅行
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