ほんとうにあわただしい毎日で、ブログ更新がなかなか難儀、昨日お台場で潜水した。このことで、2回ぐらい書けそうだから、先に奄美大島の区切りをつけよう。
奄美大島の写真シリーズの始まりは、ツイッターで奄美大島の太田さんが久根津でダイビング・サービスをやっておられると聞いたことがはじまりだった。
アクアダイブ コホロというショップで立派なクルーザーを持っている。
そして、太田さんからメールをいただいた。
「こんばんわ。
改めまして、太田健二郎です。
奄美大島の久根津に住んでるダイバーです。
実は2年くらい前から須賀先生のブログをたまたま見つけてから
ファンになってよく見ていました。
奄美大島の記事を見つけたのがきっかけです。
よく読んでると、いつも見てる風景や場所が出て来たり
知ってる人が出ていたりと・・・
とても感動して見ていました。
その他にも、ダイビングの話もすごく勉強になっています。
それから白井先生のことは、集落の方達もとても良くご存知で
いつも元気にしてるかな~っと仰っています。
久根津集落に『よしお叔父』というかたが白井さんのもとで手伝いをしていたと
聞いています。
その後はラーメン店を開業したと。
集落の歴史として、とても貴重な情報を見せて頂き感謝しています。
油井小島で手伝いをしていたという方とも話したら、とても喜んでいました。
とりあえず、話したい事、書きたい事がたくさんありますが、また改めてメール
をしたいと思います。
今日、メールしたのは油井小島の真珠後の風景を添付して送りたかった事です。」
今の油井小島 石垣のような大地の上にマベ真珠の珠入れなどをする研究室と工場があった。今は完全な無人島にもどったみたいだ。
1956年の記念写真、真中でスノーケルを加えているのが良雄君だ。
そして、良雄君と僕、50年の歳月が、僕の顔かたちも変えた。かわいい良雄君は、もう60を過ぎたか、『よしお叔父』となった。ラーメン屋は成功したのだろうか。
夏休みも終わり近く、その久根津から、僕一人が一足先に東京に帰ることになった。その時に撮った記念写真だ。僕はこのバナナをかついで、古仁屋に出て一泊し、はるばる命がけのようなバスに乗り、奄美の山を越えて名瀬に行き、名瀬で一泊、鹿児島までの連絡船が一泊、そして鹿児島から東京は20時間ぐらいか、4日かけて東京に戻った。青いバナナが食べごろになった。今、100円ショップで買うバナナが、当時は何よりの果物で貴重品だった。僕は、バナナの房が樹から垂れ下がっている状態を生まれて初めて見て、東京に持って帰って友達みんなで食べようと思ったのだ。
1950年代、本当に幸せだった。
ところで、太田さんのサービスショップ・アクアダイブ コホロに行かなければならない。この秋にそんな時間があるだろうか。このごろ、ツアーをやっていないから、時間を作ろう。コホロのホームページを見たら、素晴らしいクルーザーで、主に加計呂麻方面に出て行くみたいだ。そのダイビングポイントをながめて、アンキャバには、広島大学の豊潮丸で行った。久根津の前を通って、古仁屋の港にも入ったが、油井は通過しただけだった。その時、ブログにもかいたと思う。
今、久根津には、東京から、どうやってゆくのだろう。コホロのホームページには、その行き方が出ていない。