緑ちゃんにはこのブログに度々登場してもらっている。彼女がこのブログを呼んでいるかどうか感想は聞いたことがない。これからも聞くことは無いと思う。僕とはあんまり会話がないのだ。
緑ちゃんは、被写体として魅力がある。僕は日常的にはカメラマンではないので、あまり真剣に撮影したことはない。もしも、僕がカメラマンであれば、写真集が一冊できたと思う。僕が自分のことをカメラマンではないと言うのは、その写真集を作ろうとしなかったからだ。
写真集を作ろうと思ったならば、彼女の生活とか、生き方にもっと強く介入しただろう。そうしたくなかった。やっぱりカメラマンではないのだ。
初めての出会いは、船の科学館でのスノーケリング教室だった。スノーケリングについて、必ず浮力体を着けること、と決めている。基本的にこれは正しい。一般の子供たち、あるいは酒を飲んで海の水を浴びる、つまり海水浴をする大人は、かならず船舶用のライフジャケットを着けるべきだと思う。海の家では、水に入る時はか必ず着けるように、レンタルを多数備え付ける。それぞれの海の家で、色分けとかしておけば便利でもある。もちろん、自分で買って持って行っても良いのだが、浮力体は嵩張る。これをスノーケリングと呼ぶのならば、海水浴と言う言葉を死語になるだろう。この主張は繰り返してきた。
しかし、スノーケリング教室で習う、教えるスノーケリングは、ジャケットつきではない。きっちり潜る。
今の僕はもう、スノーケリングなどどうでも良いと思っている。意見だけがあり、実践を伴わないことを「どうでもいいと思う」と表現している。今の僕は意見だけ、評論家だ。
評論家ではなかった時期、特は親と子のスノーケリング教室をやった。親と子にこだわった。親と子が一緒に海に潜ることで、別の効果が生まれる。僕は教育の専門家ではないので、正しいかどうかわからないが、ある教育の専門家、学校の先生の意見では、こどもは、たいていの場合、小学校5年生ごろまでは良い子だ。自我が確立することによって、親と子の関係が変わる。一緒に海に潜ること、生死を支えあうことによって親と子の関係を良く保ちつつ、自我が確立できるのではないかと思った。
バディシステムの維持で、安全が保てるということがある。浦安運動公園での親と子のスノーケリング教室は、最初の滑り出しは良かったが、どんどん凋落した。親と子の教室ではない、子供だけの教室はスノーケリングも、この頃ではフィンスイミングも流行っている。流行を横目に見ながら、親と子にこだわった。
何組か、と指折り数えるほどでしかないが、何組かの親と子を育てた。子供は自画が確立するコーナーで、同時に塾通い、別のスポーツ教室に行くようになる。親と子のスノーケリングは、小学校4-6年でそれも一時的なもので良い。
船の科学館での緑ちゃん。フィンを外して泳いで遊んでいた。ジャケットを着せて置くのはとても無理だ。そう、子供はすぐにジャケットを脱ぎ捨てたくなる。子供はチャレンジャーだから。だから危ないので、親と子のチャレンジにしたかった。
忙しいのでここまでにして後は続きにします。高校生になり、プライマリープログラムに参加するところまで続けます。なお、写真は浦安海豚倶楽部の黒沢美千代さんが撮ったものです。僕は教えていて手が空かないので、スナップをお願いしていました。黒沢さんも最近還暦を迎えた素敵なダイバーで、その後、緑ちゃんとも一緒に海に行くようになります。小学生とともに、50-60そして70へのスキンダイビングも僕のもう一つのテーマです。