月刊誌、ダイバーに原稿を書かせてもらっている。過ぎ去った夢と冒険の日々を振り返るのだが、水中は人間の生きられる場ではない。死、事故死が頭の中で夢と冒険に絡む。 1950年代、ウエットスーツもなく、BCD.もなく、残圧計もなく、時計もなく潜っていたあの頃のこと、
ちょっと驚いたことがあった。4月号の原稿で、僕がダイバーになった東京水産大学の講習では、水中脱着がしめくくりになる、と書いたところ、水中脱着では、今のダイバーにはわからないから、何のためにどんなことをやるのか説明的な文章にしてくれとオーダー。
今どきのダイバーは、水中脱着を講習ではやらないのだろうか。高度な技術?なので避けるのだろうか、ベィルアウトとか、ダッチ&リカバリーと呼んだりするのだろうか。今日、日本水中科学協会の理事会で久保君に会ったので、聞くつもりだったのだが、すっかり忘れてしまった。久保君の水平姿勢が神業であるのと同じくらい、1960年代の僕の水中脱着は神業だったのだが。しかし、中世浮力で、中層に浮いて脱着をしろと言われたら、とても無理。そういえば、前に、リブリーザーの講習を受けた時、豊田君がやってみせた。あんまりスムースではなかったけれど、とにかくできていた。リブリーザーはマウスピースを口から放すとき、水が回路に入らないように閉じなければならないから、難しい。そして、水平姿勢では絶対にできないだろう。豊田君の身体も立っていた。
さて、そのダイバー誌だが、自分が書かせてもらっているからでもないが、(身びいきは当然あるだろうが)読み応えのある本当に良い雑誌になったと思う。
読んで、異論はたくさんある。ちがうだろう!と思うこと多々、考えさせられている。考えることを迫られる雑誌が良い雑誌なのだ。「なるほど、そうだそうだ」は自己満足であり、雑誌を読む意味が無い。
simple is best だった時代からはどんどん遠ざかって行く。それはそうだ。Simpleでは雑誌にならない。ダイビングは多様化、高度化し、お金がどんどんかかり、お酒を飲み、人生を楽しみ、海の驚異に浸り、安全を追求しつつ減圧症にはますます罹りやすくなってゆく。そんなことをひしひしと感じさせてくれる。現在そして、これから先の流れが見える。ぜひ買って読んで欲しい。
まず、「サンゴ証を学問する」井上志保里の記事、もうこれからは硬い造礁珊瑚の時代ではなくて、ソフトなソフトコーラルの時代だ。僕もそう思う。絶対にソフトコーラルの方が美しい。竜宮城のサンゴのイメージはソフトコーラルだったのだ。きっと。でも、ウミキノコはちょっとどうかなとは思うけれど。
若い研究者の記事を載せていることも良い。
ただ、君の写真はあんまりよくない。本当はかなりの美人。
技能確認証(Verification card:Vカード)の写真、自分が美人だともう少し考えた方が良い。