須賀次郎のURL
辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2012年 03月 23日
3月15日
メナドは、目と鼻の先に冲にあるブナケン(BBUNAKEN)という島が海の観光地でもあり、船遊びのボートがボートハウスの岸壁に何隻か並んでいる。このあたりは、ベトナムのニャチャンと良く似た雰囲気であるが、ニャチャンの方がにぎわっている。今はオフシーズンだからなのだろう。 なお、僕は出かけてくる、出てくるまでメナドのことを何も調べていない。場所、旅は全部中尾先生にお願いしている。僕が集中するのはダイビングのことだけ、一昨年、一緒に旅をしたチュークは、僕の故郷みたいな所だから、僕が仕切ったけれど、インドネシアは、宝探しの取材に来ただけで、それはメナドではない。 ※メナドのブケナンは、ダイビングポイントとして有数であり、戻ってから、調べると、世界でも人気のあるダイビングリゾートであり、ミミックオクトパスからバラク―だの群れ、それに近くには、300mまで潜れればシーラカンスもいると言うところであり、コッテージ風のダイビングサービスがいくつもある。今回に限れば、忙しくて調べられなかったのだが、知らなくてかえって良かったと思っている。調べて先入観を持ってしまわない方がよかった。以下は先入観の無い、レクリェーショナル・ダイビングではなく、リサーチダイビングとしてのダイビングである。 採集した標本はその場で撮影し、細断してビンに入れる。 町田、喜納と大学の職員 僕たちのチャーターしたボートは20人乗りでサム大学の学生も何人か同乗する。学生の親睦、実習の意味合いもある。水中調査の方法も船の上からだが、見ることができ、海洋実習である。 ボートを四つのセクションに分けて見る。最後尾の部分は船外機が二つ並んでいて、適当に1-2基を動かして走る。機関部であり、船員、インドネシア学生の居住区でもある。真中の部分は、ダイビングセクション、前の部分が採集品の処理、船首が親睦のサロン、そんな具合だ。幅広いボートなので、潜水準備もやりやすい。 ダイビングの編成は、須賀と中尾先生、石川さんと学生二人、喜納、町田、そして、鈴木コーチとリサ、三つのグループに分け、ダイビングガイドと、そのアシスタントが一緒に潜り、前後を見張る。中尾先生は、ダイビング歴はあまり語ったことがないけれど、20年以上、そのあたりのダイバーよりも修羅場を踏んでいる。だから、すべての判断も自分でできるのだが、研究者だから採集と観察に集中したい。先生が自分の採集に集中して、学生を顧みないでいたために事故が起こった例がある。学生を伴うダイビングではスーパバイザーが必要であり、僕がその役割だ。 石川さんは、創立40年という歴史のあるダイビングクラブ、「アルバトロス」の会長だ。僕の世話役であり、アドバイザーであり、僕のアバウトな部分を補ってもくれる。鈴木コーチは辰巳練習会のすべてをお願いしている。伊豆の大川でインストラクター、ガイドダイバーのチーフを15年以上やっていた経験がある。現在、すべての僕のダイビングのアシスタントであり、ダイビング器材についてのすべてを仕切ってくれる。 学生の、喜納はこれで3年目でVカードも持っている。町田は2年目だが、これもVカードを持っている。リサは前に紹介したとおりだ。それぞれ、僕にとって心のつながりがある。繋がっていないのは、ガイドダイバーで、僕は基本的にガイドダイバーは信じていない。 GOPROをマスクに装着している鈴木さん 今回の、僕としての、採集とは別のテーマは、 GOPROを3台、須賀、石川、鈴木がヘッドに着装し、ダイバーそれぞれの、動きと周囲の状況をビデオ撮影する。静止画をビデオから抜き出して、報告書には使うことができる。両手が空くから、撮影、採集の作業ができる。ライトを並べてヘッドに装着すれば、採集品の撮影もできるのだが、未だそこまでは進んでいない。次の機会、テーマということになる。 辰巳でのプールテストの結果、フラットのポートでなければシャープではないことがわかり、直ちに発注したが、納期が10日で、この旅から帰ったころに配達される。仕方が無い。 須賀がフラットを着け、石川、鈴木がワイドドームを着ける。比較になるということで我慢する。二人はこのカメラは初めてなのでノウハウがないから、カメラ三つの整備は僕の役割であり、さらに、その指導説明、それに、久しぶりのまともな潜水、暖かい透明な水への潜水なので、冷たい濁った水に慣れた僕としてはおかしな緊張をする。僕は、潜れるのだろうか。暖かい水から冷たい水に行くよりは良いが、潜水を始める前は何時でも不安で、僕はこの不安を大事にしている。決して、不安とは心理的なものであり、不安のためにパニックになることはない。パニックは心理的な不安に現実の危機と、身体的なストレスが加わった時に起こる。不安によって実際に起こる危機をさけることができる。 船外機というエンジン、僕は頼りにしていない。船外機が停まって流された。そんな経験がある。ポンペイでは、リーフの外で、2基つけた船外機の一基がとまったことがある。40年前だから今のポンペイではない。救助の態勢はない。最後の一基が停まったら、リーフの外から内側に向かう水路のうねりに乗れない。同行していた北海道斜里の定置網ダイバー、佐藤雅博が、あの時は「覚悟した」と言っていた。表には出さないけれど、みんな船外機は不安なのだ。 船尾の船外機、一基は廻らないらしい。走行に使っている一基も息をしている。石川さんにそれとなく、「船外機が息をしてるね」という。しかし、不安を表に出してはいけない。 港から1時間半走り、ブナケンの向こう側、Bango アイランドの東側に潜水した。ブナケンは国立公園であり、そのダイビングポイントでは採集は許可されなかった。 このあたりはどこを潜っても多分、大小の差はあってもドロップオフなのだと思う。底の水深はしらない。ガイドはシーラカンスが居ると言っている。 浅いサンゴ礁の上からエントリーした。町田はCカードのレベルとしては上手であり、プライマリーコースのトレーニングもうけているのだが、学生は、勉強・研究で忙しい。二人とも水準以上のイケメンだから遊ぶのも忙しいはずだ。トレーニング不足は否めない。喜納は一年の長があるが、町田が少しもたつく。石川さんは全日本潜水連盟のインストラクタートレーナーだから、任せて問題ないと任せた。鈴木さんは万能ダイバーだから、ダイビングは上手なリサに付けるのはもったいない。 水深3mほどのリーフを少し泳ぐと断崖の縁だ。縁を越えて断崖にとりつくと、久しぶりの急流潜水だ。泡が横に流れる。水深のリミットは、20mとしている。僕も中尾先生もカメラを持っている。中尾先生は標本を探し、撮影して、切り取り、袋に入れる。僕は、袋に入れる時に、自分のカメラを手放して、(D環に止めている)袋入れを手伝う。急流でなければ、困難な作業ではないのだが、片手で捕まっていないと流されてしまうから、効率が悪い。 急流 触れると痛いガヤの類 あたり一面は、ガヤの類のハイドロツォアで、肌に触れればやけどのような痛みが走り、あとがかぶれる。「ダイビング・水中活動の基本用語」の「水中の危険な生物」で写真を探したばかりだが、ここでは、一面に生えている。多分、インドネシアの海はどこでも、同じだろう。長袖のラッシュかウエットスーツを着ていなければひどい目にあう。 僕はダイブコンピューターを腕に付けるのを忘れてエントリーしている。GOPRO三台の準備と三人への装着で失念している。高齢になるとこういうことが日常になる。70歳で涙を呑んでリブリーザーをやめインスピレーションを売り払った理由である。持っていれば必ず使う。生死は50・50だと思った。酸素のトラブルで死ぬのも悪くないけれどもう少し生きよう。やることがある。ダイブコンピューターなどどうということはない。20mリミットならば、1時間がリミットで5mで3分停止、残圧70で戻って来れば良い。上にはボートが居るはず。 採集を終了、潜水時間は50分ぐらいだろう。残圧は80でもどる。 ドロップオフの上は濁っていた。 断崖の急流部分では、透明度は20mぐらいあるのだが、浮上するために、段の上にあがると、濁った水が押し寄せてきた。安全停止を終了し、3m-1,5mで超ゆっくり、その時、僕は中尾先生を見失なった。3mの停止が終了したら、すぐに頭を出せば離れることなど無い。水面ですぐにバディを確認できたが、今はバラバラになる可能性がある。喜納が一人で浮いてきて、僕の傍にきた。バディは、というとあちらの方と指差す。 ボートは遠く離れていて、漂流状態になった。中尾先生は、喜納と町田が離れてしまって、町田がそばにいないことを心配して、町田はドロップオフの急流は無理だと怒っている。町田には石川さんが付いているし、喜納はそばにいるのだから、僕としてはこれで良い。それに、僕も中尾先生を一瞬見失って、浮上して頭を出したところは10m以上はなれている。 セフティストップのために漂流するという可能性は急流のインドネシアでは、無視できない。日本人ダイバー、6人だったか7人が流されて、5人が死んだのは、インドネシアのどこだっただろうか、東京に戻ったら、確認しよう。 マーカーブイを立てる 船が動き始めて、接近してくる 大声を出したり、中尾先生が標識ブイを立てた。10分後、あるいは20分後、あとでビデオ撮影の長さで見ると、潜水していた時間とほぼ同じ長さを漂っていた。やがて、ボートは走りはじめ、接近して来たが、後から聞いたところボートが離れてしまった理由は、やはり、エンジントラブルだったという。 少し腹を立てたが、別に口には出さない。怒鳴り散らさない、僕のこういう態度が良いのか間違っているのか、疑問に思うところではある。ガンガン言えば、改めるだろうが、雰囲気が悪くなる。言わなくてもわかっているだろうから、次の日には船外機を替えてくるはずだ。ガイドダイバーにもクレームはつけなかった。僕は言葉が不自由で、耳も悪いので、紹介された時に明確に聴いていないが、船の上でのレミ教授、学生たちとのやりとりから、どうも大学の職員らしい雰囲気がある。あとで訊いたら、AAUSでいうところの大学のダイビングオフィサーだという。日本で言えば技官だろう。お世話になっているのだから、文句は言えない。 二回目の潜水 2回目の潜水、今度は、中尾先生のキャノンG11を僕のライト、LEDの1000ルーメンに付けて、内臓ストロボを発光させて僕が撮影することにした。僕のカメラは持って行かない。僕は撮影と、採集品の袋詰めを担当、先生が探しと切り取りをすることに分業した。これは、とても上手くゆく方法で、今後は全てこれにすることにした。今回の撮影では、手に持つスチルは水中ライトをメインにすることにしていた。デジタル一眼は重いし、ファインダーを覗くという作業が(僕のキャノンデジ一は、古いのでミラーファインダーを覗くイオスXである)バディから目を離す時間が多くなる。中尾先生が指さして、僕が撮るのだから、離れることもないのだが、やはり、自分の気持ちで撮りたいものがあると、一瞬で左に居た中尾先生が後ろにまわったりしている。 キャノンG11は、内臓ストロボの発光で撮影できるので、水中ライトとのコンビネーションは、とても良い。今回持ってきた僕のデジカメ、sea&seaのG-1 も悪くはないが、僕の目でスクリーンの確認ができないようにとスモークが入っているので、水中で確認できない。濁った環境では、確認できずに後でダメということがよくある。ファインダーでその場で採集標本の鮮鋭度が確認できないスモークは困る。 インドネシアは、今は雨季の終わりごろで、大雨が降る。島からの帰途、大雨で寒くてインドネシア学生は寒さに震えていた。視界も悪くなり、リサが自分の持ってきた防水GPSで得意げに誘導していた。まっすぐ走ればブナケン島に近づくので、岸に沿って回り込めば良いだけだから、誘導は不要なのだが。もし、漂流していた時にこの雨になって視界が悪くなったらどうだっただろう。幸運の星は僕の頭上に輝いている。ボートのエンジントラブルは、ダイバーにとってどうすることもできないし、天候も同じだ。 夜、ショッピングセンタ―に行く。おそらくはグアム島のショッピングセンターよりも大きい。僕の周辺にある日本のイトーヨーカドー等ショッピングセンターは、足元にも及ばない。インドネシアに詳しい、リサによれば、この程度のショッピングセンターがセラウェシに20ぐらいあると言う。あんまりあてにはならないが、巨大ショッピングセンターがこのあたりに一つということではないのだろう。 僕の買い物は、割合に上等のビーチサンダル、中判のタオル、ジレッとの安い剃刀、パンツ、コーラが2本、喜納たちに頼まれた、袋菓子、10袋ぐらい、合計で、日本円で1300円だった。最初の日の、豪華海鮮料理、音楽付?ビールなど飲みほうだい、約15人で、二万円、マスターカードで支払うとなぜか割引があって13000円だったという。
by j-suga1
| 2012-03-23 08:49
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