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トップのイルカの絵だが、海の世界では毎号海の生き物の特集を、ページの色を変えて、組んでいてこれが中々良かった。連載をまとめて別の本にしても良いと思ったものだったが、本にはならなかった。生き物の解説は歴史とはあまり関わらないので、ここには収録しなかったが今回はイルカのことを書きたいので、載せることにした。 書いているのは鳥羽山照夫先輩、東京水産大学で僕の一年上の先輩だ。鳥羽山先輩は潜水を学生時代はやらなかったので潜水部ではなかったが、僕のことを引き立ててくれた。学生時代の縁がそのまま続いて海洋博でも、その後もお世話いただいた。残念なことに亡くなられてしまっている。 鳥羽山先輩は日本におけるイルカ飼育の第一人者であり、ここに収録した解説も、簡潔でわかりやすい。ただ、1975年の時点では、まだ、野生のイルカとダイバーは、友達関係はなく、水族館を通しての付き合いだった。御蔵島での付き合いが始まるのは、ここから、20年後である。 鳥羽山さんは当時鴨川シーワールドの館長であり、その実績で海洋博の売り物の一つである水族館の総合プロデューサーになっていた。 その水族館の売り物の一つが、イルカがショウに参加する沖チャン劇場であり、僕は、沖チャン劇場仕事をさせてもらった。 本当のことをいうと、イルカに芝居をさせるのは無理で、その演出には鳥羽山さんも僕も賛成では無かったが、とにかく仕事としては、沖縄に通うことができて満足だった。 イルカ芝居と言っても、イルカの出きる芸当は決まっていて、その芸を人間、ショウマンの芝居と噛み合わせるのだが、現地募集したウチナンチューの女の子たちは、全く芝居ができない。芝居の演出家である監督はイルカにも彼女たちにも無理を強いているようで、「ちがう」と思うことがしばしばだった。僕は、これでも、高校時代は演劇部だった。役者としてはどうにもならないダイコンで、沖縄の女の子レベルだったが、演出家としては理屈をもっていた。無理なわざとらしい芝居は好きでない。まあそんなことはどうでも良いのだが、芝居は、イルカが海に落ちた人間を救助する話だった。
NHK 撮影班 当時は全員が日本潜水会だった。その中心であった河野、竹内、畑中、森江 さんは、親友といえる仲だった。