1957年のウエットスーツ
海に行かれなくて、じりじりしている。
まだ、一日に数回、咳き込むことがあるが、これは持病のようなもので、ほとんど回復した。
13日、17日、24日にもぐるスケジュールを入れている。
東京水産大学、成立50周年の記念事業をみんなでやっている。古い写真を集めたり、原稿を依頼したり、している。1957年に創部した。僕は大学の三年生で、四年生の竹下さん、橋本さんを誘って部を作った。だから、僕は初代だけれど、部の位では二代になる。その一代の竹下さんが当時のアルバムを持っていて、貸してくれた。部史をもらうOBたちは写真を見ることができるが、せっかくブログを見てくださる人は、見られない。一部紹介することにした。写真が当時の姿だ。1957年の竹下さんだ。
ウエットスーツを来ているが、まだ今のような独立気泡のウエットスーツは、存在していない。普通のスポンジゴムだ。だから、今のウエットスーツほどは暖かくない。これと同じデザインのウエットスーツは、クストーたちが映画で使っている。竹下さんたちは、公認で着せてもらっているけれど、一年下の僕たちは着せてもらえなかった。
若いころの竹下さんです。
僕と僕のバディの原田進は、先生もいない、先輩もいない時、小湊の実習場でひそかにのウエットスーツを持ち出して、アクアラングで潜った。それまで、毛糸の古いセーターなどを来て潜っていたのだったが、独立気泡でなくても、スポンジのウエットスーツは暖かい。感動して、エキジットした。そして、ウエットスーツを脱いだ。顔面蒼白になった。脱ぐ端から、糊が剥がれてバラバラになった。二人とも、ウエットスーツがバラバラだ。どうしよう?
どこかで糊を買って、仮にくっつけておく、次の人が着るときにはがれるけれど、それはその人の責任になる。
シカトして脱走する。
結局正直に白状した。当時の場長だった増田先生は、わらって許してくれた。
このウエットスーツは、僕たちが消滅させた。
四角い箱は、竹下さんが自作したハウジングだ。当時流行した、二眼レフ、リコーフレックスⅤ型が入っている。僕が見せてもらった時には、すでに水没した後だった。アルバムには、このカメラで撮った写真は載せられていない。きっと、一回目のテストで沈没したのだろう。