1957年 潜水部創立。
写真は今の海洋大学品川キャンパス。左手に見えるのが寮。プールサイドで記念写真を撮った。
左から、原田進 僕のバディだ。生涯バディだった。今は居ない。大酒飲みは死ぬ。
続いて左から二番目、一級下の生田君、後に宮崎大学の教授になる。重金属による海洋汚染を研究していて、博多湾で一緒に調査をしたことがある。
三番目は、浅見さん。日本アクアラングの創立時に入社して、アメリカに行き、まだできたばかりのNAUIのインストラクターになる。PADIは、その後に、日本アクアラングの系列会社であるUSダイバーズがかかわってつくるのだから、まだ無い。日本で始めてのインストラクターである。僕は、そのころ、インストラクターという言葉さえも知らず、辞書を引いて知った。
僕と共著で、「アクアラング潜水」という、日本最初のハウツー教本を書き、一緒に、日本で最初の潜水指導団体である日本潜水会を創立した。病気を知らない頑健な身体だったが、長年の麻雀生活の無理がたたり、心臓のバイパス手術を受け、さらに脳梗塞になり、おとなしくなっている。残念。
浅見さんの前に、その頃のアクアラングが、置いてある。その下のゴム布のようなものは、ドライスーツ。
その右、長身の岩橋君、後に静岡県水産試験場の場長になる。学生時代仲良しだったのに、何故か卒業後は、会っていない。
その右が橋本先輩。僕が生まれて初めてアクアラングで潜った奄美大島探検に同行して、空気の吸い方を教えてくれた。マウスピースをくわえて吸うだけだから、教えられなくても出来たけれど。熊本の牛深で、真珠養殖場の工場長になっていた時、お目にかかり、お土産をいただいたのが最後で。お元気だと良いが。
座っているのが僕。
右端が竹下さん。
この時から、50年の月日が流れた。過ぎてみれば夢。夢を追い、夢のように月日が過ぎた。