夢のかけらⅡ
使わなかったスチルカメラ
フィルムのカメラの時、フィルムサイズは大きくなければダメだといわれていた時期がある。ブローニーサイズ、6×6、6×9で撮らないとグラフィックな素材として売れない。フィルムエージェンシーに写真を預けるには、大判サイズの方が良い。
スガマリンメカニックは、6×6のブロニカマリンを作り、売って商売をスタートした。
6×9のフジ RSW ワイドカメラのハウジングを作った。使い慣れたニコノスと同じ感じで、目測で撮る。ニコノスと同じ画像が6×9の大判サイズで撮れるはずだった。ほとんどこのカメラで撮った作品が残っていない。次第にフィルムの質が向上して、35mmサイズで十分になった。
6×4.5の中判一眼レフかめら、ペンタックス645のハウジングを作った。
カメラとしては、良いカメラだったが、ハウジングとして失敗した。大きくて重すぎるのだ。撮影したら周辺がボケている。レンズに合わせたドームポートをつけなければだめだ。直そうとしたが、他にやることが多すぎる。潜水の仕事も一人でやるようになり、100m潜水もしたい。それにニコノスの20mmレンズが好きで、使い勝手も良い。ニコノス20mmで人工魚礁の写真集も作ってしまった。
一段落したらとぐずぐずしているうちにているうちにデジタルの時代に入った。
スチルのカメラマンとムービーのカメラマン、中村宏二君らは、二兎を追って二兎とも成功した。僕は、調査の仕事、テレビの撮影、潜水の指導団体、スチル撮影は四兎を追うことになる。無理だ。頑張ったが、2台の大判サイズのフィルムカメラは夢のかけらになってしまった。
「追うのは二兎まで」