スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」:旅行
2020-05-08T19:21:38+09:00
j-suga1
89歳になります。スクーバダイビングによる水中活動の支援を展開しています。、
Excite Blog
0508 復刻 東京無人島紀行
http://jsuga.exblog.jp/30040969/
2020-05-08T19:17:00+09:00
2020-05-08T19:21:38+09:00
2020-05-08T19:17:50+09:00
j-suga1
旅行
大学生の潮美
ブログが書けないでいる。書けないわけではなく手、一応出来上がっているのだが、使いたい写真が一枚、どうしても、見つからないのだ。
大した問題ではないのだけれど、あるはずだと思っていた写真がないと、そこで止まってしまう。もうこれで、15日近くブログが止まってしまっている。
これではいけない。その写真、前にブログで使ているはずだと、ブログからコピーしようと、ブログをさがした。
このブログの前に使っていた、楽天のブログをさがした。そこにあるはず。まだ、みつけられていないけれど、この楽天のブログが面白いのだ。自分で読んでも、面白い。
これを使って急場をしのごう。
以下2008年のブログの復刻である。
この文章は、1982年、娘の潮美が法政大学の一年生、ダイビングクラブに入った時、娘への手紙の形で、ダイビングのことを書き、やがて出版しようとして書いたものだ。その後、娘はニュースステーションの水中レポーターで有名になったから、出版できないこともなかったのだが、娘の同級生が事故で亡くなっていたので、につつしんだ。
好きな文章だったから、どこかで人目に触れさせたいと思っていた。
※つまり、今回は復刻の復刻になる。
以下は1982年に書いたもの。
富士マリアナ火山列島の八丈島と小笠原の中間点たりにある鳥島の入り江に船を止めて、うねりに身体を揺られながら書いています。私は船に酔う人です。そのことを人が聞くと、「ええっ!」と驚くのですが本当です。船に酔わない人にとって、海の仕事は船遊びですが、船に酔う人にとっては、難行苦行です。それに耐えて海に出るのですから本当に海が好きなのです。(その後、潮美がニュースステーションなど海の仕事をすることになり、船酔いは遺伝することがわかった。)今度の航海では、毎日朝起きると酔い止めの薬を一錠ずつ飲んで、過ごして来ました。薬なんてスパシーポ効果(暗示効果)があるだけだと、どこかのテレビ番組で実験をやっていましたが、私にとっては、確かに効果はあります。
しかし、今回の船の旅も日を重ねるうちに錠剤も飲まなくて大丈夫になり、うねりに揺られながらものを書けるところまでに慣れました。やはり、船酔いは慣れで、克服できます。神経が過敏なだけなのですね。
鳥島はアホウドリの繁殖地として保護が行われている島です。アホウドリは英語ではアルバトロスですが、アルバトロスと言うと、雄大な翼を拡げて大洋を遠く旅する海の王者の姿が思い浮かびます。アルバトロスは、長い翼で滑空する鳥ですから、着陸してしまうと長い翼を引きずって歩かなければならないのでよちよち歩きです。飛び立つ時は長い滑走距離が必要です。海から飛び立つのならば長い滑走距離が取れるのですが、陸からの離陸は崖から飛び降りなければ飛び立てません。だから絶海の孤島で繁殖していたのですが、人に見つけられたのが最後で、飛べないでよちより逃げるだけですから、いいように撲殺されて、羽根布団の材料にされてしまいました。ほとんど逃げずに殺されたので、アホウな鳥と呼ばれたと聞きます。明治時代から撲殺が繰り返され、絶滅に瀕してしまいましたので、今は、保護に大わらわです。ここから、アホウドリの飛び立つ崖が見えます。営巣のために卵が崖から転げ落ちないように植え付けた草も見えるのですが、許可なく上陸して近づくことはできません。
私の乗っている船は、第五稲荷丸、19.99トン、つまり20トン未満のトビウオ漁の漁船です。この船で八丈島を出発し、目指すのは絶海の孤島、孀婦岩(ソウフ岩)です。孀婦岩は、孤島というよりももっと小さくて、海の真ん中に鉛筆を立てたような岩です。八丈島の潜水漁師であり、古い仲間でもある赤間君が、この孀婦岩に大きなイソマグロを突きに行くドキュメンタリーの撮影に出かけて来ています。
小さい船で、沖合遥かに出かけるにはこの季節、梅雨が終わりかけて、まだ本格的な夏が始まらない時期が良いとされています。「まるで盥の中のように静かだよ。」と聞かされてでてきたのですが、今年は梅雨が終わらないうちにフィリッピンで台風が発生して、孀婦岩まで行かれるかどうか、危ない状況です。
夏かぜをひいてしまい、八丈島をでるときは、8度の熱がありました。夜8時の出港で、港をでると同時に雨がしとしとと降り始めました。一応寝る所はあるのですが、小さい船で、船員の寝るスペースは、船室の床とエンジンルームの間の空間です。その空間ではディーゼルの匂いと魚の匂いがカクテル状態になっていて、すぐに気分が悪くなります。私が最初に身を入れた寝た場所は、エンジンのすぐ上で、天井と床の距離が40センチほどです。漁船の乗組員が沈没して助からないのは、こんな隙間で眠っているからでしょう。 エンジンが廻り始めると、その振動がそのまま身体に響きます。耳の中で平衡感覚を司っている石が踊り始めるようで、耳の奥がむずかゆくなり、そのうちに気が狂ったようになります。たまらずに、甲板に出て、寝袋に入り、その上から青いビニールシートをかけてもらって眠ることにしました。そのシートの上から、雨と波の飛沫が降り注ぎます。
「盥の中のように静かな海」といったのは誰だ!盥の中に、笹の葉で作った舟をうかべて、手を入れてかき回しているような海でした。それでも、スミス、ベヨネーズ列岩と潜水し、撮影して船をすすめ、鳥島までやってきました。この鳥島で船は先に進まなくなりました。フィリッピンにいる台風のためです。プロデューサーの大橋さん、ディレクターの山崎さんは、天候の心配で落ちつきません。台風が頭をもたげて北上するようであれば、すぐに全速力で八丈島に逃げ帰らなければなりません。台風が追いついてくると、電信柱よりも高い、20メートルほどの波が頭の上から落ちてくるのだそうです。ただただ、念仏を唱えて、泣きながら走るより他はないと船長は言います。船長は丸い身体の愉快な人で1キロ先から見ても漁師だとわかります。機関長は細長い体であごひげを生やしたファンキーなジャズフアンで船長と喧嘩ばかりしています。ついさきほども、「おまいなんか出て行け」と船長が怒鳴ると、「こんなぼろ船にいるものか出ていってやる」と機関長が怒鳴り返していました。この海の上で、何処に出て行くと言うのでしょうか。港に帰ったら出て行くための、予約の喧嘩をしているのでしょうが、この二人だけがたよりの私達としては二人の仲はとても心配です。が、赤間さんに言わせれば、いつものことで、全然心配はないそうです。
※この機関長は、僕が船に持っていったジャズピアノの山本剛のテープ聞いて感動し、
その後、山本剛を八丈島に呼ぶイベントをやった。おかしな人だ。
昨日、この鳥島で停滞しているうちに、いろいろと撮っておこうと、赤間さんが、30メートルまで素潜りで潜ってくるシーンを撮影しました。30メートル下でカメラを構えて水面を見上げると、遠く彼方に水面があります。赤間さんは水面から潜り込んできて、私のカメラの前で、反転して、上って行きました。
孀婦岩は、ウィキペディアによれば、東京の南約 650 キロメートル、鳥島の南約 76 キロメートルに位置する標高 99 メートル、東西 84 メートル、南北 56 メートルの顕著な黒色孤立突岩。火山性の玄武岩であり、頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。面積は 0.01 平方キロメートル。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西 2.6 キロメートル、水深 240 メートルには火口がある。
その形状のために上陸することは困難であるが、ロッククライミングなどで上陸・登頂した例がわずかに存在する(ただし転落事故も記録されている)。何れの町村に属しているかは未定の状態である。
周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。
私たちは、NHKの夏休み特別番組「東京無人島紀行」の撮影のため、八丈島を第五稲荷丸で出発し、スミス、ベヨネーズ列岩を撮影して、鳥島まで来たところで、フィリピンに発生した台風のために先に進むことを躊躇して、鳥島の島陰で停滞している。鳥島の先、孀婦岩に向かって進んで、台風が北上して来れば、遭難の確率が20%ぐらいある。
以下、再び娘への手紙である
7月15日
昨日撮影した赤間さんの30メートル素潜りがなかなか格好良かったので、私もやってみる気になりました。どうせ、島影で、台風の行方を天気予報で見守って停滞しているのでやることはあまりないのです。
気絶するといけないので、アシスタントをやっている鶴町君に下で見ていてもらうことにしました。彼はスクーバを付けて潜ります。
私は赤間さんのようなスキンダイビングのエキスパートではありませんから、スキンダイビングで20mを越したことがありません。学生の頃で、20mくらいでしょうか。
いまここで鼓膜を痛めてしまったら後の撮影の仕事が出来なくなります。本当は、こんな馬鹿なトライアルをしてはいけないのです。仕事中なのですから。
それでもやってしまうのが、ダイバーというものでしょう。それとも単純な馬鹿でしょうか。
身体にはウエイトは着けずに、手に6キロのウエイトベルトを持ちます。一番深くまで潜った時に手放してしまえば、楽に浮いて来られるはずです。捨てたウエイトは鶴町が拾ってきてくれる手はずです。
目標を26メートルとして、26メートルの位置に鶴町が待っています。赤間さんも一緒にスキンダイビングで潜ってくれます。
水面に浮いて下を見おろします。水は澄みきっていて、切り立った海底の崖の50メートルの底までが見通せます。崖の頂上は水深10メートルぐらい。崖の中間ぐらいに鶴町が私を見上げています。
肺にできるだけ沢山の息を吸い込みます。潜るときは、浮力をつけないために、肺に八分目ほどの息で潜るなどという人がいますが、とんでもないまちがいです。深く潜って行くにつれて水圧が増加して肺が圧縮されます。
肺がつぶれてスクイーズ状態になる深さが、特に肺活量の大きい人で50メートルが限度だといわれていました。ところが、フランス人のジャック・マイヨールは50メートルの壁をどんどん越えて、1970年には伊豆海洋公園にまでやってきて、76メートルの素潜り潜水に成功しました。潜って行き肺が縮むとそれにともなって横隔膜がせりあがって来て、肺が入っている胸腔が小さくなるのですが、彼は横隔膜の弾力性が大きいらしく、縮む率が大きくなっても耐えられるのでしょう。そして、身体中の血液が胸の大動脈の部分に集まって、大動脈は太く膨れ上がり、胸腔の隙間をちいさくするように働きます。これをブラッドシフトと言います。隙間がなければスクィーズにはならないので深く潜れるのです。
私は水面で、15回、強い深呼吸を繰り返します。肺の中の炭酸ガスを出来るだけ追い出してから潜降を始めると長く潜れるのです。強い深呼吸で肺の中の炭酸ガスを洗い流してしまう呼吸をハイパーベンチレーション(超換気)といいますが、このハイパーベンチレーションをやりすぎると、長く潜りすぎて失神してしまう危険があり、効果もあるが毒もあるという薬のようなもので、使いすぎることはできません。とにかく、肺一杯に吸い込んだ肺の中の酸素を出来るだけ長持ちさせて、水面に戻ってこなければいけないのです。深く潜るスキンダイバーは、多かれ少なかれ、このハイパーベンチレーションという毒薬を使います。酸素の消費を少なくするためには、身体の動き、筋肉の動きを最小限度にします。潜り込むときに水面をフィンでばちゃばちゃさせるなどという潜り方は酸素の無駄遣いです。水面に残る波紋もほんのちょっとだけ、なめらかに潜降を始めます。スキンダイビングでもスクーバダイビングでも、身体を出来るだけ動かさないようにすることが大事です。フィンを、もちろん手も、ほとんど動かさないで潜ったり浮いたり、進んだりできるのが理想です。スクーバダイビングで上手な人ほど空気の消費が少ないのは、筋肉を少ししか動かさないので、酸素の消費が少ないからなのです。もちろんスキンダイビングでも酸素の消費が少なければ長く潜っていられます。
耳管を開いて、耳抜きをしながら潜って行きます。耳の調子は良いようです。耳に少しでも負担がかかったら、潜降を停止しなければなりません。まだ、仕事の途中ですから、耳を痛めたら大変です。
自分の耳に神経を集中させているので、周囲の光景には目が行きません。もっともスクーバで赤間さんのスキンダイビングを撮影した場所ですから、別にその時と変わったこともないのですが、とにかく鶴町の居る、26mに到着します。このまま楽に30mに行ける。全然苦しさは感じません。もっと行けるかもしれない。ある深さを通り越してしまうと、生と死の限界まで苦しくなく潜れるらしいのです。そのかわり、水面でブラックアウトを起こしてしまいます。とにかく仕事中です。何かが起こったら大変です。潜り込んでいた26メートルで手に持っているウエイトを鶴町に手渡して、浮上します。そんなに長く潜っているわけではないので、心配はないのですが、一応失神に備えて意識が正常であることを確かめるように脳の内側をサーチします。このように、自分の身体の部分に意識を集中して確認することを、私は自分で「サーチする」と呼んでいます。スクーバで潜るときは、心臓の鼓動や手足の筋肉などもときどきサーチします。意識はなんともないようです。ウエイトベルトをつけて息こらえダイビングをしているときは、浮上する時はベルトに手をかけていて、意識がうすれそうになったら、ウエイトベルトを外して、海底に落とします。そうすれば、意識が無くなっても沈むことはなく、 水面に戻れば意識を取り戻すことができます。これは自分でやった経験ではなくて、鶴耀一郎が教えてくれた方法なのですが。
ウエイトベルトを26m地点で手渡して来たので、浮上速度も速く、ウエイトベルトに手をそえる必要もありません。水面に近くなったら、浮上速度をゆるめるようにします。速度をゆるめた方が、圧力変化が緩やかになり、意識を失う可能性が小さくなると言われています。ところでは問題ないのですが、ダイビングポイントなどで走ってくる船の多いところでは船に衝突しないように、浮き上がる時に船の接近を確認することも大事です。
ウエイトベルトをつけていない浮上では、速度をゆるめることが難しいのですが、一応努力はします。手足を広げて大の字になって、抵抗を増やして速度をゆるめます。見上げる水面がきれいだと思う暇もなく、水面を割って、顔を出しました。
赤間さんが泳ぎ寄ってきてほめてくれます。「いやー、素潜りもできるのですねえ。びっくりしました。」最大の賛辞と受け止めて、とても気持ちが良かったです。
結局のところ、この手紙は、娘に渡したが、娘からは返事は来なかった。
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0729 豊潮丸航海 2019
http://jsuga.exblog.jp/29544373/
2019-07-29T14:14:00+09:00
2019-07-29T14:16:46+09:00
2019-07-29T14:14:53+09:00
j-suga1
旅行
80歳以降、毎年、今年で終わりかなと思い続けている。今年も迷ったが、いろいろ迷うけれど、道が尽きるまで、行くのが旅の心だ。行けるところまで、ベストを尽くして行くしかない。
それに今年は、日本水中科学協会の理事をお願いしている久保さんの扱っているDPV(水中スクータ)を使ってみるということになり、久保さんが行くならば、僕のフィジカルが役に立たなくても、大丈夫、本当に辞めるときの引継ぎも考えて、行くことに決めた。
今年の航海 行程、呉を出港して、関門海峡を抜けて、対馬に、そして、五島に下り、長崎、佐世保を経由して帰ってくる。
今年のメンバーは、広島大学の平山先生のスノーケリンググループと僕たち、早稲田大学の中尾研究室、北海道大学の酒井先生のグループは、不参加、で、二つの大学になった。 僕たちのメンバーは、須賀、久保彰良が、スーパバイザーで、中尾先生、それに、町田君がドクターになり、研究員になって中尾先生の助手、彼が全部をまとめてくれる。
DPVを走らせる、町田君、つかまっているバディが西岡君
学生は、新たに西岡君がダイビングに参加することになった。辰巳で一日だけだが、スキンダイビングのテストをして、6月4日に潜水士の試験をうけ、久保君の紹介で、PADIのショップで、Cカードを取得した。研究者、学生のダイビング作業は、潜水士の資格とCカードが必要である。あとは、経験を積んで行けば良い。
西岡君は体力抜群で、身体も大きく、ウエットス
ーツはXLサイズ、僕の潜水機材の整理収納もやってくれる。特には頼んでいないのだが、やってくれる。
今年の新たな展開は、久保君のDPVの試用、そして、町田君、西岡君が、僕のスタイルのウエアラブルカメラでの撮影をするようになったことだ。僕のスタイルとは、画面にタイム表示が出来るウエアラブルカメラを各自が持ち、動画を全潜水時間継続記録しておくことだ。これによって、安全管理の面でも、研究資料としても、大きな効用がある。この場合大事なことは、画面に日時表示がでることである。2011年、go-proがでて以来、研究、追求してきた手法なのだが、go-proは、なぜか、タイム表示が画面にでないので使えない。なぜかわからない。変なポリシーがあるのかもしれない。
もっとも、タイム表示がでても、go-proは高価(4万円以上?)なので、使わない、使えないだろうが。カメラは、AKASO brave(僕が使っているものと同じ。9000円)で、消耗品的に使って、画質も満足できる。
これまで、撮影記録も僕の仕事だったのだが、全員がカメラを持ったので、その意味では失業?いや、撮影記録の指導という意味では、仕事を果たしたことになる。
中尾先生のカメラシステム、前から使っているキャノンの上に、LCDライトを載せ、その上にウエアラブルで動画を撮る。
町田君の使う棒の先カメラシステム、
0714日
0700 羽田発 ANA
広島空港からバス 1300円 広島駅
駅で学生たちと合流
学生は
中村 田中 西岡 中込、そして 町田君 それに女子2名、山崎瑞穂 滝口ありさ さん 美人さんでダイビングはしない。標本の記録とか整理を担当する。 13時豊潮丸出港
痛恨の忘れ物、 ウォーターボトル
PCは、古い、まだ中国製にならない前のIBM シンクパッッドをもってきた。キーボードが打ちやすい。2007年以来この航海で使っている。壊れたら捨てるつもりだが、壊れない
僕は教授個室を占領していて、心苦しい。
出港
学生の緊急避難訓練
7月15日 ログ date 2019 0715
①目的:(タイトル) 豊潮丸
③場所 対馬
④スポット 仁田湾 杓子灘
⑤天候 晴れ
⑥風 なし、
⑦水温 25℃
⑧透視度 20ー30 m
⑨潜水開始 1335
潜水時間 42 分 ターンプレッシャー 50
⑩最大水深 10,7m アベレージ 7m
⑪潜水終了 14時18分
⑫インターバル プラン
⑬チーム 須賀 中尾 久保 町田 西岡
ユニット
⑭バディ 久保・中尾 でDPVを 須賀 町田 西岡はいつも通りの採集と考えた。
⑮残圧 20 ⑯適要 巻き尺ラインを引いたので、バディといより、全員チームで動いて久保さんの DPV をテストした。
別に難しいところではなかった。例年通り、岩礁地帯の岸近く、水深2ー3mにアンカーを入れて、ゴムボートを留める。流れはない。アンカーから、沖、深みに向かって斜面を下るように巻き尺ラインを延ばしていく50mも延ばすと、水深10mになった。これがベースラインで、ここから、右方向、あるいは左方向に、中尾先生が決めた方向に進んでいく。場合によってはラインに沿って、ラインからあまり離れないでも、採集ができてしまうこともある。ラインに沿うのが従来のライン調査なのだが、僕らは、この調査では、ラインを、ボートに戻るマーカーとして使っている。 海に潜り 予定通り?身体は回復したが、ゴムボートの上でのフィジカルがどうにもならないほど動けていない。ゴムボートの上で、12リットルのタンク、8キロのウエイトを着けると、身動きができなくなってしまうのだ。
それに、ゴムボートの上というのは、どこもかしこもブヨブヨしていて、身体の支えをしっかり出来ない。なんとか、飛び込んでかっこうをつけた。
7月16日
ログ date 2019 0716 ①目的:タイトル 豊潮丸
③場所 対馬
④スポット 厳原 川内さんのお世話になる。
⑤天候 晴れ
⑥風
⑦水温 24℃
⑧透視度 20ー30 m
⑨潜水開始 1119
潜水時間 47 分 ターンプレッシャー 50
⑩最大水深 9,7m アベレージ m
⑪潜水終了 12時 6分
⑫インターバル プラン
⑬チーム 須賀 中尾 久保 町田 西岡
ユニット
⑭バディ
⑮残圧 20
⑯適要
日本の海は、津々浦々、どこに行っても、岸近く、地先の海は、漁協の管理下にある。大学の練習船で、学術研究のための採集である。無断でとは言わない。許可を申請すれば採集が許可されるか、というと、そうはいかない。しかるべき、伝をたよってお願いしなければならないのが、日本の海。
対馬はダイブウエイズの武田社長の故郷なのだ。武田さんの弟にあたる川内さんにお願いして、採集が出来ることになった。 バディの組み合わせを変えて、いつも通りの僕と中尾先生のバディ、町田、西岡の学生バディとして、久保さんは統括的に二つのバディを見張り、必要があれば、手助けする。これが鉄壁の体制。
各バディにDPV(スクーター)を渡して移動はこれでやる。
なに、たかだか100mの範囲なのだから、実質的にはDPVは、必要ないし、これまでも無しでやってきた。試用、実験であり、結果を町田君にでも発表してもらえたら、と考えた。 久保さんの扱っているDPV、SUEX は、イタリー製である。手放せば、離した位置で、中性浮力で、静止している。目に見えない棚に載せておくような感じだ。そして、その棚は、任意の位置である。ハーネスで身体と連結しているので、離れていく心配もない。
中尾先生がDPVを持つ、これに掴まって走り出した時、僕は、その身体のどこかに掴まれば良い。トルクが強いので二人を楽々と運んでいく。もちろん、練習して練度を上げなくてはダメだが、豊潮丸の航海では、危ない思いをした瀬戸内海では、危ない思いをしなくて済んだだろう。そう、流れのあるところで威力を発揮する。もちろん、広範囲の移動、捜索にも。ラインを引く、ラインの撤収には、最高だ。
対馬のように楽な場所では、不要と思っていたが、楽な場所で使って練度を上げておかなくては、必要な場所で使えない。道具にしておかなくては、道具は使えないのだ。
ぼくも、嘗て、スクーターをずいぶん使った。たとえば沼沢沼発電所取水トンネル、人工魚礁の捜索 定置網の点検など。そのとき使ったどれよりも、これは、使いやすい。
このDPVを使って、僕はスクーターというものの認識を新たにした。これまでの、僕の使い方では、一人に一台だった。今回はバディで一台づつ使った。一人がハーネスで、DPVと繋いでいて、走り始まったら、それに掴まれば良いのだ。これによってバディシステムも完全に行われることになる。そして、かなり広範囲に動き回っても、元に戻る為のランドマークとしてラインがある。https://amtec-adv.com/?purpose=leisure
DPVは、上記URL.で詳細がわかる。 アムテック XJ VR
ハーネスで、腰に付けている。
手放して、採集していても、近くに中性浮力で浮いている。
16日2回目 通算3回目 ①目的:タイトル 豊潮丸
③場所 対馬
④スポット 厳原
⑤天候 晴れ
⑥風 なし、
⑦水温 24℃
⑧透視度 20ー30 m
⑨潜水開始 1530
潜水時間 47 分 ターンプレッシャー 50
⑩最大水深 7。8m アベレージ m
⑪潜水終了 1617
⑫インターバル プラン
⑬チーム 須賀 中尾 久保 町田 西岡
ユニット
⑭バディ 須賀:中尾
⑮残圧 30 ⑯適要
ボートに上がるときにウエイト落とす。ウエイトなしで4m潜り拾うのに命がけ状態だったが、拾い上げた。しばらくは、息が弾んでいたが、不整脈はでなかった。 予定では川内さんが豊潮丸に来てくれるのをゴムボートで迎えにいく手はずだったが、川内さんが自分のボートできてくれることになった。
結局は、そのボートもゴムボートには着けず、すれ違い手を振っての挨拶にとどまった。テンガロンハットをかぶった姿は武田さんそっくり。会うのを楽しみにしていたのに、記念写真も撮れなかった。残念。
7月17日
上五島
五島も研究の為とは言え、勝手に潜水、採集できるものでもない。地元でのお世話を2007年にも手伝ってもらった、ナイスバディというショップ、今田さんにおねがいした。今田さんは代々の漁家であり、話が通る。
今田さんは、久保君がPADIの役員だったときに、20年前にPADIのインストラクターになって、よく知っていたとか、互いに再会を喜ぶことになった。
通算4回目の潜水
①目的:タイトル 豊潮丸
③場所 五島
④スポット 上五島 祝言島 ナイス;バディの船
⑤天候 曇り 一時雨
⑥風
⑦水温 21℃
⑧透視度 10ー15 m
⑨潜水開始 1046
潜水時間 46 分 ターンプレッシャー 50
⑩最大水深 12・7m アベレージ m
⑪潜水終了 1112
⑫インターバル 18時間42分
⑬チーム 須賀 中尾 久保 町田 西岡 ナイスバディ 今田さんのガイド2名
ユニット
⑭バディ 須賀・中尾 町田・西岡 久保総括 ガイドがそれぞれのバディに着く
⑮残圧 30
⑯適要
対馬からほんの少し南下しただけなのだが、梅雨前線の縁に入り、天気が悪くなった。朝は雨だったが、幸い、潜水する時には上がり、迎えにきた今田さんのボートでポイントに向かう。
透視度も悪くなり、水温も低くなり寒くなったが、採集には良い場所だった。今田さんのところの、よく身体の動く、若い衆、ガイドダイバーが中尾先生のサポートをしてくれたので、須賀は何もする事がなくなり、撮影に専心。あがりやすい梯子で、やはり、、ダイビングボートは、ダイビングがやりやすい。 次の潜水まで1時間と少し、その間に豊潮丸で昼食をとる、ウエットスーツを脱いだら、喜るのが難儀だ。久保君がシチューとおにぎりを作って持ってきてくれた。今田さんと昔話をすこしする。
月刊ダイバーで、潮美が訪ねていたとか。
AKASO braveのバッテリー交換なのだが、部屋でチャージしていたので、ウエットスーツでは、取りに入れなかった。ゲージを見たらまだ半分以上残っている。大丈夫とした。
そのために、次の潜水では、痛恨のバッテリーアウトをする事になる。
17日2回目潜水通算5回目の潜水
①目的:タイトル 豊潮丸
③場所 五島
④スポット 上五島 祝言島 ナイス;バディの船
⑤天候 曇り
⑥風
⑦水温 21℃
⑧透視度 10ー15 m
⑨潜水開始 1315
潜水時間 46分 ターンプレッシャー 50
⑩最大水深 13。1 m アベレージ m
⑪潜水終了 1401
⑫インターバル 1時間42分
⑬チーム 須賀 中尾 久保 町田 西岡 ナイスバディの2名
ユニット
⑭バディ a 須賀 中尾 b 町田 西岡 総合的ウオッチ久保
現地 ナイスバディ のガイド
⑮残圧 20
⑯適要
この旅で一番 良いSPOTで、(ダイビングスポットの意味ではない)採集に良いスポット)で中尾先生も、もう一度来たい場所だと言っていた。
その良いポイントというのに、動画がバッテリーアウトしてしまった。スチルしか撮っていない。まあ、記録としては問題ないけど。
潜水終了後 下五島の福江島にまわり、入港した。
今回の航海で初の寄港(岸壁着眼)である。
福江は大きい町だが、やはりシャッター街、その代わりに、大きなスーパーがある。日本のローカルの定まりパターンだ。
ホテルと見まがう福江城石田城跡(観光資料館)があり、大きなホテルも2軒ある。観光資料館は、閉館した後で入れなかった。残念。
五島は、うどんが五島うどんとして有名で、もちろん食べた。学生は地獄炊きという鍋から直接食べるのをとり、ぼくはふつうの「かけ」を食べた。
船の生活をこのあたりで、
中尾教室では、学生のオモチャ?にドローンも買ったが、これが飛ぶ姿を見ることは無かった。
船が仮泊するときは、船員も学生も、釣に興じる。僕は釣はやらない主義。
食事、
7月 18日
夜のうちに走って、長崎へ。
通算6回目の潜水
①目的:タイトル 豊潮丸
③場所 長崎 大蟇島 オオヒキジマ
④スポット
⑤天候 雨
⑥風
⑦水温 23 ℃
⑧透視度 15ー20 m
⑨潜水開始 1248
潜水時間 54 分 ターンプレッシャー 30
⑩最大水深 8。8 m
⑪潜水終了 1342
⑫インターバル 22時間
⑬チーム 須賀 中尾 久保 町田 西岡
ユニット
⑭バディ 須賀:中尾
⑮残圧 20
摘要
最後の潜水 雨だったが潜水中はひどくは降らず、全潜水 6回無事に終えることが出来た。
この潜水での失敗は、水面でのタンク着で引っかかってしまって、久保さんに世話になり恥をかいた。練習していないためだ。そして、腕が回らなくなっている。
場所は、想像していたよりも、良い場所だった。
長崎では昔、流れでひどい目にあったので、心配していたのだが、流れはなく、波もなくよかった。
流れがあるところで、タンクを水面で着る失敗は、いけない。
6回、すべての潜水を細かい反省事項は、ともかくとして、大きな失敗無く終了できた。
長崎に入る予定が、変更になり、夕方、佐世保に入港 フェリーターミナルには、立派な食堂街があり、雨風が強くなっていたので、そこで食事した。しゃれた、イタリアンでおいしかった。
19日 僕と中尾先生、久保君の3人は、一足先に、東京にもどった。
僕たちと入れ違うように北上していた台風が対馬と五島に大雨を降らせる。この台風とすれ違ったこと、ラッキーだった。
第11回の航海を終えて、第1回はただ、飛び込んで潜水して、浮上して拾ってもらう。第2回から水面にゴムボートを浮かせて、ラインを使う潜水。第7回の瀬戸内海の流されそうな潜水も経験して、この手法を完成させてきた。それに、今回はDPVを使い、各自がウエアラブルカメラで動画を記録撮影する。はるばると道のりをたどってきたが、このような調査手法の確立でもあった。ポイントは、ライン調査のラインを、サーフェスコンタクト(ゴムボート)のマーカーとしても、使うところである。
このマーカーがあれば、DPVで走り回っても、ゴムボートに間違いなく戻れる。
全員がウエアラブルカメラを持っていて撮影する手法も、2012年以来、志して来たが、このチームで、実現しそうである。試しにやってみるというのと、道具になっている、ということの間には、飛び越えなくてはならない、溝がある。もう少し、がんばりたい気持ちになっている。どうなるかわからないが。
日本で、実際の海で、調査の回数を重ねながら、潜水手法の発展も進めてきたチームは、私たちだけではないかと思う。
久保君とそのことをまとめた本にしようという計画もあるのだが、この旅で、何となく、形が見えてきた。
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0724 豊潮丸 航海 2007~
http://jsuga.exblog.jp/29536902/
2019-07-24T16:14:00+09:00
2019-07-24T16:17:29+09:00
2019-07-24T16:14:42+09:00
j-suga1
旅行
豊潮丸航海
今年も7月14日に東京を飛び立ち、広島県呉から、広島大学の練習船豊潮丸に、早稲田大学中尾研究室、広島大学平山先生のグループが行う、航海、サンプリング実習に同行することができた。 毎年、これが僕にとってのこの航海の最後だと言っては、また出かけていく。同行してくれた久保君に「何時が最後なのやら?」と笑われているが、都会では半ば病人だが、海にでると活力を取り戻して、戻ってくる。
でも、このあたりで、ちょっと総括しておこう。
2007年 第一回(僕として)航海
この航海への同行を始めたのは、2007年、この豊潮丸4世が新造船で就航した最初の年だ。僕は72歳だった。
この年の僕のサポートは、鶴町君で、車にタンクを積んで、東京から呉まで、二人交代で運転し、走っていった。東京を午後にでて、夜通し走って、翌日の午前中に呉に到着した。 2007年の目的地は、奄美大島だった。豊潮丸は、400トン(総トン数は200)で、一週間の航海で、日本の南半分のほとんどをカバーしている。台湾まで行かれるそうだが、一応、奄美大島が通常航海の南限になる。
奄美大島では、大島海峡、瀬戸内の諸鈍、安脚場で潜ったが、この時代の流儀は、本船(豊潮丸)からエンジン(船外機)付きの、ゴムボートにタンク、潜水器財と人間、僕たちダイバーを積んで発進する。中尾先生は、この航海(潜水)になれていて、採集の場所の見当を知っている。その場所は、いわゆるレクリェーションダイビングのダイビングポイントとは、少し違う。
岩の陰、隙間などにひっそりと張り付いている海綿など、無脊椎動物をナイフで剥がしとって採集するのだ。
採集場所にくると、ゴムボートからタンクを下ろし、水面で身に着け潜水を開始するとゴムボートは戻って行ってしまう。広島大学のチームがスキンダイビングで海藻の採集をしているのと、かけ持ちしているのだ。
時間がくると、浮いて待っているか、岸に這い上がっている僕たちをピックアップしてくれる。
この年は奄美から戻り道、屋久島で潜水して帰港した。ほぼ一週間の航海である。
2008年、第2回航海は、6月 対馬と五島、つまり今年2019年と同じだ。対馬、厳原では、「アビス」というダイビングショップの平江さんにお世話になった。ダイビングサービスのお世話になるときには、ショップの使うボートそしてガイドで、通常のレジャーダイビングとあんまり変わらない。
この年から、中尾教室の学生、前嶋君 勝俣君が参加する。この二人は全くの初心者で、チームがバラバラになってしまったり、ポイントによっては、潜降索が用意されていなかったりして、怖い思いをした。
五島では、ナイスバディというお店のお世話になった。2019年、今年も、そのお店のお世話になった。オーナーは今田さんで、普通の漁家をショップにしていて、それがおもしろかった。 その後、熊本の牛深にまわり、ニュース・ステーション時代におせわになったショップ、富川さんのお世話になった。そのニュース・ステーションの時、潮美が抱いて記念写真を撮った女の子が、嫁に行ったとか、20年の月日が流れている。
この年は、三カ所全部、ダイビングサービスのお世話になった。
呉に戻り、ヤマトミュージアムを見て、16時に呉をでて、車を走らせ、明け方の4時に東京、早稲田大学に着いた。 牛深に向かう途中でであったイルカ
牛深の海底風景
2009年 7月9日~ 第3回(僕が同行しはじめてから)
広島大学 堀教授 平山真 助教授とその学生たち
早稲田大学 中尾先生 前嶋君 勝俣君
それに
北海道大学 酒井教授 松永さんPHD
ダイビングのスタイルを僕の方式に変えた。
僕は、サーフェスコンタクトと呼んでいるのだが、水面に浮かべた何かと、ダイバーを必ず、何らかの方法で連携させて潜る。 曳航するゴムボートに乗っているのは鶴町
別のゴムボートを用意して、エンジン付きゴムボートで曳航していき、潜るポイントに浮かべアンカーで留める。
そして、そのアンカーから巻き尺 50ー100mを延ばす。このラインの上で、ラインの見える位置で採集する。ラインから離れて泳いで行っても、後戻りすれば、ラインは簡単に見つかるし、ラインをたどってゴムボートに戻れる。この方法は今と同じだが、今はゴムボートを並べて保持して走る。2008年は曳航である。
このときも、鶴町と一緒で、曳航するゴムボートには鶴町が乗っている。残念なことに、鶴町は2010年の1月に亡くなってしまった。今でも、鶴町さえいれば、と思うことが度々である。奥さんの雅子さんが僕をたすけてはくれているが。
種子島、鹿児島県 馬毛島、下甑島 串木野沖 天草 長崎を回る。
広島大学の海藻採集はスノーケリングで、その面倒も少し見させてもらった。
長崎では、市内を端から端へと歩き回る、僕にとっては、恐怖の大遠足を行った。
僕は、教授の一人部屋を使わせてもらっているので、気がひけている。
学生サロン、食堂
2010年 7月 これで4回目の航海
学生は喜納君が参加。 アシスタントとは高橋稔さんだった。
伊予灘の小水無瀬島に潜水、ここは良いポイントだった。
愛媛県長浜港で、夜、生きたアオイガイ(タコブネ)を掬った。
佐多岬の瀬戸内海側と回り込んだ小梶谷鼻を潜る。
宿毛に入港して、旧知のダイビングサービス森田君のお世話になる。
沖の島に潜水
土佐清水港入港
高知港 高知遠足
アオイガイ
2011年 7月 6日から これで5回目の航海
町田君が参加して 学生は喜納君と町田君、町田君はCカードとったばかり、
屋久島で潜水 榎田君のダイビングサービスでお世話になる。
台風のために硫黄島に行けないで、指宿遠足
竹島 大水無瀬島、小水無瀬島
石川総一郎さんにアシスタントをお願いしている。
ゴムボートとラインの潜水は安定している。ゴムボートも曳航ではなく、横付けで走る。
学生の緊急避難、防火訓練
2012年 7月1日~ これで6回目の航海
奄美大島
僕が1956年に一ヶ月滞在してはじめてスクーバダイビングを経験した、瀬戸内町の久根津のダイビングサービス、こほろの太田さんのお世話になる。
1956年の僕と古に屋の港
部落の古老を集めて、僕の学生時代の滞在のことを聞いてみたけど、もちろん誰も知らなかった。
学生は喜納君、町田君で、サポートは石川惣一郎さんにお願いする。
2007年にも潜った安伽場で潜水するが、太田さんのボートとガイドで潜水すると、ガイド無しの2007年とは全く別の場所になる。 マスクマウントで記録している。ラインが見える。
徳之島では、ガイド無し、ゴムボートの潜水
トカラ中之島は、港内での潜水
2013年 7月4日~ これで7回目の航海
瀬戸内海周航
学生は町田君
愛媛県 ひょうたん島 流れが速く、チームがバラバラになる。バディは崩していない。流れをさかのぼることができず、岸に上がる。 瓢箪島
風の子島
瀬戸内海というと静かなイメージがあるが、流れが速くて危険な海だ。
淡路島 由良
良いポイントだったが、僕は水面でのボンベ着に失敗する。腕が回らなくなっているのだ。
備後瀬戸 佐柳島(さなぎ島)ここも流れが速く(1。5ノットくらい)、ゴムボートに戻るのが危ないので、岸に上がる。
マスクマウントでの撮影記録で、それぞれの動きがわかった。
北大のチームまで責任を負って見なくてはいけないのか、その隙に早稲田の僕たちのチームが事故を起こしたら、どうなのだ。
佐柳島(さなぎ島)流れが強い
ボートが近くに居るので遭難ではないが、そのボートに泳いで行けない。
神戸港沖では機材を積んだゴムボートが転覆した。
瀬戸内海は一番大変だったが、得た経験もたくさんあった。
2014年 7月5日~ これで8回目の航海
日本海 隠岐の島
学生は、町田君、石橋君
山口県長門市の青海島 見島
境港で反転 嶋根半島で潜水
中尾先生はダイビング歴30年近い、ベテランであり、豊潮丸の潜水も20回を越えている。現場での動き、採集ポイントの選定は中尾先生がおこなう。僕の役割は、ゴムボート、巻き尺ラインなどこの潜水のシステムを作り、学生の潜水を指導する。僕が関わるまでの潜水は、ゴムボートからエントリーしたら、ボートは戻ってしまい、浮いたならば本船から双眼鏡で見ていて、迎えにくる。流されて当然の潜水だから、自由度は大きいが危険も大きい。僕のスタイルはゴムボートからの半径が100m程度だから自由度はないが、一般のレクリェーションダイビングよりも安全度は高い。
2014年の日本海航海、航路、サロンあって、現在位置と航路がわかる。
日本海「
風呂です。
コンプレッサー
2015年 7月24日~これで9回目の潜水
80歳になる。
学生は町田君 石橋君 相馬里奈さん(女性)早稲田のダイビングクラブ出身だから、完成されたレジャーダイバーといえる。
僕のアシスタントは鈴木敏久君
このころまで、日本水中科学協会のプライマリーコースがあったので、みんなそれを受けている。サイエンティストのダイビングには、これが一番、良いコースだったのだが、プライマリーを続けられなくなってしまっている。
奄美大島まで行く予定だったが台風の接近で行かれない。
長浜港に入港し 小水無瀬島で潜る。この島は中尾先生のお気に入りだ。
周防大島
豊後水道をでて、宇和島沖、日振島潜水 宇和島港入港
宇和島由良岬潜水、
宿毛ではパシフィッマリンの森田君のお世話になる。森田君は旧知、足摺沖の浮き魚礁、黒潮牧場の調査で、無理な潜水をお願いしたこともある。
沖の島に潜る。採集場所として、その後毎年のように通うことになる。
土佐清水入港 土佐清水港内で潜水。港の出口あたりの岩礁が、良いポイントである。
ブログにこんなことを書いている。
「これで僕の80歳の夏が行ってしまう。次の夏が僕にはあるのだろうか、もう一度この旅に来られるのだろうか。海の上にいると、もちろん身体は疲れるが、次第に絶好調になってくる。そしてまた、東京にも度って半病人になるのか?
学生たちには、これから何度も何度も、人生の夏がある。」
「大学と言うところは、研究とともに教育の場なのだ。その教育、海の教育に、広島大学の練習船、豊潮丸は、ずいぶんと大きな役割を果たしている。広島大学だけではなく、いくつもの大学が、僕たちのように載せてもらって、年間のスケジュールがフルに消化されている。」
2015年にこんなことを書いた。
2016年 7月16日~ これで10回目の航海
僕は81歳になった。
関門海峡を抜けて 壱岐の芦辺南 で潜る。
学生は、町田、相馬里奈、 中尾先生 須賀 鈴木(ライフガード)
北大が酒井先生と学生1名 7名分の器財をゴムボートに積む。
壱岐、郷ノ浦 恐怖の遠足 そして夜はバーベキュー
上五島 宇久島沖潜水
下五島 多々良島沖 潜水
福江入港
南下して牛深に向かう
牛深 下須島沖 潜水
枕崎沖 番所鼻沖 潜水
山川港入港 猫がいて仲良しになる。
2017年、中尾教室の潜水はお休み
2018年 豊潮丸エンジン故障のため、航海取りやめ
そして2019年 今年だ。]]>
1982 東京無人島紀行
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2018-09-29T22:35:00+09:00
2018-09-29T23:17:22+09:00
2018-09-29T22:35:01+09:00
j-suga1
旅行
大学一年の潮美 プールは新宿のDOスポーツです。
NHKのソウフ岩みました。はっきり言って無理なつくりです。なぜ、いるわけもないシーラカンスにこだわらなければいけないのだ。ソウフ岩だけで十分に番組がつくれるのに、と。でも赤間君が出てきてなつかしかった。赤間君と,ソウフ岩をバックにツーショットを撮った写真があったと探したのですが みつからない。検索したら,古いブログが出てきたので、
この文章は、1982年、娘の潮美が法政大学の一年生、ダイビングクラブに入った時、娘への手紙の形で、ダイビングのことを書き、やがて出版しようとして書いたものだ。その後、娘はニュースステーションの水中レポーターで有名になったから、出版できないこともなかったのだが、娘の同級生が事故で亡くなってしまったためにつつしんでしまった。
好きな文章だったから、どこかで人目に触れさせたいと思っていた。
富士マリアナ火山列島の八丈島と小笠原の中間点たりにある鳥島の入り江に船を止めて、うねりに身体を揺られながら書いています。私は船に酔う人です。そのことを人が聞くと、「ええっ!」と驚くのですが本当です。船に酔わない人にとって、海の仕事は船遊びですが、船に酔う人にとっては、難行苦行です。それに耐えて海に出るのですから本当に海が好きなのです。(その後、潮美がニュースステーションなど海の仕事をすることになり、船酔いは遺伝することがわかった。)今度の航海では、(広島大学の練習船、豊潮丸に乗っていた時に書いた)毎日朝起きると酔い止めの薬を一錠ずつ飲んで、過ごして来ました。薬なんてスパシーポ効果(暗示効果)があるだけだと、どこかのテレビ番組で実験をやっていましたが、私にとっては、確かに効果はあります。
しかし、今回の船の旅も日を重ねるうちに錠剤も飲まなくて大丈夫になり、うねりに揺られながらものを書けるところまでに慣れました。やはり、船酔いは慣れで、克服できます。神経が過敏なだけなのですね。
鳥島はアホウドリの繁殖地として保護が行われている島です。アホウドリは英語ではアルバトロスですが、アルバトロスと言うと、雄大な翼を拡げて大洋を遠く旅する海の王者の姿が思い浮かびます。アルバトロスは、長い翼で滑空する鳥ですから、着陸してしまうと長い翼を引きずって歩かなければならないのでよちよち歩きです。飛び立つ時は長い滑走距離が必要です。海から飛び立つのならば長い滑走距離が取れるのですが、陸からの離陸は崖から飛び降りなければ飛び立てません。だから絶海の孤島で繁殖していたのですが、人に見つけられたのが最後で、飛べないでよちより逃げるだけですから、いいように撲殺されて、羽根布団の材料にされてしまいました。ほとんど逃げずに殺されたので、アホウな鳥と呼ばれたと聞きます。明治時代から撲殺が繰り返され、絶滅に瀕してしまいましたので、今は、保護に大わらわです。ここから、アホウドリの飛び立つ崖が見えます。営巣のために卵が崖から転げ落ちないように植え付けた草も見えるのですが、許可なく上陸して近づくことはできません。
私の乗っている船は、第五稲荷丸、19.99トン、つまり20トン未満のトビウオ漁の漁船です。この船で八丈島を出発し、目指すのは絶海の孤島、孀婦岩(ソウフ岩)です。孀婦岩は、孤島というよりももっと小さくて、海の真ん中に鉛筆を立てたような岩です。八丈島の潜水漁師であり、古い仲間でもある赤間君が、この孀婦岩に大きなイソマグロを突きに行くドキュメンタリーの撮影に出かけて来ています。
小さい船で、沖合遥かに出かけるにはこの季節、梅雨が終わりかけて、まだ本格的な夏が始まらない時期が良いとされています。「まるで盥の中のように静かだよ。」と聞かされてでてきたのですが、今年は梅雨が終わらないうちにフィリッピンで台風が発生して、孀婦岩まで行かれるかどうか、危ない状況です。
夏かぜをひいてしまい、八丈島をでるときは、8度の熱がありました。夜8時の出港で、港をでると同時に雨がしとしとと降り始めました。一応寝る所はあるのですが、小さい船で、船員の寝るスペースは、船室の床とエンジンルームの間の空間です。その空間ではディーゼルの匂いと魚の匂いがカクテル状態になっていて、すぐに気分が悪くなります。私が最初に身を入れた寝た場所は、エンジンのすぐ上で、天井と床の距離が40センチほどです。漁船の乗組員が沈没して助からないのは、こんな隙間で眠っているからでしょう。 エンジンが廻り始めると、その振動がそのまま身体に響きます。耳の中で平衡感覚を司っている石が踊り始めるようで、耳の奥がむずかゆくなり、そのうちに気が狂ったようになります。たまらずに、甲板に出て、寝袋に入り、その上から青いビニールシートをかけてもらって眠ることにしました。そのシートの上から、雨と波の飛沫が降り注ぎます。
「盥の中のように静かな海」といったのは誰だ!盥の中に、笹の葉で作った舟をうかべて、手を入れてかき回しているような海でした。それでも、スミス、ベヨネーズ列岩と潜水し、撮影して船をすすめ、鳥島までやってきました。この鳥島で船は先に進まなくなりました。フィリッピンにいる台風のためです。プロデューサーの大橋さん、ディレクターの山崎さんは、天候の心配で落ちつきません。台風が頭をもたげて北上するようであれば、すぐに全速力で八丈島に逃げ帰らなければなりません。台風が追いついてくると、電信柱よりも高い、20メートルほどの波が頭の上から落ちてくるのだそうです。ただただ、念仏を唱えて、泣きながら走るより他はないと船長は言います。船長は丸い身体の愉快な人で1キロ先から見ても漁師だとわかります。機関長は細長い体であごひげを生やしたファンキーなジャズフアンで船長と喧嘩ばかりしています。ついさきほども、「おまいなんか出て行け」と船長が怒鳴ると、「こんなぼろ船にいるものか出ていってやる」と機関長が怒鳴り返していました。この海の上で、何処に出て行くと言うのでしょうか。港に帰ったら出て行くための、予約の喧嘩をしているのでしょうが、この二人だけがたよりの私達としては二人の仲はとても心配です。が、赤間さんに言わせれば、いつものことで、全然心配はないそうです。
※この機関長は、僕が船に持っていったジャズピアノの山本剛のテープ聞いて感動し、
その後、山本剛を八丈島に呼ぶイベントをやった。おかしな人だ。
昨日、この鳥島で停滞しているうちに、いろいろと撮っておこうと、赤間さんが、30メートルまで素潜りで潜ってくるシーンを撮影しました。30メートル下でカメラを構えて水面を見上げると、遠く彼方に水面があります。赤間さんは水面から潜り込んできて、私のカメラの前で、反転して、上って行きました。
何とかソウフ岩まで行ったのですが、波の中を飛び込み,赤間君が鮫の群れの中を泳ぐシーンをとり、反転して八丈に逃げ帰ってきました。鮫が好評で視聴率はよかったです。
ああ、そうだ、このとき一緒に行ったアシスタントは鶴町で、2カメで、僕が撮影しているところを鶴町が撮る設定でした。
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0630 6月25日 海豚倶楽部沖縄 2
http://jsuga.exblog.jp/28414273/
2018-06-30T18:51:00+09:00
2018-06-30T18:51:01+09:00
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j-suga1
旅行
この10年、僕が沖縄本島でビーチエントリーで潜った場所は、糸満の先のジョンマンビーチぐらいで、後は30年前か?広部君と恩納村の二カ所潜った。そして、潮美が女子大生のころ、マエダ岬。
この10年は、ほとんどボートだったから、ビーチについて、全く事情はしらない。たしか、沖縄でのスキンダイビングのロケーション、参考書を買ってあったはずだが、必要になって探すと見あたらない。
聞けば沖縄本島では、ビーチからのスキンダイビングはやらせない、とか。噂だけにしても信じられなかった。スキンダイビングは、ダイビングの基礎、大本ではないのか。
スノーケリング、スキンダイビング、フリーダイビングの区別、線引きも、スキンダイビング・セーフティの改訂版で提案したばかりだし。どういうことなのだと知りたかった。
ライフジャケットを着けたスノーケリングは、安心だ。フリーダイビングは、自己責任が明確だし、それにいろいろ安全策を講じているようにみえる。
スキンダイビングがよくわからないものになりかけているのだろう。
スキンダイビングもスクーバもほぼ同じ程度危ないとすれば、スクーバダイビングはダイビングショップが管理できるから、責任はダイビングショップにある。スキンダイビングだってダイビングショップが管理すれば良いのだが、ショップに行かなくてもスキンダイビングはできる。ダイビングショップがスキンダイビングに熱心ではない。スノーケリングツアーのほうが商売になるし安全だ。スキンダイビングは監視の眼がとどかないおそれもある。
沖縄では、スキンダイビングは、わけのわからない谷間におちている。ということだろう。 この日、本部にあるゴジラチョップというポイントに行く。略してゴリチョ、有名なポイントらしいが、僕は行ったことがない。スクーバでもビーチエントリーの良いポイントらしい。 広部君はサーフボードを6枚持ってきてくれた、ワンバディが1枚、それに魚雷ブイ(トルピードブイ)が僕と小山君、オマールのボードのようなブイを山本さん、そして、サッチャン(本間祥子:Smile Blue)をガイドについてくれた。この子はなかなか親切で感じが良い。広部君も別のスクーバのお客さんのかたわら、一緒に潜ってくれた。
海は凪で、流れもないようだ。滑るので危ないが、タンクを着けていないから大丈夫?、という階段になっているスロープからエントリーする。別にスキンダイビングが禁止されているようには見えない。ただ、泳ぐ人はマスクとスノーケルを着けていれば、ライフベストか、腕に取り付ける浮き輪を使っている。つまりスキンダイビングはしていない。スノーケリングだ。一人だけ、地元の人らしいスキンダイバーが泳ぎ出して行った。観光的にはスノーケリングが定着している。
沖縄本島あげて、溺死者を皆無にしようと努力しているのだ。それに反対することはできないが、こちらはとにかく潜らなければいけない。
溺死を無くすには、物理的な手段が絶対的である。僕がスクーバで死ななかったのも、危機一髪の時にロープが、あるいはケーブルがあった。
物理的な手段としてはライフベストが一番確実だが、着けていたのでは潜れないから、浮子は、手でつかまる。潜るときに手放せば良い。これは海女の浮樽と同じようなもので、伝統的とも言える。
ゴリチョは、水深5ー6mで、サンゴも美しくないし、魚もクマノミ程度だが、練習には、良いところだ。
浮子の操作体験という海洋実習らしい海洋実習ができた。これまでの海洋実習としてベストである。
次回、来年の実習には、二人に一個ずつ魚雷型のブイを持たせることになるだろう。
ブイがあることによって、一人はブイにつかまって、バディの潜るのを監視できる。
ボードにつかまる。
トルピードブイ
オマールのブイ
沖縄本島のスキンダイビング事情だが、ダイビングショップが責任もってアレンジする場合には問題なさそうだ。伊豆のヒリゾ浜に対応するのは、真栄田岬だろう。延泊して行ってみるべきだったと、今頃悔やんでいる。 全体的に見て、スキンダイビングとは何なのだ。その範囲と実施する場合の安全策を決めて置かなくてはいけない。改訂版スキンダイビングセーフティにのべたが、水深は10m以内、息こらえ時間は1分程度、それに加えて、二人(バディ)に一個の浮きを持っている、曳いていることとしたい。あとはその変形だ。
心配なのは、フリーダイビングのトレーニングを受けた、つまりフリーダイバーが、ここに述べたスキンダイビングルールを越えて潜る場合だ。不世出のモルチャノバもこれで死んだ。いけないとは言わない。死に方の一つの理想のようにもおもえる。ただ、これをスキンダイビング事故、ましてやスノーケリング事故だと呼ばない、呼ばせないようにしたい。フリーダイビングのトレーニングを受けたダイバーが、スキンダイビングの範囲を超えて潜り、事故を起こした場合には、それはフリーダイビング事故だ。と説明する義務が、フリーダイビングの組織にはある。
こんなことを言うと叱られるだろうが、チャレンジはフリーである。フリーということは別の表現で言えば、幸せということだ。幸せに死んだら、それを他の責任にしてはいけない。行動の責任を商品化すること。責任者を探すことで制限がかかる。 またここで僕は撮影の失敗をしてしまう。波左間の失敗の後遺症とも言えるのだが、マスクマウントの動画、GOPROもAKASOも持ってきていない。スキンダイビングで使いやすいマスクマウントのマスクが、紛失中だったのだ。車の中に忘れていた。なんとかOlympus TG-4とNikonAW1300で間に合うだろうと判断した。しかし、ゴムボートだとかブイのテストは、ダイバーの目線、マスクマウントの動画が最適なのだが。
廉価のカメラで撮影する日常の画なのだが、撮影しないで過ぎ去らせてしまえば、チャンスはもう巡ってこないのだ。動画を撮っておけば、ワークショップで使えたのに。]]>
0629 6月24日 海豚倶楽部 沖縄 1
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2018-06-29T21:09:00+09:00
2018-06-29T21:42:42+09:00
2018-06-29T21:09:02+09:00
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旅行
6月24日、
23日の波左間に引き続いての沖縄:海豚倶楽部海洋実習。引率というよりも、連れて行ってもらう感じになってしまっていて、くやしいけど、みんなが安全で楽しければそれで良い。
6時55分羽田集合だから、5時にでれば余裕だろう。3時50分に目覚めた。ゆっくり準備して、それでも、食事はできずに出た。
ゴムボートが大荷物なので、送っておけば何事もないのに、まあいいやといつものスリップしてしまって、古いキャリートランクに入れて曳いて行くことにした。これでまず、大幅に疲れてしまった。
羽田には、0610ぐらいに着いた。そのまま待ち合わせの場所に揚がれば良いのに、50分に行けば良いだろうと、下の階の早朝レストランで、カレーとソバの定食を食べたが、ソバは不味くて食べられなかった。
50分に上がって、2番の時計の前に行ったら、会長の佐古さんなどは心配していた。メッセを入れれば良かったのに。そうそう、僕は起きてメッセを見ていない。心配してメッセージが入っていたのに見なかった。 那覇空港、レンタカーの行列がたいへん。オリックスを借りたのだが、大型バスに満員で、借りるステーションに向かう。
レンタカー屋も多い。
自分が観光客の目で、観光客になって見たことが無いからなのか、変貌におどろいている。
恩納村のナビービーチという海水浴場の隣で、明日のゴジラチョップでのダイビングに備える練習、本部のホテルと、空港を結ぶ中間地点での練習だ。引きずってきた2000円のゴムボートのテストでもある。昨日の寒さに続いての今日は梅雨明けの沖縄の強い日差しに焼かれる。暑いよりも寒い方が良いか、とか。
海水浴場の隣で久しぶりの海水浴だ。 広部君がアレンジしてくれているので、彼のバディシステム重視の指示がある。浦安スノーケリング講習と同じように「バディ!」の号令をかけて、バディ確認をするように、と、僕も話しをする。が、スノーケリング講習の助手をお願いしている女性陣はいう事を聞いてくれるが、おじさん諸氏は?危ないのはオジサン組なのだ。
海水浴場の横で、若干の流れもあり、それに浅い。水深は3mほどだ。
ゴムボートは、スキンダイビング用では無いので、身体を乗せかけることができず、すぐに風にあおられるように転覆する。とても使える代物ではないと、直ちに判明。レッコ(捨てるという意味)だ。空の青さにオレンジのボート、良いんだけどなあ。
しかし、この程度の大きさの扱いやすいボート型の浮きがあれば、オープンな場所での多人数のスキンダイビングには有効ではある。
やはり、広部が持ってきた伝統的な浮き輪型のブイが良いだろうか。僕が持ってきた、スキンダイビング用の魚雷型の浮きは使える。明日はこの浮きを使う方法を研究しよう。 100mほど沖にはジェットスキーも走っているし、さらに沖だが海底遊覧船も走っている。メンバーは、まとまってブイを使っているし、目印としては、役立たずのゴムボートも効果的なので心配なさそうだが、もしも流されて沖にでたら、ジェットスキーは恐ろしい。引き上げを指示した。ちょうど良い運動だったし、海洋実習としての成果は十分だった。 僕は、砂地の波打ち際での歩行が著しく下手になっている。 ホテルへ向かう道筋で許田の道の駅、こんなところにも、お客がいっぱい。沖縄は、観光ブームなのか。そんな沖縄なのだから、海水浴での事故はマイナスが大きい。監視員の眼の届きにくい、水にもぐってしまうスキンダイビングと呼ぶ海水浴は禁止してしまいたい気持ちはよくわかる。
ホテルもは本部のはずれにある、MANAINA 、美ら海水族館に近い。気楽に過ごせて悪くない。
食事は、僕の好きなバイキングで、おいしいものも、おいしくないものもあったが、食べ過ぎた。 持ってきた本、角幡唯介「新・冒険論」読了する。このところ考え続けている海洋大学 潜水部のこと、そしてこのスキンダイビング・沖縄、と重ねて考え続けてきた。
考えが消えないうちに書きたいけれど。]]>
0577 GW 2018
http://jsuga.exblog.jp/28299017/
2018-05-07T09:04:00+09:00
2018-05-07T09:08:05+09:00
2018-05-07T09:04:58+09:00
j-suga1
旅行
GW は恒例といってもこれで、6年目?の赤沢、富戸 ツアー。6年!
昨日からのようだが、あと6年やったら90になってしまう。無理だと思うけれど、死ぬことも出来ないので、来年も来られるといい。
小久保教授との待ち合わせは例年、渋谷だったのだが、高速で高井戸で降りて、環状8号への途中なのだから、彼の家の近くで待ち合わせた方がいい。
6時、セブン-イレブンで.住所をカーナビに入れて、余裕を見ていったが、やはり迷って、というか、カーナビで最初の場所に行く必要時間がかかった。 あまり混まない予定だったが、やはりGWで、待ち合わせの伊豆高原へは、15分遅れの0915。電車で来たマトンと竹内さん、緑ちゃん親子、玉田夫妻、計8人で赤沢へ行く。 強風注意報で、潜れるか、という水面の波だが、ここは、エントリーが波がない小さな港の砂浜から出られるから潜れるだろう。ただ、波の動きで底が動いて、濁るのが心配、イヤだが。 朝早くでて、身体が目覚めていないのにロングドライブを運転したから、体調は良いわけがない。
ドライスーツを着るのもつらい。だらだらと準備して11時エントリーの予定
イノンのストロボを工夫して付けたNikonAW1300をもって入る。苦難のエントリー
なんとか乗り越えて、波の下に潜る。小久保、玉田夫妻、竹内はウエット、僕、寺内マトン、緑 親子はドライだ。水温は17℃、ウエットでは冷たいはず。
いつも潜っている人工魚礁とは違って、サカナが驚くほど居ない。岩の下などでの何かをさがさなくてはいけないので、何かを見たいならば、ガイドが必須になる。
身体ならしのつもりだから、サカナは居なくてもいい。赤沢のコースは単純、テトラ混じりの磯を左手、砂地を右手に見て進み、良い磯になり、サカナが見えてきたあたりで、残圧が100程度でターンする。残り40ぐらいで戻りつく予定。
ストロボのテストで、何か写さなければ。
戻る少し手前の場所で、イラがいたので撮影、ストロボは光っている。
ブランクダイバーだと思う、竹内さんを気遣って、視界に入れている。きちんとブリーフィングして潜れば良いのに、身内のダイビングで以心伝心をやってしまう。これが一番いけないことなのだ。とは、わかっているのだが。でも、わかっていてやらないのが、一番いけない。 もどると、緑が手前のスロープに機敏にヨジ上がって、タンクを降ろし、走って来て、砂浜から上がる僕を助けてくれる。別に、そのように打ち合わせたわけではないのだが、そのようにしてくれる。その緑、小学校3年生の時から、親子で僕のところに来てくれている。今年、社会人になり就職した。だから、もう、会えないのかと思っていたら、大学時代と変わらず、来てくれた。
最近の言葉で言えば「超うれしい」
何時まで続くのか、83歳になると、常に、何時までという枕言葉が付く。
エキジットして見ると、ストロボが水没している。ねじ込み式の蓋のねじ込みが甘かったのだろう。長持ちして、眠っていたストロボを出してきたのだが、ご臨終。強いライトがあれば、ストロボなど要らない、ストロボはゴミを光らせにくいだけ、ライトの方が良いなどと考えていたが、ライトでは、サカナのぶれの歩留まりがわるいなどと考えて、ストロボを持ち出したのだが、付けたとなると、失われたことが残念になる。
もしかしたら、イノンのこのストロボは水没しても電池室だけでとどまっているかもしれない、など気休めを考えるが、ダメだろう。
潜水開始 1106
インターバル 0
最大水深 10. 9m
潜水時間 48分
水温 17℃
昼食は、カレーライスにした。二階の食堂で食べる。二階のベランダから見下ろすと、風はますます強くなってきた、ように感じる。
ストロボが死んだので、FXライトとOlympus TG-4で行く。緑は寒いから行かないといっていたのだが、「ドライなのに寒い?」と言ったら出てきた。かわいそうなことをした?玉田もウエットで寒いからやめると言ったが、出てきた。玉田の旦那さまは、初めて海で一緒に潜る。心配していたけれど、大丈夫。これからも一緒できる。僕は、景色も変わらないし、サカナも居ないのだからとネガティブになるが、必ず二回目も出ることにしている。 潜水開始 1418
インターバル 2時間21分
最大水深 10. 2m
潜水時間 38分
水温 17℃
やはり、2回のダイビングを終えたら、僕の体調は良くなった。 宿泊の大西のところにもどり、みんなはビールを飲みくつろぐ。僕は、大西、小久保と機材のことなど語り合う。ここが僕の機材の終着の場になっている。撮影機材博物館の様相を呈している。
先日は、ここに取材にきたテレビ局のカメラマンが伝説の名機79Eを見て、一度さわってみたかったのだと感動していたとか。 夕食は、近くのイタリアン「紙風船」港町に来てサカナ料理でないのは?だが、一昨年までのサカナ料理屋が、富戸の地魚が手には入らなくなったと終業してしまった。
沿岸漁業の衰退?
大西に戻ってからも、みんなで飲んで、それほど飲んではいないようだが、楽しく飲んでいて、僕は、機材、ニコノスの話をして、ニコノスが話題になる、good old days 12時に寝た。 ノンストップで5時20分まで眠れた。
朝、しばらくぶりで調子が良い。 残念ながら、玉田夫妻は朝帰る。渋滞が怖いのだ。大丈夫、渋滞は最終日はない、と引き留めるが、無理強いは絶対にいけないのが海だ。何があるかわからない。ダイビングライフ、一寸先は闇なのだ。 富戸の港、10時出港で魚礁ブロックをピラミッドのように積み上げた「乱積み魚礁」を目指す。大西に、全部で何個積んであるのか、何年の枕設なのか、訊いてもらっているのだが。組合で、誰も知らないそうだ。きちんと記録を調べればわかるのだろうが、そんな面倒なことだれもやらない。
水深は25m、深いのでレッグのウエイトを残した。僕は35%のナイトロックスを使った。レッグを残したのは失敗で、潜降のバランスが悪い。
たぶん頂上は5段ぐらいに重なっているのだろう、迫力があるし、ヤギの類が、すばらしくきれい。ネンブツダイの群もきれいだ。FXのライトに照らして、TG-4の液晶で見ると本当に美しい。
しかし、めぼしい魚は全く見えない。
昔、やっていた調査での記録ならば。「5cmサイズのネンブツダイの群がいくつも見られ、魚礁の中には、5ー7cmのキンギョハナダイの群、ミギマキ、タカノハダイが見られた。」となる。産業的、漁業としては??だ。
潜水開始 1018
インターバル19時間21分
最大水深 25. 1m
潜水時間 21分
水温17℃
緑、親子は、これで帰り。緑の明日の勤めがあるから、とか。緑は地頭がよくて、気が利いて、身体がよく動く、可愛い。僕が会社をやっていたら絶対に欲しい。
つとめ、うまく行くと良い。
二本目の、富戸、ヨコバマ、行こうか
どうしようか迷った。エキジットが辛いポイントだ。
もし転んで骨折などしたら、治りが遅い。足の筋をのばしただけでも、一ヶ月は足を引きずる。情けないけれど僕はヨボヨボなのだ。パスする事にした。小久保、寺内が大西のガイドで行く。
行っても、めぼしいものはないことはわかっているが、トレーニングなのだ。二本目をパスしたこと、潜ることがフィジカルで辛くなって来て以来初めてのことだ。辛いから行くのだ。その気持ちをなくしてはいけないけれど、思いとどまることも大事だ。
とにかく、これでGWツアーは、終了した。撮影機材について、書くことが、山のようにある。別項にしよう。
気分的には、「海は、潜れたから良かった。」
大西を含めて、夜は楽しかった。
帰路は、小久保と話しながら車を転がす。この話にも、ずいぶんと、今後の人工魚礁研究会についてのヒントがあった。「なぜ、あんなピラミッドが、富戸のあそこにあるの?」
道は、予想通りに空いていて、楽に帰れた。また来年のツアーはGWの最終日2日間に決めよう。
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1116 奄美大島 2
http://jsuga.exblog.jp/27691104/
2017-11-16T13:12:00+09:00
2017-11-16T14:10:02+09:00
2017-11-16T13:12:17+09:00
j-suga1
旅行
まず一回目のダイビングが安脚場西、ここは潜ったことがあって、たしか中尾先生が目当ての海綿を採集したところだ。期待が大きい。 うねりは入っていないが流れがある。館山ほどのことはないが、今回、一緒になっているもう一つのグループ女性二人組と男性一人、彼らが先にエントリーしたので、上から見下ろす。女性の一人、せっせと泳いだがあまり進まないので、ヘッドファーストで潜り込んで行った。このグループはかなり上手だ。 僕もヘッドファーストかなと思ったが、ボートを止めているブイロープ、潜降索が艫の梯子の前にあり、ロープで繋がっている。これにつかまり、手繰って降りようと考えた。 飛び込んで、索を手繰って,8mほどのところでロープにつかまって待っていたが誰も降りてこない。町田は、途中まで降りてヘッドファーストで流される方向に降りてしまった。流れに乗って追いかけるとすぐに巨大な岩があり、流れを遮っている。だから、流されてもここで止れる。
昨日に比べて大きな岩が入り組んでいて海綿は多い。 大きな岩のトンネルを向こう側に抜けると、大きなハマサンゴの群落がある。大きな岩とほぼ同じくらいの大きさだ。そのサンゴまで行かないで、手前の大きな岩で採集する。 昨日に比べて採集点数が多い。少し期待が持てる。 マスクマウントのアタッチメントを忘れてきてしまったために撮影が出来ない。要所で手持ちで撮れば、とやっているけれど、要所では手を使うから撮れない。撮影が目的の潜水ではないのだから、問題ない、とは思うものの、マスクマウントでの撮影が身についてしまっているので、ちょっとつらい。撮影の結果は惨憺たるものだった。カメラを構えないで撮影するから、ほとんどのスチルは流れてしまう。 浮上の頃には流れがゆるやかになっていた。 潜水開始 11時16分 最大水深13.4m 潜水時間53分 水温25度 二本目のダイビング、安脚場の対岸、本島側の喜鉄、黒崎に潜る。ここは始めて潜る場所かも知れない。後でログを調べよう。 砂浜の沖にポイントブイがあるが、潜れば良い岩礁がある。海底から、複雑な形状の大きな岩が立ち上がっていて、海綿の着く陰が多い。 町田が採集した海綿を種類毎にパックに詰めて僕が手に持つ、大きな採集バッグを持てば良いのだが、僕はこのチームの中で、カメラを持ち、バッグを持たない形になってしまっている。町田が採集したパックが次々と増える、カメラのステイを肘にひっかけて、両手でパックに採集した海綿を詰めつつ、いくつものパックを持つ、という手が4本状態だが、パックが4袋が限界だ。鈴木の大袋に入れたいが離れてしまっている。町田を促して、中尾組の方に行く。大きいバッグが一つというのも、グループが離れないためには、良いかも知れない。 空気が80を切ったので、そろそろ戻る方向だ。太田さんが、こちらの動きをだいたい読んでくれている。 ふと、水面を見るとボートの影がうっすらと見える。良い位置に戻ってきてくれている。ここならば30まで大丈夫だ。 町田と僕の空気消費の差は、終了に近くなって30だ。僕が30ならば町田は60だ。中尾先生との差は20だ。悲しいかな僕の消費が一番多い。 太田さんが深く切れ込んだ岩の下で良い海綿を見つけた。町田が採集する。その向こうを見ると、岩の形が良くて、チョウチョウウオが数種類、これも悲しいかな種類を忘れつつある。スミツキトノサマダイとなんだっけ、ミスジチョウチョウウオか、コショウダイの類の名は忘れている。岩の重なりが写真的に良いので行こうか、やめて岩陰から外にでる。ボートを探して上を見上げるが見あたらない。 太田さんに合図を送ると戻るリードをしてくれる。意外に離れていた。戻る途中で記念撮影をしてくれる。彼は町田の方向へ戻り、僕は浮上する。セフテイストップは、しないでそのまま上がる、最大水深15mで潜水時間50分、二本目の潜水だ。もちろんDECOマークはでていない。自分の感覚ではOK。潜水時間の大部分、採集は、水深10m以下でやっている。僕の60年のダイビング生活で、その50年ぐらいの期間、水深10m以下ならが減圧停止はしなくても良い時代だった。減圧症の歴史は面白い。 全員無事に上がって、戻る。この場所は今回の4回の潜水では一番良かった。目的のものが採れたか、中尾先生に訊く、首を横に振る。新しい種類はいくつか採れたらしい。一緒に潜水しだして、もちろん、それ以前もあるだろうが、だいたい3000種類以上だという。
僕たちのダイビングは、これで終わり、別の3人組は、別のガイドでもう一本やる。まだ時間は早いし中尾先生は少し未練があるかも知れない。しかし、さっきのような浮上でも大丈夫なのは、2本までかも知れない。僕は原則としてこのチームでは2本だ。このあたりは判断が難しいところだ。水深が浅くて3回以上の潜水と、深くて1-2本の潜水と、どちらが減圧症になりやすいかと言えば、浅い方だ、というのが常識になりつつある。 潜水開始1時12分 最大15.8m 潜水時間50分 水温25度 太田さんのハウスで、採集した標本の整理。僕はオフだ。キジトラの猫が、興味を持ったらしく遊びに来た。ここの猫だ。猫の研究?をしている僕としては、友達になりたい。 外で飼っている。外飼いの猫だ。外飼いの方が、飼い主以外の人、たとえば僕に対して、なつく。ダイビングサービスの猫は、だいたいこのスタイルで、お客と遊んでくれ、人気がある。猫としてもこれが幸せなのだろうと思う。あ、猫を飼うと言ってはいけないのかな、猫と暮らす、のだ。どっちでも良いけど。 しかし、奄美の猫は全部外飼いかというと、そんなことは無いらしく、ここでも、捨て猫、そして野良になって捕殺の問題がある。奄美では野猫が、稀少生物で人気のあるアマミノクロウサギを襲ったりしてしまうから、より深刻かもしれない。家の周辺に限定して、なるべくならば室内飼いが奨励されてはいる。 必ず登録して、首輪を着けなければいけない。 太田さんが記念撮影をしてくれた。僕はこの写真がとても気に入っている。
喜鉄の宿で、もう少し良いオカヤドカリの撮影がしたい。眼をはっきりと撮りたい。ヤドカリのチャームポイントは眼なのだ。食事の後で撮影にでたが、すぐに雨が降ってきてしまって戻ってきた。不満足だが眼は撮れた。このヤドカリはムラサキオカヤドカリ、これも希少種だ。
11月14日 さて、奄美に来たら、鶏飯を食べないわけには行かない。港屋だ。それほどにこだわっているのに、僕が道をまちがえてしまった。 が、とにかくたどり着いて港屋で食べた。中尾先生のフェイスブックで、奇しくも3年前の同じ日に、港屋で食べていることがわかった。おいしかった。]]>
1115 奄美大島 11月12日
http://jsuga.exblog.jp/27686507/
2017-11-15T10:32:00+09:00
2017-11-15T10:34:32+09:00
2017-11-15T10:32:38+09:00
j-suga1
旅行
12日、朝8時にホテル出発、久根津の太田さんのところ、「コホロ」へ、久根津は僕が大学2年生の時、一夏を過ごした。僕が過ごした、マベ真珠養殖場、油井小島は、造成した石垣が崩れて、廃墟。そうだろう、60年前なのだ。60年前って軽く言うけれど、その時生まれた赤ん坊が、還暦なのだ。 コホロの太田さんのボートは、なかなか、良い。 10年以上続けている中尾先生の海綿採集の手伝いで、目標にしている種類があるのだが、これまで、2回ほど空振りしている。 中尾先生がブランクで、花粉症で咳がでている。3mまでにすると言っているがまあ8mぐらいまでか?。 自分は、3mmのウエットスーツでは寒いので、そしてボロはみっともないので5mmのウエットスーツを買った。 そのいきさつは、以下。 「「昔、レンタルに使っていたスーツが、山のようにあり、かなり捨てたが捨てきれない。その一着を着ていたら、少し、いや、だいぶみすぼらしい。新しいのを買うとして、 フリーダイビングの人たちが愛用しているUGO 後藤勇毅 君の略だ。君と言って、僕より10歳下で、彼が10代のころからの友達だ。10歳下、73か?もしかしたら、5歳下、もちろん息子さんの代になっている。須賀さん、スーツ作ってあげるよと言われてから、30年以上経過している。死ぬまでに一度つくってもらおう。 でも、採寸に行く時間、余裕がない。11月中旬に奄美大島に行く。3mm、にフードジャケットで行かれるか? 水温23度までなら、大丈夫だ。でも、雨だったら、厳しいかも。 悩んでいる話を鈴木君にしたら、今の出来合いは、9800円でも、使える、買ったらどうですか? アマゾンで見たら、9800円、自分の採寸表(10年前)をみて、Mサイズをポチしてしまった。 次の日には届き、辰巳で試着した。太股、腰回りが少し緩い。僕の肉が落ちているのだ。まあ、フィットしている。作りはなかなか良い。生地も良く延びて丈夫そうだ。手足の長さは合っている。これで、9800円だから、ウエットスーツ屋さんも大変だな。」 5mmの上にフードジャケットを着る。ウエットスーツが新しいので、ウエイトは6キロ着けた。多分重いだろうが、最初だから軽くて沈まないよりは良い。 さて、恒例の忘れ物、今回は忘れ物がないように念入りに準備した。それでもダメだ。GOPROをステイに取り付けるアタッチメントがない。バッグの底にいつでも何個か入っている。そのバッグを交換して持ってきた。仕方がない。GOPROで撮るときには、別に手で持って構えよう。 太田さんが事前のブリーフィング、僕でも聞き取ることができた。それだけ、大きな声で明瞭に話して居る、ということだ。何を話しているのか僕の耳では聞き取れないガイドも居る。今、計画書のプロジェクトをやっている。計画書に記載してあれば耳が遠い僕でもわかる。言葉は、通じていない心配がある。言葉と書類の両方が必要だ。 話していることの骨子は、水中ではぐれたら、探そうとしないで、浮上して浮いて待てということだ。流されても泳がずに浮いて流されれば必ずピックアップするから、パニックにならないで、ただ浮いて居るように。 この前、学生の指導者の集いで、高野君がレクチャーしたとき、同じ事を話した。それではセフテイストップはどうなるのだ。ダイブコンピューターには早すぎるという表示がでるが、どうだ、と質問して困らせた。セフテイストップだとか、ダイブコンピューターの表示などはどうでも良いのだ。優先順位はボートに収容することなのだ。そのコンセプトをガイドとお客が共有していることが一番大事なのだ。学生であればリーダーとフオロアーの共有の確認だ。 一緒に潜るチームは、中尾先生、町田君、須賀、アシストしてくれる鈴木、ガイドにはオーナーの太田さんがついてくれる。気心がわかっているいつものチームだ。 中尾先生のダイブコンピューターの電池が切れてしまった。僕の日アク ダイブコンピューターを貸して、僕はソリューションを使った。60歳の時から使っているから、22年使っている。これは名機だ。
一回目の潜水 11時28分潜水開始。 9.8m 47分 25度 哀しいけれど、歳をかさねると言うことは、フィジカルが少しずつ退化していく事なのだ。ここが、昨年より良くなったということはないのだ。ボートの後尾にある梯子に腰を下ろして、その姿勢で身体を持ち上げることが出来なくなっている。そのことを誰かに気づかれると手助けしてくれてしまう。何とか苦労して立ち上がり、水面に落ちる。飛び込むと言うよりも、落ちるのだ。 スノーケルで呼吸しようとすると沈んでしまう。BCに少し空気を入れる。6キロでは、やはり少し重いのだ。
レジャーダイビング的には何もないポイントだ。サンゴも少しだし、魚も、どこにでも見られる種類がどこでも見られる数だ。僕たちの他に、二人だけの女性組がいて、彼女らには、別のガイドが付いている。二つのグループがだいたい同じ方向で進む。
ここの見るべきものは洞窟であり、向こう側の水面にぬけているちょうど良いサイズのホールだ。中尾先生の目指しているのは、だいだい色のような海綿だという。洞窟の中では、黄色い海綿を採集した。先生も熱心に採っていたから、この種類で良いのかと思ったが、残念ながら目指すものではなかったそうだ。奄美大島は空振りがつづいている。気がかりだ。 5mmの9800円スーツは、45分 24度で、終わりの方になりちょっと寒くなり、ボートにあがってから、我慢できないほどではなく、ふるえもしなかったが寒かった。 2回目の潜水は場所を移して、1時間後に開始。瀬戸内海峡を、久根津港に戻る方向で移動して、カケロマ側だ。1時22分潜水開始 水深9.1m 潜水時間49分 23℃ やや、流れがある。上るのに少し力が入る。 ウエイトは5キロで良い。急速に潜降するばあいには、ヘッドファースト、通常の潜降はBCの空気を抜ききれば、降下できる。 ウエットスーツは、水に入ったら暖かかった。 何もない水中で、海綿もめぼしいものはなさそうだ。 鈴木が中尾先生についていって、町田がひとりで離れたので、町田に付くことにする。 流れがある澪のような地形で、何も見るべきものはない。海綿の採集だから、この場所でもいい。 橙色の薄い皮のような海綿を見つけたので、町田を呼んで、採集する。岩に貼り付いた薄い皮をていねいに剥がすような採集だ。 宿泊は、前回泊まった久根津の「よーりよーり」ではなく、古仁屋に戻り、通り過ぎて、喜鉄という部落の「ネプス」というペンションだ。「よーりよーり」が満員だったのだろう。 移動に意味なく時間がかかるが悪い宿ではない。 喜鉄を越えて、東の先端に向かうと、ホノホシ海岸とかヤドリ浜とか、良い砂浜がある。恒例の遠足を行ったが、それほど歩いたわけではなく、浜に降りた程度で止まった。美しい砂浜だ。という他特筆することはない。 食事もまあ良いのだが、このごろこういう料理を食べておいしいと感じることが少なくなっている。 食事のあと民宿のご主人の案内で、みんなぞろぞろ出かけていく。説明があったのだろうが、耳が聞こえないからわからない。懐中電灯を一人一個ずつ持って表にでて、道路を渡って向こう側の林、その向こうは浜で、海だ。懐中電灯で照らしてみると、オカヤドカリが出てきている。皆それぞれ、スマホのカメラで撮っている。僕は説明が聞けなかったので、カメラを持ってきていない。しばらく、皆の写しているのを見ていたが、僕もカメラマンだ。スマホを持ってきて、皆に加わった。そのころは皆の撮影は終わっていて。町田君だけが残っていた。撮影してもうまく撮れない。懐中電灯の光では強すぎるのだ。どうもうまく行かない。スマホのライトを使うことを考えた。やってみるとうまく行く。しかし、スマホのカメラの調子が悪い。設定がうまくできていないのだ。そんなことで、うろうろ戸惑っているうちに、ヤドカリがみんな居なくなってしまった。ライトの光を浴びせると、貝殻の中に引っ込んでしまうか、林の奥に戻っていってしまうのだ。一応何枚か撮ったので、宿に戻ってみると眼が撮れていない。ヤドカリがおもしろいのは眼なのに。
続く
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1017 波佐間10月16日
http://jsuga.exblog.jp/27378481/
2017-10-17T21:31:00+09:00
2017-10-17T21:31:03+09:00
2017-10-17T21:31:03+09:00
j-suga1
旅行
波左間に行く日。雨だ。やむ予報はない。事務所を0630出発、福田君が迎えに来てくれて、鶴町と僕を乗せて行ってくれる。山本さん、早崎さんは自分の車で現地集合。 館山湾を過ぎて、海は波がある。その上寒い。ドライスーツで潜るつもり。
現地到着、0820頃か。 波左間海中公園社長の荒川さんと、話をしようとして、補聴器を忘れて来たことに気が付く。本日の忘れ物。せっかく、きてくださった方ともお話できなかった。僕は補聴器があっても、正面に向かい合って、1mいないの距離でお話ししないとだめ。それとも、マイクをもってお話しされると通じる。 やはり寒い。波が高いので、一本目ジンベイザメのいる、マンボウランド と二本目、高根に行くこととして、まず近いほうのジンベイ、すぐ近く、一番近いのだが、かなりの波で大きく揺れる。このくらいが限界かな、それとも、自分のフィジカルが衰えたから限界が低くなったのか。 みんな飛び込んで、僕はラス前で、背中から飛び込んだ。ドライスーツになれて居るために、周年、お台場はドライで通しているのだが、お台場と、ボートから飛び込むのとでは違う。バックエントリーで飛び込んだ。バランスを崩して一回転したら、目の前が餌をもらっている巨大なジンベイだった。 もしジンベイの上に落ちたら、だから、バックエントリーはあんまりやらなくて、頭を下げたサイドロールで入るのだが、バックだと、ボートに座ったまま飛び込めるので、横着してしまった。 それでもカメラを構えて、超接近したジンベイを撮った。 横で撮ってくれている福田君の映像を見たら。僕がジンベイの上に落ちたのではなくて、僕が落ちたところにジンベイが突進して来ている。ニヤミスでは無かった。しかし、次からは横着しないで、サイドロールにしよう。 一旦海底に落ち着いて体制を立て直して、やり直し。水深は6mだ。何となく浮いてしまった。ヘッドファーストで沈もうとすると足が浮いてしまう。無理矢理潜って海底に膝をついていると、荒川さんが落とし物のウエイトをもって、これ誰の?とひらひら振っている。あ、僕のBCの前ポケットに差し込んだウエイトだ。もと通りに取り付けてもらって、さあこれで良い。でもバランスは相変わらず悪い。 何とか、浮力を維持して、小魚を撮影したりする。まてよ、さっき、2キロ落としても沈むことができた。水深が5mより深ければ2キロ減らしても良いな。 朝夕、ジンベイに撒き餌をしているので、小魚、そして、黒鯛が多い。手のひら大のイシダイも群れている。そんなものを撮りながら、ジンベイに気を配っている。だいたい、2ー3分ぐらいの間隔で回ってくる。透視度は8mぐらいだろうか、よくて10m、ジンベイは泳ぐと言うよりは、すべる感じで来るのだが、それでも追いつけない。ドライスーツが重いから、こちらは、這うようにしか進まない。だから、ジンベイは、来て、行きすぎるだけ。中層に浮いて、斜め上を見ていると、空間失調になる。自分のポジションがわからなくなる。 それでも3回ぐらい出会って、撮影して、1カットぐらいは撮れたかな。 まだ空気は100以上残っていたが、みんな上がり始めたので、僕も浮上し、最後の方でボートに上がる。水面にでたらすごい波で、これくらいが限界かなと言う感じ。梯子につかまって、フィンだけは脱がしてもらって自力で梯子を上る。10リッターのタンク11キロのウエイトなので、ちょっとつらいのです。上がって、立ったら大波でグラッと来て、倒れなように踏ん張った。そのとき足がよじれた。ギクッという感じ、やったかな、と思ったが、それほど痛くない。 もどっても、もう一本予定があるのだろうとドライは脱がなかった。しかし、さすがにNGで、一本で戻った。 やはり、膝をやってしまったらしく、足を引きずることになってしまった。もう一本潜っていたら、どうだったろう。 膝はともかくとして、潜って、体調は良くなった。 そして、17日 午前中、浦安海豚倶楽部の練習、そして、夕方からディズニーシーで海底二万マイルを見に行く。 膝は痛いけれど歩ける。前にも痛めてサポーターを持っているので着ける。何とか一週間ぐらいで治したい。29日のお台場がある。でも、この前膝を痛めたのはお台場で、子供が砂遊びした穴に足をとられた時だ。同じ左膝だ。 ディズニーシーは車いすを借りて、押してもらうとアトラクションに優先的に乗れるそうで、それはそれで魅力的ではあるが、雨も降っていたので、日延べした。 プールでは足の負担を考えてバラクーダはやめて、マンテイスMにした。予定通りの練習メニューは滞りなくこなして、水中では問題ないけれど、歩くのは不自由だ。11月のロゲイニングまでには治そう。 といって、サポーターをつけて、足に負担をかけないように、足を引きずる以外どうすることもできないのだけれど。]]>
1001 小湊
http://jsuga.exblog.jp/27190343/
2017-10-01T19:09:00+09:00
2019-06-10T18:00:55+09:00
2017-10-01T19:10:00+09:00
j-suga1
旅行
千葉県安房小湊の千葉大学の実験実習場にカーナビをセットする。カーナビの言うとおりに走らせたら、とんでもないところに来ている。地図を拡大したら勝浦の先40キロまで行き過ぎている。 7時にでて、4時間越え、11時20分に到着した。 常日頃カーナビは信じないのだけれど、疲れているのだ。
小湊に来たのは何年ぶりだろう。たしか、潜水部15期までコーチをしていて、スキンダイビングでブラックアウトを起こさせたのが、最後、今潜水部は60周年だから、45年ぶりか。
水産大学から千葉大学に移管され、建物はすべて建て替えられている。
建物は替わったが、磯に降りる急な階段は昔のままだ。小さな船着き場、コンクリの桟橋も昔のままだ。磯の先端に向かうまっすぐなコンクリ路もそのまま。
プールのような生け簀もそのままだ。
この生け簀プールに1953年、海底地質学者ロバート・シンクレア・ディーツ博士がアクアラングを背負って、日本の若い研究者たちにダイビングを見せたのが、日本のスクーバダイビングの事始めだったと、そのときの写真がある。
そのころ、この生け簀には、マダイが泳いでいて、観光客が餌(有料で餌箱が、置かれていた)をやると池の鯉のようにマダイが浮いてきた。
今、生け簀はあるが、水族館がなくなってしまっているので、一般の人は通行が許されず、ゴミが浮いているだけだ。
集まったメンバーは、現役が3名、OBが4名、+ 僕と山川先生
昼食、コンビニで買ってきた弁当、のあと、みんなはスキンダイビングでフィールドの全貌を観察する。1時間ほど、僕が現役時代、そして、コーチの時代は、艫漕ぎの小さな和舟随伴でなければ行かなかったようなところ、といっても、今のダイバーにとってはそれほどの遠くではないところなのだが回ってくる。
1954年、学生の潜水実習で、今の子たちがでている遙か手前で、学生二人が事故死した。原因は不明であるが、裁判の結果、小舟があるのに随伴させていなかったことが原因とされた。以来、僕は小舟を頭上に置くトラウマになっていて、そのトラウマのおかげで難を逃れたこともある。
45年前、15期のコーチをしていた時、1分半の息こらえ素潜りで、一人がブラックアウトして、頭上の舟に揚げて助けられた。岸に曳航して引き上げなどしていたら、無事ではすまなかっただろう。
今のメンバーの能力では、全く危なげはないが。
水温は25℃だったので、ウエットでも良かったのだが、ドライにした。
ウエイトは、7キロのベスト、BCのポケットに4キロ、レッグに1。7キロ、水深が2m以下と浅いので、どうかと思ったが、もしも軽ければ、少し泳ぎでて、3mから潜ればいいだろう。
みんなが戻ってきたので、一緒にでる。僕のガードに、OBの責任者である衣川と他現役1名が付いてくれた。
桟橋から飛び込むのに少し浅い。タンクを背負って立ち跳びでは、足が着いたら危ない。背中のタンクから落ちる、何というのか背中落ちEN.で飛び込む。カメラは衣川君に持ってきてもらった。
カメラは何時も通り、オリンパスのTG4とGOPROを並べ、GOPROの動画は回し放し。ライトはフィッシュアイの2500を50%で点ける。
僕のコースは、昔と同じだが、短めのコース。
桟橋からまっすぐ沖に向かい。入り江の出口、禁猟区の境目から少し先にでたあたりまでで引き返す。
泳ぎ始めると、水深が2mあたりから、ガラモ場(ホンダワラ類)が広がっていて、海藻をかき分けて海底を這う。
ドライスーツで身体が重い。気持ちよく泳げない。
このごろ、こんなガラモ場は久しぶり、佐渡に行ったのも、既に5年昔か。 外房の白浜は、カジメ場だ。板田は、ガラモ場はここまで豊かではない。藻の切れ目(底は石)に腰を落ち着けて、周りの魚が出てくるのを待つが、はかばかしくない。少し沖にでた切れ目でチャガラに群に出会う。もう一つ先の切れ目、海藻をかき分けて、2畳ほどの切れ目を見つけて行くのだが、ソラスズメがいたが、小さな群だ。その先で、イセエビの髭が見えた。奥までは見えない。稚エビの穴が見えないかと探したが、見えない。その代わりに這い出ているイセエビに出会った。逃げないのでゆっくり撮影した。頭を水面に出してみると、入り江の境界線からやや沖、到達予定点に来ている。 そろそろ戻ることにした。水深は3m、残圧は100ある。ドライだから寒くはない。戻る理由は何もないのだが、戻ることにしてしまった。せっかく良い場所に来ているのに、粘り、根がなくなっている。 良い写真を撮りたいという気持ちがなくなっている。どうなっているか記録すれば良いだけの気持ちになっている。 ムツの小魚の群が海藻のうえに停滞している。撮影には、ちょっと遠い。 コンパスでぴったり戻ってきて、コンクリ桟橋は上がりやすい。ウエイトとタンクを上回りの山川先生にお願いして、楽にあがった。衣川くんと現役の二人は、沖に引き返した。スノーケル、水面移動で、僕が上がったあたりまで行って潜る。 みんなが上がってくるまでに、身支度をして、挨拶だけして、速攻で戻る。 帰りはアクアラインが渋滞8キロというので、習志野周り、2時間半で東京に着いた。 こういう形での潜水部OB会、とても良い。現役とも一緒に潜れるし、僕ももう少し長い時間居た方が良いのかなとも思うけれど、あまりにも離れすぎていて、気苦労をかけるから、これで良いのだろうと思う・
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8月26日 波佐間
http://jsuga.exblog.jp/27075557/
2017-08-27T19:33:00+09:00
2017-08-27T19:45:53+09:00
2017-08-27T19:33:15+09:00
j-suga1
旅行
波左間は、ジンベイザメフィーバーで、僕が館山駅に迎えに出たりして、少しテキパキして、9時50分の出船に間に合わせた。ぼくは、最近はぐずぐずが好きなのだが、ちょっとばかり昔に戻った気分で気合いが入った。 メンバーは、高山さん、小久保教授、マトン、玉田さん、小山君、僕 の6名。高山さんが初の参加。
ドライスーツと、3mmのウエット+2mmのフードジャケットを持ってきた。以下、ウエットと略称。 できれば、ウエットで潜りたいというのがダイバーの願いなのだ。ちがうスタイルのダイバーも居るが、僕のスタイルは、「翼をください」できるだけ質量の軽減を目指している。 古いレンタル用の5mmは、事務所に山になっていて、使えないことはないのだが。新しいウエットスーツを作るとき、3mmにしようか、5mmにしようか、3mmにした理由は、フリッパーレースに出ようとしていたこと、5mmは、古いながらもある。そして、ウエットを着るのは、夏、そして南の島、といいうことで3mmを作った。3mmの方が着やすいし、動きやすい。ウエイトも軽い。 7月の伊戸は、この3mmを着た。午前のダイビングで20度で寒さに震えたが、耐えた。午後は23度で寒くなかった。これで、現時点の僕は、23度ならば3mmで大丈夫とわかった。 波左間は23度から、25度だという、ならば、3mmウエットで良いだろう。しかし、念のためにドライも持ってきた。 潜る寸前、3mmのウエットに決めた。 前回、ドリームのことを書いた。ドリームにまず潜りたい。まだ、ダイバーがあまり潜っていない、魚が落ち着いている状態でドリームに潜りたい。ところが、波左間の定番は、一本目が高根神社の参拝で、二本目がドリームとなっている。ボートに乗るのが、僕たちだけではない。 僕のグループも、マトンは、高根の顔をしている。高根となった。 最近、前回のお台場で調子を見て、BCのウエイトポケットにウエイトを入れるのが、なかなか良いと思っている。ベルトは、僕の体型の場合、水中で一度締め直さないとずり落ちてしまう。 ウエイトは4キロで良いと思うが、念の為に1キロプラスして、5キロにした。 入った時には、つめたかったが、さほどでもない。高根は、神社は別として、きれいで生き物の多い根なのだ。キンチャクダイ、キンギョハナダイ、メバル、エゾイソアイナメを撮影する。 BCに5キロのウエイトを入れた。左が2キロ、右が3キロ、3キロの右に身体が傾いてしまう。ウエイト5キロというのは、ウエットスーツの定番で、ウエイトベルトでは、これほどまでに身体が傾いた経験がない。ベルトは身体に密着しているが、BCでは少し身体からはなれて、ウエイトをつり下げた感じになる。バランスの悪さがかなりつらい。 少し移動して、古いイセエビ礁の積み重ねに移動した。イセエビ礁とは、イセエビが入り込むスリットがある人工魚礁である。カゴカキダイが群れている。スリットにイセエビが入っているか、丹念に調べたいが、少し寒くなってきた。残圧が80を切った。ブリーフィングでは、残圧75がターンだった。ガイドをしてくれている荻原君にゲージを見せるとすぐにターンとなった。 ところで、泳ぐとのろい。力を入れてものろい。バランスが悪いからか? 二本目 潜水開始 13:44 最大水深 23.4m 潜水時間 29 水温 23℃ 一本目にこのデータがない。ダイブコンピューターを着けるのを忘れたのだ。必ず何か一つを忘れるのだが、ダイブコンピューターが多い。
ダイブコンピューターなどどうでも良いパターンの潜水が安全なのだ。マルチレベルはやらない。20m前後にとどめる。
30mを越えるような潜水。南の海で、減圧不要ぎりぎりまでダイブコンピューターとにらめっこをするような潜水が減圧症を発生させる。 もちろん、30mを越えることはあるし、4本でも無制限でも潜り倒したい海もある。そのときは、ダイブコンピューター様になる。ダイブコンピューターだよりになる。これは、危ない。減圧表頼りにしなければいけない。でも、たよる減圧表は、みんな、どこかに置いて忘れ去っている。僕の場合スマホに減圧表を入れているが、このごろ、見たことはない。そういう潜水、やらないようにしている。できない? ドリームに魚は少なかった。10ー15cm級のメバルが多いはずだが。魚礁の外に出ていた。それも数は、50ー100だろう。二桁の群だ。ちなみに群を数える時、一桁か、二桁か、三桁、無数 とする。 カワハギはいつも通りちらほら、オオモンハタが、40cm級が1、30cm級が1、イラ50cm級1キンチャクダイ、チョウチョウウオ、シラコダイ、ネンブツダイの群。ネンブツダイにイサキは混ざっていなかった。 2m角が3段だが、横に7列、縦に10列だが、横は5列が3段、両側の各一列は2段である。 底の部分の水温が低く、寒さがきつくなったので浮上する。萩原君には、前もって、先に上がると言っておいたが、一人で減圧点まで上がってみると心配をかけてはいけないと気がかりになり、5分が過ぎてもしばらく待ち、小山が上がってくるのを待って上がった。一人で難なくボートに上がった。ドライで、10キロのウエイトを着けたら一人では、あがれないだろう。ウエイトは4キロで良いバランスだった。 2本目の帰りに、ちょっとジンベイを覗いて見るのかと考えていたのだが、そうではなくて、タンクを換えて、一本として、独立して行くのだ。 僕の残圧は70キロ、水深は6mだから、そのままで良いと換えなかった。 ジンベイはちょっと見れば良い。 ダイブウエイズの新型マスク・アイアイはきちんとつければ水は一滴も入らないのだが、いい加減に着けるとどんどん水が入ってくる。そうなると水中では容易には浸水がとまらなくなってしまう。ラクーンは、きちんと着けてもいい加減でも、ちょっと水が入るがひどいことにはならない。ラクーンを愛用だがこのところアイアイの調子が良かったので、アイアイを使っている。それが、このジンベイで、アイアイが水没した。懸命に、直しているときにジンベイが頭上を通過した。あわててカメラを構えたが、胴体から後ろの通過シーンになった。 ジンベイは待っていれば2分に一回ぐらいで回ってくるので撮影する。あまり追い回さないでほしいと言うことになっている。
この一回目のコンタクトでGoProのバッテリーがあがってしまった。ニコンAWだけになる。ニコンのチャージアップののろいスチルでは、ジンベイの通過は追えない。連写にすれば?連写でどうなるのか、経験がない。ニコンの動画は悪くない。次のコンタクトで、ニコン動画操作、焦って失敗してしまった。直径50mの囲いなのだが、透視度が8ー10mだから、見通しが利かない。突然の出現、だいたいの見当はつけているが、それでもかなり難しい。この難しさが面白さだな、と思うが、70キロの空気はあと10ぐらいになった。プールだから心配はないのだが、あと一回のコンタクトだな、と待つ。最後の一回、少し併走してみた。ゆったりとジンベイは泳ぐともなく泳いでいるのだが追いつかない。トライスターフィンはのろいのだ。バラクーダでスキンならば併走できる。しかし、10人ものダイバーが追い回したらジンベイはどうだろう。でも、見たところ、それほどナーバスな魚ではなさそうだが。 でも、とにかく最大の魚であることはまちがいない。そして、メンバーみんなは、良い撮影ができたらしい。 それから、波左間は人工魚礁ランドだと言ったが、ジンベイは魚礁なのだ。泳いでいるから礁ではないが、魚を集める。黒潮の洋上で、カツオなどがジンベイに付く、漁師がウオツキ (魚付き)というのは、ジンベイ付きの事なのだ。ジンベイをコンパスの中心とすると、半径1キロぐらいの範囲にカツオが付く。ジンベイ様と呼んで、漁師がジンベイを尊重するのはこのためだ。 三本目 潜水開始 15:23 最大水深 6.7m 潜水時間 23 水温 28℃ 3本潜水してシャワーを浴びて、ほとんどのお客が帰って、ようやく荒川さんと少しゆったりと話すことができた。ドリームの整列は、やはり荒川さんがダイバー作業でやった。4日ぐらいでできたらしい。作業会社経営で現場作業のベテランであった彼だからできた。 スガ・マリン・メカニックでも、隣の板田にある海洋大学の海域内の魚礁を整列させた事がある。まだ、宇野先生が現役の教授でお元気だった頃のことだ。そのことについては、また。
ボートに上がる 谷ヤン サービスショットです。
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8月2日 伊戸
http://jsuga.exblog.jp/27026101/
2017-08-02T19:22:00+09:00
2017-08-02T19:22:30+09:00
2017-08-02T19:22:30+09:00
j-suga1
旅行
ダイポに飾ってもらった写真。伊戸、平砂浦の魚礁
そんな縁があるのに行っていない。ボミーのオーナーの塩田さんとは、じっくり話はしたことがなかったが、読売ランドとか、千葉のビッグドッグとか、共通の話題があるし、彼が西川名の手伝いをしていたとき、少しだけ話をしたことがあり、好感をもっている。 なのに、なぜか、開業して7年にもなるのに、僕はあいさつにも行っていない。それは失礼ではないだろうか。と、この前に波左間に行った時に、同行していた鶴町姐に話したら、行こう、行きましょうと言うことになった。状況がわからないので小人数で、と言うことにしたら、福田君が来てくれて、3人ということになった。福田君は、人工魚礁調査グループの中心でもあり、絶対的に信頼できる。 いつものように、福田君が僕の事務所に6時迎えにきてくれる。福田君の車、いつもの戦車のような大型ハイエースで来るのかと思ったら、ベンツのバンできた。ベンツだ。 聞けば、買ったばかりで、7万キロ走っている。良い買い物だろう。ただ、壊れると修理代に一〇〇万かかるので、壊れるまでの命だとか。ベンツならば30万キロはのれるのでは?そんなことはないそうだ。日本の車よりも弱いのか? 8時に現地着、塩田さんは大変歓待してくれて、気分が良い。定置の海老原親方ともあいさつした。元気で今日の漁の始末をしていた。腰が痛くてゴルフの調子が悪いそうだ。僕もとりあえず生きて、潜水している。 塩田さんから、ブリーフィングを受ける。沖前根というところで、潜降索に掴まって降りると、20mほどのところに東の山がありその周辺だ。よくわからないけど、とにかくついて行くしかない。 10時出航、ゲストは10人ぐらいで、僕たち三人は塩田さんが見てくれる。他の7人?は、二人のガイドが見る。 潜る前は何時でも怖いが、特に初めての場所はひときわ怖い。 塩田さんが飛び込み、続いて僕、鶴町、福田、その後が他のゲストだ。最後に飛び込んで、最初に上がるのが僕の基本だけど、僕らが先頭だ。ガイドロープを掴み、放さないように手繰って潜降ロープに乗り移り、掴まり、手繰って潜る。西川名の一回目の潜水でガイドロープを手放したが、ここで手放したらそのまま、流されてしまう。とにかく手繰る。激流である。このごろ、激流の連続で、激流の人になっている。もう少しフィジカルに強ければ、爽快だろう。ガイドロープを手繰る時、身体が安定しないでひっくり返ってしまいそうだ。背中のタンクが重いから水面では、引っ張られれば、仰向けになりそうだ。とにかく、その間数十秒だが、だましだまし手繰って、潜降索に到達する。そのまま斜めになった潜降索を手繰って沈んでいく。片手にカメラを持っている。カメラを持った片手も使って手繰る。僕は小さいセットだから良いけれど、福ちゃんは戦艦大和級のキヤノンの一眼だ。僕ことを写しながら泳いで潜ってくる。驚異の泳力。 もしかしたらその昔、僕もニュースステーションの時代、もっと大きい79Eの50キロ級のカメラで、激流をさかのぼって撮影した。たしか、長崎での撮影だった。潮美はロープにつかまって鯉のぼりのようになっていた。 とにかく、今は今だ。身体がころころするようで、姿勢制御に意識を取られる。でも、福ちゃんが撮ったテープを後で見ると、僕の姿勢はちゃんとしている。 10mほど下に行くと、流れは緩くなり、中層を泳いでも進める。塩田さんは、着底して僕を待っているが、僕は少し上から、海底の全体像を撮っている。このごろ、いつも着底して、這っているので、中層を泳ぎたいのだ。福ちゃんの撮った僕の姿を見ると、水平になって格好は悪くない。エントリーからエキジットまで、僕の姿をフォローしてくれているので、後で見ると、自分の姿を客観的に見ることができる。心理的に不安定なので、それが形にでてはいるが、鶴町姉さんの見た目では、かっこ良かったそうだ。フィンキックはあおり足ができない。あおり足をすると、構えているカメラが上下動するし、進み方が息をしているようになる。だから、カメラを構えると、50年この方泳いでいる普通のフィンキックになる。まあ、フロッグキックが下手なのだが、この年になって、今更スキルだとかへったくれだとか言っても始まらない。中性浮力でフィックス撮影ができていて、ドリーもパンも安定していればそれで良い。 海底は砂地にコンクリートブロックの魚礁が点在していて、一面にアカエイがいる。次第に根の方に接近すると魚が多くなり、ドチザメが増える。僕は撮影しているので、なかなか塩田さんのところまで進まないが見えている範囲にいる。透視度は、20mはあると思った。 3mmのワンピースにフードジャケットで4キロのウエイト、12リッターのスチールで良いバランスになっている。久しぶりのバランスだ。緩い流れがあるので、中層を泳げば、いつも逆らって泳ぐことになる。着底してしまえば楽なのだろうか。泳ぎ続けているので、すこし疲れる。 フェイスブックやブログでかなり見ているが、シャークスクランブルは、見応えがある。これを考えた塩田さんはすごい。
水温は底で20度で、3mmでは、かなり寒くなってきた。残圧も80を切った。塩田さんは僕のゲージを見て浮上のサインをくれる。潜降索までは下り潮だから、直ちに到着、浮上も激流に流されないようにロープに掴まる。およそ、5mあたりで僕は停止する。3mの停止なのだが、僕は5mぐらいがやりやすい。そのうち、どんどん、みんな上がってきた。別の組のガイドがやってきて、スレートに、もっと詰めてくださいと書いた。僕が一番上で5mだったら、一番下は7mぐらいになって、停止の深さから外れてしまう。気がつかなかった。3mに上がる。 スントのソリューションと、日本アクアラングで一番やすい ものと二つ並べて着けている。一つで良いのだが、アクアラングの表示がわかりにくいのだ。 ソリューションの安全停止は3分だ。新しいアクアラングは5分の安全停止を要求している。そのほかの指示は、最大水深も時間も全部同じだ。同じでなければどちらかが故障だけど。 考えてみるとおかしな話だ。ソリューションは60歳の100mから20年使っている。20年間3分の安全停止で何もなかったのに、ダイブコンピューターを変えたら5分になった。ソリューションの前には、アラジン、そのもっと前はダイブコンピューターなしで、水深が20mより浅い場合にはほとんど安全停止などしなかった。減圧表には安全停止など指示されていない。ときどき、やばいかなと思ったとき、自主的に安全停止をしたくらいだ。 人間の身体、僕の身体は同じなのに、ダイブコンピューターが変わると安全停止も変わるのは、納得できないけれど、年齢が高くなって減圧症になりやすくなったのだと解釈して5分の安全停止をしている。 安全停止が終わってボートへのエキジット、これが大変だった。僕はなるべく自力で上がりたい。これはささやかなプライドみたいなものだ。付き添ってくれている塩田さんは、ウエイトもタンクも全部脱がすつもりでいる。だから争いのようになり、手際よくできないで、身体だけ押し上げられた。見ている人はボートオペレーターだけだから、良かった。 ログ 一回目の潜水 潜水開始 10時28分 最大水深 20。6m 潜水時間 33分 水温 20。6℃ 浮上速度違反は 二目盛りでて点滅 港に着く。僕の次のタンクも持ってきてくれる。僕は一回の潜水でやめようかともおもっていた。もう伊戸のシャークスクランブルも見たし、激流も体験した。つまり、伊戸は極めた。それに3mmのスーツで、寒くて上がった。 まあ、どうするか保留にして、タンクにBCを取り付けて準備した。1時間の休み、塩田さんを交えて歓談した。寒さが残っている。この状態では、水中で保たないだろう。温水シャワーに行って、スーツの中に温水を入れた。風呂に入っている気分だ。 2本目を行くか行かないか、いつも迷う。そして、いつも行くことにする。トレーニングだ。海に潜るチャンスはそんなにない。 ☆★☆ 二本目の計画は、潮上からエントリーして、水面で集合、そのまま自由潜降する。海底に着いたら潮に乗ってドリフトする。 3人と塩田さんで、まず飛び込む あとから他のグループが来る。 水面で、塩田さんは僕のBCの肩のあたりを直そうとする。よじれていたのだろうか。僕は、なにか、そういう世話をされると嫌なのだ。インストラクターの意識の名残だろう。 とにかく、よじれをなおしてもらって潜降、ドリフトしていった方が、1本目のガイドロープを手繰って潜降索まで必死にたどり着く労働がないだけらくだ。 なぜ、2本ともそうしないのだろう。わからないけど、何か理由があるのだろう。潮時とか。 もしかしたら、別の場所なのかもしれない。 とにかく気持ちよく泳いでゆるやかに流れた。目当ての根の少し前から、次第にドチザメ、アカエイが増えてくる。僕は、廻っている大型のマダイをスチルでねらった。ニコンも良いカメラなのだが、レスポンスが良くない。この前、福ちゃんに見せてもらったTG5は、まるで連写のように速写できる。もちろん画質も良い。替えるべきかな。でも、このシステムもまだ使えるし。 とにかく、マダイを追っているうちに、根の中心に来て、僕たちが泳ぐのをやめて停止するとサメとエイがどっと寄り集まってきた。 塩田さんが餌の篭を持って、浮き上がるとサメのタワーが出来る。 水温19、2℃なのに、さほど寒くなかった。それほど、一生懸命泳いだわけでも無かったのにわからない。 残圧を見て、潜降索をたどって浮上。潜降索に掴まっての流れは二本目のほうがきつく感じたが、慣れたのか、直下に減圧している鶴町姐さんを撮ったりしていた。みんなが上がってきたので、浮き上がったが、水面近くの流れがさらに速かったので、3mから上の速度コントロールが全く出来なかった。速度違反マークがでるだろうなと思った。 2本目の潜水 ログ 潜水開始 12時 24分 最大水深 19。2m 潜水時間 28分 水温 19。2℃ 浮上速度違反は三目盛りで点滅 今度は、カメラを上げ、ウエイトを抜き取られ、フィンを取ってもらって、タンクは背負ったまま、船に上がれた。まあ、普通なみのことができた。 僕のフィジカルでは、やはりこの流れでは、3mmの寒いウエットスーツだったから、動けたが、ドライスーツだったら無理なのでは。 流れが速いのは夏で、冬は、流れの無い日が多くて、流れても、泳げる程度だということ。夏に流れが速いのは黒潮の接近?そうではなくて暑さによる対流が原因だろうという。 ならば、次回は冬にしよう。冬は海鵜が泳ぐシーンもある。水中バードウオッチングも出来て、売り物になっている。 館山の三つのダイビングポイント、それぞれ特色がある。波左間は海中公園の名前にふさわしく、神社があり、マンボウランドがあり、僕にとっては最高の人工魚礁パークである。これから秋に向かって、人工魚礁のフィッシュウオッチング調査の手法とシステムの研究、というテーマで潜る。僕の研究のホームグラウンドである。オーナーの荒川さんは、20代からの友達で共有している思い出多数だ。 西川名は、豪壮な天然礁 V字谷、など美しい根と大型の魚、モロコ、ヒゲダイ、イサキの大群などが見られる。天然礁のポイントである。そして、美しくて速いボートがある。 そして、オーナーの石川君は親戚(水産大学潜水部の後輩、僕は先輩)である。 そして、伊戸である。塩田さんはすごいと思う。ドチザメとエイのスクランブルを作り上げた。水中で鳥、海鵜の餌付けもはじめた。まだ見ていない。 それぞれユニークなダイビングサービスが並んでいる。このところ板田の成田君のところに顔を出していない。彼ともたくさんの思い出を共有している。行かなければ!、忙しい。]]>
0512 アクアマリン 福島 4
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2017-05-12T09:43:00+09:00
2017-05-12T09:48:11+09:00
2017-05-12T09:43:47+09:00
j-suga1
旅行
僕たちの福島での潜水だが、福島のテレビュー福島から、ローカルで60分番組として放送された。そのオンエアーテープを送ってもらった。見ると、アクアマリン福島の研究員も入った釣りグループで、福島第一の近く、僕たちの潜水地点よりも近い感じだが、魚を釣ったり、そしてアクアマリン福島で魚のセシウムを測定して、無いことを確認して、一般の人を対象に試食会をしている。 また、常磐ものの大きなヒラメも底引き網でとって、解禁になっている映像も使われている。 しかし、僕たちの潜水調査はこれで終わりではなくて、定点で、微量なセシウムでもつい咲き調査をしていく計画だ。 まだ、実現できるか否かはわからない。 ただ、僕たちの潜水が、福島の沿岸漁業にとって、明るい見通しに繋がれば良いのだが、 オンエアーテープをみると、もはや、完全復活のようにも見える。ここまでくると、やはり僕たちの調査で、微量のセシウムがあると、ネガティブの受け取られてしまうのではないかとちょっと心配になってくる。・ 月刊ダイバーの6月号が送られてきて、これにも福島の潜水のことを書いている。この記事もどのようにまとめるか、苦労した。編集の潮美とメールのやり取りで、二転三転した。 一方フェイスブックで見たのだが、東京湾はストロンチュウムで汚染されていて、富津での潮干狩りなど自殺行為だなどというニュースもある。どうすれば良いのだ。どうすることもできない。
さて、ブログは、 2017年 2月21日 福島 原発沖に潜っていたが、21日は大風が吹いて時化。中川と大西は東京に帰っている。富岡町出身の国方君は、友達に会いに行った。僕、久保さん、山本君は、買い物をした。放射線測定器のウエアラブルカメラを付けていたのだが、波のショックで取れてしまった。これを糊付けで修復する。その材料を、いわきのドイトに買いに行った。ずいぶん大きいドイトで、東京でも、こんなに大きいホームセンターは、あるのかな?とおもうほどだ。何でも売っている。修理材料の他に、僕はサングラスを買った。お金を払う段になって、久保さんが全部払ってしまった。どうしても、僕に払わせてくれない。仕方がない、今後このサングラスをかける度に、久保さんに買っていただいたと感謝することにしよう。食事して、宿に戻った。修理を終えて、久保さんは温泉にゆっくり入ってくつろぐという。山本さんはアクアマリン福島に行くという。僕は、風邪で体調がすぐれないから、ゆっくり温泉にでも入って休むのが常道、しかし、因縁のアクアマリンに、僕は一度も行ったことがないのだ。山本さんに同行した。 もちろん、南方さんたちの撮った映像は上映されていない。上映されたのだろうか?もちろん、上映されたに違いない。いずれにせよ、水族館で水中世界の映像展示は、廃れてしまっている。葛西の3D,も終わっている。 南方さんのあの映像はもうどこでも見られないということになると、今となれば、見に来て居れば良かったと思う。 はじめてアクアマリンに来て、僕はうっかりして、マリンシアターの前も通り過ぎてしまった。つまり、入ってみていない。風邪で体調がいまいち、そして、疲れてもいたので、集中力がない。何も考えていない。目に入るものに反応しているだけか?アクアマリンの呼び物はシーラカンスだった。シーラカンスについては、僕もブログ、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ ぐらい書けるけれど、先年、村上商事がシーラカンスの発表をしたときに少し書いた。 アクアマリンのシーラカンス展示は、もう、シーラカンスの泳ぐ姿は、ずいぶん見たのでパス。それでマリンシアターをパスしてしまったのか。水槽の展示は、シーラカンスの代わりに?巨大魚、タマカイが狭苦しいところに閉じこめられていた。運動不足で死んでしまわないか心配だ。タマカイも絶滅危惧種になった。もう少し広いところに入れてやればいいのに、と思うけれど、シーラカンスの代理だから、シーラカンスにいるような形に押し込められないといけないのだろうか。
シーラカンス代理、タマカイ
シーラカンスの棲家
タマカイと同じ部屋にシーラカンスがすんでいるような岩のレプリカがある。岩の下を覗いてみるような仕組みだ。模型が入っている。要するにシーラカンスは、大型のマハタ、クエのような魚だ。 水族館はとても良い水族館だと思った。知床の関君が関わっているらしく、知床の展示が多数あった。 北の魚と南からの回遊魚が水槽を並べてあった。北の魚の展示にちょっと不満だった。そう、人工魚礁にオレンジ色のマホヤの縁取りをして、黄金のアイナメを泳がせたら?もしも、僕がコンペに勝っていたら、その映像は今は残っていないとしても、展示に名残があったかもしれない。 ガラスに貼り付いただけのミズダコも、僕が映像を撮っていれば、ミズダコも人工魚礁に住まわせたかもしれない。人工魚礁の調査をしていた頃、アシスタントをしていた田口君にミズダコが飛びかかってきて、背中に張り付いた。彼は、そのままミズダコを背負って浮上、ミズダコは僕たちにたべられてしまった。 ちょっと大型の水槽に人工魚礁を置き、アイナメとミズダコが群れている。もちろん、ホヤもたくさん。それが僕の北の海のイメージだ。要するに福島第一の前の根を再現する水槽だ。 負け惜しみだけど、僕が勝っていて福島の海の本当の姿を見せてあげられれば良かった。 ちょっと感心した水槽は。タカアシガニが群れている水槽だった。ちょっと感動したけれど、待てよ、タカアシガニは伊豆の名産ではなかったかな。調べてみたら、岩手沖から土佐湾だという。だから、福島でも多く穫れるのでこんなにたくさん入っている。 図書室で一休みした。図書を一生懸命調べたけれど、僕の書いた本は無かった。潜水技術の本ばかりで、生物の本は出していないから、仕方がない。 やはり、潜水の中日で、疲れていた。 ]]>
0513 GWツアー3
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2017-05-11T11:43:00+09:00
2017-05-11T11:43:58+09:00
2017-05-11T11:43:58+09:00
j-suga1
旅行
砂地を手のひらで、そっとなでるように掻きながら進む。なんだか小さいイカがでてきた。マクロにして近づこうとすると、砂に素早く潜ってしまう。またかき回す。また潜る。撮れない。名前をボードに書いてくれたがすぐに忘れた。小さい、吹けば飛ぶようなカニも出てきた。これも忘れた。 なお、カメラはsea&seaをあきらめて、ニコン クールピクスを使うことにした。マスクマウントはGOPRO2を使う。後から考えれば、sea&seaで押すべきだった。どうしたら、撮れるかのテストをもう一度チャレンジするべきで、それをしないならば、カメラとストロボの墓地に埋葬するべき、まだ埋葬の決心はついていない。使い方によっては、今の自分にフィットするカメラなのかも知れない。クラシックを使うというのも、悪くない。 ホウボウの幼魚がでた。これは形があるから、マクロで撮らなければとトライしたが、根気がないから、それに、みんながカメラを向けるから、撮れなかった。じっと腹這いになって、5分もかければ、撮れるだろう。 水温16度、ドライなのに寒くなった。インナーを着ないで、夏仕様の長袖だったのだ。 潜水開始 10時22分 最大9、2m 潜水時間52分 水温16度 これで僕については全部の潜水を終了した。 小久保だけは、一人でもう一度出て行った。こういうのをソロダイビングと言うのだろうが、小久保のダイビングの半分はソロだ。東大教授だから、殺してはいけない。バディで、といっても仕方がない。僕との同行だけでも、20年を越える。僕と一緒の時は、僕の世話をしなければならないから、常にバディだ。僕もカメラを持ったら半ばはソロだったが、小久保と一緒のときには、常にバディのポジションをとらせていた。一人でエントリーすれば、完全に自己責任だが、二人でエントリーすれば、バディで行動するべきだ。
戻り道は空いていた。
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