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2016年 02月 09日
ダイビングの安全とか危険とか考えるときに、スタイルという言葉をこのごろ考える。
これまではオペレーション、運用ということを大事だと、シンポジウムなどでも取り上げてきた。勿論運用は重要だが、そのもう一つ上の概念があると思う。それが、スタイルで、あり方、という表現も出来る。別の表現があるかもしれない。 まだ、漠然としかつかまえられていない。 ブログを書くことで考えているから、そして、走りなが考えるというのが、自分のスタイルだから、一緒に考えていただけたら良い。いい加減といえばいい加減だが、ダイビングについて、固執しる主義主張があるものでもない。思いつきのレベルのことを書き留めている部分もある。 ![]() スタイルに影響するのは、道具、機材、ハードであり、それと、歴史、時代による違い、国民性、国のあり方、目的目標によるちがい、例えばレジャー、レクリエーション、スポーツ、作業、港湾土木、漁業、サイエンス、地域場所、海況による違い、それらが複雑に絡み合って、そのダイビングのスタイルが生まれる。スタイルという言葉がてきせつであるかどうか、まだわからない。とにかく、仮にスタイルとしよう。一つのスタイルでは、正しい、安全とされることが、別のスタイルだと危険と思われることもある。 細かく論じていくと際限もない。その際限もない議論が、ダイビングの安全に関して、重要であり、大きいと僕は考える。ところで、困ったことに、その議論もスタイルによって、まるで相反してしまい、議論にならない事が多い。 具体的な例はいくらでもあげられるが、海上自衛隊の機雷処理のすたいると、海洋保安部の特殊救難隊ではスタイルがちがう。甞て、その両方の訓練をテレビ取材したことがあるが、まるで違う。 良否、正否ではなくて、スタイルを見て、論じていくことが、安全、危険についての判断、に繋がる。 そういう例がたくさんある。中田さんという人が唱えている、スクーバダイバーは致死性の高い商品スポーツだという。これも一つの視点から見るスタイルである。 PADIとNAUI、SSI、CMAS JUDF その他もスタイルが違う。あまり変わらないと見ていたのだが、次第にスタイルが違って、離れていくようにも見える。 これらのどれ一つを取り上げても、議論ができて、それは安全か危険かの議論、判断につながっていく。 まあ、そういうことなのだが、その議論が日本では、全く展開されていない。再度繰り返すけれど、正否、良否ではない。違いを議論して、違いを知り理解して、それぞれで適切な手法手段を講じて行かなくてはいけない。 これは個人的な見解だが、ダイビングの多くのスタイルにおいて、安全第一では決して無い。安全と危険の折り合いを取っていく、そのスタイルであるという見方もできる。 未だ、確固とした整理が出来ていないことを書いているが、そういう見方がダイビングを論ずるときには必要だと思う。 体系付けられて居ないのに、各論から考えてしまうのだが、だんだん整理できれば、何とか体系づけられるかもしれない。して行こう。 実は、僕のやろうとしている80-80計画が安全とみられるか危険とみられるかは、スタイルによって異なるということが言いたかったのだが、考えているうちにとんでもないところに来てしまった。 さらに、ここまで来てわかったことなのだが、運用、オペレーションは、何のためらいもなく、自由に論じることができるのだが、スタイル、あり方を論じると、そのスタイルで生きている人を非難することになりかねないし、それはやりたくない。でも、それをやりたくないというところが、ダイビングと言う世界、日本という社会の特色化もしれない。年を重ねると、怖いものが無くなるのではないかと想像してきたが、その逆で、みなさまのおかげで生きさせてもらっているという意識が生まれて、批評批判することができにくくなった。 まずは、高気圧作業安全衛生規則について見ていこう。 これも国が押しつけた強烈なスタイルと見ることもできる。この規則による国家試験の講師をやっていた頃、ここには、実際、リアルなダイビングの世界とは別の潜水士ワールドというようなものがある、と説明していた。 潜水士テキストという本を書く人が日本のダイビングのスタイルを決めていってしまうのだ。そして、ソレは日本の法律、規則によって強制される。 世界でこのような規則があるのか無いのか知らないが、アメリカには無いと思う。NOAAというのがあり、DANというのもあるけれど、規則で縛っていることはない。 日本にはこの規則がある。だから、そのことが、根っこのところで、アメリカの団体には理解できない。理解はできても、承伏はできない。でも、規則だ。 誤解されると困るので書いて奥が、この規則に反対しているものではない。反対しても意味は無い。無くなることはない規則である。ならば、できるだけ良いものにして、行きたい。そして、この規則、このテキストを論じることは、国との論争になるから、個人攻撃、他人のビジネスを阻害するということにはならない。その意味で、もっとろんじられても良いと思う。 僕の8080計画も、この規則とは無縁ではない。この規則の最近の改訂がスタート地点でもある。すなわち、空気を呼吸して40m以上潜ってはいけないという規則である。 従来の状況から、40mは困る。せめて60mだろうと考えるのだが、この議論には勝ち目がない。安全は水深と反比例するし、まあまあいい線だ。 ▲
by j-suga1
| 2016-02-09 14:04
| 潜水士
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2015年 06月 21日
工藤くんと共著の「一発合格!よくわかる潜水士試験 完全攻略テキスト&問題集」の改訂版、ようやく、製作会社に送った。「一発合格」とか、こんなド派手なタイトルは僕ではとうてい考えつかない。合格本のプロフェッショナルの仕事だ。
![]() 初版は、これまでの過去問を中心にした。こんな試験は潜水士テキストなど読まなくても、過去問だけ見れば、そして試験の洗礼を受けて来た人ならば軽く合格する。その過去問と解説を中心とした。しかし、せっかく試験勉強をしてくれるのだから、これを機会に潜水の基本的知識を物理的なことから、生理学的なことまで、理解してもらいたい。そして、雑学的な知識も盛り込んで、読んでおもしろい本にしようとした。二人共自信満々だったのだが、思わぬ落とし穴があった。出版元の割付をするデザイナーが、減圧表の計算尺部分を縦横比を替えて、ページに収めてしまった。これでは正しい答えはでない。一番大事な部分だから、すぐに改定した正誤表を入れてもらおうとしたが、そんなことはできない。出版社のホーム・ページで訂正するだけということだった。 運良く、法令が改正になり、チョンボをして部分は削除となった。折もよく、最初の版は売り切れて、書き直おしと、規則改訂がかさなった。工藤くんはきちんとした対応をしようというが、僕は拙速で書きなおしてとにかく出そうということで、強引に進めた。工藤くんは、ダイビングシーズン前でほんとうに忙しいのに、僕のいい加減路線ではなく、真摯に書きなおしてくれた。足りない部分を僕が書き足して、監修、大雑把なはめ込みをやり、約束に間に合わせた。 改訂で読みなおしてみて、ぼくらのねらい、「潜水の基本的知識を物理的なことから、生理学的なことまで、理解してもらいたい。機材のこと、潜水の方法、危険の回避、雑学的な歴史まで網羅していて、規則的な部分を読み飛ばせば読んで面白い。今度の改訂でますます面白くなったと思う。潜水士テキストと意見のちがうところは、かなり僕たちの意見で補正している、試験に受かれば良いのだ。意見のちがっているところは、ちがうように、僕たちが正しいのだが、つまり現場的にはこちらが正しいのだという立場で書いたが、潜水士の方も、改定で、かなり補正されて、僕たちに近くなった。そして改正で、リブリーザーもダイブコンピューターも、飽和潜水も、取り込まれたので、本当に潜水のすべての局面がわかる。少なくとも、潜水士の受験本ではこれがベスト、と胸を張ることにした。 レクリエーションダイビングは、冷遇していながら、覆いかぶさっているというところは、こちら側としては許しがたいが、厚遇すなわち指導だから、冷遇の方が良いのかもしれない。作業潜水のことも一応わかるから、それも意味のないことではない。 そして、美術工芸品的な伝統技術になりつつあるヘルメット式についてもそれなりに詳しくわかるし、今度は日本の誇る?軽便マスク式が削除されてしまったので、僕は削除しようと思ったが、工藤くんが歴史的意味で残しましょうという。もっともで、僕が力を入れて書いた部分でもあるので、残すことにした。 減圧表が完全に消えて、理論式が規則になった。潜水士テキストの説明では、まるでわからない。わからせようとする努力もしていないので、一旦は憤ったが、そうか、これは分かる人だけが分かれば良いので、試験には難しい部分はだしません、というメッセージだと解釈することにした。テキストを読んだだけでは99%の人が理解できないとして、大学の入試ならばともかくとして、労働安全のための国家資格の試験問題が99%が答えられないと予測できる問題が出題されたら、その時怒ればいい。パブコメもある。潜水士、100人も集めて、問題の不適を訴えれば面白い。しかし、出題されないだろう。全部カットとおもったが、出版社の意向としては、全部載せておくということなので、ある程度解説して収録した。 この本は頭の体操にもなるし、面白い。ぜひ、遠い昔に試験に合格したひとも、今!をしるために、そして未だ受験していない人も遊び半分で国家試験が受けられるのだから、ぜひこの本を読んで、スポー的気分で受験してもらいたい。持っていてじゃまになる資格ではない。現在、この受験を受ける100人のうちで90人はスポーツ&科学で港湾作業を目指すひとは10%だろう。しかし、受験する人が多ければ多いほど、厚生労働省的には成功だし、先に述べたように冷遇は別に問わない、かまってほしくない気持ちになれば、なんともない。ちょっとちがうだけの他の世界の勉強をすることは、おもしろい。 そして、ちょっとだけでも、アルバイトに近いことをやったり、また学生の研究活動で潜水する場合でもこの資格は必須になっているのだ。 ▲
by j-suga1
| 2015-06-21 14:23
| 潜水士
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2015年 02月 13日
悪い癖で、また減圧表が小田原セミナーで放置されている。 0207の(2)では、米国海軍の標準空気減圧表で、100mを目指したところまでかいた。(3)では、今度の改正では、表を規則で決めずにアルゴリズムの例をしめしただけだから、自由にテクニカルダイビングで何メートルまででも業務で行なってよいのだろうか?という疑問だった。この改正を一番熱心にやっていた故真野先生が、深度についての潜水手法の制限として、水深40m以上はハッチアウトスタイルのSDCを使わなければ行けないように使用などと言っていて、僕はせめて、オープンベルぐらいにとどめておかないと、リサーチダイビングはできなくなると意義?申し立てをしていた。 ![]() 深く潜る場合の手法について、規則では全く触れていないようだ。だとすると、次に発表される潜水士テキストで、そのことが書かれるのだろうか。テキストは規則ではないかr拘束力はないが、国家試験問題は潜水士テキストの中から出題され、潜水士テキストの記述通りが正解になる。潜水士テキストと国家試験問題は公文書なのだ。それが常識になってしまう。現場の常識が活かされず、潜水士テキストの記述が正しくなってしまう。 そして、潜水士のテキストの記述はどういう経過で書かれるのだろうか、ブラックボックスであり、執筆者の名前が記されるだけだ。今回講師になっていた望月徹氏が、埼玉医科大学の地域医学、医療センター、衛生学部門の肩書で第一編、第二編、テキストのほとんどを書いていることになっている。それで良いのだろうか、かつて、海洋科学技術センターで、用語集の編纂が行われた時、スポーツダイビング代表として委員にさせていただいたが、書かれた原稿について、読み合わせ、訂正の会議を何度も行なった。今度の改正でも、多数の委員が、スポーツ関係者はゼロだったが、会議を開かれていた、せめて、あのくらいの会議で、スポーツダイビングの代表者も加えて、テキスト編纂をおこなうべきではないのだろうか。不肖、最新ダイビング用語事典でも執筆と監修者の名前リストは3ページに及んでいる。潜水士テキストでは、この辺がブラックボックスにはいってしまい、しかも執筆者一人だけの名前しか発表されていない。なにも望月さんが悪いと言っているのでは決して無い。しかし、国家試験問題の基となるテキストであれば、各方面から監修者を選び、監修会議を数回行いその議事録をネットで流す。(規則の改正ではそうなっていた)そして、パブコメで異議が唱えられるていどの手続きが必要なのではないだろうか。 まあ、結果(新しいテキストができてから、)を見てまたコメントしよう。 テキストは3月末にできるのだそうだ。そして4月から新しい規則に準じた国家試験になるが、それは古いテキストに沿ったものになり、7月のテストから、新しい規則に本格的に準じたものになるらしい。 僕らは外野?いや内野かな?だから、いろいろ想像して面白がっている。減圧表のサンプルも一つ掲載されるということなので、減圧停止についての問題は、その減圧表体されるのだろう。 出されるとしたら、おそらくカナダのDCIEMではないだろうか。 この前の日本潜水協会での改訂についての説明会では、DCIEMが例に出されていて、他の表は出てきていなかった。世界的に有名な減圧表は、米国海軍、英国のRNPL.,そしてカナダのDCIEMだ。更に、強いて言えば、日本の別表第二もこれに入れても良いだろう。これらの減圧表については、続きにする。 ▲
by j-suga1
| 2015-02-13 17:28
| 潜水士
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2014年 04月 03日
世の中、想定外、想像もできなかったことが起こります。なるほど、ダイビングの事故もこんな形で起こるものなのかと想像できます。 潜水士の問題集ですが、修正時間を計算する別表B (別表3)が変形されて掲載されてしまいました。おそらく、原図を本のサイズに好適、気持ちよく載せられるように変型してしまったのでしょう。他に理由は考えられません。計算線の間隔が狭くなっているので、これは計算尺の一種ですから、当然答えが違ってしまいます。問題集の答えは間違っていないのですが、その算出方法を試みると答えが違ってしまうのです。 まさか、この図表を変型するなど予想もしていなかったために、チェックされませんでした。須賀、と工藤がゲラをダブルチェックしたのですが、もれてしまいました。残念です。編集者には、潜水士テキストの図の通りに、と指示はしたのですが、現場のデザイナーには伝わらなかったのでしょう。 出版社のナツメ社は、ホームページで対応するということでした。 本当に恥ずかしいことですが、予想外のことが起こるから、事故につながるものだという、見本になってしまいました。この部分の正しい表が挟み込まれれば、後は問題ないので、どうかお許しくださるよう。お願いいたします 下記が正しい別表3です。 ![]() ▲
by j-suga1
| 2014-04-03 19:37
| 潜水士
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2014年 03月 01日
共著者の工藤君が潜水士試験テキストを告知したので、紹介する。 「よくわかる潜水士試験 完全攻略テキスト&問題集」が、ナツメ社より発売。 発売の予定日は3月17日、価格は2500円(税別)。 ![]() この本の計画をしてからここまで3年の時間が経った。迷いもたくさんあったし、この制度そのものにも考えることが沢山ある。工藤君との意見の差もずいぶんあったような気する。僕よりも彼の目指しているところが高い。僕はとにかく受かれば良い参考書、彼はもう少し理想が高い。そして、計算問題の解き方もきちんと方程式を立てて、解かなければいけないとしている。彼の方が正しいと、考えて、その方向になった。 若干難しくなったかもしれない。しかし、表紙を見ていただいてわかるように、この本は、スクーバダイバーによって、スクーバダイバーのために書かれた日本で初めての潜水士テキストである。問題集の形式を採っているが、これによってダイビングのすべてが、そして、日本のダイビングの規則の歪みも見えてくるはずであり、そして、とっくの昔、潜水士の資格を取ったダイバーも、今の潜水士試験の状況をしることができる。 潜水士免許が日本における唯一の免許である。スクーバダイビングのための規則とは思えないのに、スクーバダイバーもこの規則によって縛られるという大きな矛盾がある。しかし、この規則が、スクーバダイビングの安全のために役立つようになんとか育てて行きたい。この本が出てからだが、潜水士の勉強会をやりたい。ヘルメット式潜水についても、先日のシンポジウムで、日本で唯一ヘルメット式潜水を若者に教えている種市高校に発表してもらったが、このテキストの内容とずいぶんずれがある。また、今の作業潜水は、応需弁月の全面マスクが中心になっているが、その運用についても、テキストとはずいぶんと変わってきている。 システム潜水については、僕は専門家ではないが、この規則、テキストを論じることで、一般のダイバーにも理解ができるのではないだろうか。 日本のダイバーは、みんな、この規則、潜水士テキストをバカにしている。しかし、細部はともかくとして、骨組みはしっかりしている制度なのだし、いまさら廃止することもできない。すなわち、ダイバーが逃れることができない規則なのだかれ、なんとか、これを良くする。この法律の目的の通りに、ダイバーの働く現場、仕事場の環境をよくして、安全に役立つように、考えて行かなくてはならない。この本は問題集なのだが、この規則、そして、多分改訂されるであろうテキストを論じて行きたい。 かなり、レベルの高い議論ができるのではないかと思う。 そして、今度減圧表が改定されるというが、僕は改訂後の公のテキストについては順次議論して行きたい。 残り少ない潜水人生の最後の段階で、潜水士の規則がスクーバダイバーの安全に本当に役立つようになってほしい。そのための活動の、これは、まえがきのようなものと考えている。 なんだこれは、違うではないかとおもわれるところも多々あるとおもうが、それは、このテキストが準拠している「公の」潜水士テキストの問題点なのであり、それを突き詰めて行くことをこれまでやっていなかった。潜水士の資格を持っている人も、無視してきた人も、これから受験する人も、必携のつもりで書いた。そして、よく言うのだが、今から50年経って、もう潜水士の姿がまるで変ってしまった時、そうなることを願っているのだが、このテキストを見て、ああ、2014年当時、日本の潜水は、こんな形だったのだとわかる資料にもなるだろう。 ▲
by j-suga1
| 2014-03-01 23:31
| 潜水士
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2014年 01月 05日
2013年後半を振り返ってみると、連載のようにまとまったことを書いておいて、あとでなんとかすることができる下書きにしたいなどと言って、数回書いて、置き去りにしてしまったテーマがいくつかある。これらのテーマを書き続けながら、日々の雑感、日記的なことを挟んで行こうということにしたのだが、それらのテーマが行き倒れ状態になっている。新しい年を迎えて、テーマを復活させようと、原稿をそれぞれのテーマでファイルを作って整理、まとめてみた。
近々では「潜水士」、「福島」「人工魚礁」もうだいぶ前になってしまったが、「リブリーザー」「潮美への手紙」がそのままになっている。「ウエアラブルカメラ」「潜水技術」「グラフィティ」「お台場」「辰巳」「読書・映画」「JAUS」は、項目別整理のテーマだから、ぼつぼつ続いている。 受験本も最終の校正に入っていることでもあり、「潜水士」から復活させよう。ここまでの展望だが、最後にこのテーマを書いたのは、12月14日で、潜水士の制度が作られる前、比較的深い潜水、長時間の潜水をする漁業者に重大な症例が多く、減圧症についての処置も、「ふかし」療法がほとんどで、再圧室を備えた病院もあったが、信頼されておらず、再圧タンクも特許の申請がされているような状況だった。そのころ、僕たち、まだ黎明期のスクーバダイバーはどうだったのだろうか。減圧表は?というところで、 ![]() 1943年版米国海軍減圧表 ダイビングを始めたころ1956年ごろの僕たちのテキストは、「A Manual for Free Divers Using compressed AIR 」という61Pの英文で、ウズホールの潜水指導をしているダイバー、まだ、当時はインストラクターという言葉もつかわれていなかったのだが、今で言えばインストラクターのD.M.Owen が1954年に書いたものであった。61pとページ数が少ないから、僕にも簡単に訳すことができた。この本に示されている減圧表は、米国海軍のダイビングマニュアルに示されている米国海軍の減圧表で、1943年版である。米国海軍減圧表の元祖、原型だろうと思う。クストーのアクアラングの誕生が1943年であるから、この表は、それ以前のヘルメット式潜水器のためのものである。この表で、例えば90フィート、約27m潜ったとすると、30分までは無減圧、ストップは0分である。45分になると10フィートで6分の減圧停止になる。 繰り返し潜水、一日に複数回数の潜水を行うときは、2回目に潜る時は、時間を2倍して表を引く。27mに30分潜ったとすれば、二倍だから60分潜ったことにして表を引く、大変にわかりやすく、30分でも60分で表を引くから、6mで9分、3mで16分の停止となる。 僕たちは、この表に従って潜水しても3%、100人に3人は減圧症になるが、その症状は軽く、ふかしで対応できると教えられた。減圧症に対する安全度は、漁業者のヘルメット式よりもはるかに高いものだったと思う。 そして、東亜潜水機に入社した1958年には、1952年版の米国海軍のダイビングマニュアルを原文で読んでノートをとっていて、減圧表も1952年版であり、現在の米国海軍の減圧表とは、数値は改善されているとしても、その組み立ては全く同じで、繰り返し潜水記号で、繰り返し潜水に対応している。 ![]() 1952年版米国海軍 そして、1961年潜水士テキストに減圧表、(別表2)が発表された。米国海軍の表と比べて見ると、停止時間などについて、その数値は近い。ということは、このまま米国海軍の表を使っていても良いのだと、勝手に解釈した。自分はそれで良いとしても、一般のダイバー、当時は東亜潜水機勤務だから、そのお得意さんであるダイバーは、この表が規則になっているのだから、守らなければ規則違反になってしまう。 繰り返し潜水についての修正時間は、別表3という、計算線の表を使う。定規で正確に線を引かなくては、数値が求められない。国家試験の問題に必ず出題されるようなことだから、大変に面倒であり、なおかつ手で定規をあてて線を引くのであるから、不正確である。こんなものは現場では使っていられない。しかし、規則である。使えないと切り捨てることはできない。 この計算線(別表第3を見ると)、これは計算尺を印刷物の表にしたもので、定規で線を引くのは計算尺のカーソルと同じだと気づいた。ならば、計算尺を作れば良いと準備をすすめて、計算尺メーカーから見積もりをとった。1000の単位のロットで作らないと作ってくれない。社長にお伺いを立てたが、あまり良い返事がもらえない。ならば、と厚紙に印刷したもので紙と紙を滑らせるようにしたら、これでもできる。社長の許可をもらって、これを作り、全国のお得意さんに一回目は無料で配布した。 一方、マスク式潜水機を作っている旭潜研は、少し遅れてだが計算尺を作って売り出した。旭の佐藤社長は潜水士制度の黒幕である。最初からそのつもりでこの別表3を作ったのかもしれないと勘ぐった。 ![]() 別表3の計算尺 ![]() 別表2の早見回転表示板 そして、2012年、1962年から数えて、50年後だ。僕たちJAUSは、横須賀のJAMSTEC、海洋研究開発機構でプライマリーコースの研修会をやらせてもらっている。海洋研究開発機構では、主催事業として、消防士や警察官を対象にしたスクーバ研修会を開いている。海猿のトレーニングなみの一週間のコースである。この研修は当然、潜水士の規則に沿って行われる。その教室で僕は見た。あの時旭潜研の作った計算尺の現代版を。メーカーの名前が日本海洋産業と変わっているが、これは、この会社が旭潜研を吸収したためだ。 懐かしいとともに複雑な心境になった。あの時、ボール紙細工ではなくて本格的な計算尺を作っていれば、今も売れていたかもしれない。50年後の今だ。50年売り続ければ金額は小さくても、かなりのものになっただろう。 そして、50年変わらない減圧表というのも大変な代物だが、いまでも米国海軍の表が基本だから、この表で潜水しても、作業潜水としては、減圧症が多発するということでもないのだろう。 ![]() 現在の潜水士テキスト 80-90になっている ![]() 48年版テキスト 55-60より下はない。 しかし、現在のこの表の一番深い区分が80を超え90以下になっている。90mまで空気で潜水ができるのだ。このことが今取り上げられて問題になっている。しかし、昭和48年版の潜水士テキストでは、最深が55をこえ60以下になっている。何を根拠に30mも深くしたのだろうか。まさか、1964年に僕と舘石さんが100m潜水に空気でチャレンジして90mで引き返したから、90にしてわけではないだろう。僕たちは90mで、一時的に意識を失った。 ▲
by j-suga1
| 2014-01-05 18:15
| 潜水士
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2013年 12月 14日
潜水士の資格制度、高気圧作業安全衛生規則は、減圧症、1961年当時は潜水病と呼ばれることが多かったが、その減圧症を防止することを主たる目的としてために作られたと書いた。減圧症は、潜水病と同時にやはり高圧環境で働く潜函工事で起こる減圧症である潜函病も同じように防止する。潜水も潜函も、同じような減圧を行うことからひっくるめて減圧症である。
1960年当時、減圧症はすでによく知られていたが、その治療は「ふかし」と呼ばれる方法で行っていた釜に入れて蒸す(ふかす)からふかしなのだろうとおもう。釜すなわち再圧タンクなのだろうともおもっていた。しかし、ならばその釜も普及していなければならないはずだ。それがちがう。となれば、蒸かす釜は、ヘルメットなのだろうか。実際にはヘルメットに入れて蒸していた。 房総半島でのヘルメット潜水による漁と言えば、アワビ漁である。ヘルメット式のアワビ漁の中心は外房大原沖にある器械根の漁である。ヘルメット式潜水機、すなわち器械でとるから器械根である。器械根の話に脱線すると大変なので、ここまでとするが、海女が潜れない深さであるからヘルメットを使う。明治11年(1878)頃にはじまった漁であり、ヘルメット式潜水の日本における嚆矢とも言える。この漁でどのような減圧表を使っていたのか、そしてふかしについては、「房総の潜水器漁業史」大場俊雄著・崙書房1993に詳しい。大場さんは東京水産大学で僕の5期先輩でとこれも脱線になってしまう。この本には「ふかし療法の開発」という章があり、房州勝浦の丹所春太郎が工夫し、この方法で多くの潜水漁師を救ったとして、勝浦市川津に銅像がある。川津にはアワビの調査で通ったことがあるのに、この銅像を見に行っていない。 房総のヘルメット式漁師は、「ふかし」で治療をしていた。減圧表についても、明治年代にすでに「三十尋より二十五尋までは三十分、二十五尋から二十尋までは一時間、二十尋から二十尋までは二時間」とか、時間表があった。この時間表に従って潜り、腕の痛みなどが出た場合にはふかしたものだった。それでも深刻な半身不随になる潜水病もあり、テレビのドキュメンタリーで、房州器械根での潜水病の悲劇を見た記憶がある。僕の家でテレビを買ったのは遅く、1964年だったから、それ以後のNHKの番組である。痛みに苦しみながらのふかしに強い印象を受けた。 それでは、再圧タンクは無かったのか? 千葉県の病院にあった。しかし、ヘルメット漁師たちは、あそこに行ったら終わりだと言って、よほど悪くなるまで行かなかった。悪くなってから行くから助からなかったという悪循環である。 たしか、1959年だったと思う。東亜で一人用の最厚タンク、ワンマンチャンバーを作ろうとした。作ろうとしたら特許に引っかかって作れない。クレームがついた。基本的な部分、タンクに圧力をかけて治療するという部分が特許になっているのだという。 特許は、公知公用になっていれば、通らない。異議申し立てができる。特許の申請の前に、申請者とは違う人が作って売り出していれば、通らない。社長がいろいろ調べたところ、昔に作った再圧タンクがスクラップになって横須賀にあるという。僕が調査を命じられ、横須賀までマツダのオート三輪に乗って調べに行った。もしもスクラップがあって買えるならば買ってくる。なんとかスクラップ屋さんまでたどり着いたが、残念、しばらく前に切断しバラバラにして捌いてしまったあとだった。 結局、この件は、梨本先生、旭潜研の佐藤さんらと語り合って、無効の申し立てをして、なんとなくうやむやにした。61年の高気圧作業安全衛生規則では、再圧タンクについて書いてあり、試験にもでるのだ。特許では労働省が困る。 ![]() 100m潜水の船上 真ん中に再圧タンクが置いてある。 特許は何とかなったが、そんな具合だから東亜には作る技術がない。佐野専務が担当したが、コンプレッサーが専門であり、忙しいのではかどらない。僕はレギュレーターを設計して作り、苦労している最中だから、それに再圧タンクの設計など無理。それで、招聘したのが、帝国海軍で潜水の神様と言われ、伏龍特攻隊のための潜水機を作った清水登元海軍大尉だった。僕は100mの実験潜水を計画し、その総指揮を清水さんにお願いすることになるのだが、その東亜製再圧タンクができたのは、1963年8月、100m潜水に出発するその日、僕は徹夜でタンクに電話機を取付けて、そのままタンクの中で寝てしまって、その朝、館山は100m潜水のためにトラックにそのタンクを乗せて出発した。 ![]() 再圧タンクの中の舘石さんと電話で話す僕 僕たちのために作ったようなもので、そのタンクに初めて入って圧力をかけられたのは、100mを一緒に潜った舘石さんだった。潜水を終了して、なんか具合が悪いというので、清水さんが、ちょうど良いとタンクに収容して圧力をかけた。元気になって出てきたから、きっと効果があったのだろう。 その再圧タンクは、どこかに売ってしまって、その後東亜で再圧タンクを作った記憶はない。現在、再圧タンク、大型減圧室の製作は、中村鉄工所、羽生田鉄工、現在はパロテックハニュウダ株式会社が分け合っていて、羽生田社長は親しい友人である。 次はそのころの減圧表について取り上げる。 ▲
by j-suga1
| 2013-12-14 09:01
| 潜水士
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2013年 12月 09日
1961年 僕は、社長から分厚い書類を渡された。潜水士テキストの草稿のコピーだった。
そのころ僕は、195?年版の US.Navy のダイビングマニュアルをノートをとりながら読み終わったころだった。まだ、バインダーの版ではなくて、一冊になっていた。そして、自分の潜水について、減圧症についての知識は最先端のものだと自負していた。そして真面目でもあったから、間を見てではあったが、一ヶ月くらいかけて意見書を作って、三沢社長に出した。社長はそれを編集しているところに送ってくれたと思う。 そして、出来上がってきた潜水士テキストを見ると、僕の意見は全く反映されていない。誤字を直したところも、そのままだった。その時のテキスト、数年前まで確かに持っていたのだが、今は消えている。 印象に残っていて、今も覚えているのだが、濁った水の中を浮上してゆく時、上下の感覚がなくなる。つまり空間失調だが、浮上しているのか潜降しているのかわからない時、胸毛のそよぎでわかるなどと書いてあった。胸毛のない人はどうするのかと意見書に書いたが、これもそのままだった。米国海軍のマニュアルかぶれ、米国かぶれしていた僕は、日本の潜水士テキストは、ずいぶんレベルが低いなとおもった。 1957年に東京水産大学を卒業して、東亜潜水機に入れてもらった。1961年は、まだ、卒業して3年、潜水器業界のことも何も知らなかった。だから、潜水士の規則について、どのようにして生まれてきたのか知らなかった。今、調べている時間もない。だからここに書く事は、すべて僕の視点からの話でしかないが、減圧症について、そして減圧表については、東京医科歯科大学の梨本一郎先生が主導していたと理解していた。梨本先生とは、東京水産大学3年生の時の潜水実習でもお話を聞いているし、日本潜水科学協会でも、そして、その後も長いあいだ、目にかけてくれた。 ![]() ![]() 第一回の潜水士試験は、62年の3月だと思っていた。僕の年表には3月と書いてある。今調べてみると1月である。試験場は、神奈川県小田原の水産指導所で。そのころの相棒、バディだった館石さんと一緒に出かけた。1月26日の朝、受験手続をするため遅刻は許されない。館石さんの奢りで、前日から湯河原温泉に泊まることにした。僕が、受験準備の講義、教えてあげることが条件での奢りだった。夕方、湯河原に着き、温泉に入って、ご馳走を食べてしまうともう教える、教えられる雰囲気ではなくなってしまう。 ![]() 将来の希望、これからやりたいこと、などなど、夜が更けるまで語り合ってしまった。雑誌を作る話もその時にした。今のマリンダイビングの話だ。 そして、眠い目をこすりながら試験場へ。答案用紙に向かって、僕はできないのだ。その時まで、ダイビングの通常の常識があれば問題は楽勝で解けると思っていた。常識では解けない。ダイビングの常識では疑わしいことが出ている。実際のダイビングでは白黒がつけにくいことが多い。経験と判断で行動する。試験問題はちがう。マルかバツだ。例えば、「スキューバ潜水でも、潜降索は必ず必要だ。」というと、潜降索など使ったことがないスクーバダイバーは、×にしてしまう。 減圧表の問題も一般の潜水とは違った。普通、減圧表の質問は、30mに55分潜った時の減圧停止のスケジュールは、という問われ方をする。ここでは、一日に2回潜るとして、一回目は25mに70分潜るとして、2回目の潜水として18m潜れば何分潜れるか?という設問になる。 舘石さんは、受験に受からなかった。当然、前の日の湯河原の勉強会をやらなかった僕の責任である。僕自身も、減圧表の問題は出来ていなかった筈だから,かろうじてセーフだったのだと思う。だから、勉強会と言っても、しっかりと教えることはできなかっただろう。しかし、僕の責任だろう。舘石さんは僕を責めることはしなかったが、恨めしそうではあった。 舘石さんは、その後すぐに行われる補講にでた。これは、出席すれば合格というものであり、これも小田原の水産指導所で、水産大学の先輩である指導所の所長、宮田さんが講師で、宮田さんも東亜のお得意さんだったこともあり、僕も一緒に行った。これで責任をチャラにするつもりでもあった。 落ちて集まったダイバーの大半は漁業者だった。中には、自分の名前を書けない人が何人かいる。話したり、普通に付き合ってもこのことはわからない。減圧症の防止とは、そういうことだったのだ。 潜水士の制度が始まったその頃は、試験は未だ国家試験ではなかった。委託講習と委託受験であった。委託される団体は、例えば、日本潜水科学協会でも良かったし、株式会社東亜潜水機でもいい。水産試験場でも、漁業組合でもいい。労働基準監督署に届出て委託を受けて、講習と試験をすることができた。 委託を受けるには講師を揃えなければいけない。まず医師、免許を持っていればいい。労働行政の専門家、これは基準監督署のOBであればまず問題ない。それと潜水の専門家、これは、既に潜水士の資格をもっている人で、4年制の大学を出ている者、この3人のセットで、一泊二日ぐらいの講習と受験をやる。僕は潜水の専門家として講師になり、ドサ回りをやることになった。梨本先生のチームにも加えてもらって、何回かお供させてもらった。 梨本先生のチームは、梨本先生が酒飲み、若干酒乱でもあるので、大抵は酒盛りになる。漁業組合の組合長クラスが饗応する。僕のところあたりまで、酒を注ぎに来て、「先生、全員受からなかったら覚悟せらっしぇいよ。」そういう雰囲気だったのだ。 労働省側でも、まず何とかして、現在潜水している漁業者、港湾労働者の全員にこの資格を持ってもらわなければ、制度を着陸させることができない。この苦労、講師のアルバイトをやる僕らにとっては、都合の良い小遣い稼ぎの状況は、いろいろと形を変えるが、現在までも続いている。アルバイトではなくて、職業にすることも出来た。 免許制度、資格制度というものは、すべてこれと似たような形態をとる。レクリエーショナルダイビングでもおなじことだ。 なお、当時の潜水士資格は、女性は除外された。潜水労働には女性は適さないと考えて、女性を含めなかった。漁業者でも海女さんは、息こらえ潜水だから、高気圧作業には入らない。専門(プロ)の潜水労働者としては今も女性は希であろう。レクリエーショナルダイビングのインストラクターが潜水士に含まれることから、女性の受験も認められ、女性の受験が多くなった。 ▲
by j-suga1
| 2013-12-09 08:24
| 潜水士
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2013年 12月 07日
潜水士の受験本を工藤君と共著で書いている。そこで、受験本では書けない、つまり受験とは全く関係がない潜水士のことについて、しばらくの間、時々、思いついたことを書いてみよう。月間ダイバーのグラフィティにも書いているが、1962年、昭和37年の3月に潜水士制度第一回試験があった。だから、それに先立って規則ができ、規則に沿ってテキストも作られた。そのテキストも持っていたのだが、昔のことは忘れた。と、度重なる引越し流転の間に捨ててしまった。
それはどうでも良いのだが、1962年、潜水士の資格制度ができた。何が主たる目的だったかといえば、減圧症、その頃、それ以前は潜水病という事の方が多かった。潜水病の防止だった。同時にヘルメット式潜水器のいくつかの事故,吹き上げ、墜落などの防止だった。スクーバ、当時のアクアラングは、その他の潜水器に分類されていて、つまり付け足しだった。 1935年に書かれた三浦定之助の「潜水の友」によれば、仲間のダイバーの20%は、慢性の潜水病に罹っていた。三浦先輩自身も潜水病で晩年はあまり具合が良くなく、僕の母校、今の東京海洋大学の前身の東京水産大学のさらに前身である水産講習所の卒業であり、大先輩であり、伊東の水産試験場の場長も務められ、オープンサーキットスクーバの元祖とも言われる大串式潜水マスクの改良型である山本式を駆使して、定置網潜水の普及に務められ、水深60mを越す潜水ができるダイバーを多数育成した。その20%が潜水病だったということだ。三浦さんは他にも魚の本を何冊も書かれていて、減圧症について無知だったわけではない。当時使われた帝国海軍の減圧表も残っている。しかし、それでも20%だったのだ。 日本人の潜水というと、アラフラ海、木曜島群島の白蝶貝(真珠もとれる)採取の日本人ダイバーの物語がある。木曜島には、減圧症で死んだ日本人ダイバーの墓が林立しているという。僕のたしか3年後輩で東京水産大学潜水部出身の笹原捷夫さんが、真珠会社に就職し、このとこの思い出をかいた「アラフラ海の思い出」が自費出版されている。事情がわかって面白い。笹原さんは、アラフラから帰国後、日本ブリジストンに入り、初代の土肥101の所長でもある。 笹原さんの本は容易には手に入らないが、直ぐに手に入る本として「木曜島の夜会 司馬遼太郎:文春文庫」がある。前にもブログで紹介したことがあるが、この本は、ダイバーについて書かれた絶対的な名作、ノンフィクションだと思う。司馬遼太郎の他の本も、坂の上の雲とか、かなり愛読した。しかし、歴史書としては、あれが日本人全体の史観になってしまうことには、賛同できない。木曜島の夜会だけは、ダイバーであってもし、読んでいない人がいたら読んで欲しい。文庫本で100ページほどの中編である。 ![]() 潜水病に罹っても死んでも海に潜りたい「ダイヴァー」の業が書かれている。この本に出てくる、藤井さんとは、笹原さんも会っている。僕もなんとしても、木曜島に行き、日本人ダイバーの夢の跡、墓場に潜ってみたいと思っているが、果たせそうもない。 大串式潜水機のことを書いた「海底の黄金:片岡弓八と沈船八坂丸:山田道幸著、講談社」にも木曜島のこと、そして潜水病のことが書かれている。木曜島でヘルメット式ダイバーと大串式が競って勝利を収めるくだりは小説としては面白いが、ノンフィクションとしては、眉唾ものである。著者の山田さんは歯医者さんだというが、グレートバリアリーフにも行ったことがある、一応のダイバーで、新田次郎に師事して、ペンクラブ会員でもある。眉唾だなと思いながら、木曜島に大串式を売り込んで、八坂丸引き上げの資金稼ぎをしようと、ヘルメット式ダイバーと競争して、勝利をおさめる部分は小説として一気に読ませてしまう。 潜水士の受験から、はるか遠くまで脱線してきたが、ついでだからもう少し脱線しよう。 木曜島で使われていたヘルメットは、ヘンキー式(多分英国のヘインケという会社が原型だと思う)と呼ばれている通常のヘルメットよりも大きくてごつい。オーストラリア北端とパプア・ニューギニアの間の狭いトーレス海峡は急流なのだろう、その斜面、今で言えばドロップオフに白蝶貝が着いている。そこをドリフトで流しながら貝を取る。スクーバならばドリフトも容易だが、ヘルメットである。墜落と吹上げが恐ろしいヘルメットで、吹上げ墜落防止のために、潜降索に伝わって降りる。アメリカのヘルメットダイバーは、ステージに乗って上げ下ろしされる。ヘンキー式は、ハーフドレスである。 ごついヘルメットに潜水服はへその上あたりまで、袖は半袖だ。余った空気は下から逃げるから、潜水服の足の部分に溜まる空気はないから、足を上にして転倒することはない。吹上げは起こり難い。ウエイトは頑丈なヘルメットのブレストプレートに付けてある。半袖の腕を締めると、服の中に空気がたまるから浮き、肘を開くと、空気が逃げて沈む。腕で調節して中性浮力で、流してゆく。頑丈だから、岩にヘルメットがぶつかっても大丈夫だ。 ![]() こんなヘルメットのところに、歯で洗濯バサミのような開閉弁で空気を出したり止めたりするデマンドバルブを使う大串式は、どうだったのだろう。正反対の潜水器だ。もしかしたら、大串式は勝負に勝ったかもしれない。しかし、頑固なヘルメットに慣れたダイバーたちが、道具をマスクに替えたとは思えない。 ヘンキーに何故詳しいかというと、僕の居た東亜潜水機で、ヘルメットもハーフドレスも作っていたからだ。ピカピカのヘンキーヘルメットを、一年に2台ぐらい作っていた。 ![]() ![]() ヘルメット式は滅び行く潜水器だとは思う。しかし、来年2月2日のシンポジウムには、ヘルメット式潜水によるプロのダイビングを教える専門の種市高校の先生が来て、30分程度の講演をしてくれる。アマちゃんにも出てきたらしい高等学校だ。「南部もぐり」と呼んで、ヘルメット式を大事にしている。ここが、ヘルメット式を教えることを止めたら、もうヘルメット式を教えるところはない。ヘルメット式の練習はスクーバのC-カードとはちがう。2月2日のシンポジウムで、話をきかせていただいたあと懇親会で相談して、夏には、種市高校へ見学に行く、日本水中科学協会のツアー?をやりたい。 ![]() 一方で、先日の芝浦工大の45周年で、現東亜潜水機社長の佐野弘幸君に会った。日本で、もしかしたら世界でただ一つのヘルメット式潜水のヘルメットを作る会社だ。それが、ヘルメットを作る職人が居なくなってしまったという。山沢くんという僕と同年輩の職人さんがいた。先代は、向島にヘルメット工場があって、工場といっても、師匠と弟子の山澤くんだけの工場だが、職人といっても、素敵な男だったのだが、亡くなってしまったという。山澤さんとは、当時の若手どうしで、春はお花見、夏は海水浴、秋は温泉の、東亜慰安旅行で一緒に幹事もやったことがあるのだが、東亜に在籍10年の間に、一度だけ向島工場に見学に行ったことがある。師匠の名は、忘れてしまった。ヘルメットは、へら絞りというやり方で、銅の板から、カップをつくる。美術工芸品のようなものなのだ。出来上がりのヘルメットは工芸品だが、海で使われての耐用年数は、50年以上ある。ぼくが東亜潜水機に居たころ、明治何年というネームプレートのヘルメットが修理に入ってきた。明治18年ごろが日本のヘルメット潜水の黎明だから、歴史を生きてきた道具である。つくも神になっていたかもしれない。そして、来年潜水士の規則は幾分か変更になり、テキストも書き直されるだろう。そのテキストで、美術工芸品のヘルメットは、どんな扱いになるのだろうか。 そして、種市高校の「南部もぐり110年のロマン」(そういうDVDをいただいている。)はどうなるだろうか。150年になるだろうか。日本のヘルメット式が、日本の潜水の文化と言えるのかも知れない。そうしなければいけない。 ▲
by j-suga1
| 2013-12-07 08:33
| 潜水士
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2013年 12月 01日
![]() 一歩一歩冬になります。時は過ぎてゆき、街の飾りつけは、クリスマスツリー。そうです12月になりました。一年のうちで一番嫌いな月が、お正月と暮れの12月です。 11月29日、工藤君と書いている潜水士の受験問題集の初校打ち合わせです。 編集のプロ、つまり本を作るプロダクションの山口さんとの打ち合わせは、いつも池袋の芸術劇場です。新しい劇場で、劇場であるだけでなく、お茶を飲んだり、食事をしたり、人と待ち合わせたり、打ち合わせをしたり、良いスペースを提供しようというコンセプトで作られた劇場で、池袋では一番好きなスペースです。 ![]() 芸術劇場の吹き抜けには、何やら、異様な像が、アンバランスでたっていますから風船のようなものでしょう。 潜水士の規則、改正に揺れています。この時期に本をだすこと、どうかな、と思ったのですが、改正されテキストが変わったら、その部分の補遺をつければ、すむことで、その方がわかりやすいとも考えました。全くの受験本ですが、説明部分は工藤君が頑張ってくれて、現行の潜水士テキストよりもよくできていると思います。 潜水士の制度は、1962年にヘルメット式潜水器を使う潜水の事故防止、減圧症防止のために作られたもので、当時のテキストは、ヘルメットダイビングが中心で、スクーバは、その他の潜水器として分類されていました。月日が流れ、ダイビングが進化するとともにテキストも書き直され版を重ねているのですが、積み重ねたようで、整理がついていないテキストになっています。そして、国家試験である潜水士資格受験を受ける人たちの大半はスクーバダイバーであり、ヘルメット式の実物を触ったこともない人たちなのです。そして、ホースを使って潜水する作業潜水に従事する人たちも、全体の5%もいないのです。 そんな実態に合わせつつ、新しい展開も視野にいれて、今は見ることも触ることも、難しくなってしまっているヘルメットについても理解してもらえるような説明、そして、潜水の基本である物理学、生理学も十分に理解できる、そして、受験勉強は最短距離で合格する。そんな本を目指して、これで2年近く頑張って来ました。いよいよ、その大詰めです。述べたように改正が間近ですが、間近とはいえ、改正の発表されるのが、来年の春でしょう。それからテキストが出て、試験問題が変更になり、そして国家試験が行われるのは、どのくらい先になるでしょうか、あとで触れますが、ヘルメット式はどのように扱われるのでしょうか。多分、来年の夏には間に合わないのではと思います。間に合わせたとすれば、改正される部分は、減圧表の部分だけになるのかと思います。いずれにせよ、潜水士のテキストそのものを書く人、受験問題を作る人よりも、現在のダイビングそのものについては、僕たちの方が先行していますし、現実に即応しています。 とにかく、受験生の多くであるスクーバダイバーを読者に想定して、作られる初めての受験本です。 問題集も充実しています。要するに、「スクーバダイバーが、ヘルメット式のダイビングを含めて、全体像を理解できて、ダイビングの基本理論もよく理解でき、短時間の勉強で試験に通れば、文句ないだろう」というコンセプトです。2月に本屋には並びますが、これから1月にかけて師走は、大変です。大変な気持ちに追い込まないと嫌いな12月1月でめげてしまうのではないか、と、まあ、そんな日々です。 ![]() 地下鉄東西線から丸ノ内線に行く通路部分、は大手町タワーの吹き抜けになっています。 ▲
by j-suga1
| 2013-12-01 12:11
| 潜水士
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