須賀次郎のURL
辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2008年 11月 29日
海にも行かない土曜日と日曜日、ぼんやりしている。出そうと思っている本の原稿をようやく書き上げた。書き上げたと言っても直しているし、まだ素材にしか過ぎない。出版してくれるところを見つけなければならない。良い編集者に巡りあえれば、良い本になると思う。原稿の量は、400字詰め原稿用紙で880枚、写真多数。
出版社に出す企画書の一部を紹介する。 「1955年に著者はスクーバダイビングを始めた。携わってきた潜水を時系列に沿って、技術論を織り込みながらスクーバダイビングの日本における歴史的は発展をたどり、体験した海洋調査潜水、スポーツ潜水、テレビ番組撮影潜水などをストーリーとして展開した。1989年には社員を一人亡くしてしまった。100mの深い実験潜水も2回試みた。テレビ番組の制作で、世界の海を巡った。読んでいただくことで、スクーバの本質が見えて来るはずである。」 さあ、どうなるだろう。 ![]() 僕が、大学を卒業してから、10年間お世話になった東亜潜水機の現在の姿である。 僕が居た時には、こんなにきれいではなかった。左側の建物のあたりに、僕のスクーバ事業部があった。事業部と言っても、僕と助手の安森君、彼は今、海洋設備サービスという会社の社長さんだ。僕たちの建物は、トタンで作ってプレハブで貧しいものだったが、全体としてはもっと活気があった。今はヘルメット式潜水器は、姿を消そうとしている。 正面の潜水訓練用のタワーは、僕と清水登さんとで設計して建設した。清水さんは、旧帝国海軍の大尉で、伏竜特攻隊の発案者だ。その頃の話も本には書いた。 タワーも、もっと錆さびであったが、今はきれいすぎる。 来年の夏、この東亜潜水機のタワーで潜水する会をやろうと思っている。 東亜潜水機は、二つの工場に分かれていて、こちらの方は、高圧コンプレッサーを作っている。コンプレッサーの売り上げが80%だとか、みんな忙しく立ち働いている。コンプレッサーの責任者である佐野専務は、僕が東亜潜水機を去るときには小学6年生だった。 ![]() 工場の内部だからピンボケにした。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-29 10:24
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2008年 11月 27日
11月27日
11月ももう終わる。 桜の葉もほとんど落ちた。百舌だろうと思う鳥が飛んできた。水面にボラの姿はない。 ![]() 24日の大瀬崎、湾内に入り、左手の堤防の方を一周した。石の斜面のあたりに魚が多くて、楽しかったけれど、カメラで撮影すると、何でもない。カサゴが居たり、遠くにはメジナと黒鯛の群れが居たり、ボラが隊列をくんで通り過ぎたり、メバルが上を向いていたり。 ![]() 稚魚が群れていたので、何の稚魚かな。ネンブツダイかなと思ったり。 ![]() 25日には、辰巳プールの練習会 なぜか、飛び込みの時に水面を波立たせる気泡が噴出していた。別に頼んだわけでもないのだが、時々こんな風に気泡が出る。みんなは、泡と戯れて楽しそう。今度からリクエストしようかと思う。 ![]() ![]() ![]() 広角の画角テストをした。タイルの数を数えて、うつる範囲を測定する。リコーのDX8000は、画核が94度とカタログには書いてあるが、それだけではどのくらいの範囲を切り取っているのかわからない。5m離れると、横8m縦6mの範囲が切り取れる。そのことを頭に入れておく。 ![]() ▲
by j-suga1
| 2008-11-27 16:59
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2008年 11月 26日
11月23日
大瀬崎の野良猫 どこかに行き、猫がいたら撮影することにしている。 飼い猫のような毛並みだったから、近づいて行ったのだが、すばやく逃げられた。顔を見ると、やはり野良の顔をしている。3匹いたが、みんな尾が短い。同じ血統だろう。宿のお母さんは、野良が増えて困ると言っていた。 ![]() 大瀬崎 先端 二本目のダイビングは、午後、先端に潜った。神社の境内の岬、先端部だ。 タンクを背負ってのエントリーは、むしろコンクリートの途がある外海の方が楽かもしれない。ゴロタの上を転ばないように歩き、水中に腰まで入ってからフィンを履く。外海では、水に入る前に、つかまるために立っている木の太い柱に寄って履くことができる。タンクを背負った状態では身体が曲がらないから、水中では、ちょっとした労作になる。 それでも、今使っている、マンティスのドライフィンは、ストレスが少なく、履いたり脱いだりできる。 ![]() 斜面を下って行き、30mまで降りて、サクラダイが見えるところで、何枚かシャッターを押して、みんなの顔ぶれを確認してから戻る。誰と誰、どれが誰だか見ていてはいけない。とにかく、すばやく人数だけをまずチェックする。それは、なるべく頻繁に人数をみていなければいけない。引き返し点のように止まるところでは、顔ぶれも確認する。 ここのムチヤギの林の中のサクラダイは、これまで何枚シャッターを押したことだろう。多分、100枚を越しているだろう。一枚として、気に入った写真がない。 今回は、ファインダーを全く見ないで、みんなの方を見た状態で、適当にシャッターをおしている。 ![]() 今度、水が抜けるようにきれいな時、世話をするチームではなくて、インストラクターだけで来られたら、しっかりねらってみよう。ようやくキャノンのデジタルXも使い慣れてきたから、もしかしたらと思う。 ![]() 登ってゆくと、とにかくキンギョハナダイが多い。しかし、この魚が居なかったら、大瀬崎はずいぶんと淋しい海になる。 ![]() 大瀬崎 湾内 ナイトダイビング みんなが楽しみにしていたナイトダイビングである。 ブリーフィングで、ナイトだから、バディをしっかり組もうと注意した。そして、バディを組んでチームで動こう、とは言わなかった。 僕の主治医である河合先生と、静岡大学准教授の脇本先生、先生二人のバディが、エントリーしたら、そのまま肩を並べて、沖に向かってしまった。水に入って、みんなを待っていた僕が、一緒に行きましょうと声をかけたのだが、もう頭を沈めてしまっているから、聞こえない。残りの四人が来るのを待って、こちらは全員そろって出発した。先に行った二人は、河合先生がインストラクターであり、古いダイバーだし、脇本先生も冷静沈着で若くて身体能力が高いから、心配はいらない。しかし、とりあえず彼らが向かっていった方向に進むことにした。砂地に降りて、斜面を斜めに進む。しばらく何もないが、水は夜の方が透明に見える。それぞれの持っているライトで人数がわかるから良い。ロープがあったので、ロープに沿って行く。この前、去年の12月には、ロープの下で、ウミテングとオオウミウマを撮影した。 ![]() ![]() ロープの下に隠れて眠っていたのは、イラだ。ベラの類だから、完全に眠っている。 ところで、キャノンのデジタルは、オートフォーカスだから、フォーカスが合わないとシャッターが切れない。夜の海では、オートが効かない。フォーカスを合わせる為に、内臓ストロボがパチパチ光るのだけれど、ハウジングの中で光るのだから、フォーカス合せの役には立たない。イノンのストロボはけっこう強力なターゲットライトがついていて、みんなの持っているライトと同等の明るさはあるけれど、20cmぐらいまで近づかないと、フォーカスをあわせられない。もっと強烈なライトを持ち込まないと、ナイトダイビングでは、スチルは撮れない。 眠っているイラには接近できるので、撮れる。 イラがこんなに美しい魚だとは、と思うくらい派手できれいだ。昼間でもきれいだけれど、接近してストロボを当てて撮ると本当に美しい。夜だから、夜間睡眠用の色をしているのかとも思う。他の魚は、夜はくすんだ色をしているのに、イラはきれいだ。 この場所で、先行していた二人と一緒になれたが、二人はそのままどこかに進んでいってしまった。 これも、もっと撮れば良いのに、みんなに見せるために、場所を空ける。だれかが触ったために動いてしまった。一度ロープの下から外に出たのだが、また戻ってきた。位置が変わったので頭から撮影できた。可愛い顔をしているのだが、フォーカスがあっていない。 誰かが、ミノカサゴを見つけて呼びに来たので、そちらに行った。 戻り途、大きなウツボが居たので、挨拶をしにいったら、その間にはぐれてしまった。僕と、綿貫さんが一緒で、後の三人はそのまま石の斜面を上がっていってしまった。 ![]() 三人の方にはアシスタントのインストラクターが付いているから心配はないが、とにかくこちらも戻ることにした。 結局三つのバディに分かれてしまった。 夜の海では、全員が一緒にいるのはやはり無理かもしれない。バディをしっかりしておいて、バディ単位の行動にしたほうが、つまり今回のような形の方が良いかもしれない。 今、バディシステムのことを書いているので、ナイトのバディについて、少し考えさせられた。ナイトダイビングは、チームのフォーメーションシステムでなければ安全が保たれないレベルでは、やめた方が良さそうだ。今回のように、しっかり、二人だけのバディならば、維持できるレベルで、しかも、信頼できるスタッフが居て、スタッフの比率が1:4以下であれば安心していられる。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-26 14:10
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2008年 11月 25日
11月23日 大瀬崎へ、一泊のツアーに行く。大瀬崎に泊まるのは、はじめてだ。
この前に大瀬崎に行ったのは、ログを調べてみたら、去年の12月15日、小久保博士のテレビ番組「情熱大陸」のロケだ。一年近く行っていない。大瀬崎にはもっと行っているような気になっているが、意外だ。そして、一年が飛ぶように過ぎる。光陰矢のごとし、と恐ろしい。 本当に気の合った仲間たちとのツアーで、一泊できるので楽しい。楽しい日々、楽しいダイビングを重ねて生きてゆければ良いのだけれど、そうは行かない。憂い日々、憂い人間関係の連続だ。 ![]() しかし、大瀬崎は、新年のカレンダーのような富士が見える快晴だった。 今回のツアーは、フジミのお世話になる。後輩の加藤君がフジミのガイドをしている。加藤君は、僕の会社、スガ・マリン・メカニックに入社した。この世の常である人間関係がうまく行かずに退社してしまった。僕の自己満足の一つは、一緒に仕事をしてくれた人が、別れてから成功している、幸せにダイビングの仕事を続けてくれているということなのだが、加藤君も自分の幸せなダイビングをつかまえただろうか。 加藤君に一本、ガイドしてもらうことにした。大瀬崎の湾内も先端も、ガイドしてもらわなくても、安全に潜れる。外海は自信がない。ほとんど潜ったことが無い。僕の一番の苦手は、タンクを背負ってのエントリーとエキジットだ。それもゴロタ石の上を歩くのは、転んで骨折などしたら大変という恐怖がある。前に外海でひどいめにあったことがある。今では、コンクリートのエントリーロードが作られている。 それでも、昔のひどい記憶があるから、外海には行かない。加藤君にガイドしてもらうことにした。 案じていた、エントリーは思うよりも楽に出来た。 一本松というポイントだ。 水中のゴロタ石帯を過ぎると、すぐにヤギの類が目に付く。撮影すると鮮やかな赤だ。 フトヤギの仲間というだけしかわからないが、図鑑を見るとアカオウギヤギとかヒオウギヤギという名前が出てくる。アカオウギという名前にふさわしい。中心にいる魚はキンギョハナダイだろうが、ヤギの赤に押されて、色が目立たない。 ![]() 拡がっていたキンギョハナダイの群れが、近づくと、ヤギの根元に隠れるように寄り集まり、また拡がろうとする。 ![]() ![]() 中尾先生の無脊椎動物の採集を手伝うようになってから、無脊椎動物の分類を復習したいのだが、もはや、勉強をする時間が無いし、勉強しても端から忘れてしまう。分類学は、学生時代にやらなければ駄目だ。分類学の試験をほとんどカンニングで切り抜けてきた報いを今受けている。この写真一枚で、何種類の無脊椎動物が見えるだろうか。海綿だけで何種類だろうなどと考え込むばかりだ。 ![]() 大きな岩の陰のフトヤギの陰に、ニシキフウライウオがいる。珍しい魚、珍奇な形の魚の名前はすぐに思い浮かぶ。ニシキフウライウオは人気だから、連休でたくさんのダイバーが来ているので、山のようにカメラを構えたダイバーが集まっていると加藤君に聞いていた。なぜか、一人もダイバーは居なかった。が、あとから他のグループが来ているし、みんなにも見せなくてはいけないので、じっくり写真を撮っている余裕はない。適当にストロボを光らせて、場所を譲った。 それでも、インストラクター3人に、アドバンスクラス3人、6人の仲間にガイドがついていてくれるから、一眼レフのファインダーを覗いている。 ダイビングの安全は、気の合った、良いグループ、良いチームが形作られていれば達成される。良いチームをつくることがインストラクターの役割だと、思っている。僕の場合、僕がカメラのファインダーを覗いていられるようなチームを作ることだ、などと、自分勝手な考え方をしている。 それでも、ファインダーを覗いているのは5秒以内、直ぐに振り返ってメンバーを確認し、数を数える。透視度は、12mだというが、どんよりしている。 すれちがったマダイに3枚ほどシャッターを押す。マダイはやはりきれいだ。 ![]() ![]() エキジットする寸前の石の上に、ブダイの子供が居た。逃げなかったので、撮影した。 エキジットは、カメの上陸スタイルで、フィンを履いたまま這ってコンクリート道の上に上がった。みっともないが、転ばないためには、これが一番だ。這っていたら、加藤君が後ろからフィンを外して手に持ってくれた。カメラも彼に渡したので、空身で立ち上がって、楽だった。なんだか、メンバーのためにガイドを雇ったのではなく、僕のために雇ったようなものだ。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-25 08:53
| 日記 ログ
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2008年 11月 22日
大横川の桜も、もう少ししか葉が残っていない。ボラも姿がない。11月も足早に過ぎて行く。気持ちの上でめちゃくちゃに忙しい。気分はもう師走だ。嫌なこともたくさんある。しかし、元気で今年も潜り抜けているから、幸せと思わなければいけない。明日23日と24日の連休には大瀬崎に行く。一泊してナイトダイビングをやる予定である。
そうしたらまた、ブログを書けるけれど、ダイビングとダイビングの谷間は何も書くことがない。昔の思い出ばなしをすることになってしまう。これから冬だから、寒い冬の話をしよう。冬寒く、夏暑いのが良い。 僕の「海猿」撮影記 いつのころだったか正確には忘れてしまった。多分1987年だったと思う。 海上保安部、「特殊救難隊」の訓練を撮影した。「海猿」と書いたけれども、「海猿」のテレビ番組が出来、映画も作られるのは、ずっと最近だから、特殊救難隊は「猿」ではなかった。ちなみに僕は、「海猿」という呼び名もあまり好きではないし、テレビも映画も面白いと思って見たけれど、作られた厳しさであり、??と思う。訓練生が、海水浴客の溺れるのを飛び込んで助けようして、死んでしまうような「海猿」だ。お父さんがわが子を助けようとして飛び込むのとはわけが違う。冷静でなければ人命救助はできない。 それに比べて、アメリカのコーストガードを題材にした、「守護神」は、もっと逞しかった。アラスカのコーディヤック島に基地があり、ヘリで出て行き、アラスカの凍るような海に飛び込み、ドライスーツでスキンダイビングで潜って救助する。 日本の特殊救難隊も、氷の下の訓練をする。これは、本物の特殊救難隊の訓練だ。僕が一番親しくしてもらった特殊救難隊の隊長は、宮野さんだけれど、彼はすでに特殊救難隊を卒業して、エリートコースを進み始めていて、スポーツダイバーと海上保安部の橋渡しをいろいろやってくれた。その宮野さんの紹介でこの撮影が出来た。どこかのテレビ番組に売り込んで、番組になった。 よく覚えていないのだけれど、特殊救難隊は六人編成で、6人のチームが4個あった。いつも2チームは、羽田の基地に待機していて、何かが起これば、その場でジェット機に乗って飛び立つ。1チームが飛び立てば、非番のチームが入って、待機する。 非番といっても寝ているわけではない。訓練に出ている。特殊救難隊の任務は潜水だけではない。爆発物の訓練やら、ヘリからの降下訓練やら、いろいろある。潜水に関連した訓練としては、茅ケ崎の烏帽子岩で、荒波の訓練をしたり、氷の下の訓練、沈船に入る訓練などがある。 これらのことは、ずいぶん昔に聞いたことだし、今では編成も違っているかもしれないし、訓練方法も全然違っているかもしれない。が、とにかく、その時は、日光の湯の湖で氷の下に潜る訓練があり、僕はその訓練を取材に同行した。 隊員の名前を全部は覚えていない。メモはどこかに紛失した。ダイビングログを書いていれば良かったのだが、僕がログをつけ始めたのは、65歳で癌になり、今後、あと何回潜れるだろうと、いささか悲愴な気持ちになり、それから記しはじめた。ログの話は、また後にするつもりだ。 記憶を頼りにすると、隊長は山田さんで、特殊救難隊の隊長は出世コースである。もう一人、印象に残っているのは、ソウボウさんと言う、少し珍しい名前なので忘れていない。隊長よりも年長のベテランであった。もう一人、海上保安大学を出たばかりの新人がいて、彼がダイビングの担当になっていた。6人の隊員はそれぞれ担当があり、担当部門を司っている。もちろん潜水担当でなくても、潜水はする。小人数のチームだから、全員、同じことが出来なければならない。 ![]() 日光の湯の湖は、凍る湖で、スケートが出来るように平坦である。氷が厚いので、電動のチェーンソーで切るのだが、たいへんな労力がいる。四角い穴を開けて、氷の下に潜る。氷の下に潜ることは、別にたいしたことではない。寒そうに見えて、冷たいけれど、淡水はマイナス一度で凍るから、凍っていない水はマイナス一度より低くはならない。 ![]() ![]() ![]() 潜ることだけではたいしたことではないので、いろいろ考える。二つの穴を開ける。穴の間隔は20mぐらいだ。夜、真夜中に、二つの穴の間を素もぐりで潜り抜ける訓練をした。危ないのでガイドロープを張ってはある。ドライスーツで氷の下を息こらえのスキンダイビングで潜り抜ける。これは、まあ、度胸試しのようなものだ。隊員はみな度胸があるから、難なくクリアーする。 本当にすごい練習もやった。氷の厚さが20cmぐらいのところを選んで、小さな穴を開ける。近くに開けた大きな穴から潜った隊員が、鋸でこの小さな穴から切り出して、穴を大きくして、自分が通れるようにして水面に脱出する。 水深が3mぐらいあったから、足は湖底に着かない。水中に浮いて、スクーバから呼吸しながら、手で鋸を引いて厚さ20cmの氷を切り広げる。普通の体力ではできない。 実はこの訓練が面白いと言う事で、この取材をやった。 身体の大きい、保安大学を出たばかりのダイビング担当の新人がこの苦行をやった。30分ぐらいで切広げて脱出して氷の上に這い上がった。這い上がったところでばったり倒れた。オールアウトの状態だった。しばらくして、回復したが、彼はそのまま宿に戻って、床に着いてしまった。翌日には元気に起きて来たが、あまりにも危険だということで、この訓練は二度と行わないことになった。 彼はエリートだから、今では、海保の幹部になっているはずだ。どこに赴任しているのだろう。聞いて見なければと思いながら、このブログを書いている。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-22 13:10
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2008年 11月 18日
午後からは、船の科学館、羊蹄丸の下のポンツーンから潜った。
雨はそれほど強くならず、ぽつぽつ程度、雨は上がったといえるくらいの降りようだ。 水はよく見えたのだが、本当に動くような生き物はほとんど見えない。 夏の無酸素で死に絶えたまま冬を迎え、来春にはまたどこからか流れ着いたプランクトンの幼生が育って来るのだろうか、それとも、少し大きいイシガニなどは、どこからか泳いでくるのだろうか。 羊蹄丸からすぐ近くの科学未来館のスタッフである三ツ橋さんが、ドライスーツで潜った。彼女が潜水を習い始めたのは去年の夏だった。たしか、東大の天文学者小久保博士の紹介だったか、遊びにきて、潜れもしないのに、毎回やってくる。そのうちに辰巳のプールでスキンダイビングの練習を始めて、少し潜れるようになったら、どこかでC-カードを取ってきた。この春にお台場でスクーバで潜り、そしてドライスーツを着る。 僕の所にある使わないレンタルスーツで潜った。ドライスーツは水が入るものという体感をすることになった。 小柄で、お人形さんのような顔の人なのに、わりあいワイルドで、浸水にもめげていない。見込みがある。 ![]() ハネモが少し生えている。これとウミシダの類とごっちゃにしたのだから、僕の分類学はひどいものだ。 中心の緑色がハネモ、周囲の赤い藻はショウジョウケノリ ![]() さて、クラムチャウダーだが、風呂田先生がコンロを持ってきた、船の科学館の学芸部が、タマネギ、ベーコン、キノコの類などなどを仕込み、ホンビノスを茹でて、身だけ取り一緒に煮込み、缶詰のチャウダーの元を入れる。 貝は山ほどとったので、十分にあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() とても美味しかった。 レストランのクラムチャウダーよりもおいしかった。 味付けがよかったのか、それとも、ホンビノスがクラムチャウダーに本当に向いている食材なのかだろう。 紙コップに僕は3杯食べた。みんなもそのくらい食べたはず、それでも鍋の底の方にもまだ貝があった。 次は味噌鍋かと誰かがはりきっている。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-18 19:54
| 撮影
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2008年 11月 17日
11月16日お台場
朝から強い雨。雨のお台場は、ちょっとばかり憂鬱になる。着替えは、屋根のある駐車場でするけれど、器材の準備をする浜は、屋根なしだ。 今日はドライスーツで潜るつもりだ。季節は巡ってきて、水温は20度を切った。しばらくぶりのドライだから、穴が開いていないか、心配になる。 18度ならば、まだドライの下は薄着だから、ウエイトはジャケットウエイトの他に、腰に3キロ、レッグウエイトを兼ねた重いドライフィンを履く。しばらくぶりなので、首のシールの上に、フードを被ると、少し締め付けられて苦しい。 透明度はとてもよくて、3mぐらい見える。 ![]() ![]() 今日は外来種の二枚貝、ホンビノス貝でクラムチャウダーを作る予定だ。風呂田教授からこんなメールが来ている。「船の科学館オリジナルメニュー「元祖江戸前本場ニューイングランドクラムチャウダー」を作りましょう.」 自分の食べる分のホンビノスガイは、自分で採るようにということなので、まず、砂浜の2m線に潜り、探してみるが、なかなか掘れない。水面に顔を出して、風呂田教授のブイを探す。お台場の潜水では、一人が一つずつブイを曳いて潜っている。誰がどこにいるかわかるようにするためだ。風呂田教授のブイは、瓜型で少し細長い。彼は、このところホンビノスガイの研究をしている。たくさん採集して測定している。そばに行けば、たくさん採れるに違いない。やはり居た。手を砂の中に入れて掬うようにすると、大きなホンビノスガイが手に触る。たちまち10個ぐらい採った。 ホンビノスガイは、英名がビーナスクラム、ニューイングランドではクラムチャウダーの材料として、名高く、人気があるらしい。ビーナスがなまってビナス、ビノスになったらしい。船橋の三番瀬あたりでも採れていて、市場に出ている。 ホンビノスはこのくらいにして、移動した。 久しぶりのドライスーツだったが、水漏れはネックからの少しばかりであり、水温は18度で、冷たくない。ウエットスーツだったら、冷たかっただろう。 ウエイトも、ジャケットと腰の3キロでちょうど良く、海底から15cm上をすべるように進める。フィンは膝を曲げるようにして、先端を上に向けて、ヘドロを巻き上げないように泳ぐ。マンティスドライフィンは、この泳ぎ方には適しているようで、気持ちよく進む。僕は、他の場所で泳ぐ時も、海底から40-50cmをすべる。これはインストラクターの泳ぎ方としては不適だ。インストラクターは、上方3mぐらいを見張りながら泳がなければならない。意識して3mに上がるのだが、また海底に戻ってしまう。まあいいだろう。下手な人と一緒の時には、別にアシスタントかガイドを初心者に貼り付ける。 水はきれいなのだが、生き物が本当に少ない。小さな、親指の爪のような蟹がマガキの死に殻の奥に潜んでいたり、アゴハゼの小さい個体が、こそこそ逃げたりするくらいだ。この季節ならば、産卵前で、大きく育ったマハゼが見えるはずだと、ヘドロの上をパトロールするように滑り泳いだが、見えなかった。 なぜか、クシクラゲの類のカブトクラゲが点々としている。小さい個体で、撮影しても透き通ってしまって見えないだろうと、手のひらをバックにして撮ってみた。黒い手袋をしていれば、はっきり写るのだろうが、僕は素手で潜る習慣である。 ![]() 少し大きなクシクラゲ類が居た。こちらは半透明なので、写る。 ![]() お台場のこの水域は、東京湾の行き止まり。クラゲにとっても行き止まりだ。ここから先に漂ってゆくところはない。 午後からは、羊蹄丸の下に移動する。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-17 07:38
| 撮影
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2008年 11月 12日
冷たい雨が降って、寒い。気持ちとしてはもう冬だ。
大横川の桜も真赤になって、落葉寸前。 気温に関係があるのかどうかわからないけれど、ボラの姿も見えなくなった。ずいぶん長い時間、といっても3分ぐらいか、川面を見ていたが、見えない。 寒くなるといなくなるのだろうか。 ![]() 都会の真ん中では、桜とボラくらいしか自然を感じられない。 寒くなると、一番の関心は、いつドライスーツにするかだ。 ウエットスーツは破れてしまい、修理に出したら、あそこまで大きく破れたら修理不能と答えが返ってきた。自動的にドライスーツ。来年はウエットスーツの上着だけ作りなおそう。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-12 16:17
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2008年 11月 11日
11月8日、甑島からフェリーで串木野へ、そして、鹿児島到着は12時、飛行機が4時30分だから、鹿児島で食事する時間が十分にある。鹿児島ラーメンと白熊を食べに天文館通りに行くことになった。
鹿児島ラーメンは、「くろいわ」という店、おいしかったと言う以外に感想はない。白熊は「ママ」という小さな喫茶店に行く。このママともう一軒「むじゃき」という店が白熊の有名店、本家らしい。ママは本当に小さな店だから、暑い夏の盛りには混雑で大変なのではないかと思う。「むじゃき」の方は、大きな店で、観光客が夏には殺到?するみたいだ。 ![]() 白熊について、思い出がある。1956年(昭和31年) 7月、大学2年生の僕は、探検の師匠である白井祥平先輩(著書に「貝」「沖縄有毒害生物大辞典」など多数、4年先輩である)とともに奄美大島に向かった。東京を夕方の寝台車に乗ると、鹿児島には翌朝の9時だったか10時に着く。奄美大島への船は、次の日の午前中だったから、鹿児島を一日見物できる。 1956年の鹿児島 ![]() そこで白熊を食べた。今の天文館通りではない。何か、坂を登っていったような気がする。もしかしたら、城山公園への道だったのだろうか。西郷さんが切腹したという洞窟も見た。 夏の暑い日に白熊を食べたというだけで、特に、すごい、おいしいとは思わなかった。なるほどと思っただけだった。ような気がしている。 それから、次の日、奄美大島にわたり、そこで生まれてはじめたアクアラングの空気を吸って潜った。素もぐりは2年間一生懸命やったから、8mまで潜れるようになっていた。先輩が使って、残された、20気圧の空気のボンベを背負った。島に一台しかないコンプレッサーは、このボンベを詰めるときに壊れてしまったから。この20気圧が残された最後の空気だった。水面に浮上するためのリザーブバルブで残される空気が20気圧だから、もう上がらなくてはいけないという20気圧で潜り始めた。 甑島では、200気圧で潜りはじめ、学生が100気圧になると引き返す。潜降アンカーの根元にくると50気圧になっている。水面にもどって40気圧以下にはなっていない。僕の残圧は60ぐらいある。 昨年、アシスタントの残圧が海底で30になっていて、予想外だったので、あわてて浮上させた。 1956年の僕は、20気圧の空気で、およそ5分潜った。 ![]() 今回の白熊も、なるほどと思っただけだった。でも、夏にはコンビニで白熊のカップアイスを買う。これもおいしいとは思わないのだが、やはり買ってしまう。もしかしたら、1956年には、白熊を食べておいしいと感動して、おいしさは忘れてしまったが、感動の記憶が頭のどこかにすりつけられているのだろうか。また今度、鹿児島に行ったら、きっと白熊を食べる。今度は「むじゃき」に行ってみようと思っている。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-11 13:39
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2008年 11月 10日
11月7日
昨日の夕方は大雨だったが、朝起きてみると曇り、次第に晴れ間も出てきた。 心配なのは、やはり流れと、みんなすばやく船の上に上がれるである。流が出たら、早さが勝負になる。 特に僕が上がれなくては困る。 僕は船に自力でよじ登れなくなったら、現役のリサーチダイバー引退が近いとひそかに思っているので、真剣に上がれなければならない。 昨日のポイントとは、反対側を二箇所潜った。二箇所とも、魚は多い。ハタの類も、多い。 造礁珊瑚はやはり死滅していて、造礁珊瑚があったと思われる場所は、ソフトコーラルが覆っている。ソフトコーラルと言ってもきれいなトサカの類ではなく、地味で、平たく這っているウネタケの類、もしくはカタトサカの類だ。造礁珊瑚がきっときれいにあったと思えるような地形ばかりだ。そのほぼ全面をこの地味なトサカの類が覆っている。浜田さんも昔は造礁珊瑚が一面だったという。 ずいぶんたくさん図鑑の類はそろえているのだけれど、この類がきっちりわかる図鑑がない。 ![]() ウネタケ、トサカの類。知らなければ造礁珊瑚の類に見える。 ![]() ![]() これは死んでしまったテーブルサンゴの跡 ![]() 水は、昨日よりは良くて、10mぐらいは見とおせる。しかし、どんよりとしていて、50cm以内に接近しなければ、きれいな写真は撮れない。 ホームグラウンドの館山よりもどんよりしている。東シナ海だというのにこのどんよりは何なのだろう。その代わりに、心配していたような流れは、二箇所とも無い。なぜ、流れが無いのか、安全なところをと浜田さんにリクエストしているので、流れの無いところを選んでいるのだろうか。僕の印象としては、流れがあっても不思議ではない地形の場所に思える。もしかしてら、この季節、11月は黒潮の分流の勢いが弱まっている時期なのか? 長崎県、熊本県、鹿児島県の東シナ海側は、中国の黄河と一衣帯水だ。衛星写真で見ると、黄河流出の水が、日本海に広く張り出すように広がっている。黒潮分流、日本海に入ると対馬暖流になる海流が弱いときには、黄河流出の水が、海をどんよりさせているのかもしれない。これは、あくまでも僕の想像である。念のため。 こちらも魚は多かった。特に二回目に潜った平瀬は、イシダイ釣りの名所だということ、なぜかイシダイは見えなかったが、ハタの類、ハマフエフキ、コロダイは目に付いた。 ![]() さて、よじ登りだが、梯子はアルミでとても軽くてよいのだが、短くて、最下段が水に入っていない。元気の良い若い人たちにまず上がってもらい、ウエイトを引き上げてもらい、続いてタンクを引き上げてもらう。この順番を間違えるといけない。BC.には水面での浮力を残してあるから、先にタンクを上げたら、ウエイトがもろに身体を沈めるように働く。浜田さんは、ハーネスのタンクを引き上げさせると、ウエイトを着けたまま、梯子も使わずに軽がると上がってしまう。ハーネスはBC.よりも軽いから、軽々とボンベは引き上げられる。このところ、ウエイトを入れるポケットが着いているBCが流行っているようだ。確かにBCとウエイトを一体化することによってバランスも良くなるし、ウエイトベルトがずり落ちたり、バックルが外れてウエイトが落ちたりという危険はないが、僕は使わない。もしも、ウエイトとボンベが一体化していたら、船に引き上げてもらうことが出来なくなる。特にドライスーツで10キロ近いウエイトを着けている時等、上げてもらえない。ボートの上回りは、これでみんな腰を痛めてしまう。タンクとBCを別々に引き上げるから、上げてもらえるのだ。若い人は、タンクだけ引き上げてもらえば、ウエイトは腰につけたまま、よじ登っている。 僕は、ウエイトをまず上げてもらい、次にタンクを引き上げてもらう。フィンの片足を脱いで船に上げる。左手を梯子にかけて、右のフィンで水を押しながら、船縁まで右手を伸ばして掴み、懸垂して左足の膝を梯子の最下段にかける、右の膝も梯子にかけたら、フィンを脱いだ左足を最下段に乗せて、さらに懸垂して右足を伸ばして船べりをまたぐ。 僕の場合、右足が少し悪く、足が上がらないのが、少し苦労であるが、なんとか上がれた。 これで、どうやら、自力で上がれるようになった。引退しないですみそうだ。しかし、手順がちがっていた。悪い方の右足のフィンを脱ぎ、左手で梯子の上段を掴んで、左のフィンで蹴りながら、右手で船縁を掴み懸垂でせり上がり、左足の膝を梯子の下段に乗せる。次に右足を梯子に乗せ、せりあがって、左足の膝を梯子の中段に乗せれば、フィンを脱いでいる右足を上げて船縁をまたぐことが出来る。 これで良い。漁船を使うリサーチダイビングでは、船縁の高い船へのよじ登りが、常に課題になる。懸垂する腕力がある程度要求される。それと、膝をついて、膝で梯子を上がるから、膝当てがあった方が良い。 ここで注意することは、両足のフィンを脱いでしまわないことだ。必ず片足を残しておき、水を押すよう懸垂で攀じ登る。手を滑らせて水に落ちた時、フィンを両足外してしまっていたら、泳げない。 最近流行している先が割れたプロペラ推進のフィンは使えない。水を押さないから登れないのだ。 無脊椎動物の採集は成功だったようだ。 ![]() 無脊椎動物の採集に同行していると、自分の無脊椎動物に対する無知が良くわかる。お台場に生えている海藻、「ハネモ」だと思っていたものが、実は腔腸動物だと中尾先生に教えられた。それと、ほんのちょっと離れただけで、海綿などの種類がまるで違ったり、同じ種類でも、遺伝子が違うのだ。海綿は潮通しがよい場所の方が種類数は多い。となると、今回、潮通しが悪い、流れの無いところをリクエストしたことがいけなかったかとも思うが、やはり僕としては安全を優先させる。同行した、勝俣君は、とても上手になったけれど、まだスクーバをはじめて1年目、二年目の前島君もまだエキスパートには達していない。 それはそれとして、無脊椎動物の種類数と種類、すなわち定性調査を日本の沿岸を次々と調べて行くと、環境の悪化も、理由不明の資源の減少の理由も調べられる糸口になるのではないかと、中尾先生と話し合っている。 ハネモだと思った腔腸動物、これも図鑑に出ていなかった。定性調査をやるためには、もっと良い図鑑がほしい。 ![]() もっとこの旅を続けて行きたい。 良いチームを作れば、事故は起こらない。良いチームができた。 まずは、無事にすべての潜水を終了した。 浜田さんは明日からの漁に備えて、キビナゴ漁の網を積み込む。網の漁も一人きりでやる。20mほどの刺し網で、水面近くに泳いでいるキビナゴを囲む。刺し網だから、キビナゴは、網に頭を突っ込む。外すのが大変でしょう、と聞いたら、上げた網を振れば、キビナゴは落ちるのだそうだ。いずれにしても重労働だ。 ▲
by j-suga1
| 2008-11-10 17:10
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